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祈るとか、願うとか何かの拍子に簡単に使ってしまうけど、
特定の宗教や神を持たないのに、一体、何に祈ってるのか。願ってるのか。
例えば、小遣いを増やして欲しければ、神様より、嫁に願うのが早い。
健康でありますようにと祈るなら、食べ物や日常の生活習慣に気をつけたほうが早い。
何やらの試験に合格しますようにと祈るなら、その時間勉強したほうがいい。
自分がそれらの言葉を使うとき、一体何に願ってるんだろうか、祈ってるんだろうか。
と思って少し考えてみたらば、
他人様に対して使うときは、「〜さんの幸せを祈ってる」とか「願ってる」とかって使い方が主。
自分に対しては、「今日一日が良い日でありますように」とかってことでしょうか。
そこで一体何にお願いしたり祈ったりしてるのか?
これ自分自身なんですね。
他人様に対して使うときは、対象である〜さんが何か有事のときには自分の力の及ぶ範囲で応援したい、手助けしたい。ということを集約して、願う祈る。いざ有事のときにはお前頑張れよって未来の自分に祈る願う。
自分に対しては、毎日をつまらんとか昨日と同じでしょ?とか思わず、希望を持ってやってけや、感謝を持って生きてけや、お前みたいなもんが生きてるだけでもラッキーやねんさかい、だれるとか辛気臭い顔して周りに気を遣わせるとか、絶対アカンぞ、分かっとんのかいワレ。お〜我。という一種のハッパを己自身にかける意味合いが含意されてる。
みたいなことかもな。なんてことを。
親しい人でも当てにならない現代、会ったこともない神様だとか仏様だとかにお願いとか祈るとか図々しい。
星に願うとか、さらに意味が分からん。全国のロマンチストすまん。だけど、星に願うって何なの?ほんとに分からん文句とかじゃなくてね。
ということで、僕は基本性能は他力本願全開なんですけど、
根幹の部分では他力を信用していない自分大好き人間という、クソみたいな精神構造であることが明らかになって、祈るとか願うとか考えなきゃよかったな・・。とか。
「宗教哲学入門」 量義治著。
宗教と哲学って、近しいイメージありながら、混ざり合うことのない何やら、血の繋がらない兄弟みたいな感覚が僕の中にあって、
それがひっついて宗教哲学。
気になる。
しかも入門。入門書好きなので、さらに気になる。
で、読んでみたんですね。
入門の域を超えてムズかったですけど、
非常に勉強になりました。
「アドラー心理学入門」 岸見一郎著。
以前に読んだ本「嫌われる勇気」で取り上げられていたアドラー心理学。
それの入門書。また入門書www
思ったのはね、「原因論」と「目的論」。
そんなにキレイに割り切れないんじゃないかな。
どちらも考慮して結論出せばいいんじゃないかな。
どちらもそれなりに頷ける論拠を持った立派な考えなのだから、
どちらものいいところを・・・ってのは、散々考えたんでしょうね。
結果、そうなってないのだから、いろいろ問題があるんでしょうね。
そこまでは分からん。だってこれ入門書だもんww
でも、宗教も、哲学も、心理学も、面白いっすね。
そう思いました。
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2014年11月25日
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