『精神世界の探求』

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 金縛りの経験をお持ちの方は多いのではないかと思いますが、私も中学生ぐらいから何度かか経験しています。・・一番恐ろしかったのは20代半ば、会社の寮で昼ねをしていたらドアが開いて人の気配して、それが私の上に覆いかぶさって来るのですが、逃れようとしても体が動きません。・・その時はまさしく金縛りにヤラレタという感じでした。・・情けないやら、悔しいやら、恥ずかしいやら・・。
 金縛りは疲れた時に遭遇すると言いますが、私の場合は疲れていようがそうでなかろうが遭遇するときは遭遇するのです。・・そんな金縛りも回を重ねるごとに慣れっこになって、遭遇したときは冷静に通り過ぎるのを待つ事が出来るようになります。
 ところで金縛りとは何なのか、私は最近行き場を失った魂がその人に乗り移る時に生じる現象ではないかと考えています。・・霊が乗り移ると言うと嫌な印象がありますが、私は乗り移りを肯定的に捉えています。いわゆる魂が大きくなるということです。・・脳は自分を固体として認識していますが魂はいくつかの魂の集合体であり、その数が多ければ多いほど魂が大きいというわけです。
 そんな私も最近は金縛りとご無沙汰していますので、そろそろあっても良いのではないかと思う今日この頃です。

 私が以前働いていた工場に高瀬という班長がいました。・・歳は36歳、身長は高く一見してぶ男のようだが目はほっそりと優しい感じでした。・・慣れない職場で借りてきた猫のように心細くしている私に「どうですか?やりにくい箇所があれば言ってください」と優しく話しかけてくれました。・・その態度は一年以上経過した後でも変わる事はありませんでした。
 それからしばらくして私がその職場を去る際、今までぶっちゃけた話もする機会も無かった高瀬班長に聞いてみたい事があった。・・「高橋さんはきっと虫も殺せないんじゃないですか」、「そうですね、どちらかと言えば虫は嫌いですが殺しませんね」と高橋班長は答えました。・・私は更に「お若いのに相当苦労して来ているように見えるが、いかがかな?」と水戸のご老公のように聞いてみた、高橋さんは首をかしげて「どうでしょうか?」と言葉を濁した・・私はすかさず「ではスポーツは?」、「学生時代はラグビーをやってました」、「相当しごかれたんじゃないですか?」、「相当やられましたね(苦笑)」。
 会話はこれだけではなかったが、私はかなり高橋さんの事を言い当てたらしく彼は少し驚いた様子でした。・・私は最近、苦労して心が育った人の優しさが、そうでない人の上辺だけの優しさとの違いがなんとなくではあるが判るような気がするのです。

 先日、相対性理論についての本を読んでいたら、『正の世界、不の世界』という記載がありました。・・私は直感的に正の世界とは物質の世界であり、不の世界と精神世界のことだと感じました。・・そして更に、正でも不でもない世界があるらしい、いわゆるゼロの世界ですが、それが生命世界だと思う。・・生命は物質と精神で成り立っています。
 ヘラクレイトスは『万物は流転する』と言いました、日本では『形あるものは必ず壊れる』という意味の言葉があります。・・この言葉を大きく解釈すると『全てのものは生きている』と言っても過言ではないと思います。
 『流転』とは、正の世界と不の世界がすこしずつ入れ替わる事だと私は解釈しています。・・宇宙の全てのものがそのようになっています。・・時の流れも同じです。・・現在、過去、未来が少しずつ入れ替わることで時は流れていくのです。
 我々がご飯を食べてウンコをするのも体の中のものを少しずつ入れ替えるためでしょう。・・では何故そのようにしなければならないのかとても疑問ですが、きっと永遠に存在する為にではないかと思います。・・本日の考察終了。

 人間は主観的に生きると何処かで行きづまります。・・それがバチなのでしょう。・・私の場合はバブル期にとても主観的だったせいでお金に困ってしまいました。・・お金に困るのはまだましな方で、人間関係を悪くしてしまったり、病気になったり災害に遭う事もあります。
 
 きっと神様は主観が嫌いなんです。・・ひどい目に遭った人はよく「なんで俺がこんな目に遭わなければいけないのか?何も悪いことしてないのに・・」などと言いますが、それこそが主観的というのです・・『人は皆、罪人』なのです。・・この言葉を広く解釈すれば『主観を抑制せよ』ではないかと思うのです。・・ちなみに私は何も悪いことはしていませんが、おまわりさんを見るとつい逃げたくなります。・・本日の考察終了。

 私はある時、マイナスの平方根(虚数)からヒントを得て、マイナスの愛の形もあって良いと思った。・・そしてマイナスの愛こそが精神世界の愛であり、あの世の愛、神の愛ではないかと直感した。
 特定の宗教を信仰している人は、人間は神に愛されていると主観的に思っているようであるが、神の愛はマイナスの愛であって、即ち神の愛を多く受けている人間ほど過酷な生涯を送らなければならないのである。・・それを試練というのかもしれません。
 基督は我々人間の罪を背負って代わりに十字架にかけられたなどと主観的に考えてしまうのは軽率だと思う。・・『目の前に道が二本あったら厳しい方を選べ』と言う人もいますが、いばらの冠はいばらの道を意味するものだと客観的に思う。

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