『自我の研究』

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 人間を2種類に分類すると、主観的に物事を考える『主観派』とその逆の『客観派』に分類する、そんな分け方もアリかと思います。・・さて、あなたはどっち?。
 
 続きは明後日ということで・・・。

 一つの問題に対しての答えは一つではない。・・ある問題にたいしてAという答えを見出したならばそれは主観と言えよう。・・・そして新たにBという答えを見出したならば、BはAに対して客観的と言えますし、AはBに対して客観的と言えます。
 
 しかし、これは単に客観的であって、真の客観ではない。・・真の客観とは、まだ導きだされていない答えを言うのであって、答えが導き出されると同時に広い意味では主観にすぎないと言えます。・・真の客観は無限にあるのだと考えます。
 
 科学で証明されたとか、科学的検地から捉えたなどと表現するといかにも客観的と混同されがちですが、主体がそれを受け入れた瞬間にそれは主観に変貌するのである。
 
 科学の進歩とは、客観を主観に変えてきたと言えなくもない。・・我々現代人は、科学の進歩によって大概のことが解ったと勘違いしがちであるが、解らないことは無限にあるということにもう一度目を向けるべきと考えます。・・科学の進歩と子供の成長はある部分とてもよく似ています。
 
 生まれたばかりの時は主観などありません。・・ほとんどが真の客観、即ちわからないことばかりです。・・それが月日が経過するごとにいろんな事を学んで行くうちに主観が占めるウエイトが大きくなるのですが、ある時期になると大概のことが分かったと勘違いし始める場合があります。

 現代社会の状態はこの勘違いの時期にあるのだと思う。・・真の客観は宇宙と同じで無限に広がっているのである。・・目に見えるものしか信じない、科学で証明されたことしか信じない、論理的に正しいものしか信じない、・・であってはならないと思う。・・これはなにも超常現象を信じろという意味ではありません。
 
 もう少し論理とか科学ではなくて、目に見えないもの、説明のつかないもの・・に意識を向ける方が人生をより豊かに人生を送れるのではないかと私は思う。
 
 

 言行不一致とは、言っている事とやってる事が違う事ですが、そんなことは誰にだってありがちなことです。・・・しかし問題なのは当の本人が自覚していないことです。・・何故そうなのか考えたところ、主観と客観がかけ離れているのが原因の一つに挙げられます。
 
 意識の自分と他者から見た自分は別人であったり、自分の未来予測と結果が違いすぎるといったことが多々起こるという人は、『言行不一致人間』です。・・例えば、タバコをやめると思っても止められない。・・貯金しようと思っていても出来ないなど・・。
 
 言行不一致人間でない人は始めから出来もしないことはしません。・・・これは最初からあきらめるのと違って、自分の能力で出来る事できないこと区別できると言う意味です。
 
 私もじつは言行不一致人間ですから、それを治すにはどうすればよいのか考えますした。・・そこで先に述べました『主観と客観がかけ離れている』のなら『主観を抑制』すればよいのではないのか?と考えたのです。
 
 結果、自分のいろんなことが分かってきました。・・そして自分の未来予測と結果がある程度一致するようにもなりました。・・まだまだこれからではありますが・・・。だだこれは自分だけの問題ではなく、今の世の中には『言行不一致人間』が多いのではないかと思います。
 
 主観の抑制、即ち自我の抑制です。・・自我の抑制と言えば『仏教』です。・・現代社会に足りないものだと思います。・・どうも最近の日本は、西洋の野蛮人の思想に偏っているように思います。だから主観が強くなって理屈っぽくなるんでしょう。

あ、私も充分主観的で理屈っぽいって今気が付いてしまった・・・。

 私の祖父は比較的信仰熱心でしたので小さい頃からお寺に行かされましたので仏教には慣れ親しんでいます。・・と言ってもまだ子供ですから「良い行いをすれば天国行くが、悪いことをすれば地獄におちる」っていう程度しか理解できません。
 
 それにしたも仏教画に描かれている天国っていうのはなんて退屈なところ?って子供心に思っていました。・・お釈迦様が中央にいて、蓮の花が咲いていて、蓮の葉の上に座って一日中ボーっとしているんです。・・だいたい天国にはテレビもないのか?。・・天国なんて行きたくもない。
 
 話が横道にそれそうですが、『仏教の本来は欲望の抑制である』・・疑問に思ったのは「欲を抑えて何が良いことあるの?」である。・・大晦日に除夜の鐘を108回鳴らすのは、人間には108種類の欲望があって・・・・・それでなんか好い事あるんかい?
 
 好い事を求める即ち欲望であるからして・・・子供心に考え込んでしまいました。・・しかし最近になってなんとなく解るようになりました。・・それは欲望を抑えれば好い事も無いけど悪い事も無いということです。・・これ即ち良いことなのかもしれませんね。
 
 ここで考えなくてはいけないのは、例えば「物が豊かで便利で刺激的だけれども、殺人や略奪が起こる社会に住むのと、何も無くて不便で退屈だが殺人や略奪が起きない社会では、・・自分ならどっちの社会に住みたいのか?」ということです。・・
 
 今の自分なら前者を選んでしまいます。・・皆さんならどっちでしょう?。・・きっと皆が後者を選択するようにならなければ、平和など無いのかもしれません。
 
 『世界全体が幸福にならない限り、個人の幸福はありえない』・・・宮沢賢治の言葉

 夏目漱石が晩年に言った言葉とされていますが、「天に則し私を去る」そのまんまです。・・この場合の『私』とは英語でいう『I』のことで西洋人や現代の日本人がいう『私』である。・・それを『西洋近代的自我』というらしいのですが、それは意識の世界、脳みそが想像した『私』です。
 
 『無我の境地』の『我』がそれにあたります。・・・『我』にも『小我』と『大我』に分けられますが、一般的に使われる『私』とは『小我』のことです。
 
 「私を去る」は意識の世界の自分を棄てて普遍的な自分に帰還するという意味ではないかと思うのです。・・最近の若い人は『自分探し』などと言いますが、年寄りには耳障りな言葉です。・・私は年寄りではありませんからそれはどではありませんが・・・。
 
 「ちっぽけな自分なんてすてちゃいなよ」って夏目漱石も言いたかったのに違いない。・・そしたらきっと好いことあるんですよきっと・・。


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