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じょーのあしたすね。

会社なんかで誰だかと話したりするとき、多くは時事ネタから入り、、それについてあーだこーだ、実際には「SMAP解散?どうでもいい。むしろ遅すぎるだろう。いい年のオッサンが歌って踊ってゲッチュもないもんだ。せいせいする。」とか思っているのだけど、相手が解散を意外に思っていたり、残念ぽい雰囲気で話してたりすると、それに合わせて、ほんまねぇ、寂しい気もしますねぇ。でもまぁいい頃じゃないですかねぇ。などと阿呆みたいに答える。

ここで空気も読まず、自分の意見をゴリゴリ押し付けても、何も良いことはない。その場を波風立てずに済ませるには、常識、世間一般の見解に寄り添っておけばいい。

常識的に・・・。

常識・・・。

なんだそれ?誰が決めたのか分からないそんなものに、都合のいい時だけ、擦り寄っていくなんてのは、何だか卑怯な上に退屈だ。話し相手にとっても、相手は僕でなくてもいいわけだ。Siriで十分だ。

常識、ルール、世論、そういったものは社会を上手く機能させるためにそら必要なんだろうけど、それにのみ頼り切るのもどうだろう、わし、考えることを放棄します、決めてくれたら守りますんで!って宣言しているようなものじゃない?それって。

会社にも幾人かいるのだけど、ルールは守っている!だから俺は正しい!みたいな人。例外なく怠け者。何か聞いても自分の意見は言わない。ルールでこうなっているから。としか言わない。なら、そのルール全部書いてどこかに置いておいてくれたら、もうその人はいらない。管理者の職責はそんなところにないと思うのだけど。ルール、ルールというが、遅刻が三回続いた社員はその直属の上司がその社員を撲殺する。なんてルールができたらお前それ守るのかよ。なんて極論が頭に浮かぶ。

世の中が決めたから、会社が決めたから、自分より偉い人がこう言うから。

その通り生きれば、それは楽だろう。けど、そういう生き方なら自分じゃなくていい。誰でもいい。

常識、ルール、世間的な風潮、その範囲の中で交わされる言葉、関係。

誰だお前?誰だ俺?



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「ジョーのあした 辰吉丈一郎との20年」

世界にアリがいれば、

日本には辰吉がいる。

日本ボクシング界のカリスマ辰吉。

彼はその当時網膜剥離即引退のルールを変えた。だって体元気やもん、できるやん。

みたいなノリで、長年誰しもがルールだからと現役を諦めたそのルールを、見事な駄々っ子ぶりで変えてみせた。

辰吉の考えを覆すだけの強い説得力を古くなったルールは持ち得なかった。ルールという言葉に力があっただけで、その内容に力はなかった。結果彼はボクサーにとって死刑宣告ともいえる網膜剥離を患いながらも、手術を受け、然るべき医師から了承を得、リングに帰ってきた。そしてたくさんの感動を人々に与えた。

アリにも辰吉にも言えることだけど、リング外での戦いに勝ったこと、これが彼らを物凄く大きく感じさせる要因だったりするよね。とかね。

普段どちらもビッグマウスで、周囲もそれをリップサービスくらいに受け取って楽しむ。

ところが、時にその法螺にも思える大放言を上回るミラクルを起こしてのける。

映画の話してないや・・。

この作品、ほぼ全編辰吉のインタビュー映像のみで、20年間の変遷を辿る。

昔も今も威勢がいい。やはり何とも魅力的な人間だ。愛嬌、厳格、頑固、明朗、不遜、若さ、関心、無関心、真面目、自由、様々な要素がそれぞれ独自の輝きを持って混ざり合い、「辰吉丈一郎」としかいえない個性を持った存在がグイグイ迫ってくる。

しかし20年。顔変わったな〜。とか。

善哉。

そう思いました。




















たくさん何かを知っている。ということが賢さのバロメーターってのは、猫も杓子も情報端末を持ち歩く現代においては時代遅れな考えだろうと思うのだけど、受験や試験なんかは記憶に頼る、記憶を試す、みたいな形式で今も行われているから、たくさん何かを知っている人が賢いなんて風に染み付いているのか何なのか考えてしまうところが未だにある。

そういった考えの人を見かけたりすることも珍しくない。新しい出来事、有名人のちょっとしたしかしどうでもいいエピソード、世界の動向、そんなものをさも価値があるかのごとく、知ってた?みたいに訳知り顔で話したりしている人をみると、少し寂しい気持ちになる。・・・・で?みたいな。

そんなものは、今の時代ググれば簡単に手に入る情報。

問題は、その情報に対して、その人がどう考えるかということで、情報はあくまで単なる素材でそれをどう料理するかというところに今の時代の賢さというのがある気がするけど、その情報を他人に伝えるということは、その情報自体に価値を認めているということで、たくさんの情報の中からの取捨選択にその人の個性は発揮されているのかもしれないななんてことも思うから、それはそれでいいのかと思ったりもする。そこには捨て難い素材もあったりするから、お隣さんからの頂き物、それをどういう風に消化するかは自分次第だし。

しかし、自分が当事者でない出来事など、本当に本当のところは分かりえないのだし、たくさんの人が手にする情報、そこには都合のいい改竄、敢えて秘匿する部分、見えているのは表面だけ、そんな感じが強くしたりしなかったり。

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「ピエロがお前を嘲笑う」   2014年 ドイツ  監督 バラン・ボー・オダー

自首してきた天才ハッカーのどこからどこまでが本当か分からない自供。

最後まで見ても、・・・ん?どこからどこまで?って自分の鈍い頭がもどかしい。

人間心理の複雑さ、ネット社会の脆弱さややこしさ危うさ。

情報なんて簡単に操作されるんだな。

って前から分かってはいたけど、思っていたよりずっと簡単で大胆になされているのかもね。とかね。

善哉。

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「ナイトクローラー」   2014年  アメリカ  監督 ダン・ギルロイ

イってるな。この主人公かなりイってる。

テレビ局に事件や事故の映像を売り込む仕事をしているのだけど、より画が過激になるように、構図を考えて怪我人や死体を動かしたり、仲間を見殺しにしたり、無茶苦茶。

こういうイカれた人間が、報道に携わっていたら、それこそ情報なんてものに価値はなくなる。

味付けしすぎ。

だけど、ここまでではないにしても、作為的な味付けを施された情報を受け取っているのだろうね。僕ら。

手にしている情報の頼り無さ。それに対してうんぬんするアホらしさ。

蜃気楼。

見えているけど、実体はない。

触れられないものを有難がるのは、よそうかな。

なんて。

善哉。

そう思いました。




さんおぶごっどすね。

溜まる溜まる。

頑張って書かないと、観た作品が溜まる。本に至っては、読後写真も撮ってない。絶対そのうち同じ本買う・・。

このブログを始めて以降は、DVDの二度借り、本の二度買いはなくなったが、今のようなダラダラ更新では、きっと近々やるだろうとの懸念がある。

ボクシングのこともたくさん書きたいけど、とてもそこまで手がまわらない。

嗚呼、時間がないな。あるようでないな。あるんだけど気がついたらないな。不思議だな。

というのは、誰が読んでも気づくだろうけど、ただの言い訳で、時間を有効に使えていないだけだ。

来月にはいよいよ御年取りも取ったり四十才に相成るというのに、未だに時間を上手く使えない。

僕が不惑に至るには、開き直りしか手段がない。我ながら可哀想。

あとは奇跡。奇跡待ち。神様お願いします。

とはいえ、結構な年月人間をやっているのだけど、奇跡なんてものに出くわしたことがない。

あるの?そんなもの。

世の中のルール。いわゆる法則なんてものは、そもそも神様が決めたのだから、そこを無視して起こることって、実は悪魔の仕業じゃないのか。

さっきは神様にお願いしたけど、どっちにお願いしたほうが起こるんだろうね。奇跡。


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「サン・オブ・ゴッド」   2014年  アメリカ  監督 クリストファー・スペンサー

イエス・キリストの生誕からその最期、さらには復活までを描く。

まず思ったのは、神の子ですら最後は身内に裏切られてその生を絶たれた。

僕ごときが長い人生一度も騙されず終えられるはずもないわな。とかなり内輪ネタの感想w

その両者の最期を観て、騙した方でなくて本当に良かった。と思った。と思えるようになったというのは、かなりデリケートなハートの傷が癒えてる証拠だ、と思った。しかし、デリケートと自分で言う奴に本当にデリケートな奴がいるだろうか、とも思った。

それはさておき、作品の話。

物理法則無視の奇跡ガンガン起こして、一大ムーブメントを起こすイエス。

あれらの奇跡が本当なら、僕は逆に神の子なんて話疑うけど。

食べ物が増えたり、水の上に立ったり、病の者を「赦された」の一言で治したり、死んだ人が生き返ったり、そういうことが起こらないから人々は苦しいのであって、そんなことが自由に出来るなら、誰も苦しい仕事に従事しないし、そもそも生きることに不安を感じない。あるのは不満だけ、みたいになると思う。

それってどうなんよ。不安があるから、人は努力して生きるんだと思うんだけど。

とはいえ、昨今の不安ビジネスもかなりどうかと思う。やれ、アレは身体に悪い、コレは精神に悪影響、万一に備えてとか、経済が不透明、などと矢鱈に不安を煽って効くのか効かないのか分からないサプリメントやご利益があるのかないのかサッパリ分からんパワーストーンだのを購入させたり、素人に投資を勧めたり、入らんでいい保険に加入させたり。

何だかどっちもどっち。普通でいいと思う。

奇跡も不安も適度でいい。

どちらも大き過ぎるそれらは人をダメにすると思う。

何だかいろいろ考えてしまう作品。キリストがメチャイケメンw

善哉。

そう思いました。



ありふれたすね。

離婚であったり、家族の病気であったり、経済的な困窮であったり、ご近所トラブルであったり、はたまた、善き人との出会いであったり、日々当たり前に与えられているつもりでいる健康であったり、まぁ何ていうか、日常。

誰にでも起こりうることで、それを聞いても、へぇそうなんだ。大変だね。良かったね。くらいのことで済ませてしまうこれらのこと。

しかし、その内容は様々で、同じ離婚や病気、困窮、トラブルでも理由、状況、それによって影響を受ける人の数、深刻さ、不快の大きさ、何より本人に与える影響はそれこそ様々。

順風満帆、最初から最後まで何事もなく人生生き抜いた。何て人は恐らく皆無で、誰にだってどこかのタイミングで挫折躓きはあったはず。その大小の差こそあれ。

その反対に良いこともたくさんあったはず。進み難い道の途上、あと少し、ここを乗り越えれば、ってところで背中を押してくれる人がいたり、就いている職業が時代に合ったり、どうにも手に入らないと思っていたものが手に入ったり。

そんな、人に話してしまえば、へぇ。そう。で済まされてしまいそうなこと、ちょっとした人生の起伏。

偉い人がこう言った。とか、世界は今こう。とか、宇宙はどう。とか、

そんなことより、ちょっとした人生の起伏、それが気になる。

以前からそうだけど、ファンタジーより、リアリティ。

大げさなものより、生活に寄り添ったテーマ。

そんなものが、合うみたい。そういう時期なのかなんなのか。

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「海のふた」  2014年  日本 監督 豊島圭介

東京での生活に疲れ、若者が陥る自分探しに見事ハマった主人公。

田舎に帰ってかき氷屋をオープン。

どこか夢見がち。それは仕方ない。それが若さ。

たまに勘違い思い違いが、現実を超えることもあるから、一概にそれを間違いだともいえない。

やってみればいいのだ。やりたいことがあるうちはやってみればいい。

僕の周りなど、やることがなくて困っている人間ばかりだ。

年を取ると、やれることが減っていくことは仕様がないが、意欲や情熱も薄れる。

ポケモンGOに夢中になるくらいなら、かき氷屋をやる方がくらべることも馬鹿らしいくらいマシだろう。

この作品、際立って物語らしい物語はないのだけど、こんな感じあるよな。こんなもんだよな。

何気ない中でも皆頑張って生きているんだな。なんて、殊勝だけど、どこか腑抜けた感想ばかり出てくるw

でも、こんな感じも嫌いじゃない。時期的なものか。

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「グッドストライプス」   2015年  日本  監督 岨手由貴子

倦怠期のカップルが、妊娠をきっかけにしょうがないから、結婚しちゃう?みたいになって、

お互いの実家に挨拶に行った際、相手のこれまでの人生、出会うまでの人生を知ったり、相手家族との交流により、お互い相手への理解を深めていく。んで、よし、頑張ろう。

みたいな。

どこにでもいるちょっとだめ男と、ちょっと痛い女のカップルの、どこにでもある話だけど、

このどこにでもある。ってところが、何か良い。と思うのは時期的なものか。

そう思いました。













ほっとろーどすね。

今の会社に入って初日のことである。

初日は見学みたいなことで、一台のクレーンに乗り込み、先輩の仕事を見ておいて。

みたいなことを言われて、「こんちゃーす。よろしくっす。」なんて一台のクレーンに乗り込んだ。

したらば。

運転席にいたのは、今はもう絶滅危惧種、平成ももう20年を過ぎたというのに、昭和の薫りを紛々させるトラディショナルなヘアースタイル、パンチDEパーマ。さらに仕事だというのにグラサンを鼻にかけた40代くらいのオッチャン。

俺ペディアによると、これらの特徴はかなり八九三、足してブタ、あるいはドボンのヤクザ屋さん。

うわぁ・・ヤクザだ・・。ヤクザが運転してる・・。これは大変なところに来てしまった。

すぐにでも辞めて、他の仕事を探したいが、俺ペディアの情報によると、ヤクザは辞めるとか言ったらオトシマエとか言われて、小指を自ら欠損に及び、親分に献上しなくてはならないとか聞いたことがある、それはおっかない。

困ったことになったと思いつつ、話してみると、全然威嚇的ではなく、それどころか大変に親切で好人物であった。良かった。と思ったが、油断は出来ない。柔和を装いながら、気を許したところに突然の恫喝、あまりの雰囲気の落差に動揺、必要以上に怯えてしまい、そこからはもう言いなり。好きなように操られる。などのことが起こるかもしれない。

あれから長日月が経つけど、懸念していたようなことは起こらず、上手くやれている。しかし、まだ油断はしていない。

だってまだパンチだもん、警戒してしまうよね。例えばヤクザルックの人に「兄ちゃん、ええ儲け話あんねん」なんて持ちかけられたら、それ合法?とか思ってしまうよね。

と同じような理由で、昨今芸能界を席巻する歌って踊れる愚連隊が信用ならない。

三代目とか、ほら、もうまんま何とか組みたいなノリじゃないか。愛とか恋とかを日本人の恋愛観とは少し異なるいやにまとわりつくような濃密でくどくねちっこいムーディな雰囲気で歌い上げ踊り倒し、これまた日本人のノリとは少し異なる感じのパーティパーティした曲もたくさん出しているけど、これもやはり嘘くさい。そもそも日本にあまりないような気がするパーティの文化。非常にズレている感じがするが、ハヤり作っちゃえば、こっちのもんでしょ?ズレてんのお前らだから。俺らが時代作るから。ってか俺らが時代だから。とか思ってそう。そう言われちゃうとオジさん二の句が継げないのだけど。

意味なく黒いし、裸を見せたがるし、目立ちたがりの集まりなのに、皆似たような見た目で個が見えない。わちゃわちゃ動く黒い塊にしか見えない。一体何が魅力なのか、彼らの何が時代にあっているのか、真剣に見てみようと思ったこともあるけど、ちょっと見て、きっと分かるまい。ていうか、無理、黒い男の集団真面目に見るとか無理。と思ってすぐにやめた。

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「ホットロード」  2014年  日本 監督 三木孝浩

ちょっと魔裟斗かな?と思ったこの主役の俳優さん、歌って踊れる愚連隊の一人らしい。

歌と踊りからさらに版図を広げようという魂胆か。

映画でもやはり黒い。集団のときよりは少しマシな気もするが。

物語的にはあまり好みのものではなかったし、配役も適当ではなかった気がする。

こういう暴走族物を見たときにいつも思うのだけど、こんなにシリアスに生きてないと思うんだ暴走族。

もっと楽しくっていうか、刹那的なノリとか、単なる暴力衝動とか、目立ちたいだけとか、そもそもいろいろ真面目にできないから暴走族になるわけで、

すんごい漢気とか、筋の通った思考とか、人を大切に想う気持ち、そんなもの持ち合わせているなら、明らかに違法で他人様に多大な迷惑をかける暴走行為になんて走らんだろう?登場人物にこれらの特性を備えることが、生産性のない集団に無理に価値をつけているように思えて、何だかな。

と言いつつなんだかんだ観てしまう・・・。ヤンキー物。

そう思いました。







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