『精神世界の探求』

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 今の暮らしは決して楽な暮らしではない、しかし私はあえてそれを選んだ。・・それが心が求めるものだと思ったからである。・・脳は楽や贅沢を望むのに対し、心は苦労と質素な暮らしを望むのだと思う。
 私は、20代後半から30代前半にかけてとても主観的に生きた、そして行きづまった。・・自分を責め自己嫌悪に陥った時期もあったが、それと同時に自分の中に何かが芽生えたのだと思う。・・あれから10年、私のそれは大きく成長している。・・そしてそれは私を懲らしめる事がとても好きなようだ。・・それが私である。

 私は最近ふと『閃き』で生きてみようと思った。・・何故そんな事を思ったのかと言えばそれは『閃き』である。・・私はある時、『客観』こそが『真の心』ではないかと思った。・・そして常に客観に目を向ける事で『真の心』にたどり着けるはずだと仮説した。・・しかし、私が私である以上『真の客観』であるはずがないと思う。・・なぜならばそこに主観が入るからである。・・真の客観は閃きにおいて他は無いと思う。
 
 私はこれまでに数え切れないほどの『閃き』を感じて来たに違いない。・・しかし、並大抵の人間である私はそれを主観によって排除してきたのだと思う。・・『閃き』こそが『真の心』であり『神の声』に違いない。・・『閃き』に従って生きよう、そしてその行き着く果てがたとえ死であっても私はかまわないと思う。・・だぶん神は私を簡単に殺しはしないはずだと日々実感している。

 私は最近、自分が今起こした行動、もしくはこれから起こそうとする行動が心に従ったものなのか脳に従ったものなのか考えるようになりました。・・心と脳は別であって、心の性質、脳の性質が理解出来ればそれは容易だと思います。
 
 なるべくなら心に従って生きたいと思っている私ですが、現在の日本社会は心に従って生きるのは非常に難しい社会ではないかと思います。

 松尾芭蕉や西行法師、山頭火、親鸞、仏陀も旅をしたそうですが、放浪癖といえば私は『山下清』や『ふうてんの寅さん』が思い浮かびます。・・普通の人ならこの両者の事をバカかも知れないが純粋で心が綺麗な人だと思うでしょう。・・私は前回、誰の心も同じで綺麗であると書きましたが、心に従って生きている人ははたから見て心が綺麗という風に見えるのだと思います。・・そして心に従うと放浪癖になるのです。
 
 脳は居心地の良い場所だと思うとそこにとどまろうとするのに対し、心は常に見知らぬ場所を求めるます。・・したがって住めば都というのは間違いなのかもしれません。・・人間生きているうちには何度かふと旅に出たいと思う時があると思いますが、それはきっと心の声なのでしょう。
 
 かと言っても、家のローンや教育費なんかに追われてあくせく働いている人はきっと心の声に耳を傾ける余裕もへったくれも無いのかもしれません。・・ところで『へったくれ』ってどういう意味でしょうか、教えてケレ?。

 人それぞれ考え方は違うのかもしれませんが、心は同じだと思うのです。・・そして誰の心も美しい。・・ただ、強い弱いはあります。・・大きい小さいもあるかもしれません。・・広い狭いはきっと、どのくらい自分の心を見る事が出来るかで変わってくるのだと思います。
 
 現代社会においては自分の真の心を見る事は難しいのかもしれません。・・禅風に表現すると『煩悩の雲』にさえぎられているからだとか・・・。その『煩悩の雲』の正体は『主観』ではないかと最近思うのです。・・本日の考察終了


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