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何も顔ばかりではなく、心にもスッピンというものがあって、
本性、性根などといわれるものが近いだろうか。本音なんかも入れてもいいかもしれない。
この心のスッピンというものを見てからでないと、人は信用できないな。ということを最近、いい年して学んだ。
人は基本的には他人に好もしい印象を与えたいと思うから、人と接する時、心に化粧する。
この化粧は、女性の顔面に施すそれと似ていて、年を経れば経るほど厚く濃くなる。
若いときから化粧をしている人ほど、たくさんの嘘という化粧品がそれはもう品数豊富に揃っていく。
人によってこのメイクが剥がれ落ちるタイミングはそれぞれ。
酒に酔ったとき、怒ったとき、苦境に陥ったとき、大切なものを失ったとき、
兎に角、周りが見えなくなるほどの何かに直面したとき、本性が顔を出す。
最近、この本性を見る機会に何度か恵まれて、恵まれたくなかったけど、恵まれて良かったような複雑な気分だけど、良かったと思うように今のところはしている。
一人は会社の人間だけれども、他人に教えるのが苦手な僕なりに、一応お金も貰っていることだから、それなりに教えるということに真摯に取り組んでいたのだけど、親の心子知らず。ある日会社の飲み会で酔った教え子が、「お前の教え方な〜あれな〜」とどえらく上から目線でクレーム。挙句「こいつ3人人殺しとんねん、ギャッハッ八」とスナックのネェちゃんに喚く。・・・頼む、いじるなら面白くしてくれよ・・全然おもんない・・俺が滑ったみたいなってるやん・・。てか4人目お前やな。普段は慇懃な印象を与えるそいつのスッピンに唖然。お前相当厚化粧やな・・。と。
まぁこれは、別にどうってことのない本性、本音で、こいつがどう思おうが、仕事場で自分は自分のやることをやるというスタンスに何の影響もない。僕の教え方が気に入らないなら、お金を払って別の先生を探せばいい。お金をもらいながら習っているというのに、教え方を云々するというのは根本が違わないか?と思うのだけど。正直その時期、他人のことどころじゃなかったので、僕もスッピンが出てしまっていたのかも知れないけれども。
もう一つは、これ痛恨の極みで、一番身近にいる人間のスッピンを長きにおいて知らなかった。
メイクをそんなにする人間ではないと思っていた。してもちょっとファンデーション、くらいのことで、スッピンとそんなに違わないと思っていた。ところが、ある事件をきっかけに見たスッピンはゾッと寒気がするほど深い闇を感じさせる醜悪なもの。
僕は大抵の素顔には驚かない自信があったが、ここまで違うと流石に驚きを隠せなかった。膝の力抜けたもんねマジでwww
そして、僕らの関係はあっという間に崩壊破綻したのだけど、それでもまだ一生懸命嘘化粧を施している。
メイク無しでいつか外に出られるようになればいいね。そう願うけど、今のままでは恐らく一生涯無理だろう。
今回のことを周りにはどんな化粧を施して説明しているのだろう。話す相手によって化粧を変え、随分厚塗りで話しているんだろうな。もうどうでもいいけど。
そういう僕も会社なんかには随分ガッツリメイクで行ってたりするから、他人のことは言えない。
だって、スッピンなんかで行ったらすぐ馘首になっちゃうよ。
常識って何だか普段は息苦しい響きで、好かないけど、それを隠れ蓑に随分恩恵を受けてるんだな。
そういう人たくさんいるんじゃないですかね、ほら、汚職する政治家とか痴漢する警察官とか盗撮する先生とか。
「さよなら歌舞伎町」 2014年 日本 監督 廣木隆一
欲とか夢とかお金とかそういうものは、人がたくさん集まるところには当たり前だけどたくさんあって、
それらを叶えるために、人がたくさん集まる所に行って、
でも、そこでは、本来の自分では相手にされない可能性が大きい。
だから仮面を被る。
嘘の顔で他人と接し、自分の望む道を歩こうと目論む。
ある程度目的を達したならば、仮面を脱ぎ去り、その場所を離れる。
いつかそんな日を夢見て、嘘の顔で生き続ける。
そんな人たちの群像劇。
「ありの〜ままの〜」とかって歌が少し前にすごく売れたけど、
あれが共感を呼ぶってことは、皆誰しもありのままでは生きてない自覚があるんじゃないかな。
とか。
誰もこの作品の登場人物たちを愚かだと嗤うことはできないんじゃないかな。
善哉。
そう思いました。
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