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ジュネーブ旧市街地・探索 (その13)は、 【ブール・ド・フール広場】 11世紀から13世紀にかけては、ジュネーブの都市機能が充実した時期。 ローマ時代のフォーラムがそのまま発展したのが、ここ『ブール・ド・フール広場』 5つの路が上下し交差するこの広場は、当時からジュネーブで最も往来の多い場所で 『市』を開く絶好の場所として、多くの市民で賑わっていたはずである。 を、ご紹介いたします・・・ |
ジュネーブ :2007.07
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ジュネーブ旧市街地・探索 (その12)は、 【フランツ・リストの家】 タパザン通りとエチエンヌ・デュモン通りの角にある建物が、1835〜1836年の間、 ハンガリー生まれの音楽家のリスト(Franz Liszt,1811年10月22日-1886年7月31日)が ダグー夫人と住んでいた。 当時、リストは、マリー・ダグー伯爵夫人 (後にダニエル・ステルンのペンネームで作家としても活動した)と恋に落ち、 1835年にスイスへ逃避行ののち約10年間の同棲生活を送る。 2人の間には3人の子供が産まれ、その1人がのちに、指揮者ハンス・フォン・ビューローの、 さらにリヒャルト・ワーグナーの妻になるコジマである。 また、翌年の1837年(26歳)には、パリ、ミラノ、ウィーンにて 超絶技巧練習曲第2稿「24の大練習曲 Op.6」(実際には12曲)が出版される。 献呈は彼の師匠でもあるカール・ツェルニー サール番号はS137。 【オラトワール】 タバザンとは、共和国時代の死刑執行人の家系で、 その名の付いた通りの7番地に、 大きな木の扉のオラトワール(祈祷所)がある。 を、ご紹介いたします・・・ |
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ジュネーブ旧市街地・探索 (その11)は、 【ジュネーブ旧市街での昼食】 お店は、”LES ARMURES”、内装は新しく清潔です。18世紀頃の建物?・・・ 女房は、「本日の(ハムときのこの)ピザ」 僕 は、「本日の定食(サラダ、ローストビーフ・ホースラディシュソース添え、フライドポテト)」 を、御紹介いたしましょう・・・・ |
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ジュネーブ旧市街地・探索 (その10)は、 ジュネーブ旧市街に残る、 旧司教館の跡地の眺めの良い公園横から下町の商業地へと続く 建物中を通る階段もある【もうひとつのかわいい小路】 をご紹介いたします・・・ |
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ジュネーブ旧市街地・探索 (その9)は、 【マチュラン・コルディエ小路】 ヴェエルデーヌ通の13番地と15番地の間を入った抜け道 家の中を小路が抜ける。この道が、カルヴァン・コレージュにつながる。 昔のジュネーブは、このような家の中の道が作られていた・・・ カルヴァンのパリ時代の恩師の名をとって『マチュラン・コルディエ小路』と 呼ばれている。 を、ご紹介いたします・・・ |




