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〔『錦もみじ』:『光明寺』(こうみょうじ)(京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『粟生光明寺』(あおこうみょうじ):錦色のもみじに包まれた、『法然』が開山し、弟子の『蓮生』(熊谷直実)が開基した名刹を秋色さがし・・・^〜^v:西山浄土宗 総本山『光明寺』(京都府長岡京市粟生西条ノ内26-1)〔2017.11.09〕 先日(11/09)は、京都・西山『長岡京市』の名刹、 西山浄土宗 総本山『光明寺』を秋色さがし☆彡 その昔、『法然上人』が初めて「念仏」の教えを説いた地であり、 そして、その弟子となった 『平家物語』「敦盛最期」の段における 平敦盛との一騎打ちの主人公『熊谷 直実』(くまがい なおざね)が、 法然を慕い帰依し『蓮生(れんせい)法師』として、 建立した念仏三昧堂を開基とする古刹☆彡 また、その後、法然の遺骸を叡山の衆徒から逃れるため 17回忌に荼毘に付した際、 石棺から光明が発せられたと伝わり名付けられた『光明寺』! 京都の秋色さがしのトップバッターは 黄葉・紅葉が無碍の光葉となって 錦色の光明に包まれた境内を ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 「うつし世の 楽土静けし 花に鳥」 参道を登りきった所の左手に塩田紅果の句碑があります。 石が苔むしていて、刻まれた文字を読むのは難しいかもしれませんが、「うつし世の 楽土静けし 花に鳥」という句です。金沢蟻塔会を主宰していた塩田さんは昭和初期に活躍した歌人ですが、ここに詠まれた光明寺のありさまは、今も変わっていません。 私たちは毎朝、太陽の昇る時間にお勤めをしますが、夜明け直前の薄闇のなかから聞こえてくる鳥の声は『阿弥陀經』に描かれた極楽の鳥を思わせるほど澄んでいます。そして勤行を終えて、差し込んでくる朝日に境内の花々が輝くのを見ることができるのも、ここで暮らす私たちの幸せです。 光明寺(こうみょうじ)は、京都府長岡京市粟生にある寺院。西山浄土宗の総本山。法然が初めて「念仏」の教えを説いた地である。また紅葉の名所としても広く知られる。 奈良へ学匠となるべき師を求めて比叡山延暦寺を下ってきた24歳の法然が、粟生野の里の村役だった高橋茂右衛門宅に一夜の宿を借りた際、茂右衛門夫妻は法然の真剣な求法の気持ちと、広く大衆が救われる道を求めての旅である事を聞いて「まことの教えを見いだされましたならば、先ず最初に私共にその尊いみ教えをお説き下さいませ」と法然にお願いした。 そして承安5年(1175年)3月、ついに浄土宗を開いた法然は20年前の約束を守ろうと、この地で初めて念仏の法門を説いた。こうして法然が初めて「お念仏」の教えを説いた地であることからこの地は「浄土門根元地」と言われている。 その後、法然を慕い帰依した弟子の蓮生(熊谷直実)が、建久9年(1198年)に法然ゆかりの当地に念仏三昧堂を建立したのが光明寺の直接の始まりである。のちの嘉禄の法難の際にはここで法然の遺骸を荼毘に付し、廟堂が建てられた。法然の石棺から、まばゆい光明が発せられたという。四条天皇はそのことを聞いて、光明寺の勅額をあたえたという。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%89%E6%98%8E%E5%AF%BA_(%E9%95%B7%E5%B2%A1%E4%BA%AC%E5%B8%82) |
【京都の四季さんぽ】
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〔『祇園枝垂桜』:『円山公園』(まるやまこうえん)(京都府京都市東山区円山町)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『京の夜桜さんぽ』:『八坂神社』・『円山公園』から、『ねねの道』を『高台寺』門前へ・・・^〜^!〔2017.04.05〕 おはようございます! 昨日は、午後の『修学院離宮』参観^^v 帰り道、『河原町』あたりで日も暮れで、 いつもお店で、いつものように、腹ごしらえ(笑) その後は、ちょうど日も落ちて、 『京の夜桜さんぽ』☆彡 コースは、『河原町』から『四条大橋』渡って、 『八坂神社』・『円山公園』へ、 『一重白彼岸枝垂桜』(ひとえしろひがんしだれざくら)が、 ライトアップされ、『京の夜桜』至福の満喫^^v その後は、『ねねの道』を『高台寺』門前あたりで折り返して 再び『河原町』へと・・・^^v いつもは、路上まで長い待ち行列のお店は なんと人影なし☆彡 8年ぶりに思わず飛び込み デザートの抹茶アイスをゲット(笑)! フルコースの『京の夜桜さんぽ』となりました・・・^〜^v 円山公園(まるやまこうえん)は、京都府京都市東山区にある公園。 国の名勝に指定されている。 園域は八坂神社、知恩院に隣接する。 圓山公園とも表記される。 「祇園枝垂桜」に代表される桜の名所である。 円山公園の枝垂桜は「一重白彼岸枝垂桜」(ひとえしろひがんしだれざくら)という品種で、初代の枝垂桜は1947年(昭和22年)に枯死したため、現在は2代目が植えられている。 花見のシーズンにはライトアップが行われ、深夜でも花見客の姿が見られる しかし、カラスが生ゴミを狙って枝垂桜の枝に止まるため小枝が折れたり、糞害によってダメージを受け花の咲かない枝が生じることが問題となっている。 出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%86%86%E5%B1%B1%E5%85%AC%E5%9C%92_(%E4%BA%AC%E9%83%BD%E5%BA%9C) 高台寺(こうだいじ)は京都府京都市東山区にある臨済宗建仁寺派の寺院。 山号は鷲峰山(じゅぶさん)、寺号は詳しくは高台寿聖禅寺と称する。 豊臣秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院であり、寺号は北政所の落飾(仏門に入る)後の院号である高台院にちなむ。 釈迦如来を本尊とする禅宗寺院であるとともに、秀吉と北政所を祀る霊廟としての性格をもった寺院である。 霊屋(おたまや)の堂内装飾には桃山様式の蒔絵が用いられ、これを「高台寺蒔絵」と呼ぶ。他に北政所所持と伝えられる蒔絵調度類を多数蔵することから「蒔絵の寺」の通称がある。 ねねの道- 知恵の道、神幸道と合わせて東山参道(三つの道)と言い、円山公園付近で接続して、それぞれ知恩院、八坂神社へと続く。 |
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〔『神矢』(しんや):『應天門』(おうてんもん:神門)・『平安神宮』(へいあんじんぐう)(京都府京都市左京区岡崎西天王町97)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『元旦前日の京さんぽ』:初詣の準備完了、歳の納めの京の町 大晦日さんぽ・・・^〜^!:『八坂神社』・『知恩院』・『平安神宮』〔2016.12.31〕 今年最後のこんばんは^^v 今年も多くの皆様方に、ご愛読いただきありがとうございました★感謝★ 今日は、青空見える快晴の大晦日、 今年も恒例の元旦前日の京さんぽ☆彡 コースは、例年通りの阪急電車の『河原町駅』スタート、 にしんそばで有名な『松葉』、 オケラ参りの『八坂神社』、 法然上人ゆかりの『知恩院』、 親鸞聖人得度の寺『青蓮院門跡』、 今年も朱色の眩しい『平安神宮』を最後に ゴールは『阪急河原町駅』までのお馴染みコース。 それでは、今年最終日の京の町、 ご一緒に大晦日さんぽをお楽しみください・・・^〜^v . 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 現在、京都市四条大橋近くの南座にある「松葉」が元祖である。 1861年に創業の芝居茶屋でもともと四条通を隔てた北座にあったが、1882年(明治15年)に二代目の松野与三吉がにしんそばを発案し、南座の一角に場所を移して、屋号を松葉とした。 松葉は、他店では少ない冷やしにしんそば、冷にしんおろしそば、にしん丼も提供している。 もともと北海道から輸送されたニシンを使用した名物蕎麦として知られる。 山に囲まれた京都市は、乾燥させた保存食を戻して使う技術も進歩し、棒鱈を戻した芋棒もそのようにして出来た料理のひとつである。 現在、市内および近隣の市町のうどん店、蕎麦店の多くで提供されている。 また、鰊の甘露煮は食品店でも売られており、京都市民は年越し蕎麦としてにしんそばを食べることも多い。 八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町にある神社。 二十二社(下八社)の一社。 旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。 全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社である。 通称として祇園さんとも呼ばれる。 7月の祇園祭(祇園会)で知られる。 白朮祭(おけらさい、をけらさい)は、京都市東山区にある'八坂神社において元日1月1日午前5時から行われる一年の安泰を祈る神事である。 古くは「祇園削掛神事(ぎおんけずりかけのしんじ)」と称した。 白朮はオケラ (植物)のことで、その根を燃やしたことから呼ばれる。 芋棒(いもぼう)とは、京料理のひとつ。 京都の伝統料理。 海老芋と棒鱈を炊き合わせたもの。 海老芋は里芋の一種で、江戸時代中期に九州で作られていた唐芋(とうのいも)を京都に持ち込んだのが始まり。 上等品のため、倹約を旨とする商家などでは正月など特別な機会のみに使った。 棒鱈は真鱈を干したもので、その昔は安価だったため、ただの里芋と棒鱈の芋棒は京都の庶民の惣菜であった。 厚く面取りした海老芋と、1週間 - 10日程かけて柔らかく戻した棒鱈を、1日以上かけて炊き上げる。 煮崩れしやすい芋と煮えにくい棒鱈を普通は一緒に煮ないが、棒鱈から出る成分が海老芋を包み込み煮崩れを防ぎ、海老芋から出る灰汁が棒鱈を柔らかくする 知恩院(ちおんいん)は、京都府京都市東山区にある浄土宗総本山の寺院。 山号は華頂山(かちょうざん)。 詳名は華頂山知恩教院大谷寺(かちょうざん ちおんきょういん おおたにでら)。 本尊は法然上人像(本堂)および阿弥陀如来(阿弥陀堂)、開基(創立者)は法然である。 浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建立されたのは、江戸時代以降である。 徳川将軍家から庶民まで広く信仰を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいんさん」と呼ばれている。 なお他流で門跡に当たる当主住職を、知恩院では浄土門主(もんす)と呼ぶ。 青蓮院(しょうれんいん)は、京都市東山区粟田口(あわたぐち)三条坊町にある天台宗の寺院。 青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)とも称する。 山号はなし。 開基(創立者)は伝教大師最澄、本尊は熾盛光如来(しじょうこうにょらい)である。 現在の門主(住職)は、旧伯爵東伏見家出身の東伏見慈晃。 平安神宮(へいあんじんぐう)は、京都府京都市左京区にある神社である。 旧社格は官幣大社、勅祭社。 現在は神社本庁の別表神社。 1895年(明治28年)4月1日に平安遷都1100年を記念して京都で開催された内国勧業博覧会の目玉として平安京遷都当時の大内裏の一部復元が計画された。 当初は実際に大内裏があった千本丸太町に朱雀門が位置するように計画されたが、用地買収に失敗し、当時は郊外であった岡崎に実物の8分の5の規模で復元された。 博覧会に先立つ3月15日には、平安遷都を行った天皇であった第50代桓武天皇を祀る神社として創祀された。 皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)に、平安京で過ごした最後の天皇である第121代孝明天皇が祭神に加えられた。 平安神宮では、京都を守る四神の御守が授与されている。 |
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〔『大比叡』(だいひえい:848.3m):(京都市左京区・大津市)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『雲母坂』(きららざか):その昔、『親鸞聖人』(しんらんしょうにん)も通ったとと伝わる古道を『比叡山』山頂へ・・・^〜^v:『修学院駅』〜『大比叡』(京都市左京区・大津市)〔2016.11.26〕 とある先日(11/26)、級友との週末は すっかり紅葉も見ごろ過ぎた『比叡山』へ☆彡 ルートは、叡山電鉄(叡電)の『修学院駅』から、 その昔、『比叡山』の『延暦寺』と京の都を結んだ古道 『音羽川』(おとわがわ)の流れに逆らって登る 川沿いの『雲母坂』(きららざか)☆彡 登山口近くの『雲母橋』には、 『親鸞聖人』の石碑もあり、 治承5年(1181年)、聖人が9歳で出家し、 29歳で叡山と決別し下山した道とも伝わり、 また、1336年(北朝:建武3年/南朝:延元元年6月7日)の『延元の乱』では、 比叡山に篭った『後醍醐天皇』方の『千種忠顕』(ちぐさ ただあき)が、 『足利直義』(あしかが ただよし)と対陣し、 討ち死にした地でもある歴史豊かな『雲母道』です^^v それでは、ご一緒に約2時間ほどの『比叡山』・『大比叡』(848.3m)まで 古道さんぽをご一緒にお楽しみください・・・^〜^v 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 雲母坂(きららざか)は、京都市左京区修学院の修学院離宮の脇より比叡山の山頂に至る古道である。 音羽川沿いの住宅街を抜けた先にかかる雲母橋が登山口で、親鸞ゆかりの石碑が立つ。 修学院離宮の外縁を巡る登山道を登り、水飲対陣跡を過ぎて京福電気鉄道鋼索線のケーブル比叡駅を経由して比叡山の山頂に至る。 坂の名である「雲母」の由縁は、この山道が花崗岩の砕けた地質であり、土砂中に雲母が含まれていることによるとされるが、異説もある。 延暦寺の千日回峰行が行われる行者道でもある。 同じく行者道の一部であった京都市左京区一乗寺の曼殊院道(府道104号部分)、あるいは曼殊院参道が「雲母坂」であるとする説もあり、いずれも舗装前は同様の地質であった。 浄土真宗の宗祖とされる親鸞が、9歳(治承5年〈1181年〉)の時に青蓮院で出家し、叡山(比叡山延暦寺)へ修学のために登り、29歳(建仁元年〈1201年〉)の春頃に叡山と決別し、六角堂へ百日参籠を行うために下山した道とされる。 1336年(北朝:建武3年/南朝:延元元年6月7日)の延元の乱で、比叡山に篭った後醍醐天皇方の千種忠顕率いる軍が細川氏を先陣とする足利直義の軍と対陣し、西坂本合戦で忠顕が討ち死にした地でもある。 比叡山(ひえいざん)は、滋賀県大津市西部と京都府京都市北東部にまたがる山。 大津市と京都市左京区の県境に位置する大比叡(848.3m)と左京区に位置する四明岳(しめいがたけ、838m)の二峰から成る双耳峰の総称である。 高野山と並び古くより信仰対象の山とされ、延暦寺や日吉大社があり繁栄した。 東山三十六峰に含まれる場合も有る。 別称は叡山、北嶺、天台山、都富士など。 比叡山は、滋賀県大津市の西南、滋賀・京都県境に位置する、標高848mの山である。 古事記には淡海(おうみ)の日枝(ひえ)の山として記されており、古くから山岳信仰の対象とされてきた。 国土地理院による測量成果では、東の頂を大比叡、西の頂を四明岳、総称として比叡山としている。 「点の記」では、東の頂に所在する一等三角点の点名を「比叡山」としている。 この三角点は大津市と京都市の境に位置するが、所在地としては大津市にあたる。 京都市左京区修学院から登る雲母坂(四明岳まで2時間30分かかるという)は古くから京都と延暦寺を往復する僧侶・僧兵や朝廷の勅使が通った道であり、現在も登山客は多い。 滋賀県側からは、日吉大社の門前町・坂本から表参道を経て、無動寺谷を通って登る登山道などがある。 山内には大津から京都大原方面へ抜ける東海自然歩道が通っている。 |
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〔『ネリネ』 (Nerine):『京都府立植物園』(京都府京都市左京区下鴨半木町)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3[完].『京都府立植物園』:足元に真っ赤なワイルド・ストロベリー、色とりどり・形いろいろな秋花・冬花に春花、不思議な実などを発見・・・^〜^!:(京都府京都市左京区下鴨半木町)〔2016.11.30〕 先日(11/30)、『仙洞御所』参観のあと午後は、 いつもは春の桜花の頃に訪れる 地下鉄『北山駅』近くの『京都府立植物園』☆彡 小春日和の暖かい初冬の昼下がりの園内には 今も頑張る秋の花、 今からが本番の冬の花、 まだ早すぎる春の花もチラホラと 足元には、なんとちっちゃな『ワイルド・ストロベリー』、 あっちにも・こっちに、 色も形もいろんなお花や実を発見・・・^^v . 【完】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 |


