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えかきものすね。

見て聞いて取り入れて、それを表に出す。

簡単に思えてこれがとても難しい。

仕事なんかでも、見て聞いて、いざやってみてなんて言われて一回で出来ることなんて余程の麒麟児でもない限りほとんどないんじゃないか。

えっ、あっ、あれ、こうやったかな?あ、うそっ、何か部品取れた、やべっ、どうしよう。なんてことがこれまで幾度あったことか。

頭では完璧に理解しているのだけど、それを眼前に再現表現しようとすると出来ない。

そこが人間の面白いところで、たくさんの人に可能性を与え、また奪う。

絶対音感であるのに、いざ歌う段になると、酒焼けしたオッサンみたいな声しかでなくて、歌っているのか唸っているのか分からない。こういった人もいるだろう。

物凄く頭が良くて、周りの人間が皆、凡下衆愚愚鈍に思える程の人が、物凄く考えて、この投球フォームであれば、理論上180キロのストレートが投げられるだろうと考えついたところで、実際に投げてみると、女投げでキャッチャーまですら届かない。そんなこともあるだろう。

絶対音感?そんなの知らねー。みたいな感じの人に歌わせてみると、とんでもなく上手かったり、細かい話はいいんだよ、これあそこまで投げればいいんだろう?みたいな見るからにガサツで知性の欠片も感じさせぬ男が「えいっ」って投げたら、ちょっとホップするくらいの超速球を投げたり。

感覚と表現力それは密に結びついたものではあるのだろうけど、イコールではない。

当たり前のことだけれど、表現力のある人は、人からその才能を評価されやすい。

だって表に現す能力、表現力。だから目に見えて優れている。

しかし、感覚が優れている人というのは、人から誤解を受けやすい。

感じて覚る、感覚、誰も分からぬ深いところまで感じて覚ってしまうのだけど、それは周りには分からないから、お前の耳が腐ってるんじゃないか?とか鼻の穴に何か異物でも入っているんじゃないか?とか、幻覚じゃないのそれ?とか言われる。

どちらかだけを持っている人はこれ、片輪走行というか、ケンケンというか、もし走りたいスピード出したいと思っているならとても走り難いだろうなと思う。どちらか一方でも持っているなら、それだけでも素晴らしいものだけど。

その点自分はどうだろう。感覚はもうこれ絶望的にない。この間肘を擦りむいたのだけど、その擦り傷に風呂に入るまで気づかなかった。耳は和田アキ子とTUBEの声が聞き分けられない。舌は醤油が掛かっていれば何でも美味い。目はよく人が目にしてわぁ美しいなんていう名勝、風光明媚な景色も、なんだか殺風景だな。なんぞと絶望的な感想を持つ。鼻もオッサンとオバはんの匂いをかろうじて嗅ぎ分けられる程度の嗅覚しかない。

表現力もかなり覚束無いもので、仕事はすぐに覚えられない。いや覚えていることもあるのだけど、それをそのまま出来ない、絵を描かせれば写楽を模写したのにピカソと言われる。料理を作らせれば、年寄りや体の弱った人ならそれを食べたことが直接の死因になるんじゃないかというくらいの鬼塩分。歌を歌わせれば、顔と声が何か結びつかないとか言われる。文章を書かせれば、ここを以前から覗いてくれている人ならばもうとっくにお分かりかと思うが、何が書きたいのか分からない。

そう。今も分からない。才能って言葉に要素として包含されるであろう、感覚と表現力。

それの話をしたかった。それだけなのに、だけなのに。

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「ビッグアイズ」   2014年 アメリカ  監督 ティム・バートン

ティム・バートンなので、ぶっ飛んだ世界観を覚悟して観たのですけど、実話ベースとのことで、奇妙な生き物や人間などは出てきませんでした。

では、つまらなかったかといえばそうではなく、期待はずれでもなく、

非常に興味深い物語でしたんですね。

絵の上手い妻と、口の達者な旦那、一躍時代のスターダムにのし上がるが、

口の達者な人の弊で、彼の言っていることは嘘ばかり。

遂には絵かきの妻と対立。裁判。

彼なくして彼女の名声はなかった。

しかし、調子に乗りすぎた。もっと上手くやれただろうに。

というのは結果論。当事者でもない外野の野次。

善哉。


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「百日紅 Miss HOKUSAI」  2015年 日本  監督 原恵一

葛飾北斎の娘が主人公。

良い絵を描きたい。

その一心で己の知らぬ感覚を掴みとろうと足掻く様は、表現を志すものであれば誰しも感じる欠乏感なのかな。

技量は足りていても、感覚が足りぬ。

感覚がとらえていても、技量が追いつかない。

日常にもたくさんあるよね、こういうこと。とか思ったり。

善哉。

そう思いました。


















はかせものすね。

人間は皆平等だ。

というのは、どうだろう?長く生きていればいるほど、そうではない気がして、たまにこの言葉を目をキラキラさせて言う人など見ると、芯からのバカか、偽善者に見える。

が、それは僕が捉えている世の中の基準に照らし合わせただけの狭い了見で、例えば、この世界を創った皆が神様とか呼ぶ存在からすれば、皆平等に生まれているのかもしれない。

社会で生きていく上で重要なスペック、頭脳容姿体力、平和な国に生まれる、富んだ家庭に生まれる、そういう持っていたらば、皆がうらやむようなものには、明らかに差がある。しかし、人間それだけではない。ということもこの年まで生きると身を持って知る。

先天的なものに関しては、これどうしようもないけど、後天的なものに関しては努力である程度手に入る。

しかし、先天的にそれらを持ち合わせた人は、努力、時間を使わずにそれを持っているのだから、努力に努力を重ねようやくそれを持った時点でスタートの後天的はやはりハンデを負っているようにも思う。

よくロールプレイングゲームなどにあるキャラを決めたあとに、持ち点の100をいろいろな能力に振り分けて冒険をスタート。みたいな設定。

あれと同じことが人間にもあって、生まれる時点で持ち点をゲームよりはもちろん複雑で多岐に渡る項目に振り分けていたりすることはないだろうかな。で、いろいろ総合すると皆始めの持ち点は100点。

平等。

ただ振り分けた記憶もなければ、これから生きる世界のことなど全くわからない時点での振り分けだから、どうでもいいような項目にたくさん点数使っちゃって、肝心の頭脳、容姿、体力、運の要素を含むものに振り分けなかった。なんてことだったり。

という想像を、この間どこからか僕の離婚を聞きつけたバツイチシングルマザーと会って話したときにずっと考えていた。というのも、約15年ぶりに見るその人の顔がね。すごく変わってたんですね。…整形・・か?しかもこれプチなんてレベルじゃねーぞ…後天的な努力と言えないこともないけど、それはどうなんだろう?何だか哀しいなぁ。人間って哀しい生き物だなぁ。なんてことをね。

何が哀しいのか?この時の会話はたくさんの示唆を含んでいたので、またの機会に改めてしますが、

世の人が羨むものを全て手に入れても、それがそのままその人の幸せに直結しない。

じゃあそれは何処に?それが見えないところに人生の底知れなさ、奥深さ、神様なんてものの存在する余地なんかがあるのかな。なんてことを。

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「博士と彼女のセオリー」   2014年  アメリカ  監督 ジェームズ・マーシュ

物理学者スティーブン・ホーキング博士と、その妻ジェーンのお話。

世界的に著名な博士であるから、当然博士目線の作品かと思いきや、

これジェーン寄りのお話なんですね。

彼女の書いた自伝が原作らしいということを聞き納得。

しかし、ホーキング博士を演じたエディ・レッドメインの素晴らしさよ。

最近全然人の名前を覚えられないんですが、

彼だけは覚えておこうと思いましたよ、来月くらいには忘れているかもしれないけど。

飛び抜けた頭脳。しかし身体には日常生活にすら人の手を必要とするほどの重病。

人生は楽じゃない。

善哉。


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「イミテーション・ゲーム エニグマと天才数学者の秘密」  2014年 アメリカ  監督 モルテン・ティルドゥム

これまた頭良い人の話で、第二次世界大戦時、ドイツのめちゃムズ暗号「エニグマ」とかいうのを解いちゃったチューリングって人の話。

この暗号解読によって救われた人命は試算で1400万人らしい。

すんごいね。

しかも、現在皆が使っているコンピュータの基礎も作っちゃったらしい。

衆に秀でた頭脳の中でもさらに秀でた頭脳。

しかし、精神的に欠落した部分、ホモセクシャル(当時のイギリスでは同性愛は有罪)、などがあり日常を平穏に送ることはできなかったらしい。

そして、ネタバレだけど、最後は自死。

本当に人生とは、上手くいかないものだ。

兎角に人の世は住みにくい。

善哉。

そう思いました。









ばけもののこすね。

以前読んだキケローだったかな?の「友情について」これまただったかな?に書いてあったかな?

何もかもあやふやで自分でも嫌になるが、誰の書いた何の作品ってことは特に問題ではなくて、引き合いに出したいのは話のその内容。

うろ覚えだけど、友情は親兄弟などの親類あるいは血縁のある親戚などに対する愛情より尊い。何故なら、血の繋がりなんてものは、こちらが何かを頑張ることもなく、礼を尽くす必要もなく、たとえ自分が人間として付き合うに値しないクソ野郎でも繋がりが切れることはない。しかし友情は、常に相手に相応しくあらねばならぬし、そこに恒常的な愛を注ぐ必要がある。みたいな話。確かに一理。と思った記憶がある。ほったらかしでもそれなりに育まれる親子の情愛なんどより、友情の方が維持することは難しい。と年々。

これまたあやふやな記憶だけど、なにかのテレビで関根勤が、娘と妻が崖から落ちそうになっていて、片手に一人づつ掴んでいる。しかし腕の力がもう限界。一人を離して、一人なら両腕で何とか引き上げられそう。というシュチュエーションになったらどちらの手を離す?と聞かれて、そうなったら娘の手を離す。と答えた。理由は、妻は他人だが、娘とは血が繋がっている。だから、話さなくても、自分が娘の手を離した理由を分かってくれる。遺伝子で理解してくれる。・・・なるほど。と唸った覚えが。

長年連れ添った夫婦でも、所詮は他人で、分かり合えることなどないのかもしれない。もちろんそれは身内も同じで、親兄弟といえどそれぞれの人格を持った他人であるのだけど、血の繋がりという抗いようのない、何があっても覆ることも断ち切れてしまうこともない関係がある。あってしまう。

だから、親族関係というのは、そんなに頑張らなくとも勝手に続いてしまうもの。(理想の形がある場合は別にして)

そう考えると、やはり他人との関係性にこそ、その人の持つ本当の情愛が出るのかも知れない。

その関係が、血の繋がりさえ超えることがあるのかないのか。作り物の物語の中ではよく見るけど、そんなことが事実あるのか。あると信じたいが、凄まじく稀有だと思うんすよね。

もしそんな関係を持っている人がいるなら、すげいよね。

持っていることを世間に自慢しても、決して盗まれることも悪意にさらされることもない宝石を手に入れたようなもの。

精神的にはそれで一生食っていけるだろう。身体的な飢えは知らんけど。

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「バケモノの子」  2015年 日本  監督 細田守

家出少年がバケモノに拾われる。

強くなりたい少年、強い弟子が欲しいバケモノ、思惑が一致。

表面的にはいがみ合いながらも、師弟生活をともにするうち深いところで繋がっていく。

そしてその繋がりはいつしか、切っても切れないものになる。

そうこうするうち成長した少年、人間の世界かバケモノの世界、どちらで生きていくかの選択を強いられる。

といったあたりは、同監督の「おおかみこどもの雨と雪」にもあったテーマか。

簡単にバケモノ(熊徹)がライバルに勝って、九太(少年)も強い青年になって、ハッピーハッピー。

という終わり方をせず、

これはこれで良かった・・・のか?

みたいに考えさせられるラストで、

鑑賞後、余韻が長く残る。

親子を超える親子。

善哉。

そう思いました。













しぇふすね。

冷蔵庫のなかにあるもので、適当に何か作る。

これができる人は料理上手、なんて言います。

約7,8年ぶりの一人暮らしで(現在は両親が転がり込んできて、残念ながら一人暮らしは半年で終わり・・)、自炊を試みてみて本当にそう思った。

まず近所のスーパーマーケットに行き、買い物に悩む。何せ何か作ろうと食料品を物色したことがなかったから。そこで買い物といえば主婦。主婦の目線になりきって、あら今日はチンゲンサイが安いじゃない、このバナナ傷んでるわね、人の買い物かごを覗き込んで、あら、奥さんち今日はビーフシチュー?とか心の中でつぶやきながら買い物。

家路に着き、主婦目線で買ったチンゲンサイを前に調理法が分からず包丁片手に台所で、どこ切るんだよ・・と途方に暮れたことを思い出す。

目線だけ主婦でも、知識とスキルが追いついていないとダメらしい。

またいつもの悪癖で話を大きくしますが、これ人生と同じだな。と。

周りにいる人、持っている物、仕事、収入、時間、体調、過去、いわゆる今日の自分に備わる条件。

自分の冷蔵庫に入っているもので、楽しくやらないといけないわけです。(人生は楽しまなければダメだと思う人、あるいは楽しみたいと思っている人は)

それを、あれがあれば、これがあれば、そら、思い浮かべるもの全部あれば、楽しくやれるかもしれない。

でも、それはあくまで想像で、自分にそれらを活かすスキル、知識がなければ、やはりそれらを兼ね備えた人ほどは楽しめない。

目線だけは賢者のそれになりきったとて、中身が伴わなければ、宝の持ち腐れ。

今あるもので、思い浮かぶ最良を作る。

それが人生上手。

五体不満足でもあれだけエンジョイしている人もいるのだ。エンジョイが過ぎて、ちょっと大変っぽいけど。

五体満足で何の不平不満を言い募る?

と思うのだけど、なかなか思うように楽しめないね、材料はふんだんに持っているはずなんだけど。

どうも僕はへっぽこ料理人みたいだ。


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「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」  2014年 アメリカ 監督 ジョン・ファヴロー

ある店の雇われシェフが、オーナーと料理の方針を巡り喧嘩。クビ。

再就職しようにも、悪名が巷間流布し、どこも雇ってくれない。といって自分の店を出すだけの資金もない。生活の危機、思いついたのはフードトラック。

別れた妻と暮らしている息子。オヤジのフードトラック開業を聞き、

夏休みの間手伝いたい。と

料理人としての父を尊敬する息子。

腕は確かなシェフ、各地を転々としながら、ドンドン話題を集める。

親子の絆もドンドン深まる。

心温まるロードムービー。

みたいなお話。

毎度かいつまみすぎているけど。ざっくり。

このシェフ、料理はもちろんのこと、幸せも自分に備わった条件で上手く作り上げてみせた。

今ある材料で、きっと幸せは作れる。

足りないものを嘆くより、今あるものを喜ばないと。

そんなことを思ったり。

善哉。

そう思いました。



























まにーすね。

今勤めている会社のこと。

僕の所属している会社は下請けで、上に別の会社がある。

業務自体は同じ場所で同じことを行うのであるけど、主に管理を上の会社が担い、実作業のほとんどは僕たちの会社が行う。

当然実作業を行う方が仕事はキツくときには猫の手も借りたいほど。

そんなときに管理を主担とするとうそぶく上の会社の人間が、事務所の中でそれ以上力抜けないだろうってくらいダラけた姿勢で座って居眠りしているのが見えると、とてもイライラする。

もう少し働いたら?なんて言ったこともあるのだけど、柳に風糠に釘、「俺たちは何かあったときに動けばいいんで、何もないときは何もしなくていいんだよ」とか言う。

確かに管理の仕事というのは、そういったものかも知れない。だけど、その前にお前らも人間だろう?人間なら、困っている他人を見て、放って置けるのか。というのは、道徳倫理の問題で、今話したいこととは違う。相変わらず話が逸れる悪癖、矯めないとね。

僕が言いたいのは、管理は有事の際に動けばいいと、それはそうなのだろう。それでいいと思うのだけど、なら何もないとき何もしないでいいのかって話で、サボり方を考えろ、多忙を極める作業員に見えるところでサボるんじゃねぇよって話、サボり方も仕事のうちだろう、管理というなら、作業員のモチベーションを上げることも管理の仕事だろう?見えるところで豪快にサボって、あいつら馬鹿だカスだ、と作業員に陰口叩かれ、そういう管理職の言うことをいざそのお前らのいう有事の際、誰が聞くだろう。お金をもらってする仕事というのは、サボる時は隠れて、仕事するときは人に見えるところでってのが基本だろうよ。

といった理由で、見えないところでサボれない管理職は無能だと思う。それでも立場的には上なものだから、勘違いする。己を有能だと勘違いする。王様は裸だ。けど、うちの会社はオジさんばかりで、純粋な子どもなどいないから、王様が裸であることを誰も教えない。結果、サボり陰口の無限ループ。だめだこりゃ。



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「マニー」   2014年  アメリカ 監督 ライアン・ムーア レオン・ギャスト

前人未到の記録を次々打ち立てるミラクルボクサーパッキャオ。

そのパッキャオの人間の部分に力を入れて撮られた作品かと。

ある程度パッキャオに対して予備知識がないとあまり面白くないかもしれない。

スーパースターの裏の顔。一人歩きする表の顔に対し、素のパッキャオの疲れた顔。印象的。

綺麗に輝く月も裏側は暗い。

栄耀栄華を極めた者が陥る享楽の罠にあのパッキャオでさえ軽く嵌ったんだな。

パッキャオほどの人間でさえ、表の顔と素の自分をしっかりと意識しているというのに、

狭く小さい小屋の中で威張りくさり、表も裏も同じ顔をさらすとか、何なんだよ、あいつら。

とか、狭く小さい小屋の中のことを憤る。

そういうわたしはいつもセトモノ。w

同じ穴の狢ってことだね。

小さなところで生きていても、心は大きく持たないと。

そう思いました。








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