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〔『浴龍池』(よくりゅうち):『隣雲亭』(りんうんてい)・『上離宮』・『修学院離宮』(京都府京都市左京区修学院)にて〕 4[完].『修学院離宮』【弥生】:【上離宮】路傍の来春を愛でる、『比叡山』からの谷川を堰き止めた巨大な池の畔さんぽ・・・^〜^v:(京都府京都市左京区修学院)〔2016.03.31〕 もう一か月ほど前の桜花咲き始めた来春の日(3/31)、 久しぶりに出かけた『修学院離宮』☆彡 京都・洛北、東山連峰の山裾に造られた 『後水尾上皇』ゆかりの山荘は、 谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園と その関連建物からなる王朝文化の美意識の到達点を示す 『桂離宮』や『仙洞御所』とならぶ『修学院離宮』。 下・中・上の三つの離宮の最も高い位置にある『上離宮』は、 上皇が力を入れて設計したと伝わる 巨大な人工池の『浴龍池』(よくりゅうち)と 『大刈込』を中心とした壮大な庭園。 眼下に拡がるその眺望を 『隣雲亭』(りんうんてい)から堪能したあと、 その池畔をひと回り☆彡 借景の山なみや木々は、 水鏡としても映り、 大自然の真ん中の一本道を歩む風情、 その足元の小さな春の到来を愛でる 池畔さんぽ☆彡 それでは、桜花咲くころの離宮参観、 コースに従って、『下離宮』・『中離宮』から、 『上離宮』の巨大なの『浴龍池』の畔を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【上離宮】 巨大な人工池の『浴龍池』(よくりゅうち)と『大刈込』を中心とした壮大な庭園である。 杮葺の御成門を入ると、右は山道、左は池畔の道となる。 『浴龍池』は谷川を堰き止めて造った人工池で、堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び4段の石垣で補強されているが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆っている。 『大刈込』とは、異なる種類の樹木を混ぜ植えたものを刈込んで、全体の形を整えたものである。 『御幸門』から石段を上った離宮内の最高所に『隣雲亭』が建つ。 ここまで登ると、急に展望が開け、眼下に浴龍池、遠方に借景の山々を望む壮大な風景が広がる。 『浴龍池』には中央の中島『窮邃亭』のほか、2つの島があり、北側の島は三保島、南側の島は万松塢(ばんしょうう)という。 中島には東岸から楓橋、北岸から土橋が架かる。楓橋は欄干付の木橋。土橋は上に土を盛った木橋である。中島と万松塢の間には中国風な千歳橋が架かる。 上御茶屋の主要建物は隣雲亭と窮邃亭の2棟である。 【蕎麦切塩釜】(京都府京都市左京区一乗寺西閉川原町29-13) ■店名:蕎麦切塩釜 (そばきり・しおがま) TEL:075-721-2966 住所:京都府京都市左京区一乗寺西閉川原町29-13 営業時間:【昼】11:30〜16:00(LO15:45) 【夜】18:00〜21:00(LO20:45)
ランチ営業、日曜営業
定休日:月曜・第3火曜(祝日の場合翌日) |
皇居・御所・離宮・迎賓館の四季
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〔『浴龍池』(よくりゅうち):『隣雲亭』(りんうんてい)・『上離宮』・『修学院離宮』(京都府京都市左京区修学院)にて〕 3.『修学院離宮』【弥生】:【上離宮】『比叡山』からの谷川を堰き止めた人工池の畔に来春、眼下に楽しむ・・・^〜^v:(京都府京都市左京区修学院)〔2016.03.31〕 もう一か月ほど前の桜花咲き始めた春の日(3/31)、 久しぶりに出かけた『修学院離宮』☆彡 京都・洛北、東山連峰の山裾に造られた 『後水尾上皇』ゆかりの山荘は、 谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園と その関連建物からなる王朝文化の美意識の到達点を示す 『桂離宮』や『仙洞御所』とならぶ『修学院離宮』。 下・中・上の三つの離宮の最も高度の高い『上離宮』は、 上皇が最も力を入れて設計したと伝わる 巨大な人工池の『浴龍池』(よくりゅうち)と 『大刈込』を中心とした壮大な庭園。 そして、眼下に拡がるその眺望を望む 『浴龍池』との標高差10メートルのところに建つ 『隣雲亭』(りんうんてい)。 創建当時のものとされている唯一の建物で、 南側上がり口の軒下の扁額「窮邃」は、 上皇の真筆の『窮邃亭』(きゅうすいてい)。 それでは、桜花咲くころの離宮参観、 コースに従って、『下離宮』・『中離宮』から、 田畑の間に延びる『御馬車道』を経て、 『上離宮』をご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 杮葺の御成門を入ると、右は山道、左は池畔の道となる。 浴龍池は谷川を堰き止めて造った人工池で、堤防は高さ13メートル、延長200メートルに及び4段の石垣で補強されているが、武骨な石垣が見えないよう、3段の生垣と大刈込で覆っている。 大刈込とは、異なる種類の樹木を混ぜ植えたものを刈込んで、全体の形を整えたものである。 御幸門から石段を上った離宮内の最高所に隣雲亭が建つ。 ここまで登ると、急に展望が開け、眼下に浴龍池、遠方に借景の山々を望む壮大な風景が広がる。 浴龍池には中央の中島(窮邃亭)のほか、2つの島があり、北側の島は三保島、南側の島は万松塢(ばんしょうう)という。 中島には東岸から楓橋、北岸から土橋が架かる。楓橋は欄干付の木橋。土橋は上に土を盛った木橋である。中島と万松塢の間には中国風な千歳橋が架かる。 上御茶屋の主要建物は隣雲亭と窮邃亭の2棟である。 |
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〔『霞棚』(かすみだな):『客殿・一ノ間』・『中離宮』・『修学院離宮』(京都府京都市左京区修学院)にて〕 2.『修学院離宮』【弥生】:【中離宮】『後水尾上皇』ゆかりの門跡尼寺が、明治期に返還され組み入れられた女性的な山荘を春さんぽ・・・^〜^v:(京都府京都市左京区修学院)〔2016.03.31〕 もう一か月ほど前の桜花咲き始めた春の日(3/31)、 久しぶりに出かけた『修学院離宮』☆彡 京都・洛北、東山連峰の山裾に造られた 『後水尾上皇』ゆかりの離宮は、、 谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園と その関連建物からなり、 『桂離宮』や『仙洞御所』とならび、 王朝文化の美意識の到達点を示す『修学院離宮』。 ところが、この『中離宮』は、 もともとは、上皇の内親王のために造営された 『朱宮御所』(あけのみや)が、 上皇の死後『林丘寺』(りんきゅうじ)という門跡尼寺。 その境内にあった『楽只軒』(らくしけん)と『客殿』を含む、 約半分が宮内省に返還され、 『修学院離宮』の一部になった山荘。 それでは、桜花咲くころの離宮参観、 コースに従って、『下離宮』から この『中離宮』へと、 ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【中離宮】 後水尾上皇の第8皇女・光子(てるこ)内親王のために1668年(寛文8年)造営された朱宮(あけのみや)御所が前身である。 朱宮御所は上皇の死後、林丘寺(りんきゅうじ)という寺に改められた。 1885年(明治18年)、楽只軒(らくしけん)と客殿を含む、林丘寺境内の約半分が宮内省に返還され、修学院離宮の一部となった。 書院造の客殿は、1677年(延宝5年)造営された東福門院(後水尾天皇女御、徳川2代将軍秀忠娘)の女院御所の奥対面所を移築したものである。 客殿一ノ間の霞棚は、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに「天下三棚」の一として知られる。 他に表門、中門、瓦葺の総門(もと林丘寺の総門であった)がある。 【楽只軒】 瓦葺、杮庇の建物。 軒名は『詩経』の「楽只君子万寿無期」によるもので後水尾院の命名である。 ほぼ正方形平面で、南面と東面に板縁を設ける。 主たる部屋は東側の「一の間」とその西、建物中心部に位置する二の間である。 一の間は6畳で北側に床(とこ)を設け、床壁貼付と、その西の壁貼付の絵は狩野探信の「吉野山桜図」である。 二の間は8畳で、西面南寄りの壁貼付絵は作者未詳の「竜田川紅葉図」である。 一の間・二の間境の長押上の「楽只軒」の額は後水尾院の筆になる。 【客殿】 東福門院の女院御所の対面所を移築したものである。 建物は入母屋造、杮葺とし、南面と西面に1間幅の入側(畳縁)があり、その周囲に板縁をめぐらす。 西側の南が「一の間」、その東が「二の間」、その北が「三の間」で、一の間の北には仏間(御内仏の間)がある。 一の間は12畳で、北側西寄りに床(とこ)、その東に幅1間半の棚を設ける。 棚は5枚の欅板を高さを違えて設置し、霞のたなびく様に似ることから「霞棚」と称され、桂離宮の桂棚、醍醐寺三宝院の醍醐棚とともに天下三名棚の一とされる。 棚の下方の地袋には友禅染の張り場の風景を描く。 その上には細長い三角棚がある。 地袋小襖の引手は羽子板形、三角棚の小襖の引手はぶりぶり(玩具の一種)形である。 床壁の腰貼りは群青と金箔の菱形を交互に並べた幾何学文で、襖の腰貼りも同様である。 床、棚、襖を通して金泥で雲を描き、その上に和歌・漢詩と水墨画の色紙を貼り交ぜている。 和歌は親王公家、漢詩は五山僧の筆になるものである。 室内の長押には七宝の釘隠14個がある。二の間は10畳で、狩野永敬の四季絵がある。 襖の引手は尾長鳥丸紋のデザインとし、長押には七宝の竹葉形釘隠8個がある。 南側の畳縁の杉戸には一の間側に鯉と鮒、二の間側に大鯉を描く。 これらの魚の絵には画面全体を覆うように漁網の網目が描き込まれ、網目がところどころほつれている様子も描写されている。 伝承では、この魚たちが夜な夜な絵から抜け出して庭の池で泳ぐため、漁網を描き加えたという。 仏間北側には鉤の手に板縁(榑縁)を設けるが、その手摺の意匠は斜めの直線数本を組み合わせた独特のもので、「網干の手摺」と称される。 西面入側の北端、楽只軒に通じる階段との境の杉戸には祇園祭放下鉾と岩戸山を描き、これらの裏面には2枚続きで祇園祭の船鉾を描く。 |
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〔『下離宮』:『修学院離宮』(京都府京都市左京区修学院)にて〕 1.『修学院離宮』【弥生】:【下離宮】17世紀中頃に造営された『後水尾上皇』ゆかりの山荘を春さんぽ・・・^〜^v:(京都府京都市左京区修学院)〔2016.03.31〕 もう一か月ほど前の桜花咲き始めた春の日(3/31)、 久しぶりに出かけた『修学院離宮』☆彡 京都・洛北、東山連峰の山裾に造られた 『後水尾上皇』ゆかりの離宮は、、 谷川を堰き止めた人工池を中心とした広大な庭園と その関連建物からなり、 『桂離宮』や『仙洞御所』とならび、 王朝文化の美意識の到達点を示す『修学院離宮』。 約1時間20分の約3kmほどの苑路の参観は、 事前に宮内庁への申し込みが必要ですが、無料☆彡 それでは、桜花咲くころの離宮を、 参観コースに従って、 まずは、『下離宮』から、 ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【下離宮】 池泉観賞式庭園のなかに、後水尾院の御座所となった『寿月観』(じゅげつかん)が建つ。 門などの付属建物を除くと残る建物は、この寿月観(寿月観も当初の建物ではない)のみである。 『御幸門』を入り右折すると『中門』があり、池を掘った土を盛り上げた高みに寿月観がある。 庭園裏手には東門があり、これを出ると、道は右の『中離宮』と左の『上離宮』方面に分かれる。 |
3.『京都御所』【卯月】:『平成28年京都御所春季一般公開』:嵐のような土砂降りの御所をずぶ濡れになって、東京からのお友達をおもてなし【第三編】・・・^〜^v:(京都市上京区)〔2016.04.07〕
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〔『遣戸・障子開放』:『御常御殿』(おつねごてん):『京都御所』(京都府京都市上京区)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3.『京都御所』【卯月】(うづき):『平成28年京都御所春季一般公開』:嵐のような土砂降りの御所をずぶ濡れになって、東京からのお友達をおもてなし【第三編】・・・^〜^v:(京都府京都市上京区)〔2016.04.07〕 □ 地震により被害を受けられました皆さま、また関係者の方々には心よりお見舞い申しあげます。□ もう、一週間以上も前に終了してしまいましたが、 毎年、春と秋に開催される『京都御所』の一般公開、 今年は、4月6日(水)から4月10日(日)までの5日間☆彡 その二日目(4/7)は、はるばる東京から お友達が観に来てくれました! ところが、この日の京都は 最悪の悪天候、 強い風と豪雨の嵐のような土砂降り(涙)、 二人とも、上から下までずぶ濡れになった思い出深い 『平成28年京都御所春季一般公開』に なってしまいました・・・トホホ それでは、レンズに水滴が付き、 また、カメラ本体の発熱で曇ってしまい ときどき失敗作もありますが、 第三篇は、『御常御殿』(おつねごてん)から、 『御三間』(おみま)の見事な日本が描かれている 『遣戸・障子開放』と、 『清所門』(せいしょもん)から出所し、 筋向いの見事な桜花『御所御車返桜』と、 北隣の『近衛邸跡』に残された『糸桜』(枝垂桜)を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【完】 ・入母屋桧皮葺の書院造りで,京都御所の中で最も大きな建物です。天皇が日常のお住まいとして使用された御殿で,16世紀以降,清涼殿から独立して建てられるようになりました。 ・曲折した遣り水を流して,土橋や石橋を架けた趣向を凝らした庭で,奥に茶室を構えています。 |


