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私の『対比世界の考察』を『客観学』と命名することにした。・・・それは主観と常に対比した考えを追及するものである。・・・いわゆる究極の天邪鬼と言っても良いだろう。・・・言い換えれば『天邪鬼道』と言っても良い。
しかしてその目的はたんたるや?、それをこれから極力解かりやすく論理的に説明したい。・・・『主』と『客』は、一見すると対比しているかのように見えるが、実際は少しずつ入れ替わっているのである。・・・善と悪も同じである。
ヘラクレイトスは言った、『万物は流転』すると・・・さすがのヘラクレイトスも自分まで『流転』するとは思わなかったからなのだろう。・・・なぜならば、目が回るからである。・・ここ笑うとこよ。
冗談はさておき、・・あちらの宗教では人間は神が創造したと考えるからして、人間は変わってはいけないのである。・・・それに対し、大和の国では『諸行無常』という言葉があるが、さすがの『諸行無常』も『仏』まで変わるとは思うまい。・・・
であるからして、人間の脳、即ち、ものの考え方や見方も少しずつ『主』と『客』が入れ替わらなければならないことが判明した。・・・然るに、人間の凡人の脳というのはそれを拒む。・・・そのもっともたる原因は人間の肥大化しすぎた脳にある。・・・私はそれを腐った脳と呼ぶ。
人間の脳は他の生き物より大きいがゆえに、記憶容量が大きい。そのために、その記憶力によって概念が固定化されやすいことも判明した。・・・・現在、全世界で起こっている様々な問題の原点がそこにあるのである。
そこで、『主』には『客』を、『客』には『主』の刺激を与えることで、世界は自然なあるべき姿になるのである。
現在の主観化されてしまった文明社会に必要なのは『客』であろうことは疑う余地もないだろう。
『目にはケツを、歯にもケツを』でなければならない〜貧乏人が愛した哲学〜
オシ、マイケル?
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