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刀鍛冶の人が、力一杯目一杯ガツーンガツーンなんて赤く熱した鉄をトンカチで打ち付けている光景を、テレビやなんかで目にしたことのない日本人はいないだろう。と思うけどどうだろう。
あれ、単純に刀の形を作るために打ち付けているということだけではなくて、ああして強く何回も打ち付けることによって、鉄の中の不純物を取り除くという意味もあるらしい。ということをこの間「にらぎ鬼王丸」という漫画で知った。
人間が赤くなるときって、怒ったときが代表格。
怒ると人は赤くなる。
怒るということは、僕が思うに、その人間の底だと思うんですよね。だからよく怒る人は底が浅い、とも言えそう。
しかし、底を見せるというのは悪いことばかりでもなくて、そこが底ならそこからがその人の素。
その怒りから逃げないことで、その人はそこから伸びる。
人を教えるとき、その人の感情を敢えて逆なでするようなことを言い、怒りとまではいかなくても、不安、不満、引っかかりを演出して、余裕を排除する。嫌われ役を演じることで、常にこちらに対して熱をもってもらい、さらには逃げ場を奪い、そこを、叩いて不純物を出してしまう。と同時に形も整える。
いつしか、教え子は超斬れて折れない刀に。
なんて、教育方法を職人といわれる人達、あるいは芸術家、一流のスポーツ選手なんかで受けてきた人は少なくないんじゃないか。なんて、勝手な想像。
怒りに限らず、何かに熱中する、恋する、喉から手が出るほど欲しいモノがある、なんて場合もそれは熱で、そのことに邁進する途上で起こる様々や、色々もそれは熱をもったその人を叩いて不純物を取り除いてくれる。と同時に形も整えてくれるのかも。
なんてね。僕には今、怒ることも熱中することも何もないや。
底なしだ。
底のないものには、何も貯まらない。
浅くてもあった方がよいよ。
底。
「セッション」 2014年 アメリカ 監督 デイミアン・チャゼル
この映画スゲー。
の一言に尽きる。
剥き身でぶつかり合いお互い傷だらけになっても、まだ已まぬ音楽への情熱、何もかもを溶かしてしまいそうな熱のなかで叩き合う師弟関係。
ラストは鳥肌。
一道に通ずる者は萬道に通ず。
どの川も最終的に流れ着くのは海。
どんなことでも、極めれば。
努力の仕方、そこに注ぐ熱量のかけ方、
真剣になれば、どれも同じだと。
雄弁だな。
この作品。
善哉。
「ピクセル」
地球の情報を宇宙に飛ばして、異星人と交流を図ろうみたいなプロジェクト。
そのプロジェクトで送った情報の中にゲーム大会の映像があって、上手く異星人に届いたのはいいけど、それを見た異星人、それを地球人からの宣戦布告だと勘違い、その映像資料にあったゲームのキャラに扮して、地球を侵略しにくる。
この危機に呼び出されたのが、映像中のゲーム大会の参加者、その上位入賞者たち。
キャラの特性を把握している彼らは、その知識とゲームの腕で地球を救うべく戦う。
みたいなストーリー。
たかがゲーム。されどゲーム。
極めれば、それ、地球を救うかも。
どんなことだって、真剣で、ふんだんな熱量をもって臨めば、
花開く。とは限らないけど、
人間的な成長は必ず伴うんだね。
何かに懸命になったことのある人間は、そうじゃない人に比べて、
きっと最期、「生きた。」と言えると思う。
何かと余裕で生きている人を、何故か格好いいと思ってしまうのだけど、
それは何も懸命になるものがないだけで、
何かある人には、きっと余裕なんてない。
そっちの方がずっと格好いい。んじゃないかな。
俺?俺、今メッチャ余裕。何かと余裕。・・・ダサッ。
そう思いました。
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