『自我の研究』

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 両者とも自分で自分の命を絶つ行為には変わりはないのですが、自我の観点から考えると大きな違いがあると思うのである。
 
 切腹の方は自分より大切なものを守るための行為であるのに対し、首吊りの方は、なんらかの事情でこの世からオサラバしたいが為に行う、いわゆる自分自身の為の行為である。
 
 逆に考えれば、昔のお侍さんは自分が小さくて、現代人は自分が大きいと考えられないでしょうか?。・・毎年、自殺者が3万人に達する日本社会ですが、自分(自我)をポイと捨ててしまえば別に死なずとも生きていられるのではないのか?と素人考えで思うのであります。
 
 昔の人と比べて現代社会の人間は間違いなく自我が大きい(強い)。・・それが今日の日本社会の社会悪と呼ばれる現象の一要因ではないのか?と考えます。・・コミュニティの崩壊や個人主義が横行する社会において、何故『自我』が大きくなってしまったのか考えてみる必要があると思います。

 例えばここに一つのりんごがあるとしよう。・・花子さんがこのりんごは美味しそうと思えばそれは花子さんの主観である。・・そして、他の誰かもこのりんごは美味しそうと思えば、そこに客観性が加わるわけであるが、誰もがそのりんごは美味しそうと思えばそれは、集団的主観にすぎないのである。
 
 一般的に考えると、美味しいかそうでないかは食べてみないと分からないと考えるのが客観的なものの見方やとらえ方であると思うのですが、これはあくまでも私の客観的主観であります。
 
 厳密に考えると人間が人間であって自我を持った立場からいくら客観的にものごとをとらえようとしてもそれは主観にすぎないのかもしれませんね。

『自我の研究』〜魂〜

 私はどちらかと言えば、魂の存在を信じるほうかもしれません。・・たぶんそれは生命の源と言ったほうが良いと思います。・・それはきっとすべての生命に共通してあるものなのでしょう。・・
 
 生命が誕生すると同時に、その生命体に宿るものなのかは分かりませんが、生命が誕生する為にはなんらかの力が働いたと考えると、その何らかの力は既に存在していたと考えるほうが自然でしょう。
 
 魂にとっての生命体とは、ヤドカリの宿のようなものであると私は考えます。・・私の魂は、私と言う人間の体の宿をお借りしているだけなのかのしれません。・・なぜ人間だったのか?、なんらかの因果関係があってか、単なる偶然なのかはわかりません。
 
 今ここにいる『私』という存在は、人間として生まれ育って、人体という五感を感じるセンサーとその情報を処理する為の他の動物よりも優れた脳という有次元の映像を映し出す映写機を手に入れたからにすぎないのかもしれません。
 
 人間には自我がありますが、それは単なる自分と他を区別する能力にすぎないとは考えられないでしょうか?。・・自分と他を区別する作業は脳で行われていると考えれば、もう少し脳が弱ければ自分と他を区別することすら出来ないことになります。
 
 魂にはきっと喜怒哀楽があるのだと思います。・・したがって野に咲く花にも喜怒哀楽があると考えられますが、残念な事に彼らにはそれを表現するすべが無いのだと思います。・・痛みを感じるセンサーもないのです。・・犬や猫の魂もきっと笑うのだと思いますが笑いを表現する高度な脳が無いだけなのかもしれません。
 
 魂には自分と他を区別する能力がありません。・・そして意思(本能)はあっても意識は無いと考えられます。・・それは、それぞれが個々の生命に宿るものなのか、なんらかの形でつながっているのかはわかりませんが、自分と他を区別する能力が無い魂にとっては、そんなことはどうでも良いことなのでしょう。

 私の持っている哲学書(まんが哲学入門)には、おもに西洋の思想は『自我』を中心とするのに対し、東洋の思想は『無我の境地』を重視する点に大きな違いがあると述べています。
 
 自我とは人が生まれてから今日まで生きてきた経験によって作り出された既成概念にすぎないと私は思う。・・よって既成概念の上に構築された論理など決して完結することはない。・・『国家の品格』の藤原氏の言う「論理は行きづまる」というのは西洋の論理であります。・・そして行きづまった先が『バカの壁』ではないでしょうか?。
 
 それに対し、東洋の『無我の境地』の『無我』とは、自我が無いことである。・・即ち『既成概念』が存在しない思想である。・・更に言うと、自と他を区別しない物の見方、考え方であります。・・この思想を持ってすれば、論理の完結も可能ではないのか、そして『バカの壁』もある程度は破れるのだと思います。
 
 日本を代表する思想家の『鈴木大拙』氏も西洋の思想には限界があるとも述べています。

 戦後、高度成長期を経て我々日本人の自我は間違いなく強く、もしくは大きくなっていると思う。・・自我が強いと言うのは、主観が強いものの考え方や見方に偏る、いわゆる欧米型の思想であります。
 
 『灯台下暗し』という表現がぴったり当てはまると思うのですが、相手の事は良く見えるが自分の事はまるっきり見えていない状況に陥り易いと考えます。
 
 日本人男性は昔から『我』が強かったと考えられるが、最近は女性も『我』が強くなりましたから、『我』と『我』のぶつかり合うとあまり良い結果にならないのは当然でしょうね。


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