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異性の見ちゃいけないところ、例えばパンチラ、胸の谷間、そんなのを見ていることがバレると、

「いやん、エッチ」などと言われたりするが、これ逆に見ないというのもどうなんだろう。

男は基本的に助平で、相手が誰であろうと、そういったものに目が本能的に行くのであって、

そうであるからこそ、人類は今まで何だかんだ続いてきたと思うんだ。

エッチというのは、アルファベットのH、変態の頭文字Hを意味するとか聞いたことあるけど、

見ないほうが実は変態で、見ることは男にとって常態なのだと思うんだ。

だから、パンチラなど見られた際には女性は「いやん、ジェイ」というのが正解だと思う。

目の前でパンチラなどの事案が発生した場合、心に準備が余程できていなければ、男は見てしまうのだ。

唐突なそれに何の反応も示さない男なんていうのは、煩悩など遥か彼方の大賢人か、本能も枯れ果てるほど人生に疲れた廃人か、ホモだ。

本当の変態ってのは、ロリコンであったり、SMであったり、本来の用途とは違う穴になにがしかを突き込んだりする人達の事で、こういう人にこそ「いやん、エッチ」は当てはまる。

ほほ、俺、何言ってんだろ?

馬鹿話はここまでだ。

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「HK/変態仮面」   2013年  日本  監督 福田雄一

これ漫画の原作読んだことなくて、尚且つこのパッケージですから、

ちゃんと観たことなかったんだけど、この間テレビでやっていたので、何となく片手間に観ていると、

これが面白い。「それは私のお稲荷さんだ。」名言かw

悪と戦う変態仮面。

しかし、変態仮面に変身するには、女性の下着が必要。

しかも誰かが一度でも使用したものでないといけないww

変態仮面の正体は男子高校生。

使用済みの下着など合法的に入手する術などあるはずない。

仕方がない。盗むwww

巨悪と戦うためには、下着泥棒をせざるを得ず、負い目を背負う。哀しみのヒーローw

しっかりテーマがあって、単純なコメディで終わっていない。

使用済みの下着を頭からかぶる。これは変態ww「いやん、エッチ」。


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「トロピック・サンダー 史上最低の作戦」  2008年 アメリカ 監督 ベン・ステイラー

TSUTAYAにないものを放送とか、WOWOW有能かよ。

そっとしておいてくれればいいものを、後輩無理山から話を聞いた数週間後に、WOWOWが放送。

無かったことにするのは簡単だけど、自分から聞いておいてそれもどうか。

そう思って、たまに当たりのある無理山のオススメ。一縷の望みに賭けて観てみる。

・・・やられた。またもやられた。そりゃそれなりに面白かったよ。特にロバートダウニーJr、何でずっと黒人やねんww

しかし、僕の聞いているオススメはこういうことじゃなくて、何か心に残るような、ねっ、分かるでしょ、無理山?

「おい、トロピックサンダー、観たぞ・・」
「マジで観たんですか?wwwwwww」
「おう、途中何回も寝落ちしそうになりながらなんとかな・・」
「でしょ?眠たなるでしょ?僕、あれ観ながら寝落ちしましたもんww」
「!!」
「無駄に豪華ですよね〜、あの映画ww」
「寝落ちしたもん、人に薦めるなや!」
「いや〜、ドッジボールで懲りたかなと思ってたのにww」
「!!!」

そう無理山はこういう男だ。これが彼の常態だ。「いやん、ジェイ」

そう思いました。






努力は必ず報われる。たかみな前総監督の名言らしいが、

何かを目標に掲げた場合だけど、この言葉は嘘でほとんど報われない。それは努力が単純に足りなかった、方向性を間違えていた、質の悪い努力を続けた、運がなかった、金が足りなかった、状況が許さなかった、人に邪魔された、えげつない才能の持ち主が同期にいた、理由はそれこそ星の数だけ。

しかし、何かが好きで、頑張った。特に欲しいものなどなかったけど、頑張った。という場合、必ず努力は報われる。

ミュージシャンになって一旗上げて、大儲け、最高の女とベッドでドンペリニヨン。なんてことを夢見た場合、余程の幸運に恵まれない限り、なかなかに難しい目標である。

しかし、あれ?この曲素敵やん。これギターで弾けるようになりたいな。なんて思った場合は、これは本人の頑張り次第で結構な確率で達成されるだろう。

どちらも努力が必要で、どちらもその過程で何らかの力はきっと身につく。

無駄なんてないのだけど、かたや最高の女とベッドでドンペリニヨンが目標だったのだから、ライブハウスに客が百人来た、くらいのことではとても目標達成とは言えず、人から見れば、充分に凄いことだと思うけど、本人的にはアカン、夢破れた。となる。

かたや、素敵な曲に出会い、それを弾いてみたいと思った、弾けるようになってみたら、楽しくなってきて、それが終生の趣味に相成りました。って素敵エピソードが出来たりする人もいる。

どちらもその過程で、音楽に対する造詣、技術、想い、などいろんな力を身に付ける。

それは努力したから。

何かを頑張れば、何かはきっと身に付く。

頑張って手に入らないものはたくさんある。特にたくさんの人が手にしたいと思っているものは、それこそ実力や努力だけでは手に入らない場合も多い。

でも、力は頑張った分、きっと身につく。やらないより、きっと身につく。

そういう意味では、努力は必ず報われる。

力はたくさん持っていた方がいい。貯金と一緒。

いざというとき、何かのとき、ないよりはきっとあった方がいい。

使う使わないは自由で、使えない、よりは、使わない、の方が自由。

不自由よりは、自由の方が自由。ってアホみたいな結論出たw

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「イン・ザ・ヒーロー」  2014年  日本  監督  武正晴

日本のブルースリーを夢見るも、日本にはアクション俳優が活躍する場があまりない。

しかし夢を捨てきれず、子供向けのヒーロー物のスーツアクターとして日々を過ごすオジさんが主人公。

長くアクションにこだわって生きてきた彼のアクションは相当なもの。役者としてのあり方、スタッフに対する感謝、日々のトレーニング、その努力も相当なもの。

業界をなめていた若手俳優も感化され、成長を遂げていく。

ある日、長らく日陰を歩いていた主人公にハリウッド映画から出演依頼が来る。しかし、その仕事内容はワイヤーやCGを使わない生身のスタント、長年酷使してきた身体は、その撮影に耐えられるはずもなかったが・・・。

みたいな話。

実る努力の美しさは、人を魅了して、次の努力の種を蒔く。

善哉。


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「トイレのピエタ」  2015年  日本 監督 松永大司

中高生に人気のバンドヴォーカルが主役ってことで、何だかな。キワモノだな。

なんて見始めたのだけど、

これが良い。思っていたより随分良い。

脇を固める名優たちがいいのか、本人がいいのか、アホな僕には分からんが、寂しげだけど、存在感があって、自然に見えた。

結果とても良い作品だと思った。

絵描きを目指していたけど、繊細な感性はどんな理由だか知らないが、現在断筆してしまっていて、特に目標もなく日々をビルの窓ふきのバイトをしながら鬱々と生きていた。

ある日、体調不良で倒れる。

病院で余命三ヶ月の診断。

その病院で知り合った、一人の少女。

愛情とも友情とも同情ともつかぬ、奇妙だがお互いを求め合っている。

そんな微かだけど確かなふれあいの中、迫り来る病魔。

最後の力で、描いた絵。

彼の絵の力は世間に認められることはなかったし、認めてもらおうと行動もしなかったが、

ここ一番、何かを表現できる力は、やはり素晴らしいな。

承認欲求は満たされなくとも、力は身につけておくべきだ。

そんなことを。

善哉。

そう思いました。












ひと、みらいすね。

未来ってのは、いつも背中しか見えなくて、こっちを振り返ることもしなければ、事情を考慮して速くなってくれたり、遅くなってくれたりすることもない。唯唯同じ。いつも同じ。

後ろ姿がすごく魅力的で、どんな顔しているんだろう?きっと美しいんだろう。見てみたい、触れてみたい。

そう思って、懸命に追いすがり、顔を見るまでの道中どんな困難があろうと、それを見るためなら頑張れた。

ところがどうだろう。年々、その未来の後ろ姿が、魅力的なものではなくなっていく。

顔を見たいどころか、後ろ姿さえ見るに堪えない醜怪なものに変わっていく。

今と過去には、懸命に追いかけた元未来。

死屍累々たるそれらは、どれも想像して追いかけたものとは大きくかけ離れた、美しさなどどこにもない残念なもの。

たくさんのそれらが、がっかりさせられた元未来たちが、これからの未来の魅力を奪う。多少綺麗な後ろ姿が見えても、きっと前から見てしまえば、醜悪で滑稽なものなんだろう。なんて。

未来が美しく魅力的に見える。

それは若さなんだろう。

年齢なんかは二の次で、

懸命に未来を追いかけられる。それが若さなんだろう。

だって、僕などは追いかけなくても、来ちゃうもんね。未来。

何だったら逃げてるのに、追いついてきちゃうもんね。未来。


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「扉をたたく人」  2007年 アメリカ  監督 トム・マッカーシー

タイトルが気になって、ジャケ見てタイトルが扉をたたく人なのに、思いっきり太鼓叩いてるのがきになって観てみたのだけど、当たるよね。当たりだよね。

大学教授が所有しているのか借りているのか、何せ仕事であまり使わず空けがちになっていたアパートに、シリアだかどこかからの移民で絶賛不法滞在中のカップルが、誰かに騙され勝手に住んでいた。

そこへ、大学教授が来る。当然、誰やお前、お前こそ誰やねん。と揉める。不穏な出会い。

冷静にお互いの事情、経緯を話し合ってみると、移民カップルに悪気はなく、大学教授もほったらかしにしていた責はあるのやもしれんみたいになって和解。

しばらく、住んでいていい。と大学教授。ありがとうと移民カップル。

奇妙な同居生活のなかで育まれる友情。

しかし厳しい現実に引き裂かれる友情。

でも、きっと彼らにはほんの少しの間だけでも、美しい未来が見えたと思う。

善哉。

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「マイボディガード」   1980年  アメリカ  監督 トニー・ビル

ある学校に転校してきた少年。定番通り早速イジメの標的にされる。

そこで、学校にあまり来ない人殺しの噂があり、不良少年グループも怯えて手を出せない、謎の多い、身体のとても大きな少年にボディガードを依頼する。

この大きな少年の名前がリンダーマンww高橋ヒロシの漫画クローズに出てきたリンダマン、これがモデルやろ?w見た目も服装もよく似てる。

ボディガードを依頼されたリンダーマン、そんなことには、全く関心を示さず、勝手にしろ、みたいに初めはあしらうのだけど、イジメられっ子の熱意誠意に徐々にほだされ、ボディガードというよりは友達になる。

ベタなストーリーだけど、良いですよね。こういう友情。

善哉。

上記二作ともに、世をすねた人間が、前向きに生きている人間に出会い、麻○彰晃かな?みたいに見えていた後ろ姿の未来が、とても魅力的で美しく均整のとれたものに形を変えて見えてくる、その過程が微笑ましい。

未来を美しく思える条件に、「人」ってのは不可欠なんだな。

みたいなことを。

そう思いました。






刀鍛冶の人が、力一杯目一杯ガツーンガツーンなんて赤く熱した鉄をトンカチで打ち付けている光景を、テレビやなんかで目にしたことのない日本人はいないだろう。と思うけどどうだろう。

あれ、単純に刀の形を作るために打ち付けているということだけではなくて、ああして強く何回も打ち付けることによって、鉄の中の不純物を取り除くという意味もあるらしい。ということをこの間「にらぎ鬼王丸」という漫画で知った。

人間が赤くなるときって、怒ったときが代表格。

怒ると人は赤くなる。

怒るということは、僕が思うに、その人間の底だと思うんですよね。だからよく怒る人は底が浅い、とも言えそう。

しかし、底を見せるというのは悪いことばかりでもなくて、そこが底ならそこからがその人の素。

その怒りから逃げないことで、その人はそこから伸びる。

人を教えるとき、その人の感情を敢えて逆なでするようなことを言い、怒りとまではいかなくても、不安、不満、引っかかりを演出して、余裕を排除する。嫌われ役を演じることで、常にこちらに対して熱をもってもらい、さらには逃げ場を奪い、そこを、叩いて不純物を出してしまう。と同時に形も整える。

いつしか、教え子は超斬れて折れない刀に。

なんて、教育方法を職人といわれる人達、あるいは芸術家、一流のスポーツ選手なんかで受けてきた人は少なくないんじゃないか。なんて、勝手な想像。

怒りに限らず、何かに熱中する、恋する、喉から手が出るほど欲しいモノがある、なんて場合もそれは熱で、そのことに邁進する途上で起こる様々や、色々もそれは熱をもったその人を叩いて不純物を取り除いてくれる。と同時に形も整えてくれるのかも。

なんてね。僕には今、怒ることも熱中することも何もないや。

底なしだ。

底のないものには、何も貯まらない。

浅くてもあった方がよいよ。

底。


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「セッション」  2014年  アメリカ  監督 デイミアン・チャゼル

この映画スゲー。

の一言に尽きる。

剥き身でぶつかり合いお互い傷だらけになっても、まだ已まぬ音楽への情熱、何もかもを溶かしてしまいそうな熱のなかで叩き合う師弟関係。

ラストは鳥肌。

一道に通ずる者は萬道に通ず。

どの川も最終的に流れ着くのは海。

どんなことでも、極めれば。

努力の仕方、そこに注ぐ熱量のかけ方、

真剣になれば、どれも同じだと。

雄弁だな。

この作品。

善哉。

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「ピクセル」 

地球の情報を宇宙に飛ばして、異星人と交流を図ろうみたいなプロジェクト。

そのプロジェクトで送った情報の中にゲーム大会の映像があって、上手く異星人に届いたのはいいけど、それを見た異星人、それを地球人からの宣戦布告だと勘違い、その映像資料にあったゲームのキャラに扮して、地球を侵略しにくる。

この危機に呼び出されたのが、映像中のゲーム大会の参加者、その上位入賞者たち。

キャラの特性を把握している彼らは、その知識とゲームの腕で地球を救うべく戦う。

みたいなストーリー。

たかがゲーム。されどゲーム。

極めれば、それ、地球を救うかも。

どんなことだって、真剣で、ふんだんな熱量をもって臨めば、

花開く。とは限らないけど、

人間的な成長は必ず伴うんだね。

何かに懸命になったことのある人間は、そうじゃない人に比べて、

きっと最期、「生きた。」と言えると思う。

何かと余裕で生きている人を、何故か格好いいと思ってしまうのだけど、

それは何も懸命になるものがないだけで、

何かある人には、きっと余裕なんてない。

そっちの方がずっと格好いい。んじゃないかな。

俺?俺、今メッチャ余裕。何かと余裕。・・・ダサッ。

そう思いました。





君子危うきに近寄らず。とかって言葉がある。

この言葉に照らし合わせると、僕などは到底君子とは言えない。どころかその距離億光年の彼方。

つい去年くらいまで、家にいた者を味方だと思い込んでいたら、実はシロアリでそれに調子よく何も考えず疑わず、餌をやり続けて、家が傾いてようやく気づいたし、吹けば飛んでしまいそうな小さな会社に何となく勤務しているし、危ういことしか周りにないんじゃないかと思うような環境で生きている。

ただいつ死んでもいいという強気な弱気の考えがどこかにあるから、多少辛かろうが危なかろうが気にならない。が、これがいけない。何ビビってんだよ、日和ってんだよ、やらなきゃわからんじゃないかってよくないものに近寄ってしまう。

死んで責任取るなんて、そんなものが通用するのは昔のお侍さんとかの時代のことで、今の時代死んで取れる責任なんてたかがしれている。

危ういものに近寄って、何かやらかしてしまうと、生きて償わなくてはいけない。贖罪に充てる日々というのは辛かろう、それこそ死んだほうがマシと思えるくらいに。

いつ死んでもいいと思えるなら、そのタイミングで死ねばいいんじゃない?と思われるかもしれないけど、いつ死んでもいいと、いつでも死ねる、は違う。いつ死んでもいいのだけど、自ら死ぬことはできない、だっておっかないもん。

受動的な死はどれだけ理不尽だろうと受け容れるが、自ら手を下すことはできない。だっておっかないもん。

生にも死にも積極的に働きかけることができない今の立ち位置は、酷く愚かでみっともない。

自覚はあるけど、動けない。目的地が決まらないのに走り出す。それ逆方向かもしれない。そう思うと動けない。

行っちゃいけない方に行っちゃうかもしれない、そう思うと動けない。

危ないものになんて誰も好き好んで近寄らない。

要するに君子ってのは、危ういものを分かっている人のことをいうんだな。

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「悪魔の存在を証明した男」  2014年 アメリカ 監督 デヴィッド・イァング

幸せ絶頂家族であったのに、奥さんがある占い師の助言に従った行動を取ったら事故死。

あの時、あんなもん信じなかったら・・くそう、神ファッキン、悪魔シット、超常現象んなもんあるかいボケ。

みたいになった旦那。

自ら悪魔の存在を否定しようと、体を張って、様々な実験を行う。

その結果、皮肉にも悪魔の存在を証明してしまうことになる。ていうか、なったの?これどうなんだろう?変な薬とかたくさん飲んでたし、精神状態は元々普通じゃなかったし、そういう状況下で見た幻覚とか精神倒錯の類じゃないかとも思う。

悪魔とか幽霊とか、あとみんなが好きな神様とかいうのもそうだろう、危ういよ。こういうの。近寄らないにこしたことない。

向こうから働きかけてこない限り、関わらない方がいい。

運不運に一喜一憂。人間なんてそれでいいんじゃない?神様とか悪魔とかそんなものの介在をいちいち信じていたら、言い訳だらけの人生になってまう。

この旦那も、あ〜運が悪かったな〜も〜なんだよ〜。くらいでいれば、こんな大事にはならなかったろうに。

君子危うきに近寄らず。

そう思いました。





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