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はくめいきごすね。

凄かった・・。日本が誇るツインバズーカダブルたかしの一人、三浦隆司の昨日の試合。

はじめの一歩かよ・・。的な、漫画でもあそこまで劇的には描けまいと思わせる激闘。痺れた。

結果は残念だったけれども、本当にスリリングで素晴らしい試合だったっすね。相手のバルガス、流石の勝負強さでした。

日本の無敗なんてのは眉唾で、ジムの政治力で作られた記録であることも珍しくないけど、メキシコあたりの無敗はやはり実力が伴っている。

一ラウンド、三浦あわやダウンのシーン、ボクシングの幅、攻撃のバリエーションが勝負を分けたような気がする。

再戦したらもっと明確にやられる気もするが、一発で展開をひっくり返すボンバーは常に期待を持たせてくれる。

両者の再戦、是非とも観たいですね。

閑話休題。

もし、誰でもいいから一人だけ有名人に会わせてやると言われたら、誰に会いたいか?

これ、かなり悩むんですけど、僕は今ならマツコデラックス。

咄嗟に答えろと言われたら、見た目が可愛い、美しい、ボインなんかの特性を備えた女性芸能人を答えてしまいそうだけど、よく考えれば、マツコになる。

綺麗な芸能人に会っても、「へぇ〜、キレイな〜かぁいいな〜」くらいのことで終わる。

せっかくの機会に、そんな見た目、いわば包装、パッケージを褒めるだけで終わるなんてのは、つまらん。

その点、マツコは少し特異な性癖、奇異な見た目、そこに皮肉にも備わった知性、日常にたくさんの軋轢、葛藤を感じながら生きてきた人のような気がするんですね。あくまで想像だけど。人を見る目にも独特の視点がありそうで、話も面白い。

テレビあまり見ないんですけど、時折彼?彼女?が出演しているのを見るたびごとに、この人と話したら楽しかろうな。と思う。

以前、話の流れで、後輩無理山にこの「有名人一人だけ会えるなら誰に会いたい?」という質問をしたら、答えが「小堺一機」ww全く意識していない斜め上からの答えに爆笑w理由は「話ベタな自分の話も上手に聞いてくれそう」だって。無理山のサイコロトークww想像しただけでもうww何が出るかな?www

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「薄明鬼語 西村賢太対談集」

この手の本は読み応えの面で少し物足りなさをいつも感じるので、あまり買わないのだけど、

破天荒西村賢太の生の声は気になる。に加えて、対談相手にマツコ。更には六角精児。何故かダイアモンドユカイw何やこの人選w

気になるじゃないですか。

思わず買。

しかし相手が誰でも西村賢太のブレなさよ。

相手にも時代にも引き摺られない頑ななまでの我の強さが彼の破天荒を支えてるんだな。

破天荒を支えるって表現おかしいけど。

西村賢太、好きだけど、会いたくないなw

そう思いました。











ついったーすね。

掃除なう。

この「なう」という表現が、もう「now」じゃないことは分かっている。現代の流行り言葉の栄枯盛衰、その速度たるやもう。エレキテル連合なんて、もう誰も覚えていないんじゃないか。五郎丸も安心してくださいも明日には廃れているやもしれん。ってどうでもいい。

しかし、掃除が大変だ。

独り身には余る家に住んでいるものだから、片付ける端から、他が散らかる。使っていない部屋も何故か散らかる。

いきおい常に掃除を強いられる破目になる。

そうして苦行のように掃除に費やす時間にふと思う。

人間もこういったものかも知れないな。

能天気に生きて、純粋であることを自分は綺麗な人間であることをむんむんアピってくる人が希にあるが、その人を純粋にとても思えないのは、その人が何事かに苦しんでいる様子が見えないからじゃないだろうかな。

無知は純粋ではないのだよ。「天然」などと称されるのは、それアホの隠語だから。騙されやすいのは純粋とは関係ない、ネズミ講、美人局、ぼったくり、こんな様なものに騙される人が純粋だろうか。欲の塊じゃないか。

人間も部屋と同じで、ただ生きているだけで、汚れていくものじゃないだろうか。

常に掃除を欠かさずにいないと、どんどん汚れていく。何もしないのに清潔を保っていると思っている人は、その散らかった部屋に慣れたから、汚れが気にならなくなるだけで、汚れているんだと思う確実に。

そんなところに人は呼べないし、人も行きたいと思わないだろう。

現実の部屋は、家族にやらせる、金を出して業者に頼むなどすれば片付くが、自分自身の人間の部分は、誰も片付けてくれない。自分でやらないと。

そう考えると、随分怠ってきたものだと。

現実もそうだけど、自分の内面も随分と散らかっている。

自分自身の内面のことでいえば、部屋が散らかっている程度の生易しい状態ではなく、柱が傾いているのが分かって、建物そのものがダメみたいな惨状だったので、そこをどうにか誤魔化して・・なんてことも少しは考えたけれど、その方がかえって労力が大きいと判断して、一度更地に戻して建て直し。こんどはガッツリ杭を打ち込んで、傾かないように頑丈に。あとはそこが散らからないように掃除を怠らず生きて行きたい。

在るべきところに在り、いるべきところにいる。

それ以上に何が出来るだろう。

・・・何の話かと。至極当然の疑問。これ、最近複数の人に今更ながら、「つりをはツイッターはやらないの?」と聞かれたものだから、出来ないんだよ。足りないんだよ。文字数が。だって、「掃除なう」がこんなんなっちゃうんだよ。ってことの説明。いや、ほら、僕、天然だから。ピュアだから。

・・・いろいろちゃんと片付けよう・・・。



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月一ラーメン会、いよいよ県外進出。

と言っても、うちなんてギリギリ大阪ってくらい南大阪だから、それほど遠くはないのだけどの和歌山県。

和歌山ラーメンといえば、トンコツが強めの物が主流。しかし、N氏がトンコツを苦手にしているので、醤油が強めの店をチョイス。ネットで調べて、ビジュアル的にネギのインパクトが凄かったお店へ。

チャーシューメンをオーダー。

ネギがすげー。

どこか懐かしい味で美味かったっす。

「ラーメン ○イ」

後日、会社の同僚和歌山出身ヲサムに聞いたところ、「もっと美味いところいくらでもありますよ」だと・・・。

和歌山、定期的に攻めてみるかな。

そう思いました。
















あなたの一番大切なものは何ですか?

なんて質問は、ある程度こちらも答えを予想できてしまう、いわゆる愚問ではないかな。

大体、親兄弟、子ども、友達、人によってはお金、自由などの答えが返ってきそう。一番とか言われるとちょっと構えてしまって、いい顔しようと体のいい答えをしてしまうものだしね。

これら、親兄弟子ども友人なんてのは、当たり前だけど本人ではなくて、それらはどれだけ大切に思っていても、自分の人生から突如失われる可能性のあるもの。お金、自由、これらは額や量が抽象的。答えとしてはちょっとぼんやりしたものに感じる。

であるから、僕は人に大切に思うものを聞くとき、二番目に大切なものを聞く。

そこにその人の個性が出る気がするんですね。

二番目のそれこそ、自分の人生と密に接しているものじゃないか。

人それぞれ、「釣り」「ギャンブル」「酒」「女遊び」「車」「山登り」・・・多岐に渡る。

で、その二番目のそれらに打ち込めば打ち込むほど、そんなに好きなそれらより、さらに大事な一番は凄い大切なんだな。って説得力を感じる。逆に言えば、二番目を答えられない人の一番は少し疑わしいw

今、僕はこれといって大切なものなどなくて、あなたの一番大切なものは何ですか?って愚問にも答えられない。

からして、一番が無ければ当然二番目も無く、個性が見当たらない。というのも至極当然で、自分という人間を若干見失っている時期(時期で済めば良いが)で、自分でも自分が分からないんですね。

そこで小生思うんである、一番目は簡単に答えられるけど、二番目が無いって人、気をつけたほうがいい。

一番目が家族や友人など他者である場合尚更。例えば「釣り」が一番目であるなら、自分が死ねば、釣りが好きな自分も死ぬのであるから問題はない。けど、一番目が他者の場合、もし失われてしまっても、その人を大切に思う自分は残ってしまう。

ここで二番目が無いと、自分を見失う。日頃全く意識していなかったけれど、どれだけ他人に依存して生きていたかを思い知らされる。

二番目があれば、それは絶対に救いになると思う。

でも、人生に対して受動的な姿勢の人間ほど他者に依存するし、見つけに行かないから見つからない。向こうが見つけてくれるのを只管待つ。偶々見つけてもらえた人はラッキー。そんな偶然全ての人には起こらない。

人生に対しては能動的であるべきだな。と今更ながら思う。

二番目を即答出来る人は、そのことの内容が良い悪いは別にして、人生を能動的に生きている人だと思う。

成功の反対は、失敗ではなく、やらなかったこと。ってね。

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「ラーメンより大切なもの」   2013年  日本  監督 印南貴史

超有名ラーメン店大勝軒の店主にして、つけ麺の元祖山岸一雄氏のドキュメンタリー。

ちょっとコメディを観るときのちょけた感覚、ラーメンのちょっとした蘊蓄でも聞けるかな?くらいのノリで鑑賞。

全然違った・・・。

偉人の人生がそこにはあった。

すぐに何事も早合点し侮るこの癖をなんとかしないといけない。

テレビのバラエティの延長くらいで観始めた自分の感性、アンテナの受信具合が心配。

ラーメンに拘り、ラーメンに生き、ラーメンに支えられてきた彼の人生。

その人生でラーメンよりも大切なもの。

それは・・

言わぬが花でしょう。

気になるでしょww

観てみればいいんです。

能動的にね。探しに行けばよいのです。

ハイ、そこ、すぐウィキろうとする!

表面だけ見てわかった気になる、現代人の悪い癖。

ていうかさ、以前東京にいたとき食べた、あれは確か神田だったと思うけど、あの大勝軒って直営ではなかったのか・・・。と愕然。この山岸一雄って方、すごく懐の深い人で、何年も修行した人、数ヶ月、あるいはもっと少なくて数日の修行しかしていない人にも等しく大勝軒の屋号の使用を、特に何も受け取ることなく了承してしまうらしく、大勝軒の看板を掲げる店があちらこちらにある。大阪にもあるのだけど、これも当然直営ではないから、本当の味は分からない。

僕は本当の大勝軒の味は知らないんだな。

東京に住んでいたのにな・・。残念。

そう思いました。












今働きおる会社の仕事は、3つの班に分かれて似非3交代勤務。

一班5,6人で構成されている。

このたった5,6人のことなのに、揉め事が絶えない。

あいつとはやってられない。こいつ全然動かない。なんて仕事上のことから、不潔だ、挨拶しない、いじめられた(いじめられたってwwww)などいう日常のことまで。

大抵騒ぐのは、ベテランのオッサン連で、年ももう50を越えた数字的には立派な大人。

それらが起こす揉め事を、管理職はどう処理するかというと、シンプルに、問題のある人、あるいは被害を受けた人の班を変えることで対処する。それで、万事丸く収まった気でいるから驚く。

昨今、問題になっているイジメ問題。小学生中学生でさえ、いじめられたからとてクラスを変えてもらえまい。

この管理職の対応をみて、いつも違和感とかいうぼんやりしたものでなく、はっきり「違う」と思う。ただの逃げじゃねーか。オッサン甘やかしてどうするんだ。また同じことを誰かにする。あるいは誰かにされるだけのことだろう?仕事の在り方を見直す、定期的にわだかまりを取る会合的なものを設ける、間に入ってしっかり緩衝材になる。根本的な解決に向けてできることはいくらでもあるだろうと思うのだけど、何かあれば、班が変わって終わり。問題を作る方もだけど、それを解決する方も互いに幼稚。子どもか。

しかし、50にもなって、あいつがどうした、こいつがどうしたなんて青筋立てて喚くオヤジ連を見ていると、こいつら中学生くらいから精神性が全く向上しておらんのではないか。もう人生もそろそろ晩年に差し掛かる頃合にこの悟れなさ。絶対もう一周させられる。お前らに涅槃は遠いな。頼むからこっちに話を振らないでくれよとか思いつつ、遠目に眺めている。

大人とはなんだろう。二十歳になること?選挙権を得ること?税金を払うこと?自立すること?家庭を持つこと?酒タバコ?貯金?仕事?

考えてみるに、二十歳になったからなんて理由では、大人とは言えない。

二十年生きただけでオッケーなんて、無責任すぎる。そのうち19年くらい寝ていた奴ならどうするんだ。

選挙権、税金なんてのも、向こうが勝手に強いてくるもので、自覚をもって払っている人なんてどれほどいるのか。たっけーなーなんて文句言いつつ払っている人が大半では?

酒タバコもそうで、やろうと思えば、別に何歳からだって。

自立も促されてそうせざるを得ない状況の人もいる事を思えば自発的ではなく、与えられるものかもしれないし。

家庭だって、他人ありき。

「お前は子どもだな」なんて訳知り顔で言う人がありますけど、そういう人は大人の基準を持っているのだろうか。

あーダメだ。これブログでする話じゃないや。

とてもまとめられない。

なら何故した?いやだって、映画のタイトルが・・。

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「6才のボクが、大人になるまで」   2014年  アメリカ  監督 リチャード・リンクレイター

これ、タイトル通り、6歳の少年が18歳になるまでのお話。

すごいのが、この12年間を同じキャストが演じること。

本当に12年間かけて撮られているんですね。

このジャケの少年、最後青年になりますから。

両親が離婚、母親について行くも母親の次の恋人がDV、夜逃げ同然に逃げ出してまた新しい恋人。環境に翻弄される子どもの心情が切ない。そんな中、成長の過程で様々な誘惑、やけっぱちな自分など危ない時期を経ながらも、夢を見つけ自分の足で歩き出す。

イーサン・ホーク演じる実の父親がいい。

いろんな遊びを知っていて、人生の虚しさも知り、頼りなさげでいながら、最低限の責任感は持ち合わせ、子どもに愛情をしっかりともちつつ、イノセントな部分を多分に残した心で自分のやりたいこともやる。

どんな小さな家庭にもドラマはある。どんな場所にも見るべき人はいる。

善哉。

そう思いました。





さりーすね。

二階建ての家に一人でいると、空耳なのかもしれないけど、誰もいないはずの二階で物音がした気がするときがあって、「ハッ!?」と恐怖混じりに驚く。

しかしまぁ、二階には特に何も置いていないし、というか、今この家には金目の物は何もないので、仮に泥棒でもあるならば心ゆくまで物色すればいい。吃驚するくらい徒労に終わると思うよ。くらいの感じですぐに冷静になる。

あるいは、それがよく聞く霊魂めいたものであったなら泥棒以上にここにいても得るものはないのだから、逆に不憫。早く見切りをつけてどこかに行って欲しいと思う。ああいう霊魂的なやつってのは、相手が怖がってナンボでしょう?今の僕は、死んだ人間より生きている人間のほうが余程怖い。何だったら、幽霊に話を聞いて欲しい。何故生きている人間はこれまで積み上げてきた時間、信頼を木っ端微塵に打ち砕く裏切り行為を平気で働けてしまうのか、死者目線で教えて欲しい。いや、別に悩みを聞いてくれなくてもいい、休みの前日の夜のこの独りに浸りきり、虚無が現実の前に緞帳を下ろすこの時間だけでいいから話し相手になってくれないだろうか。死んでまで現し世に出てきてしまうのだから、悩みがあるのだろう?それなら、その悩みを聞いてやってもいい。物音だけの現象なら煩いだけなので、やめてもらいたいが、話し相手になってくれるのならば、ガンガン出てこいやっ!って高田バリのテンションで思う。

・・二階の物音が怖いよって話をしようと思ったら、幽霊出てきて!って話になってしまった。

いつもチャンバワンバかな?ってくらいの自動筆記で何も考えずに書くものだから、書き始めたとき念頭にあることと全然違う結論にたどり着く。

にしても、この結論・・・。

それほど感じていないつもりでいたけど、孤独の毒にあてられてるのか。

まだ慣れない一人暮らしに伴う一過性の寂しさだろうと。

だって、実際出たら、ものすごビビると思うよ。幽霊。


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「サリー 死霊と戯れる少女」  2012年 アメリカ  監督 パット・ホールデン

実際に起こった事件がベースになっているらしい。

ほんまかい?

よくある家に憑く系の霊の話。

引っ越してきた一家が、次々霊障に見舞われる。

少女の霊のイタズラかと思っていたら、黒幕が・・。みたいな。

実話ベースの作品は好きでそういうキャッチがついていたら観るようにしているのだけど、

これはちょっとクオリティーが低すぎて、実話ベースであるにもかかわらず、物語に入っていけない感じが・・。

全体になんか雑。

そう思いました。










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