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〔『正宮』(しょうぐう):『内宮』(ないくう)(三重県伊勢市宇治館町)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 4.【伊勢参り】:石段を上がった高台に鎮座する『正宮』に参拝完了、『内宮』参拝のご褒美は『おはらい町』の『おかげ横丁』へ・・・^〜^!:『皇大神宮』(こうたいじんぐう)(三重県伊勢市宇治館町)〔2018.08.06〕 式年遷宮後五年ぶりの『伊勢神宮』、 新しい建物も、すっかり周りに溶け込んだ境内を 日陰・木蔭を選んでの汗だくの猛暑の『伊勢参り』! お参りの順序は、しきたりに従って『外宮』(げくう)から 『内宮』(ないくう)へ☆彡 外宮の10倍ほどもある面積の内宮の『正宮』は、 20段以上ある石段を上がった高台に鎮座☆彡 写真は、残念ながら石段の下まで! 猛暑の『お伊勢参り』の楽しみは、 『宇治橋』の前に延びる『内宮』への参道、 江戸時代の『伊勢参り』、 『おかげ参り』の時代を再現したような家並みの 土産物や飲食店などがならぶ鳥居前町 『おはらい町』の『おかげ横丁』へ・・・^〜^☆彡 . 【つづく】 . 【正宮】(しょうぐう) 正宮は石段を上がった高台に鎮座するが、写真撮影は石段の下までしか許可されていない。 石段の下には祭事にアワビを調理する御贄調舎(みにえちょうしゃ)がある。 石段を上ると板垣が巡らされ、中央に鳥居のある板垣南御門(いたがきみなみごもん)をくぐって中に入る。板垣南御門の外、石階東側に、南向きに屋乃波比伎神(やのはひきのかみ)が石畳の上に祀られ、神庭を守護している。 板垣の内側を御垣内(みかきうち)と言い、その面積は6,807m2である。 天照大御神が祀られる御正殿はさらに外玉垣(とのたまがき)、内玉垣、瑞垣(みずがき)に囲まれており、一般参拝者は白い絹でできた御幌(みとばり)のかけられた外玉垣南御門で参拝する。参拝の作法は「二拝二拍手一拝」である。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE 神宮神田で収穫されたイネは抜穂(ぬいぼ)にして、御稲御倉へ納められる。御倉のイネは内宮の祭祀に合わせて取り出され、大御饌として天照大神に捧げられる。すなわち内宮穀倉として利用されている。古式に則り、装束をまとった神職が御倉へ納める。御倉からイネを取り出すことを御稲奉下(ごとうほうげ、みしねほうげ)と称し、前日から参籠潔斎(さんろうけっさい)した神職が行う[6]。奉下されたイネは稲扱(いねこき)、籾摺(もみすり)、七分搗きにした後、忌火屋殿で神酒・御餅・御飯(おんいい)に調理され、神前に供される。 なお、神宮式年遷宮の祭事の1つで、正殿の床下に柱を立てる「心御柱奉建」(しんのみはしらほうけん)で用いる心御柱も御稲御倉に納められる。 社殿は唯一神明造である。内宮の方角(東)を向いて建っている。高床の切妻屋根で、千木・鰹木を備えるなど、内宮の東西宝殿や外幣殿に酷似した構造である。高床であるため、御稲奉下の際には取り外し可能な階段を取り付け、権禰宜が御鑰(みかぎ)を開錠して御扉を開き、イネを取り出す。玉垣や賽銭箱はない。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E7%A8%B2%E5%BE%A1%E5%80%89 荒祭宮(あらまつりのみや)は三重県伊勢市宇治館町にある内宮(皇大神宮)の境内別宮である。 祭神は天照坐皇大御神荒御魂(あまてらしますすめおおみかみのあらみたま)。 第62回神宮式年遷宮(2013年)では、他の別宮に先駆けて10月10日午後8時に遷御が行われた。 荒祭宮は内宮正宮北方(御正宮の後方)にある。 別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる荒祭宮を「荒魂を祭る宮」の意味とするのが定説である。 『神宮雑例集』によると、創建は垂仁天皇26年10月であり、内宮の正殿と同時に建てられたという。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8D%92%E7%A5%AD%E5%AE%AE 五十鈴川(いすずがわ)は、三重県の伊勢市を流れる宮川水系の一級河川である。 伊勢市南部に源を発し北流。伊勢市街を流れ、伊勢湾に注ぐ。 倭姫命が御裳のすその汚れを濯いだという伝説があり、御裳濯川(みもすそがわ)の異名を持つ。古くから清流とされ、和歌にも多く歌われた。 神路山を源流とし、支流島路川と合流、皇大神宮(伊勢神宮内宮)の西端を流れており、御手洗場(みたらしば)が作られている。この御手洗場では、かつては手洗いだけではなく、口濯ぎまで行われた。現在でも伊勢神宮の公式ウェブサイトで「神聖な川、清浄な川として知られる五十鈴川の水で心身ともに清めてから参宮しましょう」「天気のいい日は五十鈴川「御手洗場」で、口と手を清めることをお勧めしますと記載され、推奨されている。 おはらい町は三重県伊勢市の宇治のうち、伊勢神宮皇大神宮(内宮)の鳥居前町である。伊勢参宮街道に沿って、宇治・山田で昭和中期以前は一般的であった「妻入り」の木造建築が立ち並ぶ。伊勢市の代表的な観光地で、町の中央にはおかげ横丁がある。 伊勢参宮街道の終点宇治橋手前の、伊勢市宇治今在家町から宇治中之切町を経て宇治浦田一丁目に至る約800mの伊勢おはらい町通り(いせおはらいまちどおり)の両側に広がる。宇治今在家町から赤福本店前(中橋西詰)までの区間は三重県道に(三重県道715号館町通線)、赤福本店前から宇治浦田一丁目までは伊勢市道に(伊勢市道宇治新橋線)指定されている。 沿道には伊勢うどんや手こね寿司などの郷土料理を供する飲食店、真珠や伊勢茶などを販売する土産物店が軒を連ねている。中には民家や郵便局・銀行もあるが、ほぼすべての建物が切妻・入母屋・妻入の木造建築で統一されている。これらの建物の多くは1970年代以降に民間主導で進められたまちづくりの結果、景観維持を目的に整備されたものである。おはらい町とおかげ横丁は混同されるケースもある。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%AF%E3%82%89%E3%81%84%E7%94%BA おかげ横丁は、三重県伊勢市の伊勢神宮皇大神宮(内宮)前にあるお蔭参り(お伊勢参り)で賑わった江戸時代末期から明治時代初期の鳥居前町の町並みを再現した観光地である。運営は伊勢名物赤福餅を生産・販売する株式会社赤福の子会社である株式会社伊勢福が行う。 おはらい町の中ほどにあり、伊勢志摩を代表する観光地となっている。 赤福社長であった濱田益嗣の指揮の下、当時の赤福の年商に匹敵する約140億円をかけて1993年(平成5年)に完成した「小さな町」である。伊勢特有の町並みである妻入の建物や伊勢河崎の蔵、桑名の洋館などを忠実に再現、あるいは移築した28の建造物群が並ぶ。お蔭参りで賑わった頃の町並みという統一したテーマの元で造られているが、おはらい町との間に門などの仕切りはなく入場料を徴収しないため、テーマパークではない。おかげ横丁とおはらい町の境界は分かりにくく、名称が類似しているせいか両者を混同するケースもある。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%8B%E3%81%92%E6%A8%AA%E4%B8%81 |
【東海の四季さんぽ】
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〔『宇治橋』:『内宮』(ないくう)(三重県伊勢市宇治館町)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 3.【伊勢参り】:猛暑の伊勢まいり、しきたりに従って『外宮』(げくう)から『内宮』(ないくう)へ・・・^〜^!:『皇大神宮』(こうたいじんぐう)(三重県伊勢市宇治館町)〔2018.08.06〕 式年遷宮後五年ぶりの『伊勢神宮』、 新しい建物も、すっかり周りに溶け込んだ境内を 日陰・木蔭を選んでの汗だくの猛暑の『伊勢参り』! お参りの順序は、しきたりに従って『外宮』(げくう)から 『内宮』(ないくう)へ☆彡 外宮の10倍ほどもある面積の内宮へは、 橋の両側に『神明鳥居』がある 『五十鈴川』に架けられた『日本百名橋』の一つ 『宇治橋』を渡り内宮神苑へと・・・^〜^V . 【つづく】 宇治橋(うじばし)は、三重県伊勢市にある皇大神宮(内宮)の参道口にある橋。別名御裳濯橋(みもすそばし)。日本百名橋の一つ。 宇治橋は伊勢の神宮の内宮の参道口にある長さ101.8m、幅8.42mの木造の和橋(わきょう、日本風の橋)で、橋の両側に神明鳥居がある。五十鈴川に架けられたこの橋は内宮参拝時の記念撮影の名所になっており、内宮のシンボルとされる。神宮の定義では宇治橋を渡った先は神域ではなく神苑であるが、崇敬者・参拝者は通常神域と扱うことから、一般に「俗界と聖界の境にある橋」とされる。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%87%E6%B2%BB%E6%A9%8B_(%E4%BC%8A%E5%8B%A2%E5%B8%82) 祭神は外宮(豊受大神宮)別宮の風宮と同じ級長津彦命・級長戸辺命で、内宮神楽殿前から南方へ向かう参道にある風日祈宮橋(かざひのみのみやばし)で五十鈴川支流の島路川を渡った先に風日祈宮がある。 風日祈宮御橋は長さ45.6m、幅4.6mで、内宮前の宇治橋を小さくしたような橋である。最初にかけられたのは室町時代の1498年(明応7年)で、南端の擬宝珠(ぎぼし)に「太神宮風宮 五十鈴川御橋明応七年戊午本願観阿弥 敬白」と刻まれている。古くはこの橋がかかる川が五十鈴川本流とされており、この橋を五十鈴川橋と呼んだ。もっとも長い川が河川の本流と定義され、島路川と呼ばれてからは風日祈宮橋と呼ぶのが一般的となった。 別宮とは「わけみや」の意味で、正宮に次ぎ尊いとされる。内宮の別宮は風日祈宮のほか境内に荒祭宮(あらまつりのみや)1宮、境外に月讀宮(つきよみのみや)、瀧原宮(たきはらのみや)、伊雑宮(いざわのみや)、倭姫宮(やまとひめのみや)ほか4宮があるが、風宮が別宮となったのは1293年(正応6年)で、1923年(大正12年)創建の倭姫宮の次に新しく、順位は内宮別宮10社中9位とされる。 古くは現在の末社格の風神社であったが、1281年(弘安4年)の元寇の時に神風を起こし日本を守ったとして別宮に昇格した。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A2%A8%E6%97%A5%E7%A5%88%E5%AE%AE 伊勢信仰の中心となる神社で、日本全国の神社で授与される神宮大麻はこの皇大神宮の神札である。 親王の結婚に際して、新婚旅行として「神宮に謁するの儀」が執り行われるのが通例となっている。複数の神社を参拝する場合、格の高い神社から低い神社の順が一般的だが、神宮の通常の神事は外宮、内宮の順で行う。これを外宮先祭と呼び、参拝も外宮、内宮の順で行うのが正しいといわれる。ただし式年遷宮の遷御は皇大神宮、豊受大神宮の順であり、奉幣(ほうへい)は豊受大神宮、皇大神宮の順である。 別宮として、境内に荒祭宮と風日祈宮、境外に月讀宮、瀧原宮と伊雑宮のほか、境内・境外に27社・33座の摂社、16社・16座の末社、30社・30座の所管社を有する。 建物は豊受大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%9A%87%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE |
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〔『正宮』(しょうぐう):『外宮』(げくう)(三重県伊勢市豊川町)前にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 2.【伊勢参り】:猛暑の『外宮』(げくう)参拝、日陰・木蔭を選んで無事完了・・・^〜^!:『豊受大神宮』(とようけだいじんぐう)(三重県伊勢市豊川町)〔2018.08.06〕 式年遷宮して5年、すっかり周りに溶け込んだ境内、 猛暑の『伊勢参り』は、日陰・木蔭を選んでの汗だくの参拝(笑) お参りのしきたりに従って、まずは『外宮』(げくう)から 『正宮』(しょうぐう)は、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなるらしいですが、 幾重に板垣が巡らされて、拝所からは 残念ながら直接見ることはできません! その後、多賀宮(たかのみや)・風宮(かぜのみや)・土宮(つちのみや)の 3つの別宮(べつぐう、正宮に次ぐ高位の宮)などを参拝し、 皇室から奉納された神馬にもご挨拶して、 無事完了・・・^〜^V . 【つづく】 正宮は、正殿・西宝殿・東宝殿の3つからなるが、幾重に板垣が巡らされており、拝所からは直接見ることはできない。正殿の背後には御饌殿(みけでん)と外幣殿(げへいでん)が並ぶ。正宮の隣には次の神宮式年遷宮の際に正宮が建てられる御敷地(みしきち)がある。この御敷地は、前回の式年遷宮の時に正宮が置かれていた土地であることから「古殿地」とも称する。 社地の面積は内宮の10分の1ほどで、内宮と異なり左側通行である。境内には多賀宮(たかのみや)、風宮(かぜのみや)、土宮(つちのみや)の3つの別宮(べつぐう、正宮に次ぐ高位の宮)を始め、斎館、神楽殿、神々の食事を調製する忌火屋殿(いみびやでん)、神酒を納めた御酒殿(みさかどの)などの建物があり、外宮の境界を守る四至神(みやのめぐりのかみ)が大庭(おおば)の前に祀られている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%8F%97%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE |
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〔『おかげまいり』:『マンホール(おすい)蓋』:『外宮』(げくう)(三重県伊勢市豊川町)前にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 お蔭参り(おかげまいり)は、江戸時代に起こった伊勢神宮への集団参詣。お蔭詣で(おかげもうで)とも。数百万人規模のものが、およそ60年周期(「おかげ年」と言う)に3回起こった。お伊勢参りで抜け参りともいう。 お蔭参りの最大の特徴として、奉公人などが主人に無断で、または子供が親に無断で参詣したことにある。これが、お蔭参りが抜け参りとも呼ばれるゆえんである。大金を持たなくても信心の旅ということで沿道の施しを受けることができた時期でもあった。 江戸からは片道15日間、大坂からでも5日間、名古屋からでも3日間、東北地方からも、九州からも参宮者は歩いて参拝した。陸奥国釜石(岩手県)からは100日かかったと言われる。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E8%94%AD%E5%8F%82%E3%82%8A 1.【伊勢参り】:5年ぶりに猛暑のお伊勢さんへ、しきたりに従って『外宮』(げくう)からスタートのお蔭参り(おかげまいり)・・・^〜^!:『豊受大神宮』(とようけだいじんぐう)(三重県伊勢市豊川町)〔2018.08.06〕 5年前の『伊勢神宮』の20年毎の式年遷宮の年の夏に訪れた『お伊勢さん』、 その後の様子が気になって、久しぶりに猛暑の『伊勢参り』行ってきました^^v 式年遷宮して5年、すっかり周りに溶け込んだ境内、 今回もあまりの暑さで、日陰・木蔭を選んでの汗だくの参拝(笑) まずは、早くも稲刈りが始まっている黄金色に染まった田園風景を 車窓から楽しみ、近鉄電車・急行で『伊勢市駅』へ、 お参りのしきたりに従って、外宮参道を通って5 - 6分ほど歩いた所に鎮座する 『外宮』(げくう)からスタートの猛暑の『伊勢参り』を ご一緒にお楽しみください・・/ ^〜^V . 【つづく】 豊受大神宮(とようけだいじんぐう・とゆうけ-)は、三重県伊勢市豊川町にある神社。伊勢神宮の2つの正宮のうちの1つである。一般には外宮(げくう)と呼ばれる。式内社(大社)。 伊勢市街地、JR・近鉄伊勢市駅から外宮参道を通って5 - 6分ほど歩いた所に鎮座する。皇大神宮(内宮)とともに正宮を構成し、両宮を参拝する際は外宮を参拝した後に内宮へ参るのがしきたりとされる。 伊勢の中心にありながら、境内は平清盛が勅使として参った時に冠にその枝が触れたとされる古木「清盛楠」や、初夏には三重県花ハナショウブが咲き乱れる「勾玉池」などの自然が豊富に残され、非日常空間を形成する。 境外には伊勢の中心業務地区(CBD)かつ鳥居門前町の本町があり、伊勢市観光協会がここに本部を構える。外宮参道や駅前通り界隈には土産物店・旅館と銀行や大手企業の支社・支店が混在している。 建物は皇大神宮と同様に外側から板垣・外玉垣・内玉垣・瑞垣の四重垣に囲まれ、南北の門に宿衛屋が置かれている。建物は神職が交代勤務で24時間、警備・管理を行っている。 神徳は「豊受大御神はお米をはじめ衣食住の恵みをお与えくださる産業の守護神です」とされている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%8F%97%E5%A4%A7%E7%A5%9E%E5%AE%AE |
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〔『青楓』:(三重県伊賀市島ヶ原)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『雨の島ケ原』:40年ぶりに旧友を訪ねた山里、田植えされた水田に鮮やかな青楓映える大雨の一日・・・^〜^v:(三重県伊賀市島ヶ原)〔2018.05.07〕 おはようございます☆彡 大型連休終わった今週は、連日不安定な雨空続き、 先日(5/7)は、奈良県・京都府を経て三重県の 40年ぶりに旧友が住む山里へ☆彡 連休中に田植えも終わった水田に 青楓が映える日本の原風景! 歴史ある神社と寺を案内してもらって 旧宅で旬の手料理で乾杯☆彡 ほろ酔いのご機嫌で駅に着くと なんと大雨で運転見合わせ・・・トホホ 結局は、代替バスで『加茂駅』まで送ってもらって 大幅に時間がかかりましたが、 無事帰宅で、めでたしめでたし・・・^〜^v 観菩提寺(かんぼだいじ)は、三重県伊賀市にある真言宗豊山派の寺院。山号は普門山。本尊は十一面観音菩薩。修正会で知られ「正月堂」の名で親しまれている。 この寺は、江戸時代中期の縁起によれば、奈良時代の天平年間(729年 - 749年)実忠によって開かれ、平安時代になって中興されたと伝えられるが、創建年代等の詳細については不詳である。中世には島ヶ原党と呼ばれる武士集団とのかかわりが深かった。 修正会(しゅしょうえ)は、毎年2月11日から2月12日まで五穀豊穣や無病息災を祈念して観菩提寺で開催される祭り。島ヶ原に春を呼ぶ祭りとされ、1300年ほどの歴史がある。 1日目(2月11日)は7つある講の代表者である頭屋が、大餅(だいひょう)と呼ばれる6 - 9kgある餅、鬼頭(おにがしら)と呼ばれるシュロの皮やミカンで作った鬼の顔などの供物を持って自宅から本堂まで練り歩く。頭屋は男性が務めてきたが、2018年(平成30年)に初めて女性が頭屋を務めた。2日目(2月12日)は本堂でたいまつを焚きながら「おこない」と呼ばれる法要を営む。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A6%B3%E8%8F%A9%E6%8F%90%E5%AF%BA |





