何これ????

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なんのはなし?すね。

子どもの頃から少年期青年期の始めの頃まで、オヤジの横でオヤジの好きな任侠映画と寅さんを見たことがあったくらいで、自発的に映画を観たことはなかった。

それが十九、二十歳の頃、偶々手にとった淀川長治氏の本に書いてあった、「すべてのことは映画で学んだ」(思い切り要約してます悪しからず)という言葉に触発されて、その頃から映画を観るようになった。

最初は聞いたことのあるものを手当たり次第、そのうち好みが出てきて、それが過ぎると、何でも面白い期みたいな時期があって、そうこうするうち若干惰性も出てきたりして、観ること自体にいろんな疑問を持つ時期なんかもあったりしたものの、今も見続けている。

そして前述の淀川長治氏の言葉に嘘はなく、たくさんのことを映画から学んだ。(それが活かせているかどうかは別問題だけど)

淀川長治氏の最後の言葉という記事をこの間ネットニュースで読んだ。

その最後の言葉は淀川氏といえばの「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」ではなく、姪に残した「もっと映画を見なさい」だったという。

誹謗中傷揚げ足取りが横行し、一億総監視社会の様相を呈する現代、他人を落とせば、自分が上がると思っている人がネットで好き勝手な言辞を弄する現代、今こそ淀川長治氏じゃないか。

彼はどんな映画も決して酷評することはなかった。どんな映画にも見るべきところはある。と

これ、本当に好きな人の言葉だと。

映画という文化そのもの総体に対する愛だと。

最後の言葉「もっと映画を見なさい」

この言葉の「映画」の部分を何に置き換えても、そこに愛がある。

そして、愛は諦めない。どんなものにでも良いところを見い出し、それを力に変えていく。

何かと諦観が支配する今の僕の思考は、何かのダメな部分を発見するより、良いところ見つける方が実はずっと難しいんじゃないか。と以前から薄々感じていた。その感じ感が実感になる。

特に今、様々に懐疑的、不信感に侵食されている僕の目は、何かを良く見るということができない。

何かに対して、揚げ足は簡単に取れるのに、可能性は見つけてあげられない。

腐っとるね。

中島みゆきのファイトという歌に「少年の目が年を取る」というフレーズがある。

これすごい表現だ。最近、本当に「中年の目が年を取る」ということを実感している。

見える景色が色を変える。

君が人生に期待しなくなっても、人生はまだ君に期待している。

誰だったっけ?フランクルだったかな?の言葉。

人生は目の腐った僕に何を期待しているのだろう。

そして、これ何の話だったろう?

映画のこと書こうと思ったのにな。

真っ直ぐの投げられないピッチャーみたいだ。

何これ????


イメージ 1


といった話で終わってしまうと、長めのツイートみたいなことになってしまうので、この間月一ラーメンで行ったラーメンの写真を。

この日は、超有名店「カドヤ食堂」に行こうと先月から申し合わせていたのだけど、生憎の雨で、雨の中並びはキツイということになって、近くに最近オープンしたらしい店へ。

鶏そばの醤油とダイブ飯といって、最後に残ったスープに入れて食べるご飯をオーダー。

とても美味しかったが、ダイブ飯の量が意外に多くて、少し残してもた・・。

気になるメニューがいくつかあった。

また近々。

「麺や 鳥の鶏次」


そう思いました。

















あしたかぁすね。

はわわわ。

何度カレンダーを見ても、やはり明日らしい。

明日って17日ですよね?うわわわ。

やっぱり明日か〜。ぐぐぐ。

いよいよ自由時間が終わる。覚悟していたのだけど、いざその日が来るとなると、これまでの快適ライフが惜しい。

これからやろうと思っていたことも、取り敢えず保留、もしくはこのまま頓挫か。

いやしかし、これまで散々自由に生きてきたのだから、それはいいのだけど、何が引っかかるかといえば、両親そろい踏みでここに来て暮らすということ。

どちらか片方になってしまったなら、一人っ子長男坊主の役目として、当然面倒を見る気でいた。

しかし、今はまだ二人とも健在。彼らがつがいでいるうちは、一緒に暮らすことはあるまいと油断していた。

ところが、今、いろいろあって一軒家に独り暮らし。そこへ持ってきて、父親の大阪転勤。めっちゃ環境整ってる・・。

いろいろあったそのとき、とんでもなく迷惑をかけてしまったものだから、恩を返すならここだな、と思ってうちにくればいいよ。なんて軽く言っちゃったけど、これからを想像してマイルドにまいってる。

まず、二人揃ってここで暮らすとなると、主客転倒が確実に起こる。

僕が居候みたいな感じになっちゃうと思う。ってかなる、絶対。

深夜の帰宅に忍び足、部屋でのテレビはヘッドホン、服を脱ぎ散らかしたり、ジーパンで寝たら怒られる、挙措動作に気を遣わなくてはならなくなる。親の友達、会いたくもない親戚が来たりする。リビングでのチャンネル権を強奪される。韓流ドラマを録画させられる。チョコレートばかり食べてると流石にこれくらいでは文句も言わないだろうけど、困り顔される。ああ気を遣う。

そして一番嫌なのは、離婚のことを聞かれること。思い出したくもないんだまだ。言ってない衝撃の事実もたくさんあるんだまだ。迷惑をかけるだけかけておいて隠し事とか道義にもとる行為に思えてしたくないんだ。だけど年老いた両親にとてもじゃないができる話じゃないんだこれ。

うわわわ。

参ったな。

母親と電話で話したら、新生活にウキウキしてる。ゴメンかーちゃん、オレそんなに楽しみじゃないんだ。

親にしたら次の生活の目処が立って、荷が下りた感じかつ息子の建てた家に同居なんてちょっと素敵みたいな感じなのかもしれないけど、その荷はそのまま僕の肩に載っかってきて、生活の重圧が息苦しくて、ダメだ、ちょっと外の空気、そう思って散歩に出かけたら、いい感じで止めていたタバコに知らぬ間に火を点けてたりして、知らない街を歩いてみたい、何処か遠くへ行きたいみたいな昔聞いたことある歌が頭の中をリフレイン。

ダメだなぁ。

言い訳じみて聞こえるかもしれないけど、もう少し時間が欲しかった。怪我がまだ治ってねんすよ。

が、人生はいつも唐突に運命を突きつける。

離婚からの親との同居。

流れが来てるよね、良い悪いは別にしてしっかり流れがあるよね。

なるべくしてだよね。

不思議だね、人生。

それでも人生にイエスと言う。

昔読んだ本のタイトルだね。

明日って、17日ですよね?

ですよね・・。

何これ????

そう思いました。














やればできる。

あの人はやればできる。

能力はあるはずなのに、頑張らない人に対してよく使われるこの言葉。

これって逆効果じゃね?と常々思っていたりする。

だってやってないんでしょ?じゃあそこには何もない。出来ないと同じ。

いわば、その才能能力を褒められてしまっているものだから、もしやって出来なかったら、その評価に傷がつくんじゃないかと考えて、余計にやらなくなるんじゃないか?やらない方が「いやオレ、やったら出来るんだけどねw何かめんどくせーから」みたいに調子に乗っていられるし。

だから、やってないことに関しては褒めない方が賢明だと思う。よく我が子可愛さに、「この子はやったら出来るんです!」なんて親バカを目にすることがあるけど、子どもにとって誰より一番応えたいのは親の期待でもあろうから、親にそう言われてしまうと、その子はやって出来なかった為に親に与える失望に怯えて、かえって何も出来なくなるんじゃないか。

人を育てる上で言っちゃいけない言葉ランキングで、結構上位にくるんじゃないかこの「やればできる」。

能力があるのにやらないやれないということは、そこにその能力を上回り邪魔をする何かがあるってことで、それは下らない自尊感情だったり、環境だったり、才能能力を上回る欲望であったり、あると見せかけて実はその能力がなかったり。

そこに存在しない「出来た」は、容易に「もし〜なら」「たら、れば」を連れてきて、それは想像の範疇でどうにでもいじくれるものだから、そうなれば理想だよね。みたいな話になってそのときは誰も気分を害さず気持ちいい。

でも、結局それはただの現実逃避の形に収束して、時間が経って振り返ると、あのときやっておけば・・って後悔しか残さない。

まだ出来てないないものを「やればできる」と褒めることは、いい部分もあるにはあるのだろうけど、トータルで考えるにマイナスの方がかなり大きいよな。

なんてことを、50のオヤジを指導しながら考えたり。

そもそも僕のような破落戸に人を指導させようなんて職場の方針が間違っているんだ。

しかも相手は人生の先輩だ。やりにくいことこの上ない。

そこは、「あいつはああ見えて人を教えさせたら、すごいと思う。きっと出来ると思う」で留めておいてくれればいいのに。

そうすれば、「僕ならもっとこう。」「あ〜俺が教えてればな〜」なんて無責任でいられたのに。

ということで、職場の他の面々からは、今教えおるオヤジがどう見えているのかの意見など聞いてみたいな。

みたいなこともあって、というのはカッコつけた建前で、

単に美味しい物を食べたいなという本音で、

職場の人間を誘い、今俄かに勢力を拡大中の「台湾まぜそば」なるものを食しに。

別に、ほら、僕やればできる人間だから、一人で行っても良かったんだけど、皆で食べた方が美味しいじゃない?行けるんですよ、一人で外食。まだやったことないけど。


イメージ 1

ほほう。これが噂の台湾まぜそばか・・。

無茶苦茶美味そうやないか。

で、実際無茶苦茶美味かった。

これ、麺を食べきった後に残った具材にご飯を入れて食べるのだけど、これがまた美味い。

注文の際に言われた「追い飯までいかないと、台湾まぜそば食べたとは言えませんよ〜」

なんて店主の言葉も頷ける。

「あらし なにわ」


で、この日から数日後、今度は恒例N氏との月一ラーメン。

イメージ 2

N氏も一度この台湾まぜそばが食べてみたかったらしく、

いつもより気持ち遠くまで遠征。

これまた美味い。

ていうか、

僕は、この食べ物が好きなんだと思う。

ぐちゃぐちゃに混ぜて食べる。

この雑さ。

合うんでしょうね、性に。

「麺や マルショウ」

そう思いました。









あけおめすね。

あけましておめでとうございます。

お正月ですね。

ここ数年は、はえーもう一年経っちゃったよ。ものすご早いね、ってか速いね。

なんてスピード感で正月を迎えていたものですけど、昨年は何だかんだ凶事がミルフィーユかなくらいの重層で起こり続けたもので、頭も精神も常にいっぱいいっぱい、身体にもその影響は顕われ、周りから「病気なの?」とかいわれるくらい痩せたりして、毎日がサーヴァイブ、皮肉にもガッツリ一年間、時間を余すところなく満喫した気がします。

日本は八百万の神の国、その八百万のうちの暇なのが、ボンクラな僕のために分かりやすいターニングポイントを作ってくれたのだ。と今は良いように解釈して生きています。プラス思考にも程がある。とは無論言われなくてもわかっているのですけど、余りにマイナス面が多すぎた一年。それを力に変えるには、アホなの?と言われるくらいの振り切ったプラス思考が必要ではないか。そう思いまして。

ママゴトの延長擬似結婚生活を送っていた間は、毎年正月が出勤で、家に居ることがなかったのに、離婚をして初めて迎える正月がこれまた皮肉にも、休み。

休みならば、実家に帰るなり親戚宅に行くなりすればよいと思われるかもしれないけど、両親は九州、親戚もほぼ九州。とても一日の休みでは行けない。し、離婚などといういわば忌み事がまだ生々しく記憶にあるものだから、幸せに生きている人たちに接することが躊躇われる。折角日光浴を楽しんでいる人を、影で覆うようなことはしたくない。もう少し憑き物が落ちて、楽しいことが言えるようになるまでは、出来るだけ人との接触は減らしたい。そんな思いがどこかにあるんですね。普通の離婚であればそこまで考えなかった気もするけど、事情が事情だけに笑い話にするには時間がかかる。と言いつつもう離婚ネタでかなり笑い取ってたりするけど。

みたいなことで、元日も普通の休みと変わらぬ過ごし方で、気づけばもう終わりですよ。

明日から仕事です。

今年は兎に角楽しく過ごすこと。それだけをね。

ただね、この間人生の先行く先輩に教えてもらったのですけど、今年僕前厄とかいうやつらしいです。

何でもない去年、あれだけのことが起こったというのに、今年来年再来年と前厄本厄後厄。

大丈夫だろうか、乗り切れるだろうか?死ぬんじゃないか?あれ以上のことってもう死ぬくらいしかないんじゃないか?

そんな懸念もありますけど、

まぁ、それならそれで、その日まで、

楽しくやろう。

明るいうちは見えるものを出来るだけたくさん見て、幸せな時はそれを疑うことなく浸かりきって、

楽しくやろう。

今年一発目のブログであるから、何だか華というか、心ウキウキみたいな、さぁこれからやで!みたいな、
景気のいいこと書いたろ。と目論んだのだけど、明度が上がらない。しかし、これから徐々に上げていきます。

まずは、この間後輩無理山に貰った、滅茶苦茶異性にモテるという香水。これを大量に噴きつけて、合コンにでも参加してやろうかと思っています。

皆様にも善い一年でありますように。

今年もよろしくお願いします。

そう思いました。


























ついったーすね。

掃除なう。

この「なう」という表現が、もう「now」じゃないことは分かっている。現代の流行り言葉の栄枯盛衰、その速度たるやもう。エレキテル連合なんて、もう誰も覚えていないんじゃないか。五郎丸も安心してくださいも明日には廃れているやもしれん。ってどうでもいい。

しかし、掃除が大変だ。

独り身には余る家に住んでいるものだから、片付ける端から、他が散らかる。使っていない部屋も何故か散らかる。

いきおい常に掃除を強いられる破目になる。

そうして苦行のように掃除に費やす時間にふと思う。

人間もこういったものかも知れないな。

能天気に生きて、純粋であることを自分は綺麗な人間であることをむんむんアピってくる人が希にあるが、その人を純粋にとても思えないのは、その人が何事かに苦しんでいる様子が見えないからじゃないだろうかな。

無知は純粋ではないのだよ。「天然」などと称されるのは、それアホの隠語だから。騙されやすいのは純粋とは関係ない、ネズミ講、美人局、ぼったくり、こんな様なものに騙される人が純粋だろうか。欲の塊じゃないか。

人間も部屋と同じで、ただ生きているだけで、汚れていくものじゃないだろうか。

常に掃除を欠かさずにいないと、どんどん汚れていく。何もしないのに清潔を保っていると思っている人は、その散らかった部屋に慣れたから、汚れが気にならなくなるだけで、汚れているんだと思う確実に。

そんなところに人は呼べないし、人も行きたいと思わないだろう。

現実の部屋は、家族にやらせる、金を出して業者に頼むなどすれば片付くが、自分自身の人間の部分は、誰も片付けてくれない。自分でやらないと。

そう考えると、随分怠ってきたものだと。

現実もそうだけど、自分の内面も随分と散らかっている。

自分自身の内面のことでいえば、部屋が散らかっている程度の生易しい状態ではなく、柱が傾いているのが分かって、建物そのものがダメみたいな惨状だったので、そこをどうにか誤魔化して・・なんてことも少しは考えたけれど、その方がかえって労力が大きいと判断して、一度更地に戻して建て直し。こんどはガッツリ杭を打ち込んで、傾かないように頑丈に。あとはそこが散らからないように掃除を怠らず生きて行きたい。

在るべきところに在り、いるべきところにいる。

それ以上に何が出来るだろう。

・・・何の話かと。至極当然の疑問。これ、最近複数の人に今更ながら、「つりをはツイッターはやらないの?」と聞かれたものだから、出来ないんだよ。足りないんだよ。文字数が。だって、「掃除なう」がこんなんなっちゃうんだよ。ってことの説明。いや、ほら、僕、天然だから。ピュアだから。

・・・いろいろちゃんと片付けよう・・・。



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月一ラーメン会、いよいよ県外進出。

と言っても、うちなんてギリギリ大阪ってくらい南大阪だから、それほど遠くはないのだけどの和歌山県。

和歌山ラーメンといえば、トンコツが強めの物が主流。しかし、N氏がトンコツを苦手にしているので、醤油が強めの店をチョイス。ネットで調べて、ビジュアル的にネギのインパクトが凄かったお店へ。

チャーシューメンをオーダー。

ネギがすげー。

どこか懐かしい味で美味かったっす。

「ラーメン ○イ」

後日、会社の同僚和歌山出身ヲサムに聞いたところ、「もっと美味いところいくらでもありますよ」だと・・・。

和歌山、定期的に攻めてみるかな。

そう思いました。

















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