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〔『松琴亭』(しょうきんてい)近くの庭路:『桂離宮』(京都市西京区桂)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 5[完].『桂離宮』【皐月】(さつき):【総集編】白雲浮かぶ五月晴れの池畔を、宮内庁職員のご案内で周る日本最古の回遊式庭園さんぽ・・・^〜^v:(京都市西京区桂)〔2018.05.10〕 五月晴れの先日(5/10)一年ぶりに出かけた 日本最古の回遊式庭園『桂離宮』☆彡 最終編は、宮内庁職員のご案内による 参観コースにそって、 活き活きと輝く『青楓』の庭園さんぽを 【総集編】としてまとめましたので、 お楽しみください・・・^〜^v |
皇居・御所・離宮・迎賓館の四季
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〔『住吉の松』:『桂離宮』(京都市西京区桂)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 4.『桂離宮』【皐月】(さつき):『柿葺』(こけらぶき)に『入母屋造』(いりもやづくり)の書院群から、『白居易』の『西湖詩』ゆかりの四っ目の『茶室』へと・・・^〜^v:(京都市西京区桂)〔2018.05.10〕 先日(5/10)は例年ならば『霧島躑躅』が咲き誇り、 宝石散りばむ池畔を楽しみに 三か月前に申し込んだ『桂離宮』へ 一年ぶりに出かけてきました^^v しかし、残念ながら『霧島躑躅』はとっくに終わって 活き活きと輝く『青楓』の庭園☆彡 大雨も上がって、風もない水面には、 五月晴れの空が映える静かな池畔を 形いろいろの『灯籠』の案内で 初夏の気配を楽しむ 日本最古の回遊式庭園^^v 『御幸門』(みゆきもん)から始まる参観コース、 最初の御茶屋『松琴亭』(しょうきんてい)、 峠の茶店『賞花亭』(しょうかてい)、 持仏堂の『園林堂』(おんりんどう)、 李白の一句ゆかりの茶室『笑意軒』(しょういけん)から、 元和元年(1615年)頃から寛文2年(1662年)頃にかけて建て増しされた 『柿葺』(こけらぶき)『入母屋造』(いりもやづくり)の屋根で、 書院造を基調に数寄屋風の要素も『古書院』・『中書院』・『新御殿』からなる 書院群から、古書院の北側にある茶屋で、 『白居易』の『西湖詩』の一句 「月点波心一顆珠」 (月は波心に点じ一顆(ひとつぶ)の珠)に由来する 四っ目の茶室『月波楼』(げっぱろう)へと 皐月の候の『桂離宮』を ご一緒にをお楽しみください・・・^〜^! 月波楼は、池の西岸、古書院の北側にある茶屋で、南を正面とし、池に面した北側と東側には石垣を築く。 建築面積は26平方メートル。 寄棟造、杮葺とする。 建物名は白居易の『西湖詩』の「月点波心一顆珠」(月は波心に点じ一顆(ひとつぶ)の珠)という句に由来する。 中央の土間を囲んで東に「中の間」、北に「一の間」、西に板敷の「膳組所」があり、中の間の手前に「口の間」が突出する。 松琴亭が冬向きの茶屋とされるのに対し、こちらは夏向きの茶屋とされている。 一の間にのみ竹の竿縁の天井を張り、他の部分は化粧屋根裏として、竹垂木、竹木舞、葭簀の野地からなる屋根裏をそのまま見せる。 二の間は池に面した東面と西面に竹簀子の縁を設ける。 二の間の「歌月」の額は後水尾天皇の筆とも霊元天皇の筆ともいう。 昭和の修理時に襖の下張りから承応元年(1652年)の年紀が発見され、この年が建立時期の上限となる。 【『真の延段』・『六つ沓脱』】 古書院の入口は北側にある中門である。 中門を入ると杉苔で覆われた壺庭があり、切石を組み合わせた延段(敷石道)が古書院の玄関口である「御輿寄」(おこしよせ)へ向けて斜めに伸びる。 この延段は「真の延段」と呼ばれる。 ここで言う「真」は「真・行・草」(漢字の3書体)の「真」であり、「行の延段」は「外腰掛」前、「草の延段」は笑意軒前にある。壺庭内には延段のほかに、自然石と切石を混ぜた飛石が打たれ、別名「切支丹燈籠」ともいう織部燈籠が立つ。 御輿寄の手前には4段の幅の広い石段があり、その上に横長の沓脱石がある。この沓脱石は6人分の沓の幅があることから「六つ沓脱」と称される。石段、沓脱石ともに御影石製である。 住吉の松 御幸道を通って土橋を渡り、古書院へ向かう道筋で左方を見るとこの松がある。 この松は池に突き出した岬の突端にあり、池の眺めをさえぎっているため、「衝立の松」とも称する。 池の眺めをあえて遮り、訪問者が古書院に上がって、そこの広縁から外を眺めたときに初めて池の全景が見えるようにという配慮のもとにこの松が植えられているという。 かつては池の対岸にこの松と対をなす「高砂の松」という古木があり、「住吉の松」「高砂の松」がそれぞれ古今和歌集と万葉集を表していたという。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E9%9B%A2%E5%AE%AE |
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〔『笑意軒』(しょういけん):『桂離宮』(京都市西京区桂)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3.『桂離宮』【皐月】(さつき):『笑意軒』(しょういけん)、青楓に包まれた李白の『山中問答歌』の一句ゆかりの池畔に立つ茶室で一休み・・・^〜^v:(京都市西京区桂)〔2018.05.10〕 先日(5/10)は例年ならば『霧島躑躅』が咲き誇り、 宝石散りばむ池畔を楽しみに 三か月前に申し込んだ『桂離宮』へ 一年ぶりに出かけてきました^^v しかし、残念ながら『霧島躑躅』はとっくに終わって 活き活きと輝く『青楓』の庭園☆彡 大雨も上がって、風もない水面には、 五月晴れの空が映える静かな池畔を 形いろいろの『灯籠』の案内で 初夏の気配を楽しむ 日本最古の回遊式庭園^^v 『御幸門』(みゆきもん)から始まる参観コース、 最初の御茶屋『松琴亭』(しょうきんてい)、 峠の茶店『賞花亭』(しょうかてい)。 宮廷文化の粋が凝縮する池畔沿いに 持仏堂の『園林堂』(おんりんどう)から 李白の『山中問答歌』の一句ゆかりの茶室 『笑意軒』(しょういけん)へと 皐月の候の『桂離宮』を ご一緒にをお楽しみください・・・^〜^! 「問余何意栖碧山 笑而不答心自閑」 (余に問ふ何の意ありて碧山に栖むと。笑ひて答えず心自ら閑かなり) 笑意軒前の池の岸は、直線的な切石で構成した船着場になっている。 建築面積は63平方メートル。寄棟造、茅葺の屋根の北・東・西の三方に杮葺の庇をめぐらし、東側には杮葺の突出部がある。 北側正面は深い土庇となり、大小の飛石を配置し、榑縁を設ける。 寄棟造の主体部の東側は手前が「口の間」、その奥が「中の間」であり、これらの西に「次の間」、建物西端には板敷の「膳組の間」がある。 中の間の東側の突出部には3畳で床(とこ)、付書院付きの「一の間」があり、その東に納戸、東端に厠がある。 口の間の外に面した壁の内法上は、円形の下地窓を左右に6個並べた独特の意匠となっている。 下地窓の上方に掛けられた「笑意軒」の扁額は、曼殊院良恕法親王(智仁親王の兄)の筆である。 中の間、次の間は南に面して大きな開口部を設け、南側の農地が見える。 この建物は公家住宅に存在した「物見」と同様、邸内から外部の様子を眺めるための建物という性格をもっている。 中の間は2間の間口一杯に窓を設けるが、この窓の下の腰壁に独特の意匠を施す。 この腰壁は横に細長いが、その中央部分を平行四辺形に区切って、そこに金箔を張り、左右の直角三角形のスペースには市松文様の天鵞絨(ビロード)を張る。 なお、この腰壁が現在のようなデザインになったのは、八条宮7代目の家仁親王が修理を加えた時からで、当初は腰壁全面に天鵞絨が張られていた。 口の間東側の杉戸外面の引手は矢羽根形、口の間・中の間・次の間の襖の引手は船の櫂の形とする。 襖には山水や花鳥が描かれていたが、剥落が著しい。 昭和の修理時に、一の間・納戸境の襖の下張りから承応4年(1655年)の年紀が発見され、この年が建立時期の上限となる。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E9%9B%A2%E5%AE%AE |
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〔『白と藍染の市松模様』:『二の間境の襖』・『松琴亭』(しょうきんてい):『桂離宮』(京都市西京区桂)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2.『桂離宮』【皐月】(さつき):『松琴亭』(しょうきんてい)から、『賞花亭』(しょうかてい)を経て、『園林堂』(おんりんどう)へと・・・^〜^v:(京都市西京区桂)〔2018.05.10〕 先日(5/10)は例年ならば『霧島躑躅』が咲き誇り、 宝石散りばむ池畔を楽しみに 三か月前に申し込んだ『桂離宮』へ 一年ぶりに出かけてきました^^v しかし、残念ながら『霧島躑躅』はとっくに終わって 活き活きと輝く『青楓』の庭園☆彡 大雨も上がって、風もない水面には、 五月晴れの空が映える静かな池畔を 形いろいろの『灯籠』の案内で 初夏の気配を楽しむ 日本最古の回遊式庭園^^v いつもの参観コースを、 『御幸門』(みゆきもん)から、 一気に視界が拡がる 最初の御茶屋『松琴亭』(しょうきんてい)から、 滑りやすい飛び石伝いに 苑内で最も小高い位置にある 峠の茶店『賞花亭』(しょうかてい)で一休みして、 『書院群』を向うにした池畔沿いに 元は持仏堂の『園林堂』(おんりんどう)へと 輝く新緑の池畔の宮廷文化の粋『桂離宮』を ご一緒にをお楽しみください・・・^〜^! 松琴亭は、池の東岸、間に小島を挟んで対岸の古書院と向かい合う位置にある、茅葺の田舎家風の茶屋である。 建物は池に突き出た半島状の部分に位置してほぼ北面し、南を除く三方が池に面している。 建築面積は56平方メートル。平面は中央に中庭を設けた「ロ」の字形であるが、屋根構成は複雑である。 北側の東西棟、入母屋造、茅葺の部分が主体となるが、茅葺屋根の一部は、主体部と棟を直交させる形で西寄りの後方にも伸びている。 主体部の後方東寄りには茶室があり、ここには杮葺屋根が掛かる。 北側正面は深い土庇となり、その奥の西側(向かって右)に変形(L字形平面)11畳の「一の間」、東側に6畳の「二の間」がある。 一の間の手前に「膳組所」が張り出す。 二の間の後方は茶室である。 一の間と茶室に挟まれた建物中央には中庭を設け、その北側は西が「次の間」、東が「勝手の間」となる。 さらに北には西側に土間を挟んで2つの板敷の間(西板敷、東板敷)があり、これらの東に「水屋の間」がある。 土間には炉を設ける。東側妻に後陽成天皇宸筆の「松琴」の扁額を掛ける。 昭和修理時にも松琴軒の正確な建立年代を示す資料は発見されなかった。 ただし、後の増築との説もあった茶室については、一の間・二の間と同時の建築であることが判明した。 一の間は、鉤形の変形平面の11畳敷で、東側に床(とこ)、その向かって右に戸棚があり、戸棚と矩折れの位置に石炉を設け、石炉の上には袋棚を設ける。戸棚の襖には山水図、石炉上の袋棚の小襖には花鳥図が水墨で描かれ、これらは狩野派の作品である。 後者の花鳥図に描かれる鳥は尾長鳥、翡翠(かわせみ)、鶺鴒(せきれい)、雀の4種である。 床の壁面と、二の間境の襖とは、白と藍色の方形を互い違いに配置した抽象的な文様(市松文様)で全面が覆われている。 これは白と藍染の加賀奉書を張ったもので、桂離宮にみられる斬新なデザインの代表例として知られている。 襖や小襖の引手には結び紐形、七宝文、螺貝形などが用いられている。 これらの金物は、嘉長の作と伝えられており、特に螺貝形の引手は七宝の技法が用いられている。 一の間の手前(北)には板敷の膳組所がある。 ここには竈(くど)構えがあり、竹と葭で編んだ低い垣をめぐらし、隅には平面三角形の棚を設ける。 二の間は6畳間で違棚を設ける。 隣の茶室境の襖と、違棚の壁の上部は一面に藍染の加賀奉書を張る。 違棚壁の下部には変形(瓢箪形)の下地窓を開ける。 この下地窓は壁の裏の茶室側では点前座の風炉先窓となっている。 茶室は3畳台目で東側に躙り口、南側に床(とこ)、西側に点前座を設ける。 8か所に窓を設けるところから、「八ツ囲の席」と呼ばれている。 客座の天井は真菰の白糸編を張り、竹の竿縁で押さえている。 炉は台目切とし、炉に接して型通りに皮付で湾曲した中柱を立てる。 中柱は中ほどに短い枝を1本残しており、これは茶入袋掛けとなっている。 賞花亭は、池の南側にある大きな島の頂上よりやや西に北面して建つ。 皮付柱を用いた、間口2間の小規模で素朴な茶屋であり、「峠の茶屋」と呼ばれる。 建築面積は12平方メートル。 切妻造、茅葺とする。 中央の土間を囲んで「コ」の字形に4枚の畳を敷く。 北側正面と西面の大部分は吹き放し、西面の袖壁と東面の壁にもそれぞれ大きな下地窓を開ける、開放的な構えになる。 土間に炉と竈を設ける。 南側には水屋を設け、その上を竹の連子窓とする。 南側壁に掛かる「賞花亭」の額は曼殊院良尚法親王(智仁親王の子)の筆。 この建物はもとは今出川の八条宮本邸にあった「龍田屋」という小亭を移築したもので、使用する時は「龍田屋」の字を白と紺で染めた暖簾を掛けたという。 古図によれば、この建物はもとは中島の山頂に、現在とは逆に南向きに建っていた。 前述の「賞花亭」の額が書かれたのが宝暦13年(1763年)であることから、同年頃に現在の位置に移され、方位も変更されたとみられる。 なお、この建物は昭和9年(1934年)の室戸台風で倒壊し、翌年に新材で復元されたものである。 園林堂は、池の南側にある大きな島の西端に建つ持仏堂で、離宮内で唯一の本瓦葺の建物である。 宝形造、本瓦葺で、正面に唐破風を付し、正面と両側面の三方に銅板の庇をめぐらす。 周囲には高欄付の縁を設ける。 なお、小屋組の構成からみて、当初は瓦葺ではなく軽い屋根葺材(檜皮か杮)が用いられていたと推定される。 堂内は板敷、格天井で、奥には間口一杯に仏壇を設ける。 かつては楊柳観音画像と細川幽斎(智仁親王の和歌の師)の画像が祀られていたが、これらは別途保管され、現在は堂内に何も祀られていない。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E9%9B%A2%E5%AE%AE |
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〔『天橋立』:『松琴亭』(しょうきんてい)近くの庭路:『桂離宮』(京都市西京区桂)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 1.『桂離宮』【皐月】(さつき):活き活きと輝く『青楓』の池畔を、形いろいろの『灯籠』の案内で楽しむ日本最古の回遊式庭園さんぽ・・・^〜^v:(京都市西京区桂)〔2018.05.10〕 一気に夏のような日になったのち、 大雨上がったら寒いほどの気温の寒暖 今年の春は乱高下の気温で予想困難なお花の見頃時期! さて、例年ならば『霧島躑躅』が咲き誇り 宝石散りばむ池畔を楽しみに 三か月前に申し込んだ『桂離宮』へ 昨日(5/10)一年ぶりに出かけてきました^^v しかし、残念ながら『霧島躑躅』はとっくに終わって 活き活きと輝く『青楓』の庭園☆彡 大雨も上がって、風もない水面には、 五月晴れの空が映える静かな池畔を 形いろいろの『灯籠』の案内で 初夏の気配を楽しむ 日本最古の回遊式庭園^^v それでは、いつもの参観コース、 まず、最初の土橋を渡り『御幸門』(みゆきもん)、 『御幸道』を『蘇鉄山』在る『外腰掛』を経て、 一気に視界が拡がる茶庭を『天橋立』浮かぶ『洲浜』から、 最初の御茶屋『松琴亭』(しょうきんてい)へと ご一緒に楽しみましょう・・・^〜^v 御幸道 御幸門を入って右折し、古書院へと向かうアプローチである。 道の石敷は「霰こぼし」と称し、青黒い賀茂川石の小石を長さ44メートルにわたって敷き並べ、粘土で固めたものである。 突き当りの土橋を渡って古書院に至る 御幸門 表門を入って真っ直ぐ進んだところにある。 後水尾院の行幸に備えて建てられた。 切妻造茅葺の素朴な門で、格式の高い四脚門ではなく、棟門形式とする。 柱と桁には皮付のアベマキ材を使用する。 門の手前脇にある方形の切石は「御輿石」と称し、天皇の輿を下す場所だという。 【外腰掛】(そとこしかけ) 外腰掛 御幸道の途中から左に入り、飛石を伝っていくと、外腰掛がある。 これは、松琴亭で茶会が催される際の待合になる。 正面3間、側面1間で、茅葺屋根を架す。 柱は皮付クヌギ材で、曲木の梁を渡し、屋根裏は葭を竹垂木で押さえている。 奥には板腰掛を設け、北端に飾り雪隠がある。 松琴亭付近の茶庭 桂離宮の池は大小5つの島があり、入江や浜が複雑に入り組んでいる。 中でも松琴亭がある池の北東部は洲浜、滝、石組、石燈籠、石橋などを用いて景色が演出されており、松琴亭に属する茶庭(露地)として整備されている。 前述の外腰掛の向いの小山は「蘇鉄山」と称され、薩摩島津家の寄進という蘇鉄が植えられている。 外腰掛前には延段(敷石道)が池の方向へ向かって伸びている。 この延段は自然石と切石を混ぜたもので、古書院御輿寄前の「真の延段」、笑意軒前の「草の延段」に対して「行の延段」と呼ばれる。 延段の北端には「二重升形手水鉢」と称する手水鉢がある。 延段をはずれ、飛石の上を歩くと急に池の展望が開け、入江を挟んだ対岸の松琴亭や周囲の石組が目に入る。 周囲には「洲浜」「天橋立」などの景色が造られている。 洲浜は青黒い賀茂川石を並べて海岸に見立てたもの。 天橋立は小島2つを石橋で結び、松を植えで丹後の天橋立に見立てたものである。 古図によれば、かつてはこの入江をまたいで池の北岸から松琴亭側に渡る朱塗の橋が架けられていたが、今はない。 松琴亭に至るには、池の東岸へ回り込んで、白川橋という石橋を渡ることになる。 白川橋は長さ5.7メートル、幅33センチ、切石製で反りのない直線的な橋である。 この橋は「加藤左馬助進上の奥州白川石」であるとする伝承があった。 しかし、奥州白川石は安山岩であって、石の種類が異なり、この白川橋は京都の白川石を用いて造ったものとされている。 橋を渡ったところには池中に数個の飛石を配した「流れの手水」というものがある。 池水に直接手を浸して手水を使うという趣旨である。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%82%E9%9B%A2%E5%AE%AE |





