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「味園ユニバース」  2015年  日本  監督 山下敦弘

何やら組の為に罪を犯したヤクザ?チンピラ?が、いわゆるおつとめを終え刑務所を出所。

ところが出て早々に何者かに襲撃される。そのとき頭に負った衝撃で、記憶がぶっ飛ぶ。

記憶をなくした彼は、ライブ開催中の公園を通りがかり、まさにライブ中のバンドヴォーカルのマイクを取り上げ、和田アキ子の、なんという曲が知らないが、「あのころハッ!」ってあの有名な曲を歌う。

それが上手いっていうので、そのバンドが練習に使っているスタジオに連れ帰る。

その後、すったもんだの末、記憶を取り戻すのだけど、そのとき彼を取り囲む状況は、チンピラ時代に比して大きく変容しており、選択肢がいくつかある。

彼の選んだ道は。

みたいな。

芸は身を助く。

何事も身につけておいて損はないのだな。

例えば、僕が彼と同じような状況に陥ったとしよう。

・・・何にも芸がないよ。

唯一、人があまりやらないことと言えば、天井クレーンを運転できることくらいだけれども、

誰がこれ思いつくんだよ。「よし、一度天井クレーンに乗せてみよう!えっ、何こいつ、ウマッ、うそっ」なんて展開にどうしたってなるわけない。クレーンじゃダメだ。特殊すぎる。

もっと一般的でないと。しかも芸術的であればその方が望ましい。なぜなら人は何故か芸術なんてものに弱く、それを感じさせるものには何やら崇高で曰く名状しがたい手放しの尊敬、畏怖をすら抱くので、大事にしてもらえそう。

記憶をなくした時のために何か一芸身につけておかんとな。

そういえば、最近ジョージさんがバイオリンか陶芸をやりたいとか突拍子もない事を言っていたな。

乗っかるか・・・。

いや、でもどっちも興味ない・・・。

自分を自分たらしめているもの。

自力に依って立っていると思っていることの、

如何に頼りないことか。

僕を僕たらしめているもの。

それは、どこまでも周りの人たちなのだな。

と、いい年していつまでも無手の自分を鑑みて。

そう思いました。








いろいろすね。


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「エターナルサンシャイン」  2004年  アメリカ  監督 ミシェル・ゴンドリー

記憶の一部を消してしまうことができる、というトンデモ設定を上手く活かしたラブストーリー。

僕も最近割に大きめの別れを経験したのだけど、ちょっとした揉め事とかしょうもない痴話喧嘩での別れであれば、この作中の記憶除去手術でも受けて綺麗さっぱり忘れてしまいたいところだけれども、いろんな人を巻き込んでの泥沼であるから、僕だけ忘れる訳にはいかない。むしろ、皆が忘れても僕だけは忘れてはなるまい。

記憶がなくなっても惹かれ合う二人。運命とか縁とか言われるものは確かにあるのかもしれない。とか思ったり。

人間の思い通りになることにドラマは生まれない。

思い通りにならない、そこに何らかの障害があり、それに人間が抵抗する。

その力がドラマを生む。

力足らざる故に生まれるドラマも、たくさんあるのだけど。

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「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」  2014年  アメリカ  監督 アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ

過去の栄光よもう一度。

強くそう願う往年の人気映画スターが、舞台で再起を賭ける。

しかし、彼が人気者であったのは、ヒーロー映画でいわば作品に恵まれたからと世間的には思われている。

彼の内面の声は、栄華を極めたそのときの思いが人格化したもの。

その声を振り払うべく、彼は己の演技力、役者としての力量で世間に認められたい。

そうすることで新たな一歩、本来の自分を取り戻せるのではと考える。

財産プライドこれまでのキャリア文字通り全てを賭けた舞台、是非とも成功させたい。しかしそこには様々な困難が。

誰にも自分的にノリノリであった時期というのがあったはずで、その頃の自分を取り戻したいな、なんて思ったりすることがあると思うんですね、ほらピッコロ大魔王も、ドラゴンボール集めて叶えた願いが若返りだったじゃないですか?僕も長いあいだ平和ボケというか、その安逸で簡単な生活に何となく違和感を感じつつも、大体「みんな」こんな感じでしょ?なんて普段「みんな」なんてものは信用もしていなければ、どこも何も良いと思わないものをこんな時だけ言い訳に使って、のんべんだらりと過ごしてきたんですね。でも、やっぱり誤魔化し誤魔化し生きていても、メッキというのは簡単に剥がれるもので、所詮偽物は偽物。手抜きはいけない。ツケが凄いよ。本当に、ツケが物凄いwwもう少し感性に正直に生きないと、どこかに無理がくるんすね。

といつもながら話逸れましたけど、この作品面白かったです。

善哉。


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「幕が上がる」   2015年  日本  監督 本広克行

とこれまた演劇物で、しかもアイドルが主役。ももクロ。

これは、タイトル借りで今の僕の心境にリンクしたタイトル。

いよいよ10月から、新しい生活の幕が上がる。

吊り上げ劇場第二幕「災い転じて・・?」などと都合の良いタイトルを考えているけど、

「終わりの始まり」とか「見てあれ!獅子座流星群!?いや、あれは全てつりをに降りかかる災難だ!」なんかかもしれん。

この幕開けに際していくつか自分ルールを暫定的に設けたりしている。

同じ轍を踏まないように。

泥沼に嵌まり込む前の自分を取り戻すために。

と、また話逸れた。ノーコンにも程がある。

この作品、彼女らも正念場なんだろう。アイドルという枠にいつまでも入ってはいられない。

可能性をいろいろ模索しているのだろう。

この作品が新しい幕開けになっただろうか。

どうだろうか。

そう思いました。

















あふりくてっどすね。

吸血鬼って僕はまだ会ったことないのだけど、これだけ世界中で認知されているのだから、どこかにはいるのだろうか。いたらおっかないね。
 
この吸血鬼の設定てのが大体、人の生き血を吸わないと生きていけない。太陽の光を浴びると灰になる。心臓に杭を打たれると、あれは死ぬのかな?一時停止みたいなもので、抜くとまた動くのかな?その辺記憶が曖昧だけれども、おおよそどの吸血鬼も設定にそれほどブレがない。
 
などと吸血鬼のことを考えていると、今の世の中に跋扈するオレオレ詐欺やら、ぼったくりバーやら、美人局やら、闇金やら、そういった法律無視の裏社会的なところで生きる人たち、そんな人たちのメタファーに感じたり。
 
そう考えると、たくさんいるね、吸血鬼。
 
僕のうちにもいてね、思いっきり噛まれたけど、なんとか致命傷は免れた。
 
でも、感染しているかもしれない。
 
感染したらどうなるんだろう。人を騙しても平気、友情を金に変える、信頼を笑顔で踏みにじる、人の未来を踏み台に自分の幸せを求める。なんてことが出来てしまうようになるんだろうか。
 
そうなったら、自ら太陽の下に出て、灰にならなきゃな。
 
そんなやつ生きている価値がない。という価値観。それよりは信念にも近いか。
 
他人を犠牲にしてまで、生きなければならない理由。
 
それを明確に示せないのなら、他人を犠牲にしてはいけない。
 
自分にはない生きる理由を、犠牲にするその他人は持っているのかもしれない。
 
よしんば、生きていかなければいけない理由を明示できたとて、その理由に他人を犠牲にしてまでの価値があるかどうかをよく考えなければいけない、さらにいざ噛みに行った相手も、生きる理由をちゃんと持っていた場合、どちら側により理があるかを見極めないといけない、そうなるとまずは話し合いみたいなことになって、そうこうしているうちに、何だか情が移っちゃったりして、ダメだこの人は噛めない・・みたいになって、次の獲物を探しに行く。なんてことを繰り返しているうちに、結局誰も噛めないで、干からびる。
 
どちらにしろ行き着く先は灰だ。
 
それは、吸血鬼も人間も同じか。
 
なんだ、この話。ローな気分で書いた灰だ。
 
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「アフリクテッド」  2014年  カナダ/アメリカ  監督 クリフ・プロウズ デレク・リー
 
脳に不治の病を抱える青年と、その親友が、世界を周る旅に出る。
 
この導入部から、吸血鬼の話だとはとても想像できなくて、旅の終わりに青年の病が発症、親友「ウオー」みたいな感動物かと思った。
 
ところが、病の青年旅に出て早々に吸血鬼に襲われて感染、吸血鬼になるw
 
そこからは世界一周の旅もクソもなく、吸血鬼としての逃避行。
 
人間を襲い、人間から逃げ、行き着いた果ては・・。
 
一つ疑問はね、猟銃のようなもので自殺を試みるシーン。
 
死ぬことができず、吸血鬼青年、嘆き悲しむのだけど、
 
それ、お前、昼間に外出たらいいだけじゃない?
 
死ぬ気ある?と思ったり。
 
どんな生き物でも、「自我」がある限り苦しむのかもね。
 
そう思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 

ひかりにふれるすね。

家のことを自分でやらないといけない。
 
残業と夜勤でようやく人並みの生活が送れる長時間、不規則労働者であるから、家事なんぞやっている時間があるのか・・。
 
そんな懸念があったのだけど、やってみると意外や意外、自分の中の眠れる主婦が眼を醒まし、何だったら以前より家は綺麗になり、洗濯物も靴下がない!作業着洗ってない!なんて事態は起こらず、食事も外食に頼らず以前よりバランスいい感じで摂れてたりして、あれ?むしろ生活向上したんじゃね?簡単じゃん、主婦wwみたいな感じで拍子抜け。何でもやってみないと分からないもんだね。休みの過ごし方に気を遣う必要もなければ、生活音に気を遣う必要もない。給料も自由。ある程度の自制心さえ持てばこれって凄く快適なんじゃ・・。
 
そんな感じで、独りで生きていく自信が日に日に深まっていく。
 
随分長いあいだ旅に出ていた自分が、帰ってきた感じすら。
 
相も変わらず何かがおかしい2015継続中で、細かい不幸不運はあるものの、これからやれることの楽しみが勝っているのか、不運慣れしたのか、もうあまり気にならない。これが人生の膿なら、ここで出切っちゃえくらいに思う。
 
5月に起こった出来事で負った傷は恐らく一生癒えることはないのだろうから、治るまで動かないなんてことしてたら、一生動けない。多少の障害は人生のアクセントだ。それを踏まえてやれることをやればいい。
 
一度躓いてコケたからって、怖くて動けないなんてのは、死んだも同じ。
 
さて、逆に渡るで泪橋。
 
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「光にふれる」   2012年  香港・台湾・中国  監督 チャン・ロンジー
 
ピアニストを志す盲目の大学生。
 
生活に押しつぶされそうになりながらも、ダンサーを夢見るフリーターの女の子。
 
偶然に触れ合った彼らは、お互いを心の支えに夢に向かう。
 
とても爽やかで良いお話。
 
目が見えないという想像もつかない障害を持ちながらも、人生をすねることなく謙虚に生きる主人公が素晴らしい。
 
毎日何かにぶつかり、躓き、哀れみの目、蔑みの目、好奇の目などに晒され生きる彼の日常。
 
そんなものに比べれば、自分の遭った事件、悪意など物の数にも入らない。
 
彼自身が光となり、また周りの人が彼の光となり、本当にこんな世界あるのかな・・と人間不信の今の僕には信じ難い美しい世界。
 
こういう世界観に最近弱い・・ものすごく憧れる。
 
白を基調とした美しい映像も見所かと。
 
善哉。
 
そう思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ここまで晴れるか?ってくらい快晴のある日の午後。
 
さるローカル駅の前で人と待ち合わせ。いろんなところいい加減なくせに時間に関しては体育会系なものだから、この日も待ち合わせの時間よりかなり早めに着いてしまった。
 
どこかタバコを喫める場所はないものかと周囲を見回すが、それらしいところが見当たらない。春の終わりころから約10年振りに再開した喫煙だけど、喫煙を取り囲む環境の変化に吃驚した。兎に角喫煙出来る場所が異状に少ないのである。
 
しょうがないので、目の前にあったコーヒーチェーン店に入り、飲みたくもないコーヒーを頼み一服の涼とタバコ。
 
むぅまだかなり時間あるな・・。どうしたものか・・。と思いつつ斜め前のテーブル席に座るカップルと思しき二人を見るとはなしに見る。
 
男の方は真面目そうな大学生風。女の方は茶髪の少しポッチャリ。
 
男が何事か楽しげに浮ついた感じで懸命に話をしている。それに女は適当に相槌を打ちつつスマホを操作している。
 
そうこうするうち、自分の話よりスマホに夢中の女に疲れたように、男のテンションが下がっていくのが目に見えて分かる。女は目の前の男のそんな傍目にも分かりやすい変化にも気づかずスマホに夢中。
 
数分後、男がついに黙って、視線をやや斜め下に脱力。
 
それでも女はスマホで何事か文章を打つ操作をし続ける。
 
最近、よくいるよな、こういう人。
 
こういった人は何を求めてるんだろう。
 
目の前に人がいるのに、スマホの中の人とのやり取りに夢中。
 
相対する人には不遜に接し、スマホのなかで愛想。
 
世界から目を離してスマホに没頭している隙にその人の望まぬ世界が構築されていってる気がする。
 
ふと気づきスマホから目を上げたときには、もういろいろ手遅れ。
 
そんなことになりそうな気がする。
 
生きているといろいろマンネリしてきて、見飽きた景色、見飽きた顔、そんなものに興味がなくなっていくのはわかるけど、そういうものほど、観察を欠かしてはいけない。微細な変化に気づけるのも、日頃のしっかりした観察があってこそ。
 
僕は最近、観察を怠たった為に、いや変化に気づいていなかった訳ではないけど、一過性のものだろうと高をくくって何の手も打たなかったことで、どエライ目に遭った。
 
眼前の世界を無視し続けると、いつか仕返しをくらう。
 
LINEだかメールだか通販だか知らないが、目の前に広がる世界を無視してバーチャルなスマホのなかに埋没する女よ、向かいに座る男に気がないのかもしれないし、話がつまらないのかもしれないが、それならそれなりにそいつと向き合わないと、きっといつか世界に仕返しされるぞ。
 
ネットの中なんてほんのオマケで、どこまでも大事にすべきは目の前の世界、現実。
 
見るべきもの、聞くべき音、味、匂い、手触り。
 
と言いつつ、私も先月スマホの使いすぎで通信制限かかったけど。
 
目を逸らしたいのかな、現実から。
 
 
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「天才スピヴェット」  2013年  フランス/カナダ  監督 ジャン・ピエール・ジュネ
 
僅か10歳にして、何やら永久運動をする機械を実際には永久というわけではないけど、かなりイイ線行ってる機械を発明した科学の天才少年が主人公。
 
この少年、弟の死に対するトラウマを持っていて、どこか影がある。
 
このトラウマが彼を突き動かし、ある行動に出る。みたいな話。
 
発明とかする人はこういうものかな?それとも子どもの純粋な好奇心からなのかな?身近なあれこれのデータを収集して統計、そこに自分の考えを当てはめ、なにがしかの答えを得てそれをまた検証していく。それが彼の遊び。
 
すごく世界をよく見ている。
 
彼を見ていると、自分の周りのほんの少しの範囲だけでも自分には世界は広すぎる、自分の周りのことでさえ知らないことばかりだと妙な焦りを感じる。
 
通信制限かかってる場合じゃないよ。
 
もっと世界をよく観察しないと。
 
善哉。
 
そう思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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