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〔『リクヴィール』(Riquewihr、ドイツ語:Reichenweier):(La maison Hansi, Rue du Général de Gaulle, Riquewihr, France)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 5-2.『アルザスのおもしろ看板』:16世紀の面影残る家々のおもしろ看板を楽しみに、フランスの最も美しい村さんぽ・・・^〜^v:『リクヴィール』(Riquewihr、ドイツ語:Reichenweier)〔2016.11.03〕 念願の独逸の秋色を楽しむ『晩秋の南ドイツ』の旅、 旅の一コマ・一こまの思い出記事☆彡 南ドイツの旅の五日目は、 南ドイツから国境を越えて、 フランスの最も美しい村のひとつ『リクヴィール』(Riquewihr、ドイツ語:Reichenweier)☆彡 長くドイツとフランスの間で領土の獲得競争が繰り広げられてきた ドイツとフランスとの国境近くの『アルザス地方』☆彡 その中でも、16世紀以来という歴史的な家々が続く 黄葉のブドウ畑の包まれた晩秋の『リクヴィール』は、 フランスの最も美しい村に登録されている☆彡 その家並みには、文字が読めなくても、 言葉がわからなくても、 誰にでもわかるようなおもしろ看板が・・・! 16世紀の田舎町に迷い込んだような 狭い家々との間を看板楽しみに アルザスの美しい田舎町さんぽ・・・^〜^v . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 |
晩秋の南ドイツ:2016.10
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〔『リクヴィール』(Riquewihr、ドイツ語:Reichenweier):(2 Rue de la Couronne,68340 Riquewihr フランス)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 5-1.『リクヴィール』(Riquewihr、ドイツ語:Reichenweier):フランスの最も美しい村のひとつ、黄葉のブドウ畑の包まれた晩秋のアルザスの町を訪ねて・・・^〜^v 〔2016.11.03〕 念願の独逸の秋色を楽しむ『晩秋の南ドイツ』の旅、 旅の一コマ・一こまの思い出記事☆彡 南ドイツの旅の五日目は、 南ドイツから国境を越えて、 フランスの最も美しい村のひとつ『リクヴィール』(Riquewihr、ドイツ語:Reichenweier)☆彡 ドイツとフランスとの国境近くの『アルザス地方』は、 長くドイツとフランスの間で領土の獲得競争が繰り広げられてきたエリア。 さてここ、黄葉のブドウ畑の包まれた晩秋の『リクヴィール』は、 16世紀以来という歴史的な家々が続く小さな町で、 リースリングなど有名なワインも生産される、 歴史も自然も豊かな僕のお気に入り☆彡 それでは、いきなりフランスの最も美しい村さんぽ、 素敵な彩の木組みの家と、フランス語?のおもしろ看板などを ご一緒にお楽しみください・・・^〜^v . 【つづく】 リクヴィール (Riquewihr、ドイツ語:Reichenweier)は、フランス、アルザス地域圏、オー=ラン県の小さなコミューン。 フランスの最も美しい村に登録されている。 城壁に囲まれ、村の目抜き通りを端から端まで歩いても20分程度という小さな規模だが、16世紀以来という歴史的な建築物から人気の観光地となっている。 リースリングなど有名なワインも生産されている。 11世紀には、サント=クロワ=アン=プレーヌ修道院がリクヴィールのブドウ畑を所有していた。 1269年、神聖ローマ皇帝ルドルフ1世が城を建設。1291年、城とその防衛施設はホルブルク公へ授与された。 14世紀にホルブルク家が絶えると、ヴュルテンベルク公ウルリヒ10世が継承した。 16世紀に住民の多くがプロテスタントへと改宗した。 1796年、フランス革命軍との争いがきっかけでヴュルテンベルク家はリクヴィールを含むアルザスの所領を放棄。 フランスへ併合された。 第二次世界大戦中、この一帯で戦禍を免れた数少ないコミューンであった。 アルザス地域圏(アルザス語: Elsàss、アレマン語: Elsäß、標準ドイツ語: Elsass、フランス語: Alsace、英語: Alsace)は、フランス中東部にかつて存在した地域圏。 西側の大部分をかつてのロレーヌ地域圏と接し、残りはかつてのフランシュ=コンテ地域圏と接している。 東はドイツとスイスに接する。 地域圏内にはバ=ラン県とオー=ラン県二つの県を含む。 アルザスの名前はドイツ語のEll-sassから取られている。 地域圏最大の都市であるストラスブール(シュトラースブルク)を首府とする。 アルザスはかつては神聖ローマ帝国の領地であり、17世紀から20世紀にかけて何度もフランスとドイツを行き来してきた。 1648年 - 三十年戦争の結果、神聖ローマ帝国(ドイツ)からフランスに割譲される。 1870年 - 普仏戦争において、フランス敗北により隣接するロレーヌと併せてドイツに占領される。 1919年 - ヴェルサイユ条約によりフランスが占領する。 1940年 - 第二次世界大戦のフランス降伏により再びドイツに占領される。 1945年 - ドイツの降伏によりフランスに再度占領。以後フランス領土として現在に至る。 |
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〔『スーパーマーケット』(Supermarkt)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 4.『南ドイツのスーパーマーケット探検』:朝から小雨、昼から晴れて中休みの一日は買い出し日・・・^〜^v 〔2016.11.02〕 念願の独逸の秋色を楽しむ『晩秋の南ドイツ』の旅、 旅の一コマ・一こまの思い出記事☆彡 ドイツ晴れの青空の毎日続きだったのですが、 南ドイツの旅の四日目は、 朝焼けの目覚めの後、 小雨になりました・・・トホホ そこで、ゆっくり一休みの一日に☆彡 お天気は、昼過ぎには回復したので、 食料買い出しに 町中の『スーパーマーケット』(Supermarkt)に^^v お店に入っていきなり、 『Hokkaido』(北海道)と名付けられた『かぼちゃ』がご挨拶! 店内は、日本では高騰中のお野菜がいろどり豊かにてんこ盛り、 そして、各種勢ぞろいの大好きな『チーズ』が大集合、 『タコ』や『イカ』も並ぶ竜宮城のようなお魚たち、 なんと言ってもうれしいのは、 山のような『ドイツワイン』が日本の半額以下☆彡 とっても幸せ気分になった僕でした(笑) . |
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〔『ノイシュヴァンシュタイン城』(Schloss Neuschwanstein): (Neuschwansteinstraße 20, 87645 Schwangau, ドイツ)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3-3.『ノイシュヴァンシュタイン城』(Schloss Neuschwanstein):闇夜に浮かぶディズニーランド『シンデレラ城』のモデル、白亜のお城に出逢う・・・^〜^v:(Neuschwansteinstraße 20, 87645 Schwangau, ドイツ)にて〕〔2016.11.01〕 念願の独逸の秋色を楽しむ『晩秋の南ドイツ』の旅、 旅の一コマ・一こまの思い出記事☆彡 さて、南ドイツの旅の三日目は、 『オーストリア』との国境近く 『ドイツ・アルペン街道』(独: Deutsche Alpenstraße)の宿場町、 『ミッテンヴァルト』 (Mittenwald)まで、遠出ドライブ☆彡 『ヴェネツィア』との交易で栄えた美しい山里を 隅々までカメラもって楽しみ、オーストリア経由の帰り道 『ロマンティック街道』のハイライトで ディズニーランドの『シンデレラ城』のモデルにもなったといわれる 『シュヴァンガウ』 (Schwangau)に建つ美しい白亜のお城 『ノイシュヴァンシュタイン城』(Schloss Neuschwanstein)が 闇夜に浮かぶ姿を撮るために寄り道しました^^v それでは、『ミッテンヴァルト』の最終編は、 『ノイシュヴァンシュタイン城』と 近くの『ホーエンシュヴァンガウ城』の夜景とともに お楽しみください・・・^〜^v . 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 ノイシュヴァンシュタイン城(Schloss Neuschwanstein)は、ドイツ南部のバイエルン州バイエルン・シュヴァーベン地方にある城である。 バイエルン王ルートヴィヒ2世によって19世紀に建築された。 オーストリア国境に近いオストアルゴイ郡フュッセンの東南東方向(直線距離にて約4km)に位置し、近隣には、ルートヴィヒ2世が幼少時代を過ごし、彼の父親が所有していたホーエンシュヴァンガウ城がある。 ノイシュヴァンシュタインという名は、現在ホーエンシュヴァンガウ城のある地にかつてあったシュヴァンシュタイン城にちなみ、1890年になってから付けられた名であり(「ノイ (Neu)」はドイツ語で「新しい」の意)、建設当時はノイホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれていた。 シュヴァンガウは、「白鳥河口」の意味の地名で、ホーエンシュヴァンガウは、上シュヴァンガウ村のことである。 一見すると伝統的な建築方式で造られているように見えるが、石造りではなく鉄骨組みのコンクリート及びモルタル製で、装飾過多であり、耐候性や耐久性も低かった。この城は軍事拠点としての「要塞」としてではなく、また政治や外交の拠点としての「宮殿」として建設されたものでもなく、ルートヴィヒ2世のロマンティック趣味のためだけに建設されたもので、ドイツの城館に本来は必ずあるべき小聖堂や墓地がこの城にはなく、玉座を後回しにしてもヴィーナスの洞窟と名付けられた人工の洞窟が建設されるなど、実際の住居としての居住性はほとんど考慮されておらず、施設としての実用性は無視された設計になっており、居住にも政務にも(もちろん軍事施設としても)不向きな城である。 現在はロマンチック街道の終点として、人気の観光スポットとなっており、内部を見学することができる。 ホーエンシュヴァンガウ城(Schloß Hohenschwangau)は、ドイツ、バイエルン州フュッセン近郊、ホーエンシュヴァンガウにある、19世紀に建築された城である。 マクシミリアン2世によって改築された。 1832年、マクシミリアン2世は12世紀に建設されたが廃墟になっていたシュヴァンシュタイン城を購入した。 そして4年ほどの歳月を費やし、古城を改築した。 これがホーエンシュヴァンガウ城である。 ルートヴィヒ2世は幼年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごした。 この城を含むシュヴァンガウという地名は直訳すると「白鳥の里」の意味であり、この地こそがリヒャルト・ワーグナーのオペラ『ローエングリン』で有名な白鳥伝説ゆかりの地であった。 こうした地元の伝説にちなみ、ホーエンシュヴァンガウ城には、至る所に中世騎士伝説を描いた壁画が描かれており、「ローエングリン」の壁画も当然そこに含まれている。この城で幼少期を過ごしたルートヴィヒ2世が長じた後、ワーグナーのローエングリンに魅了され、伝説と現実の境界を見失うようになってしまう遠因をここに求める研究者は多い。 ルートヴィヒ2世は後に、このホーエンシュヴァンガウ城の近隣にノイシュヴァンシュタイン城を建築した。 |
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〔『プレッツェル』(正しくはブレーツェル、Brezel):『Restaurant Café-Bar Wildfang』 (Dekan-Karl-Platz 3, 82481 Mittenwald, ドイツ)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 3-2.『白ソーセージとプレッツェル』:『ゲーテ』が生きた絵本と呼んだ壁画とオモシロ看板の町さんぽ【ランチ編】・・・^〜^v:(Mittenwald)にて〕〔2016.11.01〕 念願の独逸の秋色を楽しむ『晩秋の南ドイツ』の旅、 旅の一コマ・一こまの思い出記事☆彡 さて、南ドイツの旅の三日目は、 『オーストリア』との国境近く 『ドイツ・アルペン街道』(独: Deutsche Alpenstraße)の宿場町、 『ミッテンヴァルト』 (Mittenwald)まで、遠出ドライブ☆彡 かつては『ドイツ』と『ヴェネツィア』との交易で栄え、 『クレモナ』で製作技法を学んだヴァイオリンの名匠 『マティアス・クロッツ』所縁の弦楽器製作の町、 そして、『ゲーテ』がイタリアへの旅の途中で立ち寄り 『生きた絵本』と呼んだ壁画の家々に描かれた 『ミッテンヴァルト』 (Mittenwald)の町さんぽ☆彡 南ドイツから一旦オーストリアへ国境を越え 再びドイツ・アルプスの麓の町への遠出ドライブの道中と 通りに突き出した『オモシロ看板』をたのしみながら 『晩秋の南ドイツ』の旅、三日目の思い出 お昼は、今日のお勧めのメニュー 『白ソーセージとプレッツェル』☆彡 . 【つづく】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 プレッツェル(正しくはブレーツェル、ドイツ語 Brezel)は、独特な結び目の形に作られているドイツ発祥の焼き菓子のひとつ。 小麦粉とイーストを原料とし、焼く前に数秒間水酸化ナトリウム水溶液(3−5%)につける。 焼ける間に空気中の二酸化炭素と反応して炭酸ナトリウムと水に変化し、表面が特徴的な茶色になる。 焼き上げる前には岩塩の粒をまぶす。 ヴァイスヴルスト(独: Weißwurst、『白いソーセージ』の意)は、ドイツ・バイエルン州の伝統的なソーセージで、よく挽いた仔牛肉、新鮮な豚肉のベーコンから作る。 通常は風味づけにパセリ、レモン、ナツメグ、タマネギ、ショウガ、カルダモンがさまざまなバリエーションで使用される。 それらを混ぜ合わせて新鮮で清潔な豚のケーシングに詰め、それぞれ長さ10〜12センチ、太さ約2センチのソーセージに形づくられる。 ■Restaurant Café-Bar Wildfang■ ・Dekan-Karl-Platz 3, 82481 Mittenwald, ドイツ ・+49 178 6465708 |





