|
自我について正しく説明できる人は少ないでしょう。・・・私は最近、本当は自我なんてな無いと思うようになりました。・・・それはマイナスの平方根(虚数)と同じで人間の主観脳が勝手に創造してしまったものなのかもしれません。・・(『博士の愛した数式』面白かったですよ。)
それは『愛』や『幸福』、『不幸』も同じではないかと思います。・・実際には存在しないが、それは確かにある。・・頭が混乱してしまいそうなので次にいきます。
日本の古くからの考え方では、自我にも『大我』と『小我』に分けられるそうですが、私の理解している限りでは、小我とは『大脳主観脳』で大我とは『小脳客観脳』を言います。・・大は小、小は大と憶えると憶えやすいかと思います。・・(ここは必ず試験に出ます)・・解りやすく『主観と客観』にしておきます。
人間の心というのは、この主観と客観のバランスがとれていて平穏でいられるのですが、ある時『大脳主観脳』が急激に発達したため、このバランスが崩れてしまいました。・・これが悩み、苦しみの始まりです。・・それを解決するために宗教が生まれたと考えられないでしょうか?。・・何万年を3行で終わらせてしまいました・・。
この考えが正ければ、外科手術で大脳主観脳の一部を取り除いてやればよいのですが、残念ながら現在の科学では、何処をどれだけ取り除けば良いのかは判っていません。・・それならばどうしたら良いのでしょう。・・答えは簡単です。
主観が大きくなってバランスが崩れたのであれば、主観を抑制してやれば良いのですが、これがまた難しいですね。・・ドラマなんかで、悩んでる人に対して「あなな主観的になってない?」って言葉をかけるシーンを拝見するときがありますが、悩んでる人に客観的になれと言ってもなれるはずないでしょう。
これで分かるように悩み、苦しみは主観からくるものであって、客観的に悩むなんて聞いたことがありません。・・ところがある日、なにかのきっかけで考え方が変わることがあります。・・それが発想の転換であり、客観性の芽生えと言っても良いでしょう。・・これで精神のバランスがたも保たれるわけです。
『人は常に客観的であれば悩まなくて済む』というのがここまでの結論ではありますが、人間は常に客観的であることなどできません。・・何故ならば、始めは客観であっても大脳主観脳がそれを受け入れ記憶してしまったら主観に変化していまうからであります。・・またいつか主観的になって悩まなくてはいけないときが必ず訪れるのです。
本題から少しそれますが、欲望のプロセスもよく似ています。・・「世の中ゼニやぁ〜」なんて主観的になってしまうといつまで経っても金で、満たされることはありません。・・『人間の欲望は限りない』なんて誰かが言ってましたが、これは間違いです。・・少し考えを変えてやれば、欲望はある程度の範囲で収まります。・・・『愛』も同じではないでしょうか?。・・あまり愛にこだわりすぎると、いつまで経っても愛に飢えた状態になってしまいます。・・(誰か私に愛をくれませんでしょうか)・・独り言です。
そこで本題に戻ろうかと思うのですが、私は脳に関する文献を何冊も読みました(実際は2冊です)。・・その結果『大脳主観脳』というのはありましたが、客観脳などというものは全く見当たらないのです。・・・では『客観』とはいったいなんぞや?・・・そんなわけで、私は『客観の追求』の考察を始めようと思うのであります。
|