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〔『BLAUES PFERD 1, 1911』(BLUE HORSE 1):『FRANZ MARC』(フランツ・マルク):『G 13324』・ 『レンバッハハウス美術館』 (Städtische Galerie im Lenbachhaus)):(Luisenstraße 33, 80333 München, Germany)にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 00.『レンバッハハウス美術館』:『青騎士』を『カンディンスキー』とともに結成した【フランツ・マルク】の作品でスタート:『Städtische Galerie im Lenbachhaus』:(Luisenstraße 33, 80333 München, Germany)〔2016.11.06〕 念願の独逸の秋色を楽しむ『晩秋の南ドイツ』の旅(2016.10.30-11.06)の 最終日に訪れたミュンヘンの『レンバッハハウス美術館』☆彡 世界一の200点を越す『カンディンスキー』の作品を含む 『青騎士』派の絵画を所蔵する念願の美術館は、 フラッシュを使わなければ個人撮影可能^^v 僕の大好きな『カンディンスキー』とその仲間たちの作品を 旅の思い出として撮りましたので、 不定期でご紹介できればと考えております^^v まずは、『カンディンスキー』(Wassily Kandinsky)とともに『青騎士』を結成した 『フランツ・マルク』(Franz Marc)の代表作品でスタート☆彡 『BLAUES PFERD 1, 1911』(BLUE HORSE 1) 青騎士(ブラウエ・ライター、ドイツ語: der Blaue Reiter)は、1912年にヴァシリー・カンディンスキーとフランツ・マルクが創刊した綜合的な芸術年刊誌の名前であり、またミュンヘンにおいて1911年12月に集まった主として表現主義画家たちによる、ゆるやかな結束の芸術家サークルである。 日本語では「青騎手」とも訳される。 「青騎士」というはっきりした芸術家集団があったわけではなく、その実態は芸術年刊誌『青騎士』編集部と、彼らによる企画展であった。 しかし、首班であったカンディンスキーの芸術理論に共感し、お互いに近い理念と興味関心を有していた点で青騎士は一つの芸術運動ともみなされる。 活動期間としては、カンディンスキーとフランツ・マルクが年刊誌の創刊を構想し始めた1911年から第一次世界大戦によってメンバーが散り散りになってしまった1914年までの約3年間であり、非常に短命であったが、その後世に与えた影響は大きく、青騎士と周辺の芸術家は20世紀における現代芸術の重要な先駆けとなった。 カンディンスキーは彼の『回顧録』の中で青騎士の名前の由来について次のように述べている。 「青騎士」の名前は、ジンデルスドルフの東屋のコーヒーテーブルに我々がいたときに考え出された。二人はともに青が好きで、マルクは馬、私は騎士が好きだった。そうしてこの名は自然に出てきたのだ。 — Norbert Göttler: Der Blaue Reiter, S. 82 f フランツ・マルク(Franz Marc, 1880年2月8日、ミュンヘン - 1916年3月4日、ヴェルダン)は、20世紀初期のドイツの画家。 動物を愛し、動物とひとつになろうとした画家であった。 画家としての活躍はわずか10年で、動物によって心開かれ自らの魂を動物たちに投影したマルクはその人生の最後、世界の再生を動物たちに託しながらこの世を走り去った。 マルクの作品は、馬、牛、猿、鹿、ロバ、狐、虎などの動物や森を主たる対象とした、極めて色彩にあふれた作品である。 しかもそれは現実の色彩からかけ離れていることも多い。 マルク本人の死後のことであるが、青い馬を描いた作品などは、自分自身古典的な作風の絵を描いていたヒトラーから「青い馬などいるはずがない」として「退廃芸術」作品と決め付けられた、という逸話も残っている。 晩年にはカンディンスキーと同様に作品の抽象化が進み、1914年の作品「チロル (Tyrol)」や「戦う形・せめぎあう形 (Fighting Forms)」などは、具象を残しながらも、カンディンスキーと同系統の抽象絵画といっていいような作品に仕上がっている。 なお、日本においてはマルクの受容は本格的でなく再評価が待たれる人物である。 |
☆レンバッハハウス美術館さんぽ☆
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