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日本を代表する哲学者、西田喜多朗郎氏はその著書『善の研究』において、釈迦もキリストも優れた客観力の持ち主であったに違いないと述べています。
そこで客観力とは何ぞや?ということになるわけですが物事を客観的に見て判断し行動する力の事である。・・物事を一方からではなく多方から、視線が多ければ多いほど客観力があると言えます。
適当な例が思いつきませんが今瞬間的に思いついた例は、1万円と1千円とどちらが価値があるのか?、答えは言うまでもない・・しかし金持ちの1万円と貧乏人の千円ではどうでしょう。・・同じお金でも持つ人によって価値は違ってくる事は分かると思います。
優れた客観力の持ち主とは、今まで誰も思いつかなかった事を思いつく人だったりしますが、それでは単なる発想力でありアイデアマンにすぎません。・・直感と客観を同じだという人もいますが、客観の方がもっと深くて広いものだと思います。
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『自我の研究』
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死後の世界は有るのか無いのか?結論から申しますと死後の世界は有ります。・・そんなものは無いと反論する人がいたらそれを科学的に証明してもらいたいものです。・・少なくとも生命が何か解らない限りは死後の世界も否定できないと私は考えます。・・もし仮にそれが無かったとしても無いという世界が有るのだから有ると言う事になります。・・・ここまで来ると屁理屈になつてしまいますね。
ヘラクレイトスは言った。・・万物は流転すると、・・流転とはいったいどういう意味でしょうか?、つねに変化しているというのが一般的な解釈ですが、私の解釈では例えば、陰と陽、正と不、生と死が少しずつ入れ替わって行くということです。
人は生まれて来て歳をとってやがて死に至りますが、見方を変えれば人間の成長は時と共に生と死が少しずつ入れ替わりながら進んで行くのです。
なぜ我々はご飯を食べてうんこをしなければならないのでしょう?。・・これも万物流転の大原則に則ているからなんでしょうね。
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心は理想を求めるのに対し脳は現実にしがみつこうとする。・・理想とは浪漫であります、男は夢を求め女は現実を求める?、なんて昔はよく言ったものです。・・しかし、男でも女でも男性的な面と女性的をそれぞれが持ち合わせていますから、別に男女を差別しようという意図はありません。 |
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私は長年の研究によって自我とは主観であるという結論に至った。・・仏教の無我の境地の我も主観である。・・高い思想とは主観を徹底的に排除した思想だと思う。・・主観の排除した思想とはニヒズムである。・・即ち人生に意味は無い、残念。・・生きる事に意味は無く、死ぬ事にも意味は無く、争う事にも意味は無い、愛する事にも意味は無い。 |
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私が『自我の研究』などというマニアックな考察を始めようと思ったきっかけは、2年前のある出会いにあった。・・その出会いとは当時同じ職場で働いていたT氏27歳との出会いである。・・私はT氏より15歳も歳が上であったが休憩時間によく話しをした。・・聞くところによるとT氏には夢もやりたい事も無いと言う。・・夢ややりたい事はあったほうが良いと思うのだけど見つからないらしい。 |




