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あくまはだれだ。

唖々・・今年はダメだ。何という年だろう。

水木先生まで・・・。

93歳と超高齢であるから、この日の遠からず訪れることは覚悟しておかなくてはいけなかったのだろうけど、本人がいろんなところで言っていた「100まで生きる」。この言葉を、神様の宣言であるからと鵜呑みにしていたものだから、突然の訃報は青天の霹靂。

何か大事な用のあるとき雨に降られたオッサンが呟いた。「日頃の行いか・・」。その言葉を聞いて、僕は阿呆ぬかすな、オッサンの行いごときで天気変わるかい。もしオッサンの日頃の行いで今日この雨が降ってるなら、逆に凄いわい。俺、天とリンクしてる、みたいな途方もない勘違いに笑いをこらえるのに懸命になった。こんな場面に逢着するのは、僕の日頃の行いか・・。と思ったことがあったことを今何故話すかというに、僕ごとき下衆の人生の不調をこの巨星が墜ちたことに絡めて考えること自体不遜であることは重々承知だけれども、なんだかそう考えてしまうということを言いたかった。

何せそのへんの何にご利益があるのかよく分からぬが、皆がありがたがるから何となく、みたいな取り敢えず神様と呼ばれているものより、余程僕には神様に思えていたから。

水木先生は、心を描く漫画家だった。というか、僕の中では漫画家というよりは画家だった。というのも水木先生の作品は漫画より、妖怪図鑑などの一枚絵の方が大好きだったから。

妖怪というのは、夜中風呂場で音がする。起きたら枕が返ってる。襖からすごく見られている気がする。夜道を何かがついてくる気がするなどの、人間の恐怖心に形を与え絵にしたもの(水木先生は妖怪は本当にいる。と言っているけど)最近、人間は容姿などのパッケージの問題ではなく、やはり中身であることよな。それによって容姿の見え方も違ってくる、ほんと中身。要は心。そう激しく強く思うことがあった折も折の訃報だったので、尚更水木先生の偉大さが偲ばれる。

僕は今年、これまでの人生で出会った人の中で一番邪悪な人間に出会った。以前から知っていたのだけど、深く話すこともなく、関係性の近しさの割にはかなり疎遠にしていたものだから、その本質、本性を見誤っていた。軽く見積もっていた。なのでその途轍もなく醜怪、醜悪な邪悪に気づき絶望を覚えたときには、どうしようもない状況で自分の迂闊さを呪った。

その人・・・あれはもう人じゃないな、モンスターと対面したときに見えたものを、僕に絵心があれば描いて水木先生に見てもらいたい。などと空想した。きっと関心を持ってもらえただろう。「あんた、これ悪魔ですよ、私にも会わせてください」って。

天使も悪魔も人の心の形を視覚化したもので、人間と別の存在ではなく、それは人間そのもの。

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「悪魔は誰だ」   2013年  韓国  監督 チョン・グンソプ

「そんなこと、ホンマにあるんかいや?」みたいな嘘臭くてやっすいワイドショーのネタみたいなことが我が身に降りかかり、それが理由で離婚したことで、価値観に大きな変化が。

以前なら、笑い飛ばしていたような、どんなに荒唐無稽な物語も「・・むむ・・あり得る・・・」。

「こんな人間おるかーいww」と疑問も持たず馬鹿にして、その作品に対して冷める要素でしかなかった、やりすぎの登場人物も「う〜ん、・・・おるかもな・・・こういう奴会ったことないけど、実際にはおるかもしれん・・」と考えるようになった。

結果、何観ても自分の中で作品に対する信憑性、没入感がこれまでと段違い。

特にバランスが大事なサスペンス物で、明らかにバランスを崩している物を観ても、「現実もこうだよ、むしろ現実に近いよ、作り物みたいに上手くまとまる方が不自然だ」などと思うようになってしまって何が何だか。

今の僕には観るもの全て名作。

この作品も以前なら、「でんでん面白くない。ありえなーい。」と断じていたように思うが、

今だからかね。それなりに。

そう思いました。





あなたの一番大切なものは何ですか?

なんて質問は、ある程度こちらも答えを予想できてしまう、いわゆる愚問ではないかな。

大体、親兄弟、子ども、友達、人によってはお金、自由などの答えが返ってきそう。一番とか言われるとちょっと構えてしまって、いい顔しようと体のいい答えをしてしまうものだしね。

これら、親兄弟子ども友人なんてのは、当たり前だけど本人ではなくて、それらはどれだけ大切に思っていても、自分の人生から突如失われる可能性のあるもの。お金、自由、これらは額や量が抽象的。答えとしてはちょっとぼんやりしたものに感じる。

であるから、僕は人に大切に思うものを聞くとき、二番目に大切なものを聞く。

そこにその人の個性が出る気がするんですね。

二番目のそれこそ、自分の人生と密に接しているものじゃないか。

人それぞれ、「釣り」「ギャンブル」「酒」「女遊び」「車」「山登り」・・・多岐に渡る。

で、その二番目のそれらに打ち込めば打ち込むほど、そんなに好きなそれらより、さらに大事な一番は凄い大切なんだな。って説得力を感じる。逆に言えば、二番目を答えられない人の一番は少し疑わしいw

今、僕はこれといって大切なものなどなくて、あなたの一番大切なものは何ですか?って愚問にも答えられない。

からして、一番が無ければ当然二番目も無く、個性が見当たらない。というのも至極当然で、自分という人間を若干見失っている時期(時期で済めば良いが)で、自分でも自分が分からないんですね。

そこで小生思うんである、一番目は簡単に答えられるけど、二番目が無いって人、気をつけたほうがいい。

一番目が家族や友人など他者である場合尚更。例えば「釣り」が一番目であるなら、自分が死ねば、釣りが好きな自分も死ぬのであるから問題はない。けど、一番目が他者の場合、もし失われてしまっても、その人を大切に思う自分は残ってしまう。

ここで二番目が無いと、自分を見失う。日頃全く意識していなかったけれど、どれだけ他人に依存して生きていたかを思い知らされる。

二番目があれば、それは絶対に救いになると思う。

でも、人生に対して受動的な姿勢の人間ほど他者に依存するし、見つけに行かないから見つからない。向こうが見つけてくれるのを只管待つ。偶々見つけてもらえた人はラッキー。そんな偶然全ての人には起こらない。

人生に対しては能動的であるべきだな。と今更ながら思う。

二番目を即答出来る人は、そのことの内容が良い悪いは別にして、人生を能動的に生きている人だと思う。

成功の反対は、失敗ではなく、やらなかったこと。ってね。

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「ラーメンより大切なもの」   2013年  日本  監督 印南貴史

超有名ラーメン店大勝軒の店主にして、つけ麺の元祖山岸一雄氏のドキュメンタリー。

ちょっとコメディを観るときのちょけた感覚、ラーメンのちょっとした蘊蓄でも聞けるかな?くらいのノリで鑑賞。

全然違った・・・。

偉人の人生がそこにはあった。

すぐに何事も早合点し侮るこの癖をなんとかしないといけない。

テレビのバラエティの延長くらいで観始めた自分の感性、アンテナの受信具合が心配。

ラーメンに拘り、ラーメンに生き、ラーメンに支えられてきた彼の人生。

その人生でラーメンよりも大切なもの。

それは・・

言わぬが花でしょう。

気になるでしょww

観てみればいいんです。

能動的にね。探しに行けばよいのです。

ハイ、そこ、すぐウィキろうとする!

表面だけ見てわかった気になる、現代人の悪い癖。

ていうかさ、以前東京にいたとき食べた、あれは確か神田だったと思うけど、あの大勝軒って直営ではなかったのか・・・。と愕然。この山岸一雄って方、すごく懐の深い人で、何年も修行した人、数ヶ月、あるいはもっと少なくて数日の修行しかしていない人にも等しく大勝軒の屋号の使用を、特に何も受け取ることなく了承してしまうらしく、大勝軒の看板を掲げる店があちらこちらにある。大阪にもあるのだけど、これも当然直営ではないから、本当の味は分からない。

僕は本当の大勝軒の味は知らないんだな。

東京に住んでいたのにな・・。残念。

そう思いました。












今働きおる会社の仕事は、3つの班に分かれて似非3交代勤務。

一班5,6人で構成されている。

このたった5,6人のことなのに、揉め事が絶えない。

あいつとはやってられない。こいつ全然動かない。なんて仕事上のことから、不潔だ、挨拶しない、いじめられた(いじめられたってwwww)などいう日常のことまで。

大抵騒ぐのは、ベテランのオッサン連で、年ももう50を越えた数字的には立派な大人。

それらが起こす揉め事を、管理職はどう処理するかというと、シンプルに、問題のある人、あるいは被害を受けた人の班を変えることで対処する。それで、万事丸く収まった気でいるから驚く。

昨今、問題になっているイジメ問題。小学生中学生でさえ、いじめられたからとてクラスを変えてもらえまい。

この管理職の対応をみて、いつも違和感とかいうぼんやりしたものでなく、はっきり「違う」と思う。ただの逃げじゃねーか。オッサン甘やかしてどうするんだ。また同じことを誰かにする。あるいは誰かにされるだけのことだろう?仕事の在り方を見直す、定期的にわだかまりを取る会合的なものを設ける、間に入ってしっかり緩衝材になる。根本的な解決に向けてできることはいくらでもあるだろうと思うのだけど、何かあれば、班が変わって終わり。問題を作る方もだけど、それを解決する方も互いに幼稚。子どもか。

しかし、50にもなって、あいつがどうした、こいつがどうしたなんて青筋立てて喚くオヤジ連を見ていると、こいつら中学生くらいから精神性が全く向上しておらんのではないか。もう人生もそろそろ晩年に差し掛かる頃合にこの悟れなさ。絶対もう一周させられる。お前らに涅槃は遠いな。頼むからこっちに話を振らないでくれよとか思いつつ、遠目に眺めている。

大人とはなんだろう。二十歳になること?選挙権を得ること?税金を払うこと?自立すること?家庭を持つこと?酒タバコ?貯金?仕事?

考えてみるに、二十歳になったからなんて理由では、大人とは言えない。

二十年生きただけでオッケーなんて、無責任すぎる。そのうち19年くらい寝ていた奴ならどうするんだ。

選挙権、税金なんてのも、向こうが勝手に強いてくるもので、自覚をもって払っている人なんてどれほどいるのか。たっけーなーなんて文句言いつつ払っている人が大半では?

酒タバコもそうで、やろうと思えば、別に何歳からだって。

自立も促されてそうせざるを得ない状況の人もいる事を思えば自発的ではなく、与えられるものかもしれないし。

家庭だって、他人ありき。

「お前は子どもだな」なんて訳知り顔で言う人がありますけど、そういう人は大人の基準を持っているのだろうか。

あーダメだ。これブログでする話じゃないや。

とてもまとめられない。

なら何故した?いやだって、映画のタイトルが・・。

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「6才のボクが、大人になるまで」   2014年  アメリカ  監督 リチャード・リンクレイター

これ、タイトル通り、6歳の少年が18歳になるまでのお話。

すごいのが、この12年間を同じキャストが演じること。

本当に12年間かけて撮られているんですね。

このジャケの少年、最後青年になりますから。

両親が離婚、母親について行くも母親の次の恋人がDV、夜逃げ同然に逃げ出してまた新しい恋人。環境に翻弄される子どもの心情が切ない。そんな中、成長の過程で様々な誘惑、やけっぱちな自分など危ない時期を経ながらも、夢を見つけ自分の足で歩き出す。

イーサン・ホーク演じる実の父親がいい。

いろんな遊びを知っていて、人生の虚しさも知り、頼りなさげでいながら、最低限の責任感は持ち合わせ、子どもに愛情をしっかりともちつつ、イノセントな部分を多分に残した心で自分のやりたいこともやる。

どんな小さな家庭にもドラマはある。どんな場所にも見るべき人はいる。

善哉。

そう思いました。





さりーすね。

二階建ての家に一人でいると、空耳なのかもしれないけど、誰もいないはずの二階で物音がした気がするときがあって、「ハッ!?」と恐怖混じりに驚く。

しかしまぁ、二階には特に何も置いていないし、というか、今この家には金目の物は何もないので、仮に泥棒でもあるならば心ゆくまで物色すればいい。吃驚するくらい徒労に終わると思うよ。くらいの感じですぐに冷静になる。

あるいは、それがよく聞く霊魂めいたものであったなら泥棒以上にここにいても得るものはないのだから、逆に不憫。早く見切りをつけてどこかに行って欲しいと思う。ああいう霊魂的なやつってのは、相手が怖がってナンボでしょう?今の僕は、死んだ人間より生きている人間のほうが余程怖い。何だったら、幽霊に話を聞いて欲しい。何故生きている人間はこれまで積み上げてきた時間、信頼を木っ端微塵に打ち砕く裏切り行為を平気で働けてしまうのか、死者目線で教えて欲しい。いや、別に悩みを聞いてくれなくてもいい、休みの前日の夜のこの独りに浸りきり、虚無が現実の前に緞帳を下ろすこの時間だけでいいから話し相手になってくれないだろうか。死んでまで現し世に出てきてしまうのだから、悩みがあるのだろう?それなら、その悩みを聞いてやってもいい。物音だけの現象なら煩いだけなので、やめてもらいたいが、話し相手になってくれるのならば、ガンガン出てこいやっ!って高田バリのテンションで思う。

・・二階の物音が怖いよって話をしようと思ったら、幽霊出てきて!って話になってしまった。

いつもチャンバワンバかな?ってくらいの自動筆記で何も考えずに書くものだから、書き始めたとき念頭にあることと全然違う結論にたどり着く。

にしても、この結論・・・。

それほど感じていないつもりでいたけど、孤独の毒にあてられてるのか。

まだ慣れない一人暮らしに伴う一過性の寂しさだろうと。

だって、実際出たら、ものすごビビると思うよ。幽霊。


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「サリー 死霊と戯れる少女」  2012年 アメリカ  監督 パット・ホールデン

実際に起こった事件がベースになっているらしい。

ほんまかい?

よくある家に憑く系の霊の話。

引っ越してきた一家が、次々霊障に見舞われる。

少女の霊のイタズラかと思っていたら、黒幕が・・。みたいな。

実話ベースの作品は好きでそういうキャッチがついていたら観るようにしているのだけど、

これはちょっとクオリティーが低すぎて、実話ベースであるにもかかわらず、物語に入っていけない感じが・・。

全体になんか雑。

そう思いました。










水と土を混ぜると、それは泥水になるのだけど、時間が経つと泥は底に溜まって、上澄みの水と分離。

同じ容れ物の中ではあるけれど。

人の住むところ、標高が高くなるに従い空気は澄む。運動を止めたもしくは大きな塵芥粒子は下に下に。

表面上は常識人、出来た人と評判の人でも、それは上澄みの綺麗な部分だけのことかもしれなくて、どんなものが沈殿しているのかは分からない。

一般的に思い描く幸福にはそれほどバリエーションは感じられないけど、不幸にはそれはもうたくさんのバリエーションがいくらだって思いつく。

成功や失敗にしてもそう。失敗の方にたくさんのバリエーションがある。

真実と嘘、これも真実は一つだけれども、嘘は無限。

濃度っていうか、密度っていうか、そういうものは下に行けば行くほど濃くなる。元々綺麗なところなら、ゴミひとつも見つけやすいから、取り除くのも簡単。でも、もうどうしようもなく汚いところで、原因になっていると思しきひとつのゴミを見つけて取り除くとなると無理難題。

不幸に見舞われ、失敗を繰り返し、嘘にまみれる。なんて実に濃い人生。

塩分控えなきゃ、死んじゃうよ?って言ってるそばから次々降りかかる塩分。塩分を上手く回避出来ても、次は糖分の罠。

幸福に包まれ、倦むほどに成功、嘘なんてそもそも必要ない。なんて実にキレイな人生。

大丈夫、あなた百まで生きますよ。って状態でも最先端医療で常に健診、微細な憂いをも断つ。

どちらの人生がいいかなんて、聞くまでもない、そんなことはね。

でもね・・。

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「新宿スワン」     2014年  日本  監督 園子温

園子温がおかしい・・。こんなに一般受けを狙う監督やったやろか?

綾野剛が揺れている・・。これまでのイメージはその作品のイケメン枠を埋めるだけの役者だと思っていたけど、意外にいい役者さんなのかもしれない。

鑑賞後、頭に残ったのはこの二つのこと。

原作を読んでいた、かつ監督が園子温ということで、期待して観たんですね。

演者のキャラコピーはかなりのクオリティー。原作好きなら、それだけでも楽しめると思う。

しかし、突き抜けたものはなかったか・・。





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「明烏」   2015年  日本  監督 福田雄一

上記の新宿スワンは風俗のスカウトマンのお話。

こちらも同じ夜の街に生息するホストの話。

ただ作品の色は真逆。こちらは思いっきりコメディ。

この作品は、役者さんたちの力量に思いっきり賭けて撮られたんじゃなかろうかと思う。

あの高速のテンポ、振り切った演技。

あそこまで露骨に笑いを取りにいって、ちゃんと面白いのだから凄いと思う。

面白かった。

善哉。

そう思いました。





















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