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〔『古い町並』(岐阜県高山市上三之町)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 『古い町並』:通りに張り出した長い『軒先』と『格子』の商家がならぶ歴史さんぽ・・・^〜^v:『三町伝統的建造物群保存地区』(岐阜県高山市上三之町)〔2017.04.14〕 おはようございます^^v 先日(4/14)は、青空に恵まれた飛騨高山、 春の高山祭『山王祭』☆彡 高山の町家は、4メートル程度の低い屋根、 そして、雨水が水路に落ちるように きれいに揃っている軒先と また、道路に面した格子が取り付けられ部屋が、 縦横の直線美と落ち着いた風情の家並みに☆彡 『高山祭』で多くの海外からの観光客でにぎわう 出格子の連なる軒下には用水が流れ、 造り酒屋には杉の葉を玉にした「酒ばやし」が下がり 町家の大戸や老舗ののれんが連なる 「飛騨の小京都」とも呼ばれる 『古い町並』の伝統的建造物群保存地区を ご一緒に散歩いたしましょう・・・^〜^v . 【完】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 飛騨高山藩初代藩主『金森長近』(かなもりながちか)の城下町づくり 飛騨を治めることになった金森長近は、それまでの豊富な経験を生かし、経済基盤のしっかりとした城下町づくりを目指しました。 この城下町の中の商人町の一部が、現在、古い町並として受け継がれています。 長近が造った城下町はどのような町だったのでしょうか。 長近はまず、現在、城山と呼ばれている山に高山城を築きました。 領主は高い所に居住するという考え方があり、長近も山の上の本丸に住んでいたようです。 城の周りには外敵から城を守るように家臣の屋敷群が置かれました。 これらの屋敷群はほとんどが商人町より一段高い場所にあり、地元では現在その一部を「空町(そらまち)」「ソラ」などと呼んでいます。 武士と商人の身分の違いを、住む場所の高さによっても明確にしていました。 商人町は武士の居住する台地より10メートルほど低い場所に築かれましたが、街道と直結し交通の便が良い場所でした。 長近は武士の町も商人の町も2本の川で囲みました。 現在は、江名子川(えなこがわ)、宮川(みやがわ)と呼ばれ、旧城下町の景観形成に重要な要素となっています。 商人町はその後繁栄をつづけ、富と財産を築きあげました。 しかし、身分制度が厳しく、豪華な町家を作ることはできませんでした。 そのため表通りからは高さも低く、質素な住宅も兼ねた店舗が立ち並ぶことになり、この商家群の一部が現在の伝統的建造物群保存地区となっています。 町家(まちや)の特徴 高山の町家は、前側の屋根の高さは4メートル少しと大変低くなっています。 屋根は道路の水路まで飛び出て、屋根から落ちた雨水がちょうど水路に落ちるようになっていました。 それで、屋根の軒先がきれいに揃っていたのです。 今は雨を受け止める雨樋が取り付けられ、各家の軒先はあまり揃わなくなりました。 道路に面した部屋はミセといって商品を陳列する部屋ですが、80年から90年位前に商店をやめたところが多く正面に格子が取り付けられました。 この格子が、高山の町並みの特徴となり、縦横の直線美と落ち着いた色調は、日本有数の商家群保存地区となっています。 内部は、南側のドジを通って土足のまま裏まで行くことができ、中庭を経て土蔵に至ります。 土蔵は火災に強く、大事な家財道具をこの中に格納しておきました。 元々、日本の民家は調度品や生活用具は土蔵に納めておき、居室はあまり物を置かないのが普通でした。 また、土蔵は防火の役割を果たしていて、連続する土蔵の列は延焼をくい止める防火帯として効果があり、現在も大切にされています。 |
【東海の四季さんぽ】
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〔『英執着獅子』(はなぶさしゅうじゃくのしし):『石橋台』(しゃっきょうたい):『からくり奉納』:『山王祭』:『春の高山祭』(岐阜県高山市旅所前広場-高山陣屋前-)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 『からくり奉納』:『春の高山祭』を盛り上げる『からくり』、その優美な動きと一瞬のサプライズを実現する精巧な造りと操作に大感激・・・^〜^v:(岐阜県高山市旅所前広場-高山陣屋前-)〔2017.04.14〕 おはようございます^^v 先日(4/14)は、青空の恵まれたお天気の飛騨高山で、 春の高山祭『山王祭』を堪能してきました☆彡 16世紀後半から17世紀が起源とされる『高山祭』は、 春の「山王祭」と秋の「八幡祭」、2つの祭をさす総称で、 京都市の『祇園祭』、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで 『日本三大曳山祭』や『日本三大美祭』のひとつ。 その一番の見所は、『からくり奉納』、 見事までに、人の動きを芸術的に磨き上げた味わいと 一瞬のサプライズを実現する精巧な造りと操作に 大感激・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【からくり奉納】(旅所前広場-高山陣屋前-) 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 神楽台(かぐらたい) 古くから山王祭の神楽、獅子舞を主管していた屋台。 構造は、屋根無し、太鼓昇降、四輪外御所車。 文化2年、荷車形から現在の四輪形の屋台になり、その後嘉永7年、明治26年、昭和50年、平成7年に修理が行われている。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 三番叟(さんばそう) 神楽台に続き巡行する屋台。 創建当時は「恩雀(おんじゃく)」と呼ばれていた。 構造は非常に質素であり、屋根有り、恩雀が1対、宝玉付き。 中央には欄干があり、波模様が素木で彫刻されている。 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 石橋台(しゃっきょうたい) 現在の屋台は慶応元年(1865年)に完成したものである。 美女のからくりが付いていて、石橋台の知名度が高い理由である。 中段には鳳凰、獅子、龍の彫刻がある。 執着獅子(しゅうじゃくじし) 歌舞伎(かぶき)舞踊。 長唄(ながうた)。 本名題(ほんなだい)『英執着獅子(はなぶさしゅうじゃくのしし)』。 作詞者不詳。 初世杵屋弥三郎(きねややさぶろう)作曲、市川国五郎振付け。 1754年(宝暦4)3月、江戸・中村座で初世中村富十郎が初演。 能『石橋(しゃっきょう)』に取材した「石橋物」のうち、女方(おんながた)創演の古典作品として『相生(あいおい)獅子』『枕(まくら)獅子』と並ぶ代表曲。 全曲三下がり。 中絶していた振(ふり)は近年復活された。 遊女または姫の扮装(ふんそう)で、差金(さしがね)の蝶(ちょう)を使った踊、手踊、手獅子を持った踊、振鼓(ふりつづみ)の踊、桜尽くしのクドキなどを経て、後シテは扇獅子をつけた扮装でクルイをみせて終わる。[松井俊諭] 出典:小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) |
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〔『屋台曳き揃え』:(岐阜県高山市神明町通り)にて〕 【画面右下+をクリックして、拡大して御覧ください!】 『高山祭』:念願の春の高山祭『山王祭』、初日の朝いちで『屋台曳き揃え』を堪能してきました・・・^〜^v:(岐阜県高山市神明町通り)〔2017.04.14〕 おはようございます^^v 先日(4/14)は、念願の高山祭『山王祭』を、 青空の恵まれたお天気の飛騨高山で堪能してきました☆彡 16世紀後半から17世紀が起源とされる『高山祭』は、 春の「山王祭」と秋の「八幡祭」、2つの祭をさす総称で、 京都市の『祇園祭』、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで 『日本三大曳山祭』や『日本三大美祭』のひとつ。 そして、高山に春の訪れを告げる「山王祭」は、 毎年4月14日・15日、「山王祭」の屋台組の宝である屋台12台が登場し、 うち3台がからくり奉納を行うほか、 祭行事では賑やかな伝統芸能も繰り広げられ、 旧高山城下町南半分の氏神様である 『日枝神社』(山王様)の例祭☆彡 . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【屋台曳き揃え】(神明町通り) |
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〔『寿がきや ラーメン』(大盛):『中華厨房 寿がきや・名古屋エスカ店』(愛知県名古屋市中村区椿町6-9・新幹線地下街エスカB1)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3.[完]『寿がきや ラーメン』:名古屋駅前の地下街の『なごやめし』探検・・・^〜^v:『中華厨房 寿がきや・名古屋エスカ店』:『エスカ地下街』(愛知県名古屋市中村区椿町)〔2016.05.10〕 連休あけて間もない水曜日(5/10)は、 一年ぶりに高速バスで名古屋へ☆彡 天候は不安定な予報で、 今にも雨で降りそうな空模様。 敗者復活の『鰻丼』食べて元気いっぱいで、 出かけた『名古屋さんぽ』は、 『ノリタケの森』でとうとう本格的な雨降り(涙) そこで、『名古屋駅』新幹線地下街『エスカ』で、 『なごやめし』探検^^v 僕は、長年懸案の一件『寿がきや ラーメン』を大盛で☆彡 それでは、名古屋駅近くの地下街の 『なごやめし』探検 ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v なお、【『スガキヤ』・『Sugakiya』・『寿がきや』・『中華厨房 寿がきや』スガキヤ】については、 下記の記事を御参照ください↓ 関連記事-『スガキヤ』・『Sugakiya』・『寿がきや』・『中華厨房 寿がきや』-: http://blogs.yahoo.co.jp/mt_matterhorn4478/42790299.html . 【完】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 ■中華厨房 寿がきや 名古屋エスカ店 TEL:052-453-2123 住所:愛知県名古屋市中村区椿町6-9 エスカ地下街 B1F 営業時間:10:00〜22:00(L.O.21:15) 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【エスカ地下街】は、名古屋駅周辺に存在する地下街の一つ。新幹線地下街エスカとも呼ばれる。 名古屋駅の新幹線口である西口(太閤通口)駅前広場の地下に設けられている。 エスカ地下街は、1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業に伴い名古屋市中村区椿町に整備された、名古屋駅西口駅前広場の地下に設けられた地下街である。 名古屋駅の新幹線改札口から最も近い商業施設である為、土産物店が並ぶコーナーや味噌カツ・味噌煮込みうどん・きしめん・名古屋コーチンなどの名古屋飯を食べられる飲食店街などが整備され、観光客に便利な地下街となっている。 【名古屋めし】は、愛知県名古屋市を中心とする中京圏が発祥の食文化、もしくは他地域から中京圏に持ち込まれ発展した食文化を指す造語である 名古屋は独特な食文化を持っていると言われている。 元々のメニューにアレンジを利かせたアイデア料理が特徴で、その中でも、味噌カツやひつまぶし、天むすといった名物が雑誌などで特集され話題になった。 名物、八丁味噌に代表されるようにいずれも味付けが濃い傾向がある。 多くは、名古屋市周辺が発祥の名物とされる料理であるが、他地域発祥であっても名古屋地区において独特の発展を遂げたものも含む。 |
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〔『森の鯉のぼり』:『6本煙突モニュメント』・『ノリタケの森』(愛知県名古屋市西区則武新町三丁目1番36号)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2.『ノリタケの森』:連休明けの水曜日、雨降りそうな公園は、風もなくめざし状態の鯉のぼりがお留守番・・・^〜^v:(愛知県名古屋市西区則武新町三丁目1番36号)〔2016.05.10〕 連休あけて間もない水曜日(5/10)は、 一年ぶりに高速バスで名古屋へ☆彡 天候は不安定な予報で、 今にも雨で降りそうな空模様。 敗者復活の『鰻丼』食べて元気いっぱいで、 名古屋さんぽ☆彡 雨が心配なので、名古屋駅近くの『ノリタケの森』へ 連休明けの水曜日だったこともあって、 誰もいない貸し切り状態! ゆっくり園内を隅々まで、徹底探検、 二年前の前回は、恐竜がいっぱいいたのですが、 影も形もなく、今は静かな芝生広場☆彡 しかし、買い物のエリアだけは、 薔薇も見ごろに咲き誇り 人影を見かける人気スポット☆彡 それでは、今にも雨が降りそうな 連休明けの水曜日の貸切状態の 『ノリタケの森』を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【ノリタケの森】は、名古屋市西区にある公園、レストラン、ミュージアムなどを含む複合施設。 ノリタケカンパニーリミテドによって同社の本社に隣接する工場跡地に作られ、2001年10月5日に開場した。 工場の跡地110,313 m2のうち44,960 m2がノリタケの森にあてられ、南側にコマーシャルゾーン、中央にゲートウェイ、北側に自然系ゾーンが配置される事になった。 この際、新しい建築物を作らず既存の建物を改装・補強して再利用した事が大きな特徴である。 南側のコマーシャルゾーンにはノリタケテーブルウェアの運営する食器店「ノリタケスクエア名古屋」や、ノリタケカンパニーリミテド製の食器を使用するレストラン、貸しギャラリーなどがある。 レストランとギャラリーは旧・事務所棟を改装したもので、食器店には天井の高い旧・配送センターを再利用した。 また、2005年3月5日には創業者の森村市左衛門や大倉孫兵衛を記念した「森村・大倉記念館」が敷地内に開設された。 これは表面のモルタルを剥がしたレンガ造りの建物を使っている。 北側の自然系ゾーンには広場などがあり、かつて45メートルの高さを誇り工場のシンボルマークであった6本の大煙突が10メートル弱に切られた状態で並んでいる。 施設付近の郷土種であるコナラなどを植えたりビオトープを作ったりして生態系を回復させており、鳥や昆虫の種類は名古屋城周辺の緑地と同程度まで増加している。 なお植生については、コマーシャルゾーンにはメタセコイアやケヤキを植え、外周には既存のイチョウを用いるなど常緑樹と落葉樹を組み合わせたデザインとなっている。 |


