全体表示

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

ひかりにふれるすね。

家のことを自分でやらないといけない。
 
残業と夜勤でようやく人並みの生活が送れる長時間、不規則労働者であるから、家事なんぞやっている時間があるのか・・。
 
そんな懸念があったのだけど、やってみると意外や意外、自分の中の眠れる主婦が眼を醒まし、何だったら以前より家は綺麗になり、洗濯物も靴下がない!作業着洗ってない!なんて事態は起こらず、食事も外食に頼らず以前よりバランスいい感じで摂れてたりして、あれ?むしろ生活向上したんじゃね?簡単じゃん、主婦wwみたいな感じで拍子抜け。何でもやってみないと分からないもんだね。休みの過ごし方に気を遣う必要もなければ、生活音に気を遣う必要もない。給料も自由。ある程度の自制心さえ持てばこれって凄く快適なんじゃ・・。
 
そんな感じで、独りで生きていく自信が日に日に深まっていく。
 
随分長いあいだ旅に出ていた自分が、帰ってきた感じすら。
 
相も変わらず何かがおかしい2015継続中で、細かい不幸不運はあるものの、これからやれることの楽しみが勝っているのか、不運慣れしたのか、もうあまり気にならない。これが人生の膿なら、ここで出切っちゃえくらいに思う。
 
5月に起こった出来事で負った傷は恐らく一生癒えることはないのだろうから、治るまで動かないなんてことしてたら、一生動けない。多少の障害は人生のアクセントだ。それを踏まえてやれることをやればいい。
 
一度躓いてコケたからって、怖くて動けないなんてのは、死んだも同じ。
 
さて、逆に渡るで泪橋。
 
イメージ 1
 
 
「光にふれる」   2012年  香港・台湾・中国  監督 チャン・ロンジー
 
ピアニストを志す盲目の大学生。
 
生活に押しつぶされそうになりながらも、ダンサーを夢見るフリーターの女の子。
 
偶然に触れ合った彼らは、お互いを心の支えに夢に向かう。
 
とても爽やかで良いお話。
 
目が見えないという想像もつかない障害を持ちながらも、人生をすねることなく謙虚に生きる主人公が素晴らしい。
 
毎日何かにぶつかり、躓き、哀れみの目、蔑みの目、好奇の目などに晒され生きる彼の日常。
 
そんなものに比べれば、自分の遭った事件、悪意など物の数にも入らない。
 
彼自身が光となり、また周りの人が彼の光となり、本当にこんな世界あるのかな・・と人間不信の今の僕には信じ難い美しい世界。
 
こういう世界観に最近弱い・・ものすごく憧れる。
 
白を基調とした美しい映像も見所かと。
 
善哉。
 
そう思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここまで晴れるか?ってくらい快晴のある日の午後。
 
さるローカル駅の前で人と待ち合わせ。いろんなところいい加減なくせに時間に関しては体育会系なものだから、この日も待ち合わせの時間よりかなり早めに着いてしまった。
 
どこかタバコを喫める場所はないものかと周囲を見回すが、それらしいところが見当たらない。春の終わりころから約10年振りに再開した喫煙だけど、喫煙を取り囲む環境の変化に吃驚した。兎に角喫煙出来る場所が異状に少ないのである。
 
しょうがないので、目の前にあったコーヒーチェーン店に入り、飲みたくもないコーヒーを頼み一服の涼とタバコ。
 
むぅまだかなり時間あるな・・。どうしたものか・・。と思いつつ斜め前のテーブル席に座るカップルと思しき二人を見るとはなしに見る。
 
男の方は真面目そうな大学生風。女の方は茶髪の少しポッチャリ。
 
男が何事か楽しげに浮ついた感じで懸命に話をしている。それに女は適当に相槌を打ちつつスマホを操作している。
 
そうこうするうち、自分の話よりスマホに夢中の女に疲れたように、男のテンションが下がっていくのが目に見えて分かる。女は目の前の男のそんな傍目にも分かりやすい変化にも気づかずスマホに夢中。
 
数分後、男がついに黙って、視線をやや斜め下に脱力。
 
それでも女はスマホで何事か文章を打つ操作をし続ける。
 
最近、よくいるよな、こういう人。
 
こういった人は何を求めてるんだろう。
 
目の前に人がいるのに、スマホの中の人とのやり取りに夢中。
 
相対する人には不遜に接し、スマホのなかで愛想。
 
世界から目を離してスマホに没頭している隙にその人の望まぬ世界が構築されていってる気がする。
 
ふと気づきスマホから目を上げたときには、もういろいろ手遅れ。
 
そんなことになりそうな気がする。
 
生きているといろいろマンネリしてきて、見飽きた景色、見飽きた顔、そんなものに興味がなくなっていくのはわかるけど、そういうものほど、観察を欠かしてはいけない。微細な変化に気づけるのも、日頃のしっかりした観察があってこそ。
 
僕は最近、観察を怠たった為に、いや変化に気づいていなかった訳ではないけど、一過性のものだろうと高をくくって何の手も打たなかったことで、どエライ目に遭った。
 
眼前の世界を無視し続けると、いつか仕返しをくらう。
 
LINEだかメールだか通販だか知らないが、目の前に広がる世界を無視してバーチャルなスマホのなかに埋没する女よ、向かいに座る男に気がないのかもしれないし、話がつまらないのかもしれないが、それならそれなりにそいつと向き合わないと、きっといつか世界に仕返しされるぞ。
 
ネットの中なんてほんのオマケで、どこまでも大事にすべきは目の前の世界、現実。
 
見るべきもの、聞くべき音、味、匂い、手触り。
 
と言いつつ、私も先月スマホの使いすぎで通信制限かかったけど。
 
目を逸らしたいのかな、現実から。
 
 
イメージ 1
 
「天才スピヴェット」  2013年  フランス/カナダ  監督 ジャン・ピエール・ジュネ
 
僅か10歳にして、何やら永久運動をする機械を実際には永久というわけではないけど、かなりイイ線行ってる機械を発明した科学の天才少年が主人公。
 
この少年、弟の死に対するトラウマを持っていて、どこか影がある。
 
このトラウマが彼を突き動かし、ある行動に出る。みたいな話。
 
発明とかする人はこういうものかな?それとも子どもの純粋な好奇心からなのかな?身近なあれこれのデータを収集して統計、そこに自分の考えを当てはめ、なにがしかの答えを得てそれをまた検証していく。それが彼の遊び。
 
すごく世界をよく見ている。
 
彼を見ていると、自分の周りのほんの少しの範囲だけでも自分には世界は広すぎる、自分の周りのことでさえ知らないことばかりだと妙な焦りを感じる。
 
通信制限かかってる場合じゃないよ。
 
もっと世界をよく観察しないと。
 
善哉。
 
そう思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
何も顔ばかりではなく、心にもスッピンというものがあって、
 
本性、性根などといわれるものが近いだろうか。本音なんかも入れてもいいかもしれない。
 
この心のスッピンというものを見てからでないと、人は信用できないな。ということを最近、いい年して学んだ。
 
人は基本的には他人に好もしい印象を与えたいと思うから、人と接する時、心に化粧する。
 
この化粧は、女性の顔面に施すそれと似ていて、年を経れば経るほど厚く濃くなる。
 
若いときから化粧をしている人ほど、たくさんの嘘という化粧品がそれはもう品数豊富に揃っていく。
 
人によってこのメイクが剥がれ落ちるタイミングはそれぞれ。
 
酒に酔ったとき、怒ったとき、苦境に陥ったとき、大切なものを失ったとき、
 
兎に角、周りが見えなくなるほどの何かに直面したとき、本性が顔を出す。
 
最近、この本性を見る機会に何度か恵まれて、恵まれたくなかったけど、恵まれて良かったような複雑な気分だけど、良かったと思うように今のところはしている。
 
一人は会社の人間だけれども、他人に教えるのが苦手な僕なりに、一応お金も貰っていることだから、それなりに教えるということに真摯に取り組んでいたのだけど、親の心子知らず。ある日会社の飲み会で酔った教え子が、「お前の教え方な〜あれな〜」とどえらく上から目線でクレーム。挙句「こいつ3人人殺しとんねん、ギャッハッ八」とスナックのネェちゃんに喚く。・・・頼む、いじるなら面白くしてくれよ・・全然おもんない・・俺が滑ったみたいなってるやん・・。てか4人目お前やな。普段は慇懃な印象を与えるそいつのスッピンに唖然。お前相当厚化粧やな・・。と。
 
まぁこれは、別にどうってことのない本性、本音で、こいつがどう思おうが、仕事場で自分は自分のやることをやるというスタンスに何の影響もない。僕の教え方が気に入らないなら、お金を払って別の先生を探せばいい。お金をもらいながら習っているというのに、教え方を云々するというのは根本が違わないか?と思うのだけど。正直その時期、他人のことどころじゃなかったので、僕もスッピンが出てしまっていたのかも知れないけれども。
 
もう一つは、これ痛恨の極みで、一番身近にいる人間のスッピンを長きにおいて知らなかった。
メイクをそんなにする人間ではないと思っていた。してもちょっとファンデーション、くらいのことで、スッピンとそんなに違わないと思っていた。ところが、ある事件をきっかけに見たスッピンはゾッと寒気がするほど深い闇を感じさせる醜悪なもの。
僕は大抵の素顔には驚かない自信があったが、ここまで違うと流石に驚きを隠せなかった。膝の力抜けたもんねマジでwww
そして、僕らの関係はあっという間に崩壊破綻したのだけど、それでもまだ一生懸命嘘化粧を施している。
メイク無しでいつか外に出られるようになればいいね。そう願うけど、今のままでは恐らく一生涯無理だろう。
今回のことを周りにはどんな化粧を施して説明しているのだろう。話す相手によって化粧を変え、随分厚塗りで話しているんだろうな。もうどうでもいいけど。
 
そういう僕も会社なんかには随分ガッツリメイクで行ってたりするから、他人のことは言えない。
 
だって、スッピンなんかで行ったらすぐ馘首になっちゃうよ。
 
常識って何だか普段は息苦しい響きで、好かないけど、それを隠れ蓑に随分恩恵を受けてるんだな。
 
そういう人たくさんいるんじゃないですかね、ほら、汚職する政治家とか痴漢する警察官とか盗撮する先生とか。
 
イメージ 1
 
「さよなら歌舞伎町」   2014年  日本  監督 廣木隆一
 
欲とか夢とかお金とかそういうものは、人がたくさん集まるところには当たり前だけどたくさんあって、
 
それらを叶えるために、人がたくさん集まる所に行って、
 
でも、そこでは、本来の自分では相手にされない可能性が大きい。
 
だから仮面を被る。
 
嘘の顔で他人と接し、自分の望む道を歩こうと目論む。
 
ある程度目的を達したならば、仮面を脱ぎ去り、その場所を離れる。
 
いつかそんな日を夢見て、嘘の顔で生き続ける。
 
そんな人たちの群像劇。
 
「ありの〜ままの〜」とかって歌が少し前にすごく売れたけど、
 
あれが共感を呼ぶってことは、皆誰しもありのままでは生きてない自覚があるんじゃないかな。
 
とか。
 
誰もこの作品の登場人物たちを愚かだと嗤うことはできないんじゃないかな。
 
善哉。
 
そう思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
善い人が、善い行いのままに善行報われて、幸せになる。
 
そんなお話が昔話なんかには溢れてます。
 
でもそれが本当なら、いちいち物語にして教える必要などなく、分かりきったことになっているはず。
 
しかし、実際の世の中はそうではない。悪いことをした方が簡単に儲かるし、単純に物理的なことではあるけど幸せになれる。
 
けれども、皆がそれを当たり前だと思い、他人に対して悪事を働くことに精を出したら、この世は破滅。
 
だから、ともすれば簡単に悪に流れる人間の心を善に留めるために、ごく稀な善い人が悪人に利用されることもなく、善い行いのままに幸せになった話をことさら大仰に伝える。
 
が、いわゆる美談それが人の心に残るということは、やはりそういう話は珍しいから。
 
人も物も物語も本当に美しいものは極僅か。
 
極僅かだからこそ、見つけたときは殊更美しいのかも。
 
明日も人に裏切られるかもしれない。騙されるかもしれない。
 
でも、善い人になりたいという、
 
願望が消えない。
 
本能?固定観念?洗脳?見栄?意地?もしくは意気地がないだけ?
 
当分遠回りは続きそうだけれども、人間いつだってどこでだって道の途中で死ぬ可能性のあることを思えば、後悔のない道を。善いと思える道を。
 
 
イメージ 1
 
「福福荘の福ちゃん」  2014年  日本  監督 藤田容介
 
これ主役が森三中の大島だったので、おナベか何かの役かと思いきや、普通にオッサンの役www
 
初めは少し馴染まなかったが、最後はもう完全にオッサンに見えたww
 
自分を強く持って、決して他人様に迷惑のかかる我欲や感情に流されない、己を良く知り、他人に対する思いやり深く、世間的に見れば孤独で単調で生きがいに欠けたように見える毎日、その中にも喜びを見出し強く楽しく生きる福ちゃんの生き様に感動。
 
善い人だ福ちゃん。
 
こういう人には本当に幸せになってもらいたい。
 
ラストシーン、これからの幸せを示唆するハッピーエンドで良かった。
 
善哉。
 
そう思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

ひぐらしのきすね。

小人閑居して不善を為す。

これは、ダメな奴は暇させるといらんことする。位の意味だと思うのだけど、

これ本当だと思う。

酒にハマる、不倫する、ギャンブルに狂う、などいうのは誰しも認めるところの極上の不善で、ダラダラ菓子を食う、いつまでも寝る、吊り上げ太郎なんて訳の分からぬ名前でいい加減なブログを書くなど、はしにも棒にもかからぬが確かに良いこととは言えない小さな不善、これ全て退屈が為さしめる業であることだなと思う。

ならば、忙しくすればいいのだけど、ダメな奴はやはりダメで、世の中からあまり需要がない。あるいは、他に使う予定もないのに、力も時間も出し惜しみする。結果、暇になる。また不善を為す、の悪循環。

立派な人というのは、やはり世の中からの需要が大きい、またその人自身も出来ることなら力も時間も出し惜しみなく使おうという意識が高いので、結果忙しくなる、不善を為す時間もない。

仮に立派な人を全部暇にして、ダメな奴を全部忙しくさせると世の中変わるだろうか。

良い方に向かうだろうか。

でもこれ、たった数十年程度の個人的な心許ない統計だけれども、ダメな奴ほど、口では「忙しい」を言い訳に使い様々な煩わしさを避け、ちゃんとした人ほど、忙しい中でも何とか時間作ろうとする。そんなイメージ。

そこのところもうちょっと詳しく?

ごめんまた今度ね、ちょっと今忙しい。


イメージ 1



「蜩ノ記」   2014年  日本  監督 小泉尭史

この作品は、役所広司が凄く良い。

役所広司に尽きると言ってもいいかもしれない。

十年後に切腹を命じられた武士の、腹の据わった生き様に、

最近ちょっとしたことで、死ぬほど落ち込んだ自分を恥じましたですよ。

これまでのこれからの、

自分を否応なく省みることに。

一日一日確かな手応えを感じて生きていけたら・・という劇中の台詞、

そんな風に生きられたらな。

できるかな?

だって最近なんだかんだ忙しいから・・。

善哉。

そう思いました。














よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事