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あんびばれんつっっ。

コンビニのレジで店員に「205番ひとつ」と自らが嗜むタバコの棚番号を告げ、つりをは心中、懊悩していた。

止めたいのである。タバコなんてよしたいのである。

タバコをよせば、きっと今よりも寝起き爽快で、食欲も増し、薄らぼけている神経も少しは鋭敏になり、一日の健康に寄与するところは大きいと思う。

でも、タバコくらいはやっておかないと、頑健な身体は調子に乗って長生きしてしまう。

今日一日は、様々なものに視野広く、心大きくしかし繊細に接し、受けるべきは受け、出すべきは出し惜しみなく、やるにしてもやらないにしても悔いのない意義深い一日にしたい。それには健康でいることが基本だと思う。

それに反して、悪い頭の代償なのかなんなのか、やけに頑丈な身体は、何か身体に悪いことでもしないと長生きしてしまいそうだ。

今日一日は健康でいたいけど、長生きはしたくない。二律背反する感情に思考は行き場を失う。

酒を浴びるほど飲めば、それは大きく寿命を縮めるだろうけど、それは体質が受け付けない。ほろ酔い一本で激酔いのほぼ下戸であるから。一時期人生の壁にぶち当たり、どす黒い思考が蜷局を巻いて頭を占拠、ループしていた時期、あまりにも苦しくて、少し酒に逃げたことがある。その時期はいくら飲んでも酔わず眠れず、家系上代々続く酒豪の血がついに目覚めたかと思ったが、事態が鎮静を辿る過程に合わせるように、元の下戸に戻った。これでは身体に影響が出るほど、飲めやしない。百薬の長なんていって寧ろ長生を助長してしまうかもしれない。

早逝が目的ではない。今日は楽しくやりたいが長生きはしたくないのだ。

アホである。

言っていることの意味が分からない。

それは自分でも分かっているのだ。

だから苦しいのだ。この考えで突き進めば狂う。きっと狂う。

しかし、狂えない。

いっそ狂ってしまえば、楽なのだろうけど、長いあいだに染み付いた見栄、妙な社会性、こけそうでこけないバランス感覚、くだらない常識、狂ってしまう為に超えなければいけないハードルは思ったより高い。

それとも正常を保っているつもりで、実はもう狂ってしまっているのだろうか。

自分のことは自分では分からないが、他人からも自分という人間は分からない。

じゃあ自分自分と日頃思っている自分は何処に?

コギトエルゴスム。

本当か。それ。

そんなことを考えながら、仕事に向かう。

常識人の顔をして。


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「レイジングケイン」  1992年 アメリカ 監督 ブライアン・デ・パルマ

多重人格もののサスペンス。

過剰な演出が時代を感じさせる。

やりすぎ感が逆に新鮮でした。

この作中の多重人格の男のように、分裂した自我が記憶に残らず何かしでかすってのは、大変なことなのだろうけど、ちょっと羨望も感じたりして。都合よくていいななんて。

多重人格なんて強烈な逃げ道。

それに少しとはいえ羨望を感じるなんて、

逃げたいのか?

何から?

そんなことを。

そう思いました。





うちやま・・・すね。

どこまでも修羅道である。

拳闘の世界で人は、人間道に生まれながら、自ら進んで修羅となる。

修羅道ってのはそれはもう厳しくて、そこではそこにいる者全員を打ち倒し、最後の一人になるまで戦いを止められないらしい。

しかし、そこには次から次に誰かが堕ちてくるので、最後の一人になることはない。

続く。戦いはずっと続く。

そんな世界であるから、盛者必衰、栄枯盛衰が常。

そんな世界で6年超の間、頂点に君臨していたのだ。充分だ。

ボクサー皆が目指し、そのほとんどが到達できない夢の世界チャンピオンになり、11度の防衛。充分だ。

そう頭は考えるのに、気持ちはそれとは逆のことを思う。もっと観たかった。周りも望み、本人も希望していた夢の舞台でモチベーションMAXの彼の試合が観たかった。そしてそれは彼の実力を鑑みれば、贅沢な夢想でもなんでもなく、当たり前に用意されてしかるべき舞台だったと思う。

負けることは仕方ない。勝負の世界だ。

しかし、ここで負けてしまったか・・・。という悔しさが残る。

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日本が誇るスーパーチャンピオン内山高志の敗戦。

いつかは来るのだ。修羅道だもの。

でも、何だろうこの喪失感。

阿部野ハルカスがなくなろうが、東京タワーがなくなろうが何とも思わないけど、

内山のベルトが失われたことは、なんだかすごく寂しい。

ボクシングにおける1敗の重み。全てとは言わないが、築き上げた大半を一瞬にして失う。

この厳しさが、このスポーツの醍醐味でもあるのだけど、

やはり残酷だ。内山の敗戦を目の当たりにしてそう思う。

しかしだからこそ、ボクシングは美しい。

人が自ら修羅道に飛び込む姿の神々しさ。

六道では修羅道より上位にあるとされる人間道。

人間道にもこれだけの美しさがあるのかな。

それとも、畜生、餓鬼が跋扈するこの世界は、実は修羅道より下位の世界なのかもしれない。

内山の敗戦がとてもショックだった。ということを書いているつもりが、

また変な方向に話逸れてる・・。

だから止そう。この辺で。

そう思いました。




















びりぎゃるすね。

続ける。

これが一番難しい。

何事も続けることが一番難しい。

始めることも辞めることも簡単。

ダイエットもスポーツも勉学も新たな趣味も習慣も、始めることは簡単。

向上心を伴って始動することほど継続は困難。

タバコ酒女遊びギャンブル良くないなと思いつつも楽しいからついみたいなことは、逆に止められない。

継続すればするほど堕落していくと分かりつつ止められない。

良いと思うことはほんの少しで満足もしくは疲労してしまうのに、

これは悪いなと思うことほど、いくらやっても満足できない。

気が付くと身についているのは自分にとってマイナスの習慣ばかり。

つくづく自分にとって確かにプラスで向上心を持って始めたことほど続けることは難しいなと。

一日にほんの少しのことでさえ続かない。

愛だ恋だなんてものも、始めるのは簡単で、その為に死ぬなんてことも簡単。そのことのために死ぬなんてことより続けることのほうが実は余程困難。

夢だ希望だなんてものも、抱くのは簡単で、その理想の為に死ぬことも一時の激情に身を委ねれば簡単。でもそれを持ち続けることは困難。

どんなに下らないことでも、それが自分に何らかのプラスをもたらす、向上心を持って始められた事柄を継続してやり続ける人を見ると、本当に感心する。

やめなきゃなってことはいくらでも続けられるのにな。

タバコ、そろそろよさないとな。バカみたいに煙を吸い込んでそれを吐き出して、それで身体には悪い、神経が鈍る(あくまで私感だけど)寝起きが悪い、偏頭痛。何がしたいんだよ。いいことなんて何もない。

良い事を始めないとな、続けないとな。それも惰性じゃなくね。

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「ビリギャル」   2015年 日本  監督 土井裕泰

昨年、原作本も話題になりましたね。

アホだった子が頑張って賢い学校に合格した話。

これ、ギャルが主人公には違いないのだけど、

彼女を指導した塾講師の良いところを見ることに特化した眼、彼女の母親の無償の愛情が素晴らしい。

そして、その素晴らしさをしっかりと感じ取るビリギャル。本当のアホではない。

どれだけ道を外れたように見えても、根底に感謝と愛情を持っていれば、根っこから持っていかれることはないのだろうね。

根はしっかりと家族や応援する人の側に張り、枝葉の部分だけ派手にしていただけ。

基本的には愛情深く、根性があって、信念も強く持てる優れた子だと思うビリギャル。

この作品、ギャルが主人公のちゃらけたコメディかと思って観たら、やられる。

三度ほど涙腺がね。

ギャルだからと見た目で判断してはいけない。

良い意味で裏切られた作品。

善哉。

そう思いました。



















ろまごろすね。

昨日はロマゴン、ゴロフキンの防衛戦がありましたね。



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ライブ放送だったので、狂拳氏と観たのだけど、狂拳氏最近何やら寝不足が続いているらしく、ソファに寝転がり、ウトウトしている。ロマゴンの試合中など、実況の高柳さんが「ミギッ、強烈な右ッ!」とか声高になったときに、ハッと目を覚まし、「ええ右やったな・・」と見てもないのに感想をこぼすみたいな状況。

ゴロフキンの試合なども一ラウンド目を観た時点で興味を失くしたらしく、その後は携帯をいじりながら横目に見ていた。確かにミスマッチとも思える差が両者にあったけど。

ロマゴンはバンタムまでの五階級制覇を目論んでいるらしいけど、Sフライ級くらいでキツくなる気がする。いかんせん身体が小さい。KO率は高いが、飛び抜けたパンチャータイプではなく、旺盛な手数と多彩なコンビネーションが生み出すプレッシャーが身上だと思う。今の階級であれば、八割程度の力でコンビネーションを打てば、相手はプレッシャーを感じ下がってくれるが、今より階級を上げるとどうだろう。もっと一発一発を強振しないと相手を下げられないんじゃないだろうか。そうなると、今のようにスムーズにコンビネーションが打てなくなり、強振の分、当然そこには隙もできるだろうから、今より被弾も増えるんじゃないだろうか。無論、ボクシングスキルに長けたロマゴンのことだから、そうなればまた違う勝ちパターンを構築するかもしれないけど。

ゴロフキンはウィルフレド・ゴメスの打ち立てた17回連続KO防衛なんて悪い冗談みたいな伝説的記録に肉薄してますね。34歳と年齢が少し気になるところですけど、衰えは今のところ微塵も感じさせない。磐石も磐石。問題は対戦相手がいないことくらい。精神的にも緩んだところはなさそう。今の時代のビッグマッチを求める風潮にも流されず、頑なに自分のベストコンディションを第一に考える姿勢はショービジネスの渦中にいながら、求道者そのもの。かっくいいね。

とたまにはボクシングのことも。

大きな地震があって、手放しで「春だっ」なんて浮かれておれないような気分がありますが、

やはり春は何をするにもやりよい良い季節だ。

日頃インドア傾向の極めて強い僕の身中でも、どこかに冬眠していた何かがおごめき出して、

どこか遊びに行きたいななんて柄にもないことを。

そう思いました。



Zあいらんどすね。

夢と希望に満ち溢れた若人たちが、仕事に家庭にくたびれたオヤジや旦那の愚痴を己が身の程も知らず喚き散らすオバハンなんかを見て、ああはなりたくない、終わってんな、うちの親なんかも口を開けば「現実は甘くないんだぞ」とかしか言わねーし、俺はアタシはそういう大人にならない、っつーかなれねぇっしょ?

とか若さという可能性を武器に放言したりする。

しかしこの若人たちも、可能性は手にしているものの、具体的に何かを目指しているでもなく、日々何か楽しいことないかなと漫然と過ごしていたりする。そして日に日に目減りしていく可能性に焦りもあったりする。

そうこうするうち、夢破れ、希望叶わず、現実に噛み付かれた己は、いつか卑下したあの日の大人。ゾンビに見えていた群れの一員。

現実に噛み付かれ、感染し発症した「大人」。

希に今も噛み付かれず、夢と希望の中に生きている同世代がいるが、こちらから見ると、今度はあちらがゾンビに見える。

お互い相手の頭を撃ち抜かなくては。

と思っていたりする。

でもお互い相手をゾンビだと思っているから、噛み付かれたくないと恐れている。

いきおい両者は混ざり合わない。みたいな現象が周りで結構あったりするなぁ。とかね。

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「Zアイランド」  2014年  日本 監督 品川ヒロシ

一人のヤクザを発端に島一つ丸ごとゾンビの島になる。

そこへ遊びに行ってしまった娘を迎えに行く元ヤクザとその仲間。

島に逃げたヤクザを追ってきた現役ヤクザ。

元々島民でゾンビから逃げている若者数人。

さて彼らは無事に島から出られるか。みたいな話。

品川ヒロシは分かりやすく観やすい、笑いもふんだんにありホロリとくる場面もしっかりある飽きのこない作品を撮りますね。

映画は芸術、なんて高尚な概念を持たず、あくまで娯楽、エンターテイメント、楽しませてなんぼでしょ?

みたいな振り切った姿勢が潔くて好感が持てる。分かる人には分かると突き放すのではなく、どう面白い?ダメ?みたいに擦り寄ってくる感じが。

善哉。

そう思いました。
















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