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普段、電化製品などを買っても、説明書を読むことなどなく、取り敢えず触ってみれば分かるじゃろ。って感じで、いい加減にそのものとの付き合いを始めて、それなりに不具合なく来てるから、この傾向は変わらない。説明書いらない。
と言っておきながら、なんだけど、読書は、これ、僕、この世の説明書を開いているという感覚があって、この世の仕組み、生き方、考え方、その他諸々。
「ただ生きる。」そんなことに説明書などいるはずもない。それこそ、触れてみれば、やってみれば分かること。
でも、その「ただ生きる。」そのことがすごく難しくて、ワケが分かんないから、本を開く。
しかしこの説明書、膨大な数、多岐に渡っていて、自分の知りたいことがどこに載っているのか分からない。
これじゃないかな?と目をつけたひとつの説明書を読むうちに、答えが見つかる前に、新たな疑問が出てきて、その答えを探して、新たな説明書を開けば、またそこに新たな疑義。気づけば増えるのは問題ばかりで、答えはひとつも見つからない。
終わりのない説明書地獄。でもね、苦しいか?と問われれば、否。
どうかしてるぜ。
「書楼 弔堂 破曉」 京極夏彦著。
新シリーズという帯の文言に目が止まり買。
メッチャ物知りの浮世離れした男が、独自の論旨で、人や物事を導く。という形は変わらないけど、
今回のシリーズは、殺人事件ではない。
著名な人物の為した偉業の陰に、今作の主人公「弔堂」あり、みたいな話。
京極堂シリーズのような、刺激的な陰惨さや、登場人物の多彩さはないものの、
このシリーズもすごくイイです。
最初どうにも詭弁にしか思えない事柄が、最後には何となく腑に落ちる不思議。オモロイなぁ。
小説はやはり文体だな。と
改めて。
善哉。
そう思いました。
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2014年06月10日
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