過去の投稿月別表示

[ リスト | 詳細 ]

2016年02月

← 2016年1月 | 2016年3月 →

全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]

べいまっくすすね。

毒に解毒剤があるように、

人の欲望にも抑止力が必要だと思うんである。

性欲が昂まって、あぁ不倫してぇななんて思っても、やらかしたときに悲しむ家族の顔を思い浮かべて、思いとどまる。

食欲が猛烈に押し寄せても、あぁここで食べちゃうとあの服入らなくなるなとか、糖尿になっちゃうなとか、考えて思いとどまる。

睡眠欲が凄くて起きれそうにないときも、あぁここで寝坊しちゃうとボーナスの査定に響くなとか、もう少し責任感のある人ならば、職場の人間が困るだろうなとか。

物欲がもんどりうって押し寄せても、あぁここで買っちゃうと生活に支障が出るなとか。

手元に使ってはいけないお金があるときに、ギャンブルに射幸心を煽られまくって、パチンコ行ったろか?競馬行ったろか?勝てばいいだけだもんねとか思っても、それがそんなに甘くないことはこれまでの経験上知っている。何故パチンコ屋はネオンをあんなにギラギラ光らせられるのか、電気代相当だぜ?何故バイトでも時給があんなに高いのか?一等地に駐車場付きのバカでかい建物、どんだけ金掛かってんだ?お馬さんだって種付け一回数千万とかどこからそんな金が?優勝賞金、億?全部俺たちの負けたお金だよな。夢見ちゃいかん、あくまでレジャーレジャーとか。

誰かのせいで何か物事が思い通りに行かなくて、怒りに震えるときも、あぁここでこいつぶん殴っちゃったら、自分の負けだな、何かといろいろ終わっちゃうもんなとか。まだ自分に何か出来ることがあるんじゃないかとか。

人間の欲は際限のないものであるから、どこかにブレーキを設けておかないと人生なんて簡単に破綻する。それは単純に人に対する愛情であったり、常識世間体であったり、年と共に自然と形成されていくものだとおもうのだけど、どうだろね。

容姿で他人様より抜きん出て、それでたくさんお金を稼ぐ。

他人様よりたくさんホームランを打って、それでお金を稼ぐ。

たくさんのお金と名声は、仮初の万能感をもたらし、私何でもできる!センテンススプリング!

キメキメでもホームラン打てる!日焼けやタトゥーやだんじりや!

手に入れた力なりにブレーキもイイものになっていかないと、ちょっとしたカーブでも曲がりきれず事故を起こす。

スピードがたくさん出る乗り物には、それを制止できるそれだけ強いブレーキが必要。

原発なんかも・・・・。

っと、話が長くなる。

ここらでブレーキ。

イメージ 1



「ベイマックス」   2014年  アメリカ  監督 ドン・ホール クリス・ウィリアムス

これはおそらく兄弟愛、親子愛、友情なんかをテーマに描かれているお話だと思うんですけど、(ここから少しネタバレします。)

主人公の少年、敵役の教授、彼らが最後戦うわけです。

興味深いのは、彼らが戦っている対象。

少年と教授が戦っているには違いないのだけど、

それぞれが発明した発明品を相手が利用する。という皮肉な展開。自分の発明に苦しめられる。

勝敗を決したのは、発明で生まれた力を制御する抑止力。

欲望のままに作られたものの力は止めようがなく、

製作者の意図を大きく外れ、己に刃を向ける。

あればいいってもんでもないんだね。ちから。

アナ雪よりずっと良い。(あくまでテーマ的に)と思ったり。

善哉。

そう思いました。









はい、自由時間終わり〜。

現在宮崎に住んでいて、あと一年半で仕事を完全退職する父親が、なんとここに来て大阪転勤。

3年前に定年を迎え、現在は嘱託として働いているから、転勤などないと思っていたけど、あるんだねそういうこと。

しかも、四月の頭からというから慌ただしい。

僕にしても、あと一年半は今の自由時間が続くと思っていたから、話を聞いたとき分かりやすく動揺したw

全く最近目まぐるしいよ。生活環境の変化が目まぐるし過ぎて、対応に苦慮する。

が、これはこれでいいことかもしれない。

人生も晩年に差し掛かった両親に、去年途轍もない心労を与えて、未だに心配の種としてある自分を情けなく思っていたから、何か力になれることは有難い。

やはり両親には、誰ひとり恨むことなく、後顧の憂いなく、感謝幸福の気持ちで最期を迎えて欲しい。

それには、去年与えた傷、これが癒えるまでにどれだけ時間がかかるか、他人を恨む気持ち、これが風化するまでにどれだけの喜びと思い出が必要か分からないことを思えば、一年半でも早い方がいいような気がする。

拘泥しているのは、あくまで自分の自由時間。

自分の都合なんて言ってる場合じゃないんだ。

自分のことであれだけの迷惑をかけたのだから。

さてまた少しの間、忙しくなる。

なんせ、部屋がきたねーんすよ。特に誰も来ないからと油断していた二階。

片付けないとね。参った参った。


イメージ 1


「小野寺の弟・小野寺の姉」  2014年  日本  監督 西田征史

幼い頃に両親を亡くした姉弟。

単なる血の繋がり以上に精神的に繋がっている。

お互い相手の幸せを心から願い、様々にサポートを試みあったりするのだけど、

優しさが仇となったり、運が味方しなかったりで、もどかしい。

しかし、この姉弟、世間一般の定形的な幸せの形とは違うけれど、

充分な幸せを手に入れているように思う。

血の繋がりなんてものは、誰にだって、

身体だけのつながりなんてものも、望めば簡単。

しかし、心の繋がりとなると、

これはもう、たった一つでも持っているなら、

すごいことじゃないか。

善哉。

そう思いました。








やればできる。

あの人はやればできる。

能力はあるはずなのに、頑張らない人に対してよく使われるこの言葉。

これって逆効果じゃね?と常々思っていたりする。

だってやってないんでしょ?じゃあそこには何もない。出来ないと同じ。

いわば、その才能能力を褒められてしまっているものだから、もしやって出来なかったら、その評価に傷がつくんじゃないかと考えて、余計にやらなくなるんじゃないか?やらない方が「いやオレ、やったら出来るんだけどねw何かめんどくせーから」みたいに調子に乗っていられるし。

だから、やってないことに関しては褒めない方が賢明だと思う。よく我が子可愛さに、「この子はやったら出来るんです!」なんて親バカを目にすることがあるけど、子どもにとって誰より一番応えたいのは親の期待でもあろうから、親にそう言われてしまうと、その子はやって出来なかった為に親に与える失望に怯えて、かえって何も出来なくなるんじゃないか。

人を育てる上で言っちゃいけない言葉ランキングで、結構上位にくるんじゃないかこの「やればできる」。

能力があるのにやらないやれないということは、そこにその能力を上回り邪魔をする何かがあるってことで、それは下らない自尊感情だったり、環境だったり、才能能力を上回る欲望であったり、あると見せかけて実はその能力がなかったり。

そこに存在しない「出来た」は、容易に「もし〜なら」「たら、れば」を連れてきて、それは想像の範疇でどうにでもいじくれるものだから、そうなれば理想だよね。みたいな話になってそのときは誰も気分を害さず気持ちいい。

でも、結局それはただの現実逃避の形に収束して、時間が経って振り返ると、あのときやっておけば・・って後悔しか残さない。

まだ出来てないないものを「やればできる」と褒めることは、いい部分もあるにはあるのだろうけど、トータルで考えるにマイナスの方がかなり大きいよな。

なんてことを、50のオヤジを指導しながら考えたり。

そもそも僕のような破落戸に人を指導させようなんて職場の方針が間違っているんだ。

しかも相手は人生の先輩だ。やりにくいことこの上ない。

そこは、「あいつはああ見えて人を教えさせたら、すごいと思う。きっと出来ると思う」で留めておいてくれればいいのに。

そうすれば、「僕ならもっとこう。」「あ〜俺が教えてればな〜」なんて無責任でいられたのに。

ということで、職場の他の面々からは、今教えおるオヤジがどう見えているのかの意見など聞いてみたいな。

みたいなこともあって、というのはカッコつけた建前で、

単に美味しい物を食べたいなという本音で、

職場の人間を誘い、今俄かに勢力を拡大中の「台湾まぜそば」なるものを食しに。

別に、ほら、僕やればできる人間だから、一人で行っても良かったんだけど、皆で食べた方が美味しいじゃない?行けるんですよ、一人で外食。まだやったことないけど。


イメージ 1

ほほう。これが噂の台湾まぜそばか・・。

無茶苦茶美味そうやないか。

で、実際無茶苦茶美味かった。

これ、麺を食べきった後に残った具材にご飯を入れて食べるのだけど、これがまた美味い。

注文の際に言われた「追い飯までいかないと、台湾まぜそば食べたとは言えませんよ〜」

なんて店主の言葉も頷ける。

「あらし なにわ」


で、この日から数日後、今度は恒例N氏との月一ラーメン。

イメージ 2

N氏も一度この台湾まぜそばが食べてみたかったらしく、

いつもより気持ち遠くまで遠征。

これまた美味い。

ていうか、

僕は、この食べ物が好きなんだと思う。

ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。

この雑さ。

合うんでしょうね、性に。

「麺や マルショウ」

そう思いました。









テレビってやつは、全然面白くないし、何の肥やしにもならないものが垂れ流されていると普段は考えている(これは番組そのものというよりは、自分側の問題で、何となくつけて、特に気になるものでもない番組を集中を鬼欠いた状態で、漫然といつまでも見てしまうことから、見ても見ずというか、見たことすら記憶になかったりすることが多い、ものすご多い)のだけど、いくつかは見たい番組もあったりして、それらはその番組の前後をダラダラ見てしまわないように、録画して見ることにしている。

その録画して見る番組の一つに「情熱大陸」という番組がある。

何やらの分野で活躍している人にスポットを当て、その人の日常に密着。シンプルだけど興味深い番組。

いろんな分野のいろんな人が知れるしね。

といった番組で知った、お片付けのプロ。

テレビの影響力って凄いね。

感化されて買っちゃった。

これ、普通男は買わんよね?

でも、今、ほら、僕、主婦業もそれなりにね、こなさないといけないから、ほら。

イメージ 1

「人生がときめく片づけの魔法」  近藤麻理恵著。

何せ、片付けられない。主な要因は時間がないことだと分かっているのだけど、それにしても。

どうやって掃除をすればいいのか、その方法さえ分からないところもたくさんある。

そこでテレビで偶々知ったお片付けのプロの本を。

内容は兎に角捨てろ。ってこと。

手に取ってときめかないものはドンドン捨てて!って話。

いやはやなかなか言うは易し西川はきよし。

出来そうで出来ない。そもそも四十を目前に控えたオッサンに、その物にときめきますか?なんて質問は酷。

今もう人生そのものにときめいてないのだから、ときめかないものは捨てちゃえ〜なんて言われたら、それこそ周りに何も残らんよ。

しかし、この人がある程度の評価をうける理由は何となく分かった気がする。

単純に家の掃除の話としてだけではなくて、これは精神的な部分の整理にも通づるものがあるなと読後感。

ときめかないテレビ番組をダラダラ見るから、やらなくてはいけない事がいつまでもできないし、

ときめかない人間関係を惰性で続けるから、自分を見失う。

去年の夏、携帯が故障したことで、データが失くなった。

気分的にすごく落ちていた時期だったので、消えたデータを懸命に探すことをしなかった。

別にいい。本当に必要になれば、いくらでも調べられる時代だし、それどころじゃねんだ。今俺は。

なんて感じで、ほったらかしていたら、いい感じの大きさに人間関係が納まって、結果オーライみたいなことがあったことを思い出したり。ただ、かかってくる電話全部誰からか分からないから、時期が時期だけにビクビクしながら電話に出てたwww

ときめきのなんたるかが、まず分からないから、僕の身になったのやらどうやら分かりませんが、

掃除はやる気になりました。

やれるかどうかは怪しいものだけど。

小さなことからコツコツと。

言うは易し、西川はきよし。

下らないのに何故繰り返す?

もう四十だよ?オヤジギャグのひとつも言えないと。

オヤジギャグに大事なのは、その内容の面白さではなく、

めげない心。周囲の冷笑にも冷めない熱。

掃除関係なくなっちゃった。

そう思いました。







前にも言ったことある。

ということは、そのことに対しての考えは変わっていないということだ。

その考えというのは、とかしこまると大したことを言いそうに思われそうだけど、拍子抜けするくらい当たり前のこと。

真実は一つ。ということ。コナンか。

ただ、その真実を全方位的に見られる人などいないから、それぞれの人が見た真実の一面を総合して全体像を掴むことになるのだけど、それぞれの人たちもそれぞれに感情や、その真実に対して主観的な意見などを持つし、その真実に対する話題を持ち寄った人たちのなかに嘘つきが一人でも混ざれば、もう元の真実は大きく歪められて、どんどん不明瞭になってしまって、原型を留めない全くの別物になってしまったりする。

起こったことというのは、それ以上でも以下でもなく、そこに在って、絶対に形を変えるものではない。

形を変えてしまうのは、その真実に触れた人たち、その人たちから聞きかじった話を噂に変えて話す人たち。

当事者ですら真実を歪めることは珍しくない。主に嘘によって。

これから貼っつける映画に、

「人は心の声に蓋をすると、見たいものしか見なくなって、信じたいものしか信じなくなる」みたいなセリフが。

これマジだな。

人は理想を抱くから、この人にはこうあって欲しい、あのことはこうであって欲しいと利己的に物事を判断しがち。

それが真実を歪めるのだけど、理想を捨てられない。裏切られて傷つきたくない。

思えば僕の失われた五年間も心の声に蓋をしておったような気がします。見たい面しか見ず、信じたい面だけを信じて、・・・ん?と思ったこともしばしばあったのだけど、それらから意識的に目を背けて、人と生きていくというのはこういうものだろう?ある程度の寛容さは必要だろう?と都合よく解釈。結果そんなお人好しを利用され、裏側を見ることを怠っている間に、見えないところで無茶苦茶にやられ、人生を誤るという惨事に発展した。違和感は大事。細かいことが気になる気にする男は男らしくないとここでも自分の理想が邪魔をした。意外に繊細なんだねなんて評されることもある本来の感性感受性を信じていたなら、もっと早くに本性を見抜けたろうに。心が囁きかける声に素直に反応できていたなら・・。という話は今更繰り言。

最近、蓋が開いたのか、心が五月蝿くって仕方ないよ。

イメージ 1

「ソロモンの偽証」   2015年  日本  監督 成島出

ある日学校で起こった死亡事故。

その学校に通う中学生が亡くなったそのことを、大人たちは自殺と断定。

そこにあれは他殺だとテレビ局や、刑事を親に持つ同級生の家、学校に怪文書が届く。

それでも大人たちは自殺でしょ?で済まそうとするものだから、中学生たちが自分たちで真実を暴く!って立ち上がる。

で、裁判を開くことで真実を明らかにしよう。そうしよう。

みたいな話。

それぞれが持つ一面の真実を持ち寄って、それらが合わさっていき真実の全体像が徐々に明らかになっていく展開に何か深く考えさせられるものがありました。僕の知っていることも全て、その物事の一面でしかないのだろうな。なんて。

前後編合わせて4時間半くらいあったかな?

しかし、それが長いと感じない。

くらいに退屈を感じない緊迫感のあるテンポで観れた。

善哉。

そう思いました。






全2ページ

[1] [2]

[ 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
11/30まで5周年記念キャンペーン中!
Amazonギフト券1000円分当たる!
コンタクトレンズで遠近両用?
「2WEEKメニコンプレミオ遠近両用」
無料モニター募集中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事