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にげちゃだめだすね。

人は人の中でしか生きられず、いくら強かろうが、賢かろうが、それは他人あってのことで、弱者があるから強者があり、愚鈍がいるから叡敏がいる。

僕が知らないだけでひょっとしたら例外はあるのかもしれないけれども、生きている限り人は人を必要とし、俺様は一人で生きていかれるのだ、とのたまう豪傑がいたとしても、着ている服は誰かが作ったものだし、食べているものも誰かが栽培あるいはハンティングしたもの、お金も社会の通念上、皆がこれは価値があると認めるから物に交換できるのであって、人は信じないが金は信じるなんて人も廻り回れば社会に生きる人の価値観の総意としてあるお金の価値に依存しているわけで、細かく見ていけば、人は誰ひとりとして人無しでは生きられぬ。そもそも人から生まれているしね。

だから、生きていればたくさんの人と繋がるわけです。

できれば、全ての人間関係を繋ぐ接着剤は、これ善意、打算なし、利己心なし、ただただ己の内奥からの人間愛であってほしい。

が、現実は、見栄で繋がる、経済的な事情で繋がる、下心で繋がる、将来の不安から繋がる、得手勝手な寂しさから繋がる、殆どは自己防衛のために繋がっているだけだったりする。

そういう接着剤って、やはり表面を繋げているだけで、弱かったりする。

ひょんなことで、簡単に離れてしまう。

稀に良い接着剤で繋がっている人たちを見ると、羨望通り越して、フィクションに見えたりする己の邪な心が疎ましい。


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「7番房の奇跡」  2013年  韓国  監督 イ・ファンギョン

知的障害を持つ父親が冤罪で投獄、娘と二人きりの生活を引き裂かれる。

どこまでも純粋で「天使」と渾名される善良な父親、その開け広げな心から溢れ出すどこまでも純度の高い善意が、周りの人たちを繋げ動かしていく。

かなりコメディ寄りに作られていたので、助かったが、このシナリオがもう少し整合性を持って、作品全体の明度をもう少し落として作られていたら、オッサン目から汗が止まらなかったんじゃないでしょうか。

父親と娘の深い結びつきと綺麗な心。

綺麗な心と引き換えに、人間は賢くなって何を手に入れたんだろう。

それは本当に必要だったんやろか。

とか、綺麗な心も賢い頭も持ち得ない自分では確実にキャパオーバーなことを考えたり。


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「くちづけ」   2013年  日本  監督 堤幸彦

これジャケの様子から、ほのぼのしたものを想像して観たのですけど、

これがとんでもない勘違い、どでかい地雷でしたんです。

上記の作品とは逆に今度は、娘が知的障害を持つ父親と娘のお話。

これ、実話がベースになっているらしいです。

というより、これが実話ベースでなかったら、やりすぎの謗りを免れまい。

鑑賞後、どうにもやり場のない悲しみが。

でも、こういう問題って今もたくさんあるんだろう。

内容を先に知っていれば、観なかった可能性が大きいが、

目を背けてはいけない問題であると思うので、

観て良かったと、

彼らの残した問題を、

これもまた、綺麗な心も賢い頭も持たない僕には解けないだろうけど、

考えることから逃げてはいけないんじゃないかと。

善哉。

そう思いました。


















どっじぼーるすね。

後輩無理山に、オススメ映画をこれまでの惨劇に懲りもせず聞いたら、

「つりをさん、ドッジボールって映画観たことあります?」

とまた、いかにもくだらなそうな作品名。

もう引っかからない、お金の損は頑張り次第でどうにでもなるけれども、時間は有限、どんなに偉い人も、地上最低のバカも同じ一日24時間しか有しておらん。

まして私ははや中年、時間を無駄遣いしているいとまはない。

「ドッジボール・・・いや、それは流石にお前・・」と渋っていると、後輩無理山が気になることを言う。

「僕、昔ドッジボールの神様って言われてたんですよね。小学生のとき。」

・・ほほう。ドッジの神と称された男が薦める、ドッジの映画。

観るべきか・・確かにわざわざドッジボールを映画にするのだから、通常の物語では人目を惹かないことは製作者も分かっているだろう。であるのに、制作したということは、そこに伝えたい何かがあるからかもしれん。

現に目の前にいるチャーリー・シーン似の元ドッジの神がワイルドシングに薦めてくる。

「ホンマにオモロイの?」

「ハイ・・マジで。」

ということで、またもやTSUTAYAへ行ったわけです。

少し無ければいいな。と思いつつ探す。

タイトルからして、コメディだろうと思いコメディコーナーを探す。

無い。

タイトルがタイトルだけに、店員には聞けない。完全な中年男がどのツラ下げて、「あの、ドッジボールってDVD・・」などと聞けるか。

自力でなんとかしないと。アイツのオススメはいつも探すのが難儀な上、タイトルが恥ずい。

無ければ無いで良い。むしろ無い方向で。などと思って探すこと数十分。

・・・あった。ありやがった・・しかもドラマのカテゴリーに・・。

ひょっとして、いい作品なのか・・。

見つけてしまったものは仕方ない。人目をはばかりつつ、しゅらっとDVDを抜き取る。

そして、期待よりは大きく不安が勝るそれを、

鑑賞いたしましたよ。

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「ドッジボール」   2004年  アメリカ  監督 ローソン・マーシャル・サーバー

結論から言えば、「私の一時間半を返せ。」

となるだろうか。

起承転結をベタベタに味わいたい人には良いかもしれない。

何のひねりもないド直球のストーリー。

おいTSUTAYAよ。これ完全にコメディやんけ。

ドラマのコーナーに置くなや。

後日、後輩無理山に観たことを話すと、

「マジで観たんすか?あれは、つりをさんが絶対に観てないやつゆーたろと思ってゆーただけですよwwだって大概観てますやん?あれは観てないやろと思ってw」

そこはあくまで、面白いということを前提にオススメして欲しかった。

「いやwお前、面白いって言ったよね?」

「ハイ、僕的には、ぷぷww」・・コイツ。

またしても後輩無理山にしてやられた結果となった。

神というのは時として恐ろしいものだ。いつも正しい道に導いてくれるとは限らない。

神様には気をつけろ。特にドッジの神。

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これは、今月の頭くらいに行った、月一ラーメンで食べた、「醤油まぜそば」

この日は、初めての店、小さめの店はダメだと分かりつつ、ライクアローリングストーン狂拳を連れて行った。

狂拳はつけ麺を注文したのだけど、案の定、狭い店内に響き渡る下ネタで、店内の客をドン引きさせ、注文の品が届いたら、頼むから黙って食えと言ったのに、

「ムッ!これわっ!ムムッ!可もなく不可もない味ッッ!」って、コラ。

一緒に行ったN氏もつけ麺を頼んでいて、N氏は美味いと言っていたので、そちらが絶対的に正しいかと。

まぜそばももの凄美味かったです。

「JunkStyle 心屋」

そう思いました。










そうぉんすね。

お爺ちゃんからヴェルタースオリジナルを貰ったこともないくせに、自分は特別だと何故か思ってしまっている。

それがこの世に生きる人大半のメンタリティだったりする。

自分の現在の不遇は少し運が悪いだけ、アイツのせい、自分はもっと凄い人間、きっとこれから良いことがある。などと、これから起こる偶然は全て自分にとってプラスの事象しか起こりえないと何故か考える。

実はその不遇と愚痴をこぼす日常こそが、最高到達点かもしれないのに。

幸運はどれほど大きくても受け容れられるが、不幸はほんの少しのことでも受け容れ難い。

自分が神様なら、もう見捨てるレベル。

自分が健康で家族も元気に生きているなら、少しの問題くらいなんでもない。

周りを見て幸せを決めるから、足りないものばかり目に付く。

日常を平凡だと愚痴る阿呆は、

生涯無様に不幸だろう。

といいつつ、僕も明日の幸運を待ってたりする。

救えねぇな。

足りてないのはビタミン、鉄分、カルシウムとかじゃなく、

自覚と感謝。

なんだこれ、説教くせー。

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「ソウォン/願い」   2013年 韓国  監督 イ・ジュンイク

実話ベースのお話らしいです。

登校途中の少女が、近所に住む変態にとんでもない陵辱を受ける。

一命を取り留めるものの、生涯癒えることのない障害が身体に残る。

もちろん、心の傷はそれ以上で、

観ていて本当にツライ。

近所に変態が住んでいない幸運。

家族が健康に生きている幸福。

平凡で健やかな日常。

当たり前と思っているこれらは、

自分が思っている以上に得難いものなのだ。

と、心の底から。

善哉。

そう思いました。



















昨日と同じように今日も続くものだから、

昨日と同じように今日をいい加減に生きてしまう。

また機会があるだろうからと、いろんな選択をいい加減にしてしまう。

今日観る1本が最後の映画かもしれない。

今読んでいるこの一冊が人生最後の一冊かもしれない。

今目の前にいる人と交わすこの一言が最後の一言かもしれない。

今書いている一文が最後の言葉かもしれない。

この「最後」の覚悟が後悔のない人生を作るのだろうと、

そう頭では理解できるのだけど、

経験したことのない「最後」を上手く想像できなくて、

やはり、今日も昨日と同じように、いつ火が点くのか分からない、湿気った花火のように、いやそれさえ自分が花火だと思っているだけで、火の点く要素さえないのかもしれない自分に不全感を抱えて時間の裾に追いすがる。

「最後」の覚悟が火を点けると分かっていながら。

「明日じゃダメだ」VS「今日でなくとも」

「今日でなくとも」ツエー。

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「17歳のエンディングノート」  2013年  監督 オル・パーカー

タイトルから推察できる通り、17歳の子が難病にかかり余命宣告を受けてから、

死んでしまうまでのお話。

人が悔いなく生きるということは、

残される人にとってもすごく大事なことなのだな。

あれもしたかった、これもしたかった、悔しい、残念、そんなことをたくさん抱えて逝ってしまったら、

残された者の悲しみも、大きな後悔を纏ったものになる。

だから生きている間は、悔いなく生きないとな。

と思うが、

それが、とても難しい。

原因は全て、自分にあるのだけど。

そう思いました。





話し上手は聞き上手とか。

これは、まずその人の興味や考え方、最近の関心事や出来事を聞き、それをベースに自分の話をする。

それはとても聴きやすい話になるだろう。と予測できる。

いきなり自分の話をのべつ幕なしにまくし立てて、相手の苦笑にも気疲れにも気づかずマシンガンをぶっぱなし、弾が切れたら満足して、その後は相手の話も聞かず、会話そのものを終わらせる。そういう傾向のある自称お話上手をたまに見かけるが、こういうのは、きっと話上手とは言わないのだろう。

誰が相手でも一曲しかヒットのない歌手のように、同じ話しかしない人がいるが、その話がいかに面白かろうとも、相手が関係ない、という時点でそれもまた話上手ではないのだろう。

「会話はキャッチボール」とかも言いますが、そういう意味でいくと、上記二つは、ただのノックで、キャッチボールではなさそうです。

相手によって話の内容が変わる。相手の考えや反応に沿った流れを読んで話す。その中でしっかり自分の言いたいことも言う。少々相手が変なところに投げようがしっかり取り、相手の取りやすいところに投げ返す。そういうことができるのが話し上手か。

これは、そのまま人間関係そのものにも当てはまりそうです。

自分の願望ばかりを言い募って、それが叶わないと相手のせいにする。

自分のやりたいことが終われば、相手がどんな状況でも、そこで切り上げる。

自分の道を行くためなら、他人がどれだけ迷惑をこうむっても関係ない。

こういうのは、生き上手とは言えないかもしれない。

自分が大事に思う道があるのなら、他人にもそういう思いがある。

という当たり前の想像力もなくて、

人は自分の道など行けないんじゃないか。

なんて。

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「かぐや姫の物語」   2013年  日本  監督 高畑勲

二人で慎ましくささやかで、でも少し寂しい生活を送る老夫婦の下に、お爺さんが竹林で拾ってくるという形で、突如授かった可愛い子ども。

老夫婦の生活にも張りが出て、ハッピー。

子どももすくすく育ち、友達が出来たりして楽しそう、幸せそう。

と、ここまでを僕はかぐや姫の物語として観た。

このあと、お爺さん、竹林で竹の中から大金を見つける。

ここから、「かぐや姫のお爺さんの物語」

大金を手にして何を思ったかジイさん、この金でかぐやを良いとこの姫にしなあかん!とか言い出す。

田舎暮らしに満足していたかぐやとバアさんを強引に説得して、上京。

金で貴族のポジションゲット。

かぐやのため!というスローガンを掲げ、その方針にかぐやは納得いってないにも関わらず、ジイさん暴走。

ジイさん、この間まで田舎で竹を切っていたとは思えない政治力を発揮してガンガンのし上がる。

後半は完全にジイさんのサクセスストーリー。

最後、かぐやが月に帰るとき、泣いていたジイさんを見て、その涙の理由が気になった。

何か邪な涙な気がしてw

自分の道を行くのもいいけど、家族の話くらいは聞かないとね。

ジイさんをみてそんなことを。

あと、あの帝何よ?あのガンダムみたいな感じの服装何?あの服はダンボールででも出来ているのか。あと、アゴなww

そう思いました。








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