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ほんだ。すね。

二宮金次郎の像が誇示するガリ勉ぶりなんてのは、現代でいうところの歩きスマホで、いくら向学心に満ち充ちていても、あれは危ない。

まぁ昔のことだから、自動車にはねられることもなければ、通行人とぶつかりまくるなんてこともないのだろうけど、今のように道は整備されていないだろうから、崖から転落、沢で滑るなんて危険はあったはず。

それでも貧困な生活の中で腐らずに学問に打ち込む、生まれ?はぁ?運命?ファック。なその姿勢やヨシ。といったところか。

でもそれってどうよどうなんよ。読んでいるものが高尚な書物ならよくて、ポケモンGOはダメって何か違う気がする。意味のある殺しはいいけど、意味のない殺しはダメ、みたいな、いやどっちもダメだろう的な、心情的にはそらもちろん金次郎を支持したいけど、やってることが同じなら、それはやっぱりダメなんだろうな。なんて、運転手を見ると明らかにスマホを操作していて、フラフラ前を走る車に、クラクションを鳴らそうか、どうしようか迷いながら思ったりしたのは、一昨日の朝。

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自分が金次郎ほど働いているはずもないのに、何故か書く時間があまりないので、一気に載せちゃう先月読んだ本。

写真の中で一際目立つ「41歳からの哲学」

今月遂に三十路にさよなら、よろしく四十な僕であるから、まだ一年早いのだけど、

これまで勉学なんて志したことは一度もない、からして当然、予習復習の類も、言葉は存じ上げていますけど、したことはない、そう考えると、何かこの四十の年に、四十一歳からの〜なんてタイトルの本を読むとか、これ、予習じゃない?うわまじか予習だって、何か備えている人っぽくてカッコイイあがる。なんて。

内容は別に何歳で読んでもいいもので、特に年の早い遅いは関係なかった。面白かったけど。

時間がないないという割には、これらの本はいつ読んだ?

大半は就寝前だけど、幾ばくかは仕事中。

目の前の仕事を素早く片付けて、労働と労働の間に数分の間隙を作り、そこで少しずつ読む。しかしこれを一日中繰り返すと、あまりの目まぐるしさに神経がやられるのか、凄い頭痛がしたりする。ほどの苦労の割にはそんなに読めず、さらに読んでも覚えてない、理解できてない、なんてことも結構な頻度で。そこがネック。

近代化においていかれたような、前時代的アナログ職場でも、この行動はおそらくダメ出しされるだろう。だって危ないもん。現代に金次郎を見習ったとて、金次郎が本領発揮できる場はないのかもしらん。

そう思いました。













先日会社の飲み会で見た光景。

会社というところは残酷で、学校やなんかだと、落ちこぼれてもそれは個人の責任の範疇で、誰に迷惑をかけることもなく過ごせる。

ところが、会社となると話は別で、仕事ができないと周りの人間にリアルに迷惑がかかる。そしてこれは学校も同じだろうけど、できないことで存在自体が侮られてぞんざいな扱いを受けたり、時には暴言を吐かれたりする。しかし、学校と違い、周りに迷惑をかけているので、仕事のできない当の本人は言い返す言葉もなく、すでに懸命にやってのできないだから、どう対処することもできず、だんだんに心苦しくなってくる。学生であるならば、ここで勉強は諦めて、スポーツに精を出すか、髪をリーゼントに、「暴走天使」などと刺繍を施した服に身を包んで、夜をハンドルが逆向いたバイクで駆け抜けるなどして、これまでバカにしてきた真面目っ子たちを見返すことができるチャンスはある。

しかし会社というところには、残念なことに仕事しかない。最低限の仕事ができないと、できない苦しみはずっと続く。

そういった人を励ますことは簡単だけど、結局のところ状況を打開するには本人が頑張るしかない。一時の慰めで多少心が軽くなっても、できるようにならなければ状況は変わらないのだ。

そうであるにも関わらず、そういった人間ほど努力をしない。自分を理解しない周りが悪いみたいな顔して、自分がどれだけこの職場に「いい感じの雰囲気」をもたらしていると思っているんだ、みたいな的外れな自負を持っていたりする。

呆れたことだ。

といった落ちこぼれ二人が、件の飲み会で話しているのをつりをは聞いた。慄然した。

「俺とお前は、ほんま不器用な生き方しかできん人間や。俺らがおらんようになって、始めて周りの阿呆どもはその存在の大きさに気づくんやっ!」

「そうなんかな・・」

んなわけない。とつりをは思った。

あなた方の不器用な部分は、仕事ができない普段通りの意味での不器用であって、生き方じゃない。

むしろ、その不器用さ加減で会社に残れて周りと同じ給料貰えているのだから、かなり器用な生き方じゃないか。

寄らば大樹の陰。吹けば飛ぶような会社の中でも面倒見よく、心優しい上司を探して見つけ出しお追従。随分器用じゃないか。機嫌取りするより仕事する方が遥かに楽だと思うが・・顔色なんて不可解なものを見るより、数字で残す方が分かりやすい。というより、お前らの方がこっちに気を遣えと普段、上に対して思っているつりをからすれば、全く理解できない考えだ。

酔えば酔うほど、普段抑えているものが出てしまうのか、見苦しいほど尊大になって威張り散らす。一体どの立ち位置から物を言っているのか理解に苦しむ言動に、苦笑しつつ思う。

自意識ばかりが肥大して、実が伴っていかないそのギャップに一番苦しんでいるのは本人たちかも知れない。と。


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「魂の言葉」  辰吉丈一郎著。

生き方が不器用。というのは、この人のような人のことを言うのじゃないか。

現役にこだわることなく、いくつかあった節目で引退していたら、芸能活動、ジムの会長、コメンテーター、いくらだってやれることはあって、お金だってもっとずっと稼げただろう。

しかし、自分の生き方にこだわった。

器用に立ち回ればたくさんのものが手に入ったのに。

しかし辰吉の欲しいものは、世間一般の思い描く当たり前の金銭的なものではなく、

チャンピオンベルト。

自分の人生に節目の線を引く、約束のチャンピオンベルト。

「お金」が最上の価値観の世間からすれば、

随分損な生き方をしているように見える。現に俗物の僕の目にもそう見えてしまう。

普通ならいろいろなことを諦めてしまう年になって、未だお金以外のものを真剣に追いかけられるなんて、若い時にした未来の約束を未だに純粋に果たそうとするなんて、

やはり、辰吉は素敵だな。

僕の知り合いの元ボクサーにも、お金に全然執着なく、どこまでも純粋に女の尻を追い掛け回している中年がいる。

何かとお金が必要になってくる中年に差し掛かってなお、未だお金以上の価値観を見出して、それを真剣に追いかけられるなんて、

やはり、狂拳は素敵・・・なのか?w

善哉。

そう思いました。






ぐらすほっぱーすね。

以前さる人をお見舞いに病院に行ったとき、

折悪しく検査か何かで病室にいなかった。

しょうがないので少し待つかとその人のベッドサイドにあった椅子に腰掛け、ベッドに放り出してあったスポーツ新聞を手に取り、特に興味もない記事を目で追っていた。

何気なく隣のベッドを見ると、目に包帯を巻いた中年小肥りの男の人、傍らに娘と思われる小学生の低学年くらいと思しき女の子と、母親だろうと思われる女性。

女の子、無邪気にベッドの周りを駆け回り飛び跳ねる。危なっかしいな。なんて思っていたら、言わぬことはない、ビターンと音を立ててコケた。

それが、僕の座っていた目の前だったので、咄嗟に抱き起こし、大丈夫?と聞いた。

すると、娘、礼も言わず母親の元に駆けていき、その背中に隠れる。

母親が気を遣い、どうもすいません。ほら、ちゃんとお礼言いなさい。とか定型の展開。

いいんですよ。怪我なかったっすか?それよりちょっとお尋ねしたいんですけど、このベッドの人、どこ行ったんですかね?と話の接穂に聞いてみる。

さぁ・・ちょっと分かりませんけど・・。

そうですか。すいません。ここの人、大人しく入院してますか?と病人が帰ってきた時のネタ仕入れ。

母親、微苦笑で、そこの人、病室で隠れてタバコ吸ったり、ベッドの下にお酒隠したりしてよく怒られてますよ、次に何かやったら強制退院だって怒られてましたよ。ここで堪えきれなくなったのか声を出して笑う。

・・ぷぷ。アホや。ええコト聞いた。

少し打ち解け、先程から気になっていたことを聞いた。

あの・・ご主人は何のご病気で?と寝ているか起きているのか分からない旦那さんに気を遣って小声で。

ああ、糖尿病で失明してしまって・・それでもお酒を止めなくて・・もう・・本当に・・と涙声。

しまった・・。聞かでものことを聞いてしまった。ていうか、糖尿病って失明するんだな。

そこから、子供の将来、旦那の仕事、旦那の介護などこれからの心配を山盛り聞かされる。

大変だ。聞いているだけで、絶望に打ちのめされそうだ。

母親の周りで無邪気に遊ぶ娘を見て、危うく涙腺が決壊しそうになり、いたたまれなくなり、あぁもうこんな時間だ、行かないと・・なんて見え透いた嘘をついて病院を後にした。

見舞いに行ったのに、当人には会えずだ。

といった10年以上前の話の、あの日の娘さんがする、またはおそらくしたであろうことが、本当の苦労。彼女には何の非もない、オヤジが酒飲みだっただけ。

一方、ベッキーとかファンキーとかキヨとかノリPとかあの娘さんのオヤジがしたのは、苦労とは言わない。

だって、その前に楽しい思いしてるから。自分がしたいと思ってしたことの結果だから。事が発覚あるいは破れてドツボみたいな顔しているそういう人を何故か励ますやつがいるけど、あれっておかしくない?その影にたくさんのいわれのない被害者がいることを気遣わないと。

鬼借金した奴が、借金の返済をさも大変なことのように言うが、

それは勿論何に遣ったのかにもよるが、その借金が単に遊興費であったりした場合、いくら返済が苦しかろうと、それは苦労とは言わない。楽しんだことの当然の対価としての支払いをしているだけのこと。

苦労とは言わない。

そう考えると、自分も苦労なんてこれっぽっちもしてない。

そんな気がする。

でも、苦しいこともそれなりにあった、とも思う。

じゃああれは何だったんだろう。

どうしてだったんだLOW。

何が原因だったんだLOW。

LOWLOWLOW。

どんどん下へ下へ。

疑問が疑問を呼び、これまで割と明確に掴んだと思っていた答えまで疑わしくなってきて、

うわわ。侵食される。疑問の群れに侵食される。そないなことって、ありません?

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「グラスホッパー」   2015年  日本  監督 瀧本智行

婚約者が暴走した車に跳ねられ他界。

生きがいを失くし、茫然自失の日々を送る。

ある日、あれは仕組まれた事故だったと匿名のハガキ。

復讐のために、どこからか送り主も分からぬメッセージにすがり、調べろと言われた組織に潜入を試みる。

みたいな始まり。

様々な人間の思惑が交差し、それぞれの闇をぶつけ合う。

テンポよくて、少しみるつもりが、一気に観た。

善哉。

そう思いました。




















せかいのはてすね。

影の無い明るさは信じない。

無闇な明るさは、本来出来るはず、出来ているはずの影から人目を逸らさせる偽装、目くらましの弾幕。

でも、自分自身もそういう取り繕った明るさで人と接するようになっている気がする。

影の部分を悟られまいと、作り笑い。愛想笑い。思ってもない軽口。

写真補正と変わらん、厚化粧と変わらん。今人類で一番嫌いな(ちなみに去年までは、「図々しいオバハン」という人種が一番嫌いだった)嘘つきに自分がなってる。矛盾だな。阿呆だな。

光と影のコントラストで、素敵に見えるもの、たくさんあるじゃないか。というより、それこそ自然じゃん、自ずから然りじゃん。当たり前じゃん。そこに見えるものこそ個じゃん。世界の中での自分じゃん。立ち位置じゃん。存在じゃん。じゃんばるじゃん。

知っているのに、影を見せまいと、また、自らも見まいと目を背ける。そうして嘘で作った明るさで人と接する。

そんな風に暮らしていると、自分が分からなくなる。そうなっても影を見る勇気はないから、周りから思われている自分像で納得しようと思う。が、それも嘘の明るさが作った自分だから、それにも違和感。

イマイチ明度が上がってこない自分の気持ちがどうにも重苦しくて、

無理に明るくしようと、ほんの少し思った。ことがあった。最近。

それを無意味どころか、マイナスじゃわい。とたしなめてくれたのが、

この間読んだ本の、本編ではなく、解説にあった言葉。


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「世界の果て」   中村文則著。

すごく好きというわけではないけれど、書店を野良ついているとき、未読の物があれば手に取ってしまうくらいには好きな作家さん。

の、短篇集ですね。

抽象的な概念に形を与えて、物語を紡ぐ。

何だか夢の中のような抽象と具象が渾然となった、不思議な世界観。そしてこの人の作品はいつもそうだけど、薄暗いよりはもう少し暗いみたいな印象。

ぐぅ、想像力も知性も足りぬ僕には難解だわい。それでもついて行こうと難儀難読の末読了。

本編中ではないけど、一番腑に落ちた言葉が解説の中にあった。

「明るさは時に人を疎外することもある」という文言。

これ本当だな。

明るさに耐えられないことってあるよな。

とてもそんな心境じゃないってときに、ハイテンションの群れに呼びかけられたりしたら、あぁあそこには今入りたくないな・・。とか思ったりするもんな。

そのとき、そのハイテンションの群れの影は僕なのかもしれないな。

光を羨む影、影に気づかぬ光。

暗っ!

いいんです。無理に明るくしなくても。

影も、光に疲れた人を休ませることはできる。

そう思いました。











テレビってやつは、全然面白くないし、何の肥やしにもならないものが垂れ流されていると普段は考えている(これは番組そのものというよりは、自分側の問題で、何となくつけて、特に気になるものでもない番組を集中を鬼欠いた状態で、漫然といつまでも見てしまうことから、見ても見ずというか、見たことすら記憶になかったりすることが多い、ものすご多い)のだけど、いくつかは見たい番組もあったりして、それらはその番組の前後をダラダラ見てしまわないように、録画して見ることにしている。

その録画して見る番組の一つに「情熱大陸」という番組がある。

何やらの分野で活躍している人にスポットを当て、その人の日常に密着。シンプルだけど興味深い番組。

いろんな分野のいろんな人が知れるしね。

といった番組で知った、お片付けのプロ。

テレビの影響力って凄いね。

感化されて買っちゃった。

これ、普通男は買わんよね?

でも、今、ほら、僕、主婦業もそれなりにね、こなさないといけないから、ほら。

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「人生がときめく片づけの魔法」  近藤麻理恵著。

何せ、片付けられない。主な要因は時間がないことだと分かっているのだけど、それにしても。

どうやって掃除をすればいいのか、その方法さえ分からないところもたくさんある。

そこでテレビで偶々知ったお片付けのプロの本を。

内容は兎に角捨てろ。ってこと。

手に取ってときめかないものはドンドン捨てて!って話。

いやはやなかなか言うは易し西川はきよし。

出来そうで出来ない。そもそも四十を目前に控えたオッサンに、その物にときめきますか?なんて質問は酷。

今もう人生そのものにときめいてないのだから、ときめかないものは捨てちゃえ〜なんて言われたら、それこそ周りに何も残らんよ。

しかし、この人がある程度の評価をうける理由は何となく分かった気がする。

単純に家の掃除の話としてだけではなくて、これは精神的な部分の整理にも通づるものがあるなと読後感。

ときめかないテレビ番組をダラダラ見るから、やらなくてはいけない事がいつまでもできないし、

ときめかない人間関係を惰性で続けるから、自分を見失う。

去年の夏、携帯が故障したことで、データが失くなった。

気分的にすごく落ちていた時期だったので、消えたデータを懸命に探すことをしなかった。

別にいい。本当に必要になれば、いくらでも調べられる時代だし、それどころじゃねんだ。今俺は。

なんて感じで、ほったらかしていたら、いい感じの大きさに人間関係が納まって、結果オーライみたいなことがあったことを思い出したり。ただ、かかってくる電話全部誰からか分からないから、時期が時期だけにビクビクしながら電話に出てたwww

ときめきのなんたるかが、まず分からないから、僕の身になったのやらどうやら分かりませんが、

掃除はやる気になりました。

やれるかどうかは怪しいものだけど。

小さなことからコツコツと。

言うは易し、西川はきよし。

下らないのに何故繰り返す?

もう四十だよ?オヤジギャグのひとつも言えないと。

オヤジギャグに大事なのは、その内容の面白さではなく、

めげない心。周囲の冷笑にも冷めない熱。

掃除関係なくなっちゃった。

そう思いました。







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