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影の無い明るさは信じない。
無闇な明るさは、本来出来るはず、出来ているはずの影から人目を逸らさせる偽装、目くらましの弾幕。
でも、自分自身もそういう取り繕った明るさで人と接するようになっている気がする。
影の部分を悟られまいと、作り笑い。愛想笑い。思ってもない軽口。
写真補正と変わらん、厚化粧と変わらん。今人類で一番嫌いな(ちなみに去年までは、「図々しいオバハン」という人種が一番嫌いだった)嘘つきに自分がなってる。矛盾だな。阿呆だな。
光と影のコントラストで、素敵に見えるもの、たくさんあるじゃないか。というより、それこそ自然じゃん、自ずから然りじゃん。当たり前じゃん。そこに見えるものこそ個じゃん。世界の中での自分じゃん。立ち位置じゃん。存在じゃん。じゃんばるじゃん。
知っているのに、影を見せまいと、また、自らも見まいと目を背ける。そうして嘘で作った明るさで人と接する。
そんな風に暮らしていると、自分が分からなくなる。そうなっても影を見る勇気はないから、周りから思われている自分像で納得しようと思う。が、それも嘘の明るさが作った自分だから、それにも違和感。
イマイチ明度が上がってこない自分の気持ちがどうにも重苦しくて、
無理に明るくしようと、ほんの少し思った。ことがあった。最近。
それを無意味どころか、マイナスじゃわい。とたしなめてくれたのが、
この間読んだ本の、本編ではなく、解説にあった言葉。
「世界の果て」 中村文則著。
すごく好きというわけではないけれど、書店を野良ついているとき、未読の物があれば手に取ってしまうくらいには好きな作家さん。
の、短篇集ですね。
抽象的な概念に形を与えて、物語を紡ぐ。
何だか夢の中のような抽象と具象が渾然となった、不思議な世界観。そしてこの人の作品はいつもそうだけど、薄暗いよりはもう少し暗いみたいな印象。
ぐぅ、想像力も知性も足りぬ僕には難解だわい。それでもついて行こうと難儀難読の末読了。
本編中ではないけど、一番腑に落ちた言葉が解説の中にあった。
「明るさは時に人を疎外することもある」という文言。
これ本当だな。
明るさに耐えられないことってあるよな。
とてもそんな心境じゃないってときに、ハイテンションの群れに呼びかけられたりしたら、あぁあそこには今入りたくないな・・。とか思ったりするもんな。
そのとき、そのハイテンションの群れの影は僕なのかもしれないな。
光を羨む影、影に気づかぬ光。
暗っ!
いいんです。無理に明るくしなくても。
影も、光に疲れた人を休ませることはできる。
そう思いました。
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