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『おかげさまで 70周年。』:出典: http://www.sugakico.co.jp/ 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 □地震により被害を受けられました皆さま、また関係者の方々には心よりお見舞い申しあげます。□ こんばんは^〜^v 昨日の名古屋訪問記【『スガキヤ』のラーメン食べて帰ります☆】 たくさんのコメントいただきありがとうございます★感謝★ その中で、気になったことがあったので、 【追伸】にまとめてみました☆彡 名古屋在住のブロ友さんの記事に登場する『スガキヤ・ラーメン』 興味深い存在でした^^v 昨日の名古屋はあいにくの雨降り、 特別の訪問先も決めていなかった、 ひさしぶりの名古屋の街。 たまたま、名古屋駅前の地下街『エスカ』で 出逢ったのが『中華厨房 寿がきや 名古屋エスカ店 』、 そのメニュー『寿がきやラーメン』☆彡 初体験のこのラーメンを記事として投稿したのですが、 関連記事-『スガキヤ』のラーメン食べて帰ります☆: http://blogs.yahoo.co.jp/mt_matterhorn4478/42788406.html 『スガキコシステムズ株式会社』が展開するチェーンは、 下記の三つの『スガキヤ』があり、食器なども異なるようです! 【スガキヤ】 1969年(昭和44年)、11号店を名古屋市東区のユニー大曽根店(後のピアゴ大曽根店。2010年2月閉鎖、出店当時は「ほていや」)の4階に出店したのがチェーン展開の始まりである。 【寿がきや】 主にパチンコホールなどで展開している店舗「寿がきや」では、取り扱うメニューも店構えも他の「Sugakiya」とは全く異なっている。この寿がきやでは「白ラーメン」「赤ラーメン」「暁(あかつき)ラーメン」という独自のラーメンメニューが用意されている。1946年(昭和21年)創業の第1号店「寿がきや」を再現したものだと言われている。 【中華厨房 寿がきや】 2013年(平成25年)に名古屋駅のエスカ地下街に1号店を開店した新業態の店舗。ラーメン以外に中華の一品料理を提供する。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%AC%E3%82%AD%E3%82%B3%E3%82%B7%E3%82%B9%E3%83%86%E3%83%A0%E3%82%BA そこで、『スガキコシステムズ株式会社』のHPから少し整理いたしましたので、 ご確認ください^^v また、『ラーメンフォーク』や大阪の店舗についてのご質問もありましたので、 合わせて、ご参考までに・・・^^V いつもありがとうございます★感謝★ . 待った・放るん 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【スガキコシステムズ株式会社】(英: Sugakico Systems Co., Ltd.)は、日本のファーストフードチェーンの一つ。 愛知県名古屋市に本社を持つスガキコグループの中核を担う企業であり、ラーメンや甘味などを扱うチェーン店「スガキヤ」を主に展開する 旧社名・株式会社寿がきや(すがきや)。 1946年(昭和21年)3月 に、菅木清一が弟菅木周一と義兄森本弘次とともに名古屋市中心部の栄にて「甘党の店」として創業、1948年(昭和23年)にラーメンを出すようになり、店名を「寿がきや」と改めた。 これは創業者の菅木の名に由来し、縁起担ぎに「寿」の文字が入れられた。 1958年(昭和33年)に株式会社化、1963年(昭和38年)には関連会社としてインスタント麺などを製造する寿がきや食品を設立している。 1969年(昭和44年)に「寿がきや」(現・スガキヤ)としてチェーン展開を開始して以降、中部地方にあるアピタ・ピアゴやイオン、バローなど、大規模ショッピングセンター内のフードコートを中心として店舗展開をしており、近年はうどん専門店など「スガキヤ」以外の業態での事業も行なっている。 店舗数は2015年(平成27年)1月現在で東海地区(愛知・岐阜・静岡)に304店舗、関西地区(大阪・京都・兵庫・奈良・滋賀)に47店舗、北陸地区(石川・福井)に12店舗の363店を数えるが、いずれも直営店舗でフランチャイズによる展開は行なっていない。 |
【東海の四季さんぽ】
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〔『天守閣』:『大垣城』(大垣市郭町2丁目52)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3.『奥の細道むすびの地』:『芭蕉』の新たな旅の出発は、豊かな湧水と水運の城下町『大垣』からの船出・・・^〜^v:『大垣船町川湊』(岐阜県大垣市船町1・2丁目)〔2015.06.28〕 もう先月の終わりの頃(6/28)は、 縁あって、朝一番で岐阜県大垣市へ。 その地は、旅日記の先人『松尾芭蕉』が、 西行500回忌に当たる元禄2年に、 江戸深川から彼にとって未知の国々を巡った旅日記 『奥の細道』を結んだ地。 その結びは、 『蛤のふたみに別行秋ぞ』(はまぐりのふたみにわかれゆくあきぞ) ここ一句は、伊勢神宮に向かう新しい旅の船出の句。 そして、その場所は、水運で栄えた『大垣船町川湊』。 ご縁の町『大垣』めぐりの最終編は、 今も江戸時代の灯台が残る水門川の川湊及びその周辺と 関ヶ原の戦いで西軍『石田三成』の本拠地『大垣城』を 御紹介いたします・・・^〜^v . 【完】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 |
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〔『松尾芭蕉像』:『奥の細道むすびの地』・『大垣船町川湊』(岐阜県大垣市船町)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 2.続『ミニ奥の細道』を歩く:『芭蕉』の足跡の俳句を味わいながら、結びの地めぐり・・・^〜^v:『四季の路』(水門川遊歩道)(岐阜県大垣市)〔2015.06.28〕 もう先月の終わりの頃(6/28)は、 縁あって、朝一番で岐阜県大垣市へ。 その地は、旅日記の先人『松尾芭蕉』が元禄2年(1689年)に、 江戸深川から600里(約2,400キロメートル)を5ヶ月間にわたって巡遊し、 『奥の細道』を結んだ地。 大垣市内を流れる水門川沿いの『四季の路』は、 彼が『奥の細道』で詠まれた句を22基の句碑として、 味わいながら散策できる『ミニ奥の細道』。 初めての大垣市内散策は、 『芭蕉』の足跡の俳句を味わいながら、 結びの地めぐり☆彡 第二編は、ようやく日本海側の酒田に着いた芭蕉の一句から、 【11】酒田(山形県酒田市) 『暑き日を海に入たり最上川』(あつきひをうみにいれたりもがみがわ) 敦賀から美濃に入り、大垣で多くの門人が集まり、芭蕉の無事と旅の成功を祝い、 その後、芭蕉は、『大垣船町川湊』から船で桑名へ向かった際、詠んだ結びの句は、 【結】大垣(岐阜県大垣市) 『蛤のふたみに別行秋ぞ』(はまぐりのふたみにわかれゆくあきぞ) それでは、『月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也』 という序文より始まる『奥の細道』。 『芭蕉』にとって、新しい旅の始まりでもあった、 結びの地『大垣』めぐりを 足跡の俳句を味わいながら、 ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【おくのほそ道】は、 元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉による紀行文。 元禄15年(1702年)刊。日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、 芭蕉の著作中で最も著名で「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる。 芭蕉が、ほとんどの旅程で弟子の河合曾良を伴い、 元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出発し(行く春や鳥啼魚の目は泪)、 全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で 東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰った。 「おくのほそ道」では、このうち武蔵から、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前を通過して 旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている(蛤のふたみにわかれ行秋ぞ)。 |
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〔句碑『矢立の初め』:『行春や鳥啼き魚の目は泪』(ゆくはるやとりなきうおのめはなみだ)【始】千住(東京都):『四季の路』(水門川遊歩道)(岐阜県大垣市)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 1.『ミニ奥の細道』を歩く:『芭蕉』の足跡の俳句を味わいながら、結びの地めぐり・・・^〜^v:『四季の路』(水門川遊歩道)(岐阜県大垣市)〔2015.06.28〕 今日は、七夕(7/7)、年に一度の出逢いの日、 もう先月の終わりの頃(6/28)は、 縁あって、朝一番で岐阜県大垣市へ。 その地は、旅日記の先人『松尾芭蕉』が元禄2年(1689年)に、 江戸深川から600里(約2,400キロメートル)を5ヶ月間にわたって巡遊し、 『奥の細道』を結んだ地。 大垣市内を流れる水門川沿いの『四季の路』は、 彼が『奥の細道』で詠まれた句を22基の句碑として、 味わいながら散策できる『ミニ奥の細道』。 初めての大垣市内散策は、 『芭蕉』の足跡の俳句を味わいながら、 結びの地めぐり☆彡 まずは、JR大垣駅近くの『岐阜町道標』の傍から、 始まる『四季の路』。 元禄2年(1689年)3月27日、『芭蕉』は深川から舟で隅田川を遡り、 千住大橋あたりに上陸し、見送りの人々と別れるときに詠まれた句 『矢立の初め』(旅日記の1句目)から、スタート。 【10】出羽三山(山形県羽黒町)での一句 『有難や雪をかほらす南谷』(ありがたやゆきをかおらすみなみだに) までの『芭蕉』の足跡の俳句を味わいながら、 結びの地『大垣市』めぐりを ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【おくのほそ道】は、 元禄文化期に活躍した俳人松尾芭蕉による紀行文。 元禄15年(1702年)刊。日本の古典における紀行作品の代表的存在であり、 芭蕉の著作中で最も著名で「月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也」という序文より始まる。 芭蕉が、ほとんどの旅程で弟子の河合曾良を伴い、 元禄2年3月27日(新暦1689年5月16日)に江戸深川の採荼庵(さいとあん)を出発し(行く春や鳥啼魚の目は泪)、 全行程約600里(2400キロメートル)、日数約150日間で 東北・北陸を巡って元禄4年(1691年)に江戸に帰った。 「おくのほそ道」では、このうち武蔵から、下野、岩代、陸前、陸中、陸奥、出羽、越後、越中、加賀、越前を通過して 旧暦9月6日美濃大垣を出発するまでが書かれている(蛤のふたみにわかれ行秋ぞ)。 |
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〔『陶天井』:『八幡神社』:(岐阜県多治見市市之倉町11)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 6.『古虎渓さんぽ』:陶の里『市之倉』から、愛岐トンネルの完成で廃線となった旧中央本線『愛岐トンネル群』の「9号トンネル」の跡地に建てられた駅舎『古虎渓駅』へ・・・^〜^!:(岐阜県多治見市市之倉町)〜(岐阜県多治見市諏訪町神田)〔2014.11.12〕 もう、ずいぶん前の紅葉の候(11/12)に、 出かけた岐阜県多治見市のこと。 ちょうど、その二か月前(9/12)に訪れた際にお気に入りになった 1804年開窯の名窯『幸兵衛窯』(こうべえがま)で至福のひとときを楽しみ、 次に訪れたのは、町のはずれに立つ『八幡神社』の『陶天井』。 およそ150年前、当時焼き物に携わっていた人々が村の繁栄を願って、 近くの『熊野神社』に絵天井を奉納した先人の思いを受け継ぎ、 平成19年10月に誕生したこの『陶天井』。 陶板約80枚による天井を満喫しながら一休み☆彡 その後は、1966年(昭和41年)に『愛岐トンネル』の完成で 複線電化により廃線になった旧中央本線の「愛岐トンネル群」14箇所のトンネル。 その9号トンネルの跡地に建てらた今の駅舎『古虎渓駅』まで、 多治見の晩秋『古虎渓』の秋色を楽しみながら、 ぶらぶらさんぽをご一緒に・・・^〜^v . 【完】 〔訪問時期:2014.11.12〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【古虎渓駅】(ここけいえき)は、 岐阜県多治見市諏訪町神田にある、東海旅客鉄道(JR東海)中央本線の駅である。 相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。 2つのホームは跨線橋で繋がっている。 多治見駅管理の簡易委託駅であるが、マルス端末が設置されていないため、切符の販売は手売りで、 多治見駅のマルス端末で発行した横長のマルス券に発売当日の日付をゴム印で押して販売している。 かつて、多治見駅 - 高蔵寺駅間には14箇所のトンネルがあり、 これらの工事では20名以上の犠牲者がでたという。 これらのトンネルは、1966年(昭和41年)に愛岐トンネルの完成で複線電化により廃線となったが、 2009年(平成21年)2月に「愛岐トンネル群」として近代化産業遺産・続33に認定されている。 なお、かつての9号トンネルは複線電化の際に完全に破壊され、 その跡地に現在の当駅が建てられている。 駅の跨線橋が電車の撮影ポイントで有名である。 【愛岐トンネル】(あいぎトンネル)は、 JR東海中央本線の古虎渓駅 - 定光寺駅間にあるトンネルである。 岐阜県多治見市と愛知県春日井市の間にあり、 愛岐トンネルの名称は、愛知県と岐阜県の県境のトンネルであることに由来する。 全長2,910m。JR東海所管の中央本線では、最長のトンネルである。 1966年(昭和41年)3月12日より使用開始。同年5月14日に瑞浪駅 - 名古屋駅間電化。 1900年(明治33年)7月25日、名古屋駅 - 多治見駅間が開業時、 高蔵寺駅 - 多治見駅間の庄内川(土岐川・玉野川)の渓谷地帯は14箇所のトンネルがあり、 この工事には多くの犠牲者がでたという。 これらのトンネルは廃線となり、保線用道路などにも使用されている。 2009年(平成21年)2月に「旧国鉄中央線の隧道群」として近代化産業遺産・続33に認定されている。 現存するトンネルは13ヶ所(春日井市側に6基、多治見市側に7基)。 |




