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コインの裏表。
現在我々が日常使いおるコイン、硬貨は数字の書いてある方が裏で紋様のある方が表。
何だか逆のように思うけど、そういうことらしい。
これ、娑婆世間社会、人々が日々活動している表の世界にも同様の違和感を覚えたりする。
裏っかわでしかない数字の値を少しでも高く見せようと足掻く藻掻く。
そうしているうちに、表の紋様がぐちゃぐちゃに仕上がって、裏の数字を見て寄ってきた人にその無様で何の面白味もない紋様に呆れられ、結局、裏の数字の値が大きく下がる。
あるいは、紋様を仕上げることにのみ専心し、裏の数字に全く拘泥せず生きていると、人がさっぱり寄ってこず、気づけば孤高の一円玉。個人的にはとても好きな生き方で、格好良いと思うけど、なりたくない。
そう考えると、表も裏もそれなりに頑張らないといけない。のかもしれない。
会社なんかで、偉いさんと称される地位の高い人と話す事が稀にある。それは社会的に偉いのだから、数字の値は大きい。大きいのだけど、それに見合う紋様を期待して話してみると、数字にそぐうだけの紋様が皆一様に無かったりする。どころか桜とか期待して見てみると、毒キノコだったり、毛虫だったり。すごく綺麗で可愛い女性なども、数字の値は大きい。が話してみると、期待していた秋桜とか蘭などではなく、枯れ木とか造花だったりでその数字に見合うだけの紋様は無かったりする。人間の内面の充実と、社会的なそれが釣り合うことなどないというのは、重々理解しているのだけど、余りに大きな隔たりに数字など当てにならないと、そのまま同じなら、人を見る苦労などないのにと思ったりするけど、もし、全ての人間が見た目通りならば、それはそれで非道い混沌を招くだろうとも思う。
裏表のない人。などいう形容をたまに耳にするけど、そんなのはいない。と思う。表があれば必ず裏がある。
裏表がないと評される人は、裏と表が釣り合っているんだろうかな?
それとも、巧妙にどちらかだけを見せているのかな・・・怖っ。
「ロマンス」 2015年 日本 監督 タナダユキ
ロマンスカーで社内販売の仕事をする主人公、ひょんなことで知り合った男に長く会わない母からの手紙を読まれ、行きがかり上何となく巻き込まれるように、母親探しの旅に出る。
誰の人生にもたくさんの思い出が貯蔵されていて、その思い出の地をトレースする旅は厭でも人を感傷的にさせる。
僕は一度行ったことのあるところには、もう一度行きたいとあまり思わないのだけど、
20代の頃に散々繰り返した貧乏旅行を懐かしく思い出して、もう一度あそこ行ってみたいな。とか。
劇中、男が百円玉を指で弾いて手の甲で受け、表か裏かでこれからの行動を決める。みたいなことをやっていて、この男、数字のある方が表だとずっと思っていたらしく、じゃあ今まで全部逆やってたの?みたいなシーンがあった。
これ見て、本当、そういうことある。
今だって、そうかもしれない。
表だ表だと思って拘っている自分が、
実は裏なのかも。
なんて。
善哉。
そう思いました。
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