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世の女性にとって結婚というのは、「永久就職」とか言ったりするみたいに、生きていくための経済活動という側面が小さくないのかもしれない。

最近よくテレビなどでも取り上げられる「婚活」。

ある日、テレビでその話題をやっていて、何気なく見た。オバハンが得意げに結婚相手の理想を話している。その条件を聞いていると、年収がいくらで、次男坊で、安定した職に就いていて、ギャンブルはしない、身長はどれくらい、顔は当然ハンサム。

みたいなことを、この世の終わり、ハルマゲドン、みたいな顔したオバはんが真面目に言っている。

仮に相手の条件が全て思惑通りに揃っていたとして、果たしてその人はこのオバハンを選ぶだろうか。まぁそこは、偶々拾った宝くじが5億円の当たりだったくらいの奇跡が起こって乗り越えたとして、それだけ条件の整った相手に見合うだけの「何か」をこのオバハンは提供できるのだろうか。相手に矢鱈と求めるが、お前は何ができるんだ。何も差し出すものがないのに、これだけの要求はしないだろう。もし何もないのに、これだけのものを求めているなら、モンスター婚活オバハン、モン活。

というより、そもそも結婚というのは、病めるときもまた健やかなるときもとか神父が言うように、どんなときでも支えあって良いことは勿論、苦難も伴にするというのが大前提で、こんな初手から安楽な生活のみを求めてくるような手ぶらのオバハンと誰が結婚するんだろう。

でも、まぁ夢を見る権利は誰にでもあるから、別段それを悪いとは思わないけど、アホだな。とは思う。もし知り合いにこんなオバハンがいたら、脳震盪を起こすくらい横っ面を張り倒して、「現実と鏡を見なさいっ!」とたしなめるのだけど。

でもまぁこれが、「婚活」と言わず「就活」だと言われれば、納得する。

それは誰でも良い会社に入りたいし、安定した雇用の元、のびのび働きたいだろう。誰しも願うこと。

しかし、そういうところに就職する人は、そういうところに就職するためにたくさんの時間をかけて、やりたいことも我慢して勉学に励み、ようやくそういったところに行けるのだ。

ところがオバハン、そういった頑張りのおこぼれにあずかる気しかないような、そして、それを労せず手に入れる権利が自分にはあると言わんばかりの口振り。どこをどう見たら彼のこれまでの頑張りの結果にそぐうだけの「何か」がオバハンにあるというのだ。せめて何か努力しろ。とか言ったら、「今、滅茶苦茶婚活サイトに登録したり、婚活パーティーに参加したりして超頑張ってるじゃないっ」とか言ってきそう。それは外面。まず内面。


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「わたしのハワイの歩き方」  2014年  日本  監督 前田弘二

会社の仕事でハワイに行ったら、いい感じの人と出会って、仕事放棄して遊び呆けて結果結婚しちゃった。

みたいな、普通の社会人が見たら、唖然とする内容の話。

登場人物は元々クセのある人間ばかりだったものが、それぞれが持つ妙な価値観をぶつけ合う間に、クセが少し矯正されていく感じはちょっとリアル。

セレブとの結婚を夢見る女。若い女に入れあげたオッサン。金目当ての女に疲れたセレブ。事業の成功を夢見るが視野の狭さで上手くいかない男。不倫に疲れて仕事にかこつけてハワイ取材に来た女。

皆、幸せだ。

その程度で深刻な顔して泣いたり怒ったり、

何だ、この映画。

と思ったりしたけど、

こういう人たち、いるんだろうな実際。とも。

そう思いました。












とらっしゅすね。

盲滅法生きていても、それなりの時間生きていると、物事のいろんな面が見えてきたりする。

そのことによって、これまで自分が思っていた正しさが、ただの一面だけのことであって、違う側面から見ると、そこにはまた別の、う〜んそうかもな・・そうなっちゃうか〜。みたいな正しさもあったりして、自分の立ち位置が覚束なくなったりする。

そうなると、物事を始める、あるいは誰かに意見する、なんどいう場面で、いまいち自分の行動言動に自信が持てなくて、動き出しが遅れる、あるいは緩慢、歯切れ悪い、みたいなことになる。

知らないときには信じられた自らの正当性が、長ずるに従い薄れていく。

自分は正しい。そう思うことから得られる力は絶大。

しかし、これ年々薄くなってくる。年取って薄くなってくるのは何も髪の毛や精力だけではないということか。

でもこれって劣化だろうか?

確かに力が衰えるということから見れば劣化に違いないけど、

物事のいろんな側面を考えることが出来るようになったという面から見れば、それは成長と言えるんじゃないか。

たくさんの面を見て、総合的にどうやら間違いない、という結果が得られれば、そこには若い頃の一面のみを見て得られた正当性より、もっと確かな正当性があるはず。

だと思うが、どうだろう?

でも、まだ見落としている面があるんじゃないか?

という疑り深さもまた、年取ることの弊害として生まれてたりして。

そんなことどうでもいいから、動けよ。

早く動けよ。

分かってるよ。

でも、正当性が。

本当にやっていいの?これ正しいの?

そもそも正しくなきゃいけないの?それは何故?

なんて考えがクラッシュ、あとに残る過去、時間の残骸、トラッシュ。

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「トラッシュ この街が輝く日まで」   2014年  イギリス/ブラジル  監督 スティーブン・ダルドリー

ゴミ山でゴミを拾って生計を立てる少年たち。

ある日、そのうちのひとりがゴミ山で、財布を拾う。

それは単に誰かの落とした財布というわけではなくて、

大きな組織の何やらマズイ証拠がそこには隠されていた。

少年たちはそこにある不正を若い敏感な感受性で感じ取り、核心に迫ろうと行動を開始する。

正当性は我に有り。きっと神様が守ってくれる。

少年とは思えぬ機知に富んだ計画と、少年ならではのましらのような身軽さで、次々に迫る危機を乗り越える。

正しい。と信じられた時、人が得られる力の大きさ。

最近何かと感じる力不足は、どうもこの辺に原因がある気がする。

などと。

善哉。

そう思いました。












ろまんすすね。

コインの裏表。

現在我々が日常使いおるコイン、硬貨は数字の書いてある方が裏で紋様のある方が表。

何だか逆のように思うけど、そういうことらしい。

これ、娑婆世間社会、人々が日々活動している表の世界にも同様の違和感を覚えたりする。

裏っかわでしかない数字の値を少しでも高く見せようと足掻く藻掻く。

そうしているうちに、表の紋様がぐちゃぐちゃに仕上がって、裏の数字を見て寄ってきた人にその無様で何の面白味もない紋様に呆れられ、結局、裏の数字の値が大きく下がる。

あるいは、紋様を仕上げることにのみ専心し、裏の数字に全く拘泥せず生きていると、人がさっぱり寄ってこず、気づけば孤高の一円玉。個人的にはとても好きな生き方で、格好良いと思うけど、なりたくない。

そう考えると、表も裏もそれなりに頑張らないといけない。のかもしれない。

会社なんかで、偉いさんと称される地位の高い人と話す事が稀にある。それは社会的に偉いのだから、数字の値は大きい。大きいのだけど、それに見合う紋様を期待して話してみると、数字にそぐうだけの紋様が皆一様に無かったりする。どころか桜とか期待して見てみると、毒キノコだったり、毛虫だったり。すごく綺麗で可愛い女性なども、数字の値は大きい。が話してみると、期待していた秋桜とか蘭などではなく、枯れ木とか造花だったりでその数字に見合うだけの紋様は無かったりする。人間の内面の充実と、社会的なそれが釣り合うことなどないというのは、重々理解しているのだけど、余りに大きな隔たりに数字など当てにならないと、そのまま同じなら、人を見る苦労などないのにと思ったりするけど、もし、全ての人間が見た目通りならば、それはそれで非道い混沌を招くだろうとも思う。

裏表のない人。などいう形容をたまに耳にするけど、そんなのはいない。と思う。表があれば必ず裏がある。

裏表がないと評される人は、裏と表が釣り合っているんだろうかな?

それとも、巧妙にどちらかだけを見せているのかな・・・怖っ。

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「ロマンス」  2015年  日本 監督 タナダユキ

ロマンスカーで社内販売の仕事をする主人公、ひょんなことで知り合った男に長く会わない母からの手紙を読まれ、行きがかり上何となく巻き込まれるように、母親探しの旅に出る。

誰の人生にもたくさんの思い出が貯蔵されていて、その思い出の地をトレースする旅は厭でも人を感傷的にさせる。

僕は一度行ったことのあるところには、もう一度行きたいとあまり思わないのだけど、

20代の頃に散々繰り返した貧乏旅行を懐かしく思い出して、もう一度あそこ行ってみたいな。とか。

劇中、男が百円玉を指で弾いて手の甲で受け、表か裏かでこれからの行動を決める。みたいなことをやっていて、この男、数字のある方が表だとずっと思っていたらしく、じゃあ今まで全部逆やってたの?みたいなシーンがあった。

これ見て、本当、そういうことある。

今だって、そうかもしれない。

表だ表だと思って拘っている自分が、

実は裏なのかも。

なんて。

善哉。

そう思いました。






ぐらすほっぱーすね。

以前さる人をお見舞いに病院に行ったとき、

折悪しく検査か何かで病室にいなかった。

しょうがないので少し待つかとその人のベッドサイドにあった椅子に腰掛け、ベッドに放り出してあったスポーツ新聞を手に取り、特に興味もない記事を目で追っていた。

何気なく隣のベッドを見ると、目に包帯を巻いた中年小肥りの男の人、傍らに娘と思われる小学生の低学年くらいと思しき女の子と、母親だろうと思われる女性。

女の子、無邪気にベッドの周りを駆け回り飛び跳ねる。危なっかしいな。なんて思っていたら、言わぬことはない、ビターンと音を立ててコケた。

それが、僕の座っていた目の前だったので、咄嗟に抱き起こし、大丈夫?と聞いた。

すると、娘、礼も言わず母親の元に駆けていき、その背中に隠れる。

母親が気を遣い、どうもすいません。ほら、ちゃんとお礼言いなさい。とか定型の展開。

いいんですよ。怪我なかったっすか?それよりちょっとお尋ねしたいんですけど、このベッドの人、どこ行ったんですかね?と話の接穂に聞いてみる。

さぁ・・ちょっと分かりませんけど・・。

そうですか。すいません。ここの人、大人しく入院してますか?と病人が帰ってきた時のネタ仕入れ。

母親、微苦笑で、そこの人、病室で隠れてタバコ吸ったり、ベッドの下にお酒隠したりしてよく怒られてますよ、次に何かやったら強制退院だって怒られてましたよ。ここで堪えきれなくなったのか声を出して笑う。

・・ぷぷ。アホや。ええコト聞いた。

少し打ち解け、先程から気になっていたことを聞いた。

あの・・ご主人は何のご病気で?と寝ているか起きているのか分からない旦那さんに気を遣って小声で。

ああ、糖尿病で失明してしまって・・それでもお酒を止めなくて・・もう・・本当に・・と涙声。

しまった・・。聞かでものことを聞いてしまった。ていうか、糖尿病って失明するんだな。

そこから、子供の将来、旦那の仕事、旦那の介護などこれからの心配を山盛り聞かされる。

大変だ。聞いているだけで、絶望に打ちのめされそうだ。

母親の周りで無邪気に遊ぶ娘を見て、危うく涙腺が決壊しそうになり、いたたまれなくなり、あぁもうこんな時間だ、行かないと・・なんて見え透いた嘘をついて病院を後にした。

見舞いに行ったのに、当人には会えずだ。

といった10年以上前の話の、あの日の娘さんがする、またはおそらくしたであろうことが、本当の苦労。彼女には何の非もない、オヤジが酒飲みだっただけ。

一方、ベッキーとかファンキーとかキヨとかノリPとかあの娘さんのオヤジがしたのは、苦労とは言わない。

だって、その前に楽しい思いしてるから。自分がしたいと思ってしたことの結果だから。事が発覚あるいは破れてドツボみたいな顔しているそういう人を何故か励ますやつがいるけど、あれっておかしくない?その影にたくさんのいわれのない被害者がいることを気遣わないと。

鬼借金した奴が、借金の返済をさも大変なことのように言うが、

それは勿論何に遣ったのかにもよるが、その借金が単に遊興費であったりした場合、いくら返済が苦しかろうと、それは苦労とは言わない。楽しんだことの当然の対価としての支払いをしているだけのこと。

苦労とは言わない。

そう考えると、自分も苦労なんてこれっぽっちもしてない。

そんな気がする。

でも、苦しいこともそれなりにあった、とも思う。

じゃああれは何だったんだろう。

どうしてだったんだLOW。

何が原因だったんだLOW。

LOWLOWLOW。

どんどん下へ下へ。

疑問が疑問を呼び、これまで割と明確に掴んだと思っていた答えまで疑わしくなってきて、

うわわ。侵食される。疑問の群れに侵食される。そないなことって、ありません?

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「グラスホッパー」   2015年  日本  監督 瀧本智行

婚約者が暴走した車に跳ねられ他界。

生きがいを失くし、茫然自失の日々を送る。

ある日、あれは仕組まれた事故だったと匿名のハガキ。

復讐のために、どこからか送り主も分からぬメッセージにすがり、調べろと言われた組織に潜入を試みる。

みたいな始まり。

様々な人間の思惑が交差し、それぞれの闇をぶつけ合う。

テンポよくて、少しみるつもりが、一気に観た。

善哉。

そう思いました。




















せかいのはてすね。

影の無い明るさは信じない。

無闇な明るさは、本来出来るはず、出来ているはずの影から人目を逸らさせる偽装、目くらましの弾幕。

でも、自分自身もそういう取り繕った明るさで人と接するようになっている気がする。

影の部分を悟られまいと、作り笑い。愛想笑い。思ってもない軽口。

写真補正と変わらん、厚化粧と変わらん。今人類で一番嫌いな(ちなみに去年までは、「図々しいオバハン」という人種が一番嫌いだった)嘘つきに自分がなってる。矛盾だな。阿呆だな。

光と影のコントラストで、素敵に見えるもの、たくさんあるじゃないか。というより、それこそ自然じゃん、自ずから然りじゃん。当たり前じゃん。そこに見えるものこそ個じゃん。世界の中での自分じゃん。立ち位置じゃん。存在じゃん。じゃんばるじゃん。

知っているのに、影を見せまいと、また、自らも見まいと目を背ける。そうして嘘で作った明るさで人と接する。

そんな風に暮らしていると、自分が分からなくなる。そうなっても影を見る勇気はないから、周りから思われている自分像で納得しようと思う。が、それも嘘の明るさが作った自分だから、それにも違和感。

イマイチ明度が上がってこない自分の気持ちがどうにも重苦しくて、

無理に明るくしようと、ほんの少し思った。ことがあった。最近。

それを無意味どころか、マイナスじゃわい。とたしなめてくれたのが、

この間読んだ本の、本編ではなく、解説にあった言葉。


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「世界の果て」   中村文則著。

すごく好きというわけではないけれど、書店を野良ついているとき、未読の物があれば手に取ってしまうくらいには好きな作家さん。

の、短篇集ですね。

抽象的な概念に形を与えて、物語を紡ぐ。

何だか夢の中のような抽象と具象が渾然となった、不思議な世界観。そしてこの人の作品はいつもそうだけど、薄暗いよりはもう少し暗いみたいな印象。

ぐぅ、想像力も知性も足りぬ僕には難解だわい。それでもついて行こうと難儀難読の末読了。

本編中ではないけど、一番腑に落ちた言葉が解説の中にあった。

「明るさは時に人を疎外することもある」という文言。

これ本当だな。

明るさに耐えられないことってあるよな。

とてもそんな心境じゃないってときに、ハイテンションの群れに呼びかけられたりしたら、あぁあそこには今入りたくないな・・。とか思ったりするもんな。

そのとき、そのハイテンションの群れの影は僕なのかもしれないな。

光を羨む影、影に気づかぬ光。

暗っ!

いいんです。無理に明るくしなくても。

影も、光に疲れた人を休ませることはできる。

そう思いました。












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