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〔『釈迦牟尼大仏』(平成大仏):『興正寺』(愛知県名古屋市昭和区八事本町78)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 4.『興正寺』:「尾張高野」ともよばれ名古屋市民に親しまれている『尾張徳川家』の祈願寺さんぽ・・・^〜^!:『興正寺』(愛知県名古屋市昭和区八事本町78)〔2018.09.09〕 もう一週間経ってしまいましたが、 先週の日曜日(9/9)は久しぶりの名古屋巡り・・・^^v この日三か所目に訪ねたのは、 『八事』(やごと)にある『興正寺』(こうしょうじ) 『尾張徳川家』の祈願寺として 「尾張高野」とも呼ばれる古刹・名刹☆彡 かつて女人禁制だった東山との境にあった 女人門を移築した『中門』からは、 重要文化財の『五重塔』を背に 目の前に巨大な『釈迦牟尼大仏』(平成大仏)がご挨拶! 広大な山内を徹底探検のはじまりはじまり、 ご一緒に初秋の気配をお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 文化五年(1808年)に建立され、興正寺の象徴ともいえます。 屋根の流線がとても美しく、高さは30mあります。 東海三県唯一の木造の五重塔で、国の重要文化財に指定されています。 塔そのものを本尊を見たて、中心柱に大日如来を配し、その四方に四仏 ― 即ち、
阿閦如来(東)、宝生如来(南)、阿弥陀如来(西)、不空成就如来(北)
が安置されています。開山天瑞園照和尚が建立したものです。 尾張徳川家二代藩主光友公より寄進された正観世音菩薩(秘仏)を本尊として安置しています。 安政四年(1857年)に十世潭道和尚により移築されました。 御縁日:18日(観世音菩薩) 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 亨保二年(1717年)尾張徳川家六代藩主継友公の寄進によって建立されました。 以後、徳川家の祈願修法所として大切に扱われ、 本尊の虚空蔵菩薩(秘仏)は開山天瑞圓照和尚が自ら刻んだものと記録されています。 御縁日:13日(虚空蔵菩薩)・24日(地蔵菩薩) 大正時代、海運王と呼ばれた日下部久太郎氏が建設したもので、岐阜市重要建築物でした。 とても文化価値の高い建築物です。 平成20年夏、広く皆様の文化交流の場としてご利用いただくことを目的とし、普門園の地に移築されました。 八事(やごと)は、名古屋市昭和区、天白区、瑞穂区に跨り、かつて「八事山」と呼ばれた丘陵地一帯の広域地名及び地名である。 地名の由来は「岩(や)が凝(こご)る」、つまり地盤が固いことを示したものが変化したものと云われ、ごつごつとした岩の多い山であった。17世紀末に旧飯田街道沿いに開かれた八事山興正寺周辺が門前町として形成され八事山の代名詞となった。明治のころからは名古屋の保養地的地域となり、1907年には愛知馬車鉄道が敷設され、同社の江口理三郎によって「八事遊園地」「尾電八事球場」「競馬場」などの施設が建設された。名古屋財界の社交場である「八勝倶楽部」は1910年に八勝館として料理旅館の経営を開始する。別荘地や名所として発展し、トヨタ自動車創業家の豊田喜一郎や中日新聞創業家の大島家などの多くの実業家たちの別宅が多数立ち並び、路面電車も開通した。この頃から名古屋市内有数の高級住宅街として知られるようになっていく。 現在は興正寺に近い八事交差点周辺のことを指すことが多く、興正寺裏の広い雑木林は興正寺公園となり八事山の面影を残している。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E4%BA%8B |
【東海の四季さんぽ】
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〔『織部形燈籠』:『庭園』・『桑山美術館』(愛知県名古屋市昭和区山中町2-12)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 3.『石灯籠めぐり』:可愛い頭の巨大なキノコたちが隠れん坊する庭園さんぽ・・・^〜^!:『桑山美術館』(愛知県名古屋市昭和区山中町2-12)〔2018.09.09〕 先日の日曜日(9/9)は久しぶりの名古屋巡り・・・^^v 初めて訪問した『桑山美術館』は、 住宅地の高台にある、 苔生した茶室のある日本庭園に 丸みを帯びた緑の屋根とベージュのタイル壁に包まれた 欧州風の古城風の館が微妙に調和した美術館☆彡 館内から回遊式の庭園を眺めると、 可愛い頭が見える巨大なキノコたち『石灯籠』が、 お庭のあっちこっちに隠れん坊☆彡 資料によると、なんと14種もの石灯籠が、 あるようです^^v それでは、所蔵茶道具展 『茶の湯と文芸 ―和歌に託した茶の心―』とともに 今回の名古屋の楽しい思い出のひとつ、 巨大なキノコたちが隠れん坊する庭園さんぽ、 石灯籠めぐりをご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 庭園のご案内 回遊式の庭園には四畳半の小間席「青山」とともに十数種の石燈籠が置かれ、それぞれ趣の異なる姿をご覧になりながらちょっとした散策を楽しむことができます。 〜燈籠について〜 石燈籠は、仏教の伝来によって仏寺建築が日本で行われるようになるにつれ、中国・朝鮮半島を経て入ってきたといわれている。しかし中国では遺例が極めて少なく、朝鮮でもその形状は現在日本各地に見られるようなものではない。 当初、寺院に据えられた石燈籠は、平安時代にはやがて神社の広前に移され献灯として奉納された。庭園に用いられるようになったのは桃山時代、茶人が夜会の照明用に露地(茶室の庭)にとり入れるようになり、のち茶人の好みに応じて作られたり、社寺献灯された名燈籠を本歌として模刻するなど、照明用としてだけでなく、庭の添景物として鑑賞されるようになり一般庭園にも用いられるようになった。 〈燈籠の構成〉 1.基 壇 (きだん) 地面に接し、燈籠全体を載せるための大きな平石で、通常泥板ともいう。 2.基 礎 (き そ) 燈籠の最下部で他の部分はこの上に載り、生け込み型の場合はこれを欠く。四角、六角、八角、円形等の平面で、側面には格狭間(こうざま)や幾何学紋が刻まれているものがある。上面は通常意匠化された蓮弁 が刻まれている。基盤、台座、沓石、地輪などの別名もある。 3.竿 (さ お) ほとんどが円柱状で、燈籠の上部を支える部位。生け込み式の場合は直接地中に入ったり、雪見形のような異形のものでは何本かに分かれ曲がっている。柱の中央、または上部や下部に装飾のための節(帯)が あるが、献灯や模刻を除いて庭園用は通常節の無いものが用いられる。 4.中 台(ちゅうだい) 火袋を受けるもので、前述の基礎を逆にしたような形であり竿をはさんで対称形をなす感じである。 5.火 袋 (ひぶくろ) 燈火を入れるための最も主要な部分で、四角、六角、八角などの形がある。通常、方形の火口を開け、火口の無い面は彫刻を施したり、円と三日月形で太陽と月を表すものもある。 6.笠 (か さ) 四角、六角が多く八角や円形のものもある。笠の軒先には蕨手(わらびで)といわれる渦巻状の装飾が施されるものも多く見られる。 7.宝 珠 (ほうじゅ) 笠の上部中央にちょこんと載ったもので、球形に先端が少し尖った形として現されている。宝珠の下には露盤(ろばん)と呼ばれる台や、蓮の蕾を現した請花(うけばな)と呼ばれる装飾が施されるものもある。 参考文献 上原敬二著 『石燈籠・層塔』 加島書店 1986年 中根金作著 『庭 名庭の鑑賞と作庭』 保育社 1973年 以下、庭園内の燈籠をご紹介いたします。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 出典: http://www.kuwayama-museum.jp/teien1%20tourou.htm |
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〔『庭園』:『桑山美術館』(愛知県名古屋市昭和区山中町2-12)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 2.『桑山美術館』:丸みを帯びた緑の屋根とベージュのタイル壁の欧州の古城風の館で、和歌に託した茶の心を味わう・・・^〜^!:(愛知県名古屋市昭和区山中町2-12)〔2018.09.09〕 秋雨の雨上がりのおはようございます! 先日の日曜日(9/9)は久しぶりの名古屋巡り・・・^^v 第二弾は、初めて訪問した『桑山美術館』、 住宅地の高台にある、 苔生した茶室のある日本庭園に 丸みを帯びた緑の屋根とベージュのタイル壁に包まれた 欧州風の古城風の館が微妙に調和した美術館☆彡 ちょうど前日の9/8(土)から始まった所蔵茶道具展 『茶の湯と文芸 ―和歌に託した茶の心―』が 12/2(日)まで開催中! 『細川幽斎』・『烏丸光広』などによる 懐紙や短冊などの掛物を中心に 流麗な書体とともに、 和歌と茶の湯とに共通する 奥深い季節感を楽しませていただきました^^v 館内は撮影できませんでしたので、 限られたエリアですが 初めて訪れた『桑山美術館』を ご紹介いたします・・・^〜^v . 【つづく】 初代館長の桑山清一が収集した絵画や美術品を展示している。日本画や茶道具を中心に、日本洋画・現代陶芸など幅広く所蔵する。 展示室以外に、庭園や茶室、多目的ホールなどがある。茶室、多目的ホール、立礼席は有料で貸出を行っている。 和歌短冊 細川幽斎筆 - 桃山期 和歌短冊 古筆了佐筆 - 江戸時代前期 金海州浜茶碗 銘白梅 - 李氏朝鮮期 沢瀉蒔絵棗 - 江戸時代前期 黄伊羅保茶碗 銘立田 - 李氏朝鮮期 宋胡録柿香合 - 15世紀 タイ 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%91%E5%B1%B1%E7%BE%8E%E8%A1%93%E9%A4%A8 |
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〔『松岡健游館』(旧松岡旅館):(愛知県名古屋市中村区日吉町13)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 1.『中村遊郭たんけん』:久しぶりの名古屋巡り、スタートは消えゆく全国屈指の歓楽街だった家並み探検・・・^〜^!:(愛知県名古屋市中村区)〔2018.09.09〕 秋朝のおはようございます! 台風連発の僕のエリア、 秋雨前線とともに一気に涼しくなりすぎです☆彡 さて、先日の日曜日(9/9)は久しぶりに格安高速バスで 名古屋巡り・・・^^v スタートは、ブロ友さんの記事で気になった 大正末期から昭和初期にかけては 東京・吉原に並ぶ全国屈指の歓楽街として繁栄した 『中村遊郭』エリア、 消えゆく大正・昭和の家並み訪ねて 雨のチョッピリ探検☆彡 現在の家並みから僅かに伝わる 昭和レトロの香りをご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 松岡大正庵(旧松岡旅館) 大正時代より、名古屋の遊興地として賑わいを見せた大門地区内の北寄りに位置しています。 通りからは、大きな入母屋の屋根や、2階の高欄、べんがら塗りの透塀などを見ることができ、当地区の景観を形成する上で重要な建物となっています。 所在地:中村区日吉町13番地及び寿町25番地 年代:大正元年(1912)(昭和34年修復及び増築) 構造等:木造・2階建、桟瓦葺 出典: http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000038462.html 素盞男(すさのお)神社 中村遊郭北西部、かつての県立中村病院の門前に位置する。毎年11月の酉の日に酉の市が行なわれ、名古屋市内の商工業者商売繁盛の祈願に訪れる。遊郭にとっても商売繁盛祈願の地であり、神社内の奉納物にはかつての郭内楼名が刻まれているものが多い。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E9%81%8A%E5%BB%93 中村遊廓は、大正時代以降、名古屋市中村区に作られた公許の娼家が集まる遊廓があった地域である。 現在当地は、名古屋市内唯一のソープランド集中地区としても知られる。 中村遊郭は、東京の吉原を模した造りの廓だった。外周を幅一間の堀で囲み、四隅の道は斜めにすることで廓の外周を不等辺八角形とし、外部からでは中の様子をのぞくことが出来ないようになっていた。この堀の跡は郭北東辺などに道路として現存する他、形として残らないまでも、町境として跡を残している。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E9%81%8A%E5%BB%93 |
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〔『夫婦岩』(めおといわ):『二見興玉神社』(ふたみおきたまじんじゃ):『二見浦』(ふたみがうら)(三重県伊勢市二見町江)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 5[完].【伊勢参り】:おかげ参りの〆は、初日の出のイメージとしてカレンダーでおなじみの『夫婦岩』・・・^〜^!:『二見興玉神社』(ふたみおきたまじんじゃ):『二見浦』(ふたみがうら)(三重県伊勢市二見町江)〔2018.08.06〕 式年遷宮後五年ぶりの『伊勢神宮』、 猛暑の中の日陰・木蔭を選んでの汗だくの『伊勢参り』! 最後に向かった先は、 初日の出のイメージとしてカレンダー等で おなじみの『夫婦岩』(めおといわ)☆彡 日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための 鳥居の役目を果たしている 男岩の『立石』と、女岩の『根尻岩』を合わせて 『夫婦岩』と呼ばれるようになったとのこと! それでは、夕刻近くの少し涼しくなった、 『二見浦』(ふたみがうら)散歩を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【完】 夫婦岩(めおといわ)は日の大神(天照大神)と興玉神石を拝むための鳥居の役目を果たしている。古来、男岩は立石、女岩は根尻岩と呼ばれていたが、いつの頃からか、夫婦岩と呼ばれるようになった。この名称がついた時期は定かではないが、江戸時代中期の『伊勢参宮名所図会』に大注連縄を張った夫婦岩の絵が載せられている。 夫婦岩の間から太陽が昇る写真が、初日の出のイメージとしてカレンダー等で使われることがあるが、夏季に撮影した写真を使ったものであり、冬季は角度的に夫婦岩の間から太陽が昇る光景を見ることはできない。夏至の前後約4か月間は、夫婦岩の間から御来光が拝め、特に夏至の前後2週間ほどは、方位角約61度距離およそ200kmの彼方にある富士山山頂付近からの御来光となることから、梅雨の最中にもかかわらず、近隣の二見浦旅館街の宿泊客やカメラマンが多数訪れる。また冬至の頃には夫婦岩の間より昇る月を見ることもでき、満月の日には大勢のカメラマン・参拝者が訪れる。 根尻岩は1918年(大正7年)の台風によって根本より折れ、1921年(大正10年)に菅組が修理をしている。その際、設置角度が変わったため、現在は片理の方向が立石とは異なっている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%A6%8B%E8%88%88%E7%8E%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE 二見興玉神社(ふたみおきたまじんじゃ)は、三重県伊勢市二見町江にある神社である。旧社格は村社で、現在は神社本庁の別表神社。境内の磯合にある夫婦岩(めおといわ)で知られる。 猿田彦大神と宇迦御魂大神(ここでは神宮外宮の豊受大神の別名とされる)を祭神とする。 夫婦岩の沖合約700メートルの海中に沈む、祭神・猿田彦大神縁の興玉神石を拝する神社である。 猿田彦大神は天孫降臨の際に高天原と豊葦原中津国の間の道案内を務めたことから、「道開き(導き)の神」といわれている。この神の神使は蛙で、神社参拝の後に神徳を受けた人々が神社の境内に蛙の塑像を献納するため、境内には無数の蛙像が並んでいる。これは「蛙」の「カエル」に「無事に帰る」「貸した物が還る」「お金が返る」の「カエル」を掛けた 験担ぎである。 三重県では2番目に参拝者の多い神社であり、2013年には265万7590人が参拝している。 古来、伊勢神宮に参拝する前、また、祭典に奉仕する前には、清き渚と称される二見浦で禊(沐浴)を行うのが慣わしであった。現代ではそれに代わるものとして、二見興玉神社で霊草無垢塩草での祓い清めを受ける。これに使う幣は、興玉神石付近で採れる海草(アマモ)である。現在、神宮式年遷宮のお木曳行事やお白石持行事への参加者は浜参宮を行う。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E8%A6%8B%E8%88%88%E7%8E%89%E7%A5%9E%E7%A4%BE |





