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〔『水面絵(Landscape on the surface of the water)』:『夙川公園』にて〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『川面(かわも)/夙川公園』:水面に映る晩秋の風景画、秋晴れの『文化の日』を楽しむ・・・^〜^V:『夙川公園』にて (兵庫県西宮市)〔2010.11.03〕 早くも2週間以上も過ぎてしまった今年の『文化の日』(11/3)、 バッハのロ短調ミサ曲を聴きに、夙川教会(兵庫県西宮市)に、
http://blogs.yahoo.co.jp/mt_matterhorn4478/37332381.html
開演前の素敵な晩秋の昼下がりの少し時間、http://blogs.yahoo.co.jp/mt_matterhorn4478/37366266.html 桜の名所でもある夙川(しゅくがわ)の河川敷沿いに、 お気に入りの公園『夙川公園』をゆっくり散策、 すばらしい秋晴れの青空の下では、 風もなく、静かな川面(かわも)には、 青空が、木々が、色づいた桜の葉っぱの『水面絵』 六甲山からの清流が静かに海へと流れ落ちていきます・・・♪ 【訪問時期:2010.11.03】 |
建 物・公園
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〔『秋色(Autumn colors)』:『夙川公園』にて〕 【画面右下の◎上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『葉・実・花/夙川公園』:晩秋の『夙川公園』で、色づいた『葉』っぱ・小さな宝石のような『実』・名残惜しい『花』たちに包まれる・・・^〜^V:『夙川公園』にて (兵庫県西宮市)〔2010.11.03〕 早くも2週間も過ぎてしまった今年の『文化の日』(11/3)、 バッハのロ短調ミサ曲を聴きに、夙川教会(兵庫県西宮市)に、
http://blogs.yahoo.co.jp/mt_matterhorn4478/37332381.html
開演前の素敵な晩秋の昼下がりの少し時間、http://blogs.yahoo.co.jp/mt_matterhorn4478/37366266.html 桜の名所でもある夙川(しゅくがわ)の河川敷沿いに、 お気に入りの公園『夙川公園』をゆっくり散策、 すばらしい秋晴れの青空の下には、 立派に黄葉・紅葉した木々の『葉』っぱ、 とっても魅了的な色の小さな宝石のような『実』、 まだまだ、がんばって咲いている『花』たちが、 色とりどりのカラーで出迎えてくれました・・・^〜^♪ 【訪問時期:2010.11.03】 【夙川公園(しゅくがわこうえん)】は、 兵庫県西宮市にある公園である。 夙川河川敷緑地とも呼ばれる。 西宮市の夙川の河川敷沿いに、 南は香枦園浜の海岸部から北は銀水橋までの約4km、 20.8haにわたって整備された都市公園である。 |
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〔『もみじ山』:『瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん)(兵庫県神戸市北区・有馬温泉郷)』にて 『瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん)』:秀吉も「いくら見ても飽きない」と感激した有馬の『もみじ山』を訪れる・・・^〜^V:『兵庫県神戸市北区・有馬温泉郷』にて 〔2010.11.13〕 おはようございます^〜^v すっかり、朝晩寒くなってしまった今日この頃です。 昨日は、久しぶりに裏六甲『有馬四十八滝』に沢歩きを、 まずは、その前に秀吉も「いくら見ても飽きない」と感激した『もみじ山』 有馬温泉郷の奥部にある『瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん)』へと、 見頃の始まり、緑色・黄色・赤色の信号機三色カラーを楽しめる 彩り豊かな秋色をたっぷり楽しみました・・・^〜^v 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 【瑞宝寺公園(ずいほうじこうえん)】は、 兵庫県神戸市北区の有馬温泉郷にある都市公園。 温泉街の最高部(標高500m)に位置する。 紅葉の名所として知られている。 明治初期に廃寺になった黄檗宗瑞宝寺の跡地を、 神戸市が1951年に公園として整備した。 歴史的には、豊臣秀吉も有馬をたびたび訪れていた。 秀吉が「いくら見ても飽きない」などと瑞宝寺の紅葉を気に入ったという故事から、 この地の紅葉には「日暮しの庭」、「錦繍谷」の別称がある。 また秀吉が囲碁を指したとされる石の碁盤も、公園内に残されている。 旧瑞宝寺の山門は、1868年に京都の伏見桃山城から移築されたもので、 1976年に神戸市によって保存修復されている。 公園内には、小倉百人一首にも詠まれている和歌 「有馬山猪名の笹原風吹けばいでそよ人を忘れやはする」(大弐三位)の歌碑がある。 |
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〔『チェンバロ』:『日本テレマン協会・第416回マンスリーコンサート』にて♪〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 今夜のコンサート会場、旧ローマ市街の建築風の『大阪倶楽部』御紹介・・・^〜^v:『安井武雄』設計(大阪府大阪市中央区今橋4丁目) 今夜のコンサート会場は、『大阪倶楽部』 大阪市中央区今橋4丁目に建ち、国指定登録有形文化財で、 『綿業会館』、『大阪瓦斯ビルヂング』とともに、 大阪の近代三大名建築の一つ、 建物の内部を少し御紹介いたしましょう・・・^〜^V 〔訪問時期:2010.09.10〕 【大阪倶楽部(おおさかくらぶ)】は、 大阪府大阪市中央区にある近代ビル建築。 1924年の竣工以来、社交倶楽部である社団法人大阪倶楽部の会員制会館として利用され続けている。 1914年に創建された英国城館風の大阪倶楽部旧館は同倶楽部の主唱者であった 住友家を代表して総理事鈴木馬左也がその評議員でもあったので、 当時の住友本社営繕課建築係が設計を引き受け、 野口孫市と長谷部鋭吉がこれにあたって大正3年に竣工した。 大正11年に失火のために焼失し、大正13年に現在の建物が再建された。 現会館は東京の日本橋野村ビルや大阪瓦斯ビルヂングを手がけた安井武雄設計による新館である。 新館竣工記念冊子で安井が「南欧風ノ様式ニ東洋風ノ手法ヲ加味セルモノ」と説明しているとおり、 旧ローマ市街の建築によくみられる石のアーチが目を引く南欧スタイルを取り入れた 重厚な外観に仕上げられており、唐草の縁取りやトーテムポールなど細部の彫刻には 東洋・中近東のモチーフを見て取れる。 綿業会館、大阪瓦斯ビルヂングとともに、大阪の近代三大名建築に数えられている。 また、世界的に評価されている日本の古楽器演奏団体、 コレギウム・ムジクム・テレマンによるバロック音楽のコンサートや KCM Concert Series at Osaka Clubがほぼ毎月開かれるなど、 関西における主要な室内楽専用のコンサートホールの一つともなっている。 |
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『桜宮橋(武田五一)』(左)と『新桜宮橋(安藤忠雄)』(右):『国道1号線』にて〕 【画面上でクリックして、拡大して御覧ください!】 『桜宮橋(銀橋)』:関西を代表する二人の建築家の二世代橋『桜宮橋(武田五一)』と『新桜宮橋(安藤忠雄)』を楽しむ・・・^〜^V:『国道1号線』(大阪市北区天満橋1丁目・都島区中野町1丁目)にて (2010.08.05) おはようございます^〜^v 先日の朝、久しぶりに大川(旧淀川)沿いに、散策。 『桜宮橋(さくらのみやばし)』は、 「関西建築界の父」とも言われた『武田五一』さんの設計で、 昭和5年(1930年)開通以来『銀色』..。 橋の袂には、桜の通り抜けで有名な『造幣局』があり、 通称『銀橋』として、大阪人に愛されている。 そして、『新桜宮橋』は、大阪出身の『安藤忠雄』の設計で、2006年の開通した。 親子二代のような関西を代表する二人の建築家の作品、 真夏の太陽も二世代の作品を祝福しているような楽しい光景です・・・^〜^♪ 〔撮影時期: 2010.08.05〕 【桜宮橋(さくらのみやばし)】は、 大阪市の大川に架けられた国道1号線の橋。 大阪市北区天満橋1丁目と都島区中野町1丁目を結ぶ。 銀色の橋であることから「銀橋」と呼ばれており、こちらの名称の方が有名となっている。 設計は武田五一。 付近は大川沿いに桜之宮公園が広がる。 なお、国道1号線の拡張および銀橋の補修工事のために、北側に新桜宮橋(新銀橋)が建設された。 新銀橋は安藤忠雄の設計で、既存の銀橋に合わせたデザインとなっている。 桜宮橋が西行き3車線、新桜宮橋が東行き3車線となっている。 あわせて計画幅員40mであり、歩道は上下線ともに8.25mずつ確保されている。 【新桜宮橋】は、 2006年12月18日に開通。 旧橋よりも橋長(アーチスパン)が長く、桜宮橋とデザインを合わせるため、 アーチ高さを同等とした関係でアーチライズ比(高さ/長さの比)が小さくなっている。 構造上、ボルト締結ができないため、全断面溶接構造となっている。 現場溶接するために溶接箇所の周囲に風防を付けるなど、 品質確保に細心の注意を払って施工された。 形式はローゼ橋となっている。 形式:鋼アーチ(単純ローゼ桁) 橋長:150メートル 【桜宮橋】は、 大阪市の第一次都市計画事業に基づいて建設され、昭和5年(1930年)に完成した。 この場所は元々軟弱地盤であり、ある程度の不等沈下を見すえて 「3ヒンジアーチ」とよばれる構造を採択している。 アーチ部の基礎に長さ20m、径40cmの鉄筋コンクリート製のペデスタル杭が 片橋台あたり約200本打ち込まれている。 さらに施工前には支持力を確認する実験まで行われた。 それでも建設から相当な年月がたち、十数センチメートル程度の不等沈下が起き、 支間が数十センチメートル程度広がったため、一度、基礎の大規模な補修が行われている。 形式:鋼アーチ(3ヒンジアーチ) 橋長:108メートル 幅員:22メートル 【武田 五一(たけだ ごいち、明治5年11月15日(1872年12月15日) - 1938年(昭和13年)2月5日)】は、 備後福山藩(現・広島県福山市)生まれ。 「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家で、近代日本を代表する建築家の一人。 ヨーロッパ留学で影響を受けたアール・ヌーボー、セセッションなど、 新しいデザインを日本に紹介した建築家とも言われる。 建築以外にも工芸や図案・テキスタイルデザインなども手掛けた。 自身の作品のみならず、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に 工学部建築学科を創立し多くの後進を育成した。 また、神戸高等工業学校(現・神戸大学工学部)の設立にも関与。 この他「新建築」創刊も指導した。 フランク・ロイド・ライトとも親交があり、 国会議事堂建設をはじめ多くのプロジェクトに関与している。 法隆寺、平等院などの古建築修復にも関わりが深い。 |


