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どこまでも修羅道である。
拳闘の世界で人は、人間道に生まれながら、自ら進んで修羅となる。
修羅道ってのはそれはもう厳しくて、そこではそこにいる者全員を打ち倒し、最後の一人になるまで戦いを止められないらしい。
しかし、そこには次から次に誰かが堕ちてくるので、最後の一人になることはない。
続く。戦いはずっと続く。
そんな世界であるから、盛者必衰、栄枯盛衰が常。
そんな世界で6年超の間、頂点に君臨していたのだ。充分だ。
ボクサー皆が目指し、そのほとんどが到達できない夢の世界チャンピオンになり、11度の防衛。充分だ。
そう頭は考えるのに、気持ちはそれとは逆のことを思う。もっと観たかった。周りも望み、本人も希望していた夢の舞台でモチベーションMAXの彼の試合が観たかった。そしてそれは彼の実力を鑑みれば、贅沢な夢想でもなんでもなく、当たり前に用意されてしかるべき舞台だったと思う。
負けることは仕方ない。勝負の世界だ。
しかし、ここで負けてしまったか・・・。という悔しさが残る。
日本が誇るスーパーチャンピオン内山高志の敗戦。
いつかは来るのだ。修羅道だもの。
でも、何だろうこの喪失感。
阿部野ハルカスがなくなろうが、東京タワーがなくなろうが何とも思わないけど、
内山のベルトが失われたことは、なんだかすごく寂しい。
ボクシングにおける1敗の重み。全てとは言わないが、築き上げた大半を一瞬にして失う。
この厳しさが、このスポーツの醍醐味でもあるのだけど、
やはり残酷だ。内山の敗戦を目の当たりにしてそう思う。
しかしだからこそ、ボクシングは美しい。
人が自ら修羅道に飛び込む姿の神々しさ。
六道では修羅道より上位にあるとされる人間道。
人間道にもこれだけの美しさがあるのかな。
それとも、畜生、餓鬼が跋扈するこの世界は、実は修羅道より下位の世界なのかもしれない。
内山の敗戦がとてもショックだった。ということを書いているつもりが、
また変な方向に話逸れてる・・。
だから止そう。この辺で。
そう思いました。
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