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【拡散希望】橋の下を通るの情報

大阪維新の会情報

らく@ポス部中将&ツイコミュ中佐

統一地方選挙マニフェスト http://oneosaka.jp/pdf/manifest.pdf 国民健康保険 、介護保険、生活保護などのセーフティネットは広域(都)が担い、大阪に 住むすべ ての人に平等で、すべての人が安心する制度を完備します。(国籍 条項なし) かなり危険な内容です すでに理解していた方もいらっしゃると思 いますが 情報収集・拡散にご協力ください

新自由主義 一国二制度(大阪独立) 地域主権・大阪市解体 自治基本条例 朝 鮮学校補助金支給 小沢氏を絶賛、輿石氏と教育改革 民主党擁護(菅前首相・ 松本龍元環境大臣ほか) 脱原発、太陽光利権 安全性に問題のあるWTCに庁 舎移転・その後も継続使用 大阪維新の会 関連ニュース <似非愛国者 橋下を 撃沈せよトピック> 大阪維新の会 関連ニュース

ブレーン・関係者 上山信一氏(小泉構造改革のブレーン・マッキンゼー) 大 前研一氏(平成維新の会・一新塾・地域主権型道州制) 堺屋太一氏(小泉時 代の経済産業大臣・知価社会(実体を伴わない情報化社会・脳化社会) 原英 史氏氏(現みんなの党党首渡辺喜美氏の元補佐官) 古賀茂明氏(発送電分離・ 元経済産業省・マスコミによる持ち上げ)

<大阪府トピック> 大阪維新の会情報

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田母神閣下Twitterより
http://twitter.com/#!/toshio_tamogami/status/175322988114219010
田母神俊雄 ‏ @toshio_tamogami

韓国が竹島周辺で取れるアワビを「独島アワビ」で各国に商標登録するというニュースが流れて います。まさか日本政府が受けることはないと思いますが皆さん拡散願います。それにしても我が国政府は何故外貨5兆円もただで韓国に貸すのでしょうか。こ んなとき取引に使えばよいのにと思います。

田母神俊雄ブログより

河村市長、頑張れ!


河村名古屋市長が中国からのお客さんに対し、「南京大虐殺はなかった」と言ったということで、腰抜け日本政府はその火消しに躍起になっている。これまで20年以上も我が国が真実を争わずに、国家のために命を捧げた諸先達を貶めてまで、中国の言い分に擦り寄ってきたことが、現在の我が国の無様な状況を作っているのだ。20年以上もやって状況がどんどん悪くなる一方であるのに、またこれまでと同じやり方を踏襲しようとする。我が国の政治家のことなかれ主義にはほとほと閉口する。彼らは自分たちの対応によって、子供や孫の世代に大きな負の遺産を残し続けていることに思いが至らない。そんなことはどうでもよく、自分たちがトラブルに巻き込まれて苦労することは避けたい、今の生活を楽に暮らしたいと思っているとしか考えられない。少しは国家国民のために汗をかくという気持ちはないのか。河村市長は孤軍奮闘であるが、多くの日本国民は河村市長を応援している。是非最後まで頑張ってもらいたいと思う。


さて2年前に中国の胡錦涛主席が来日した折に、「南京事件の真実を検証する会」(会長:加瀬英明氏)が中国文の公開質問状を中国大使館を通じて送っている。胡錦涛はこれに答えていないが、皆さんにもその内容を知ってもらいたいと思い、以下に日本語の全文を掲げる。南京事件のことなどほとんど知らない反日的日本人がテレビに出て、証拠は山ほどあるとか言って、日本のことを貶め続けているが、以下の質問に答えられるようになってから意見を言ってもらいたいと切に思う。少し長くなるが皆さんも是非読んでいただき、多くの人に拡散してもらいたい。




胡錦濤国家主席閣下への公開質問状

このたび中華人民共和国国家主席胡錦濤閣下のご訪日に当たって、日中両国の友好を願う者として心より歓迎申し上げます。

さて、われわれは1937年12月に行なわれた日中南京戦に伴って起こったとされる所謂南京事件を検証すべく、研究して参りましたものです。貴国のこの事件に対する見解とその取り扱いにつき、深刻な憂慮を感じております。昨年南京屠殺記念館が大規模に拡張改装されましたが、一方で友好を唱えながらこのような非友好的なことを平然と行なう貴国に対して強い不信の念を感じざるを得ません。そもそも南京で大虐殺があったという論拠は最近の研究によって根本的に否定されつつあります。以下重要な5つのポイントについて閣下のご見解を伺いたく、謹んでご質問申し上げます。


一、 故毛沢東党主席は生涯にただの一度も、「南京虐殺」ということに言及されませんでした。毛先生が南京戦に触れているのは、南京戦の半年後に延安で講義され、そして『持久戦論』としてまとめられた本の中で「日本軍は、包囲は多いが殲滅が少ない」という批判のみです。30万市民虐殺などといういわば世紀のホロコーストとも言うべき事件が本当に起こったとすれば、毛先生が一言もこれに触れないというのは、極めて不自然で不可解なことと思います。閣下はこの事実について、どのようにお考えになられますか?


二、 南京戦直前の1937年11月に、国共合作下の国民党は中央宣伝部に国際宣伝処を設置しました。国際宣伝処の極秘文書『中央宣伝部国際宣伝処工作概要』によりますと、南京戦を挟む1937年12月1日から38年10月24日までの間に、国際宣伝処は漢口において300回の記者会見を行い、参加した外国人記者・外国公館職員は平均35名と記録されています。しかし、この300回の記者会見において、ただの一度として「南京で市民虐殺があった」「捕虜の不法殺害があった」と述べていないという事実について閣下はどのようにお考えになられますか。もし本当に大虐殺が行なわれたとしたら、極めて不自然で不可解なことではないでしょうか?


三、 南京安全区に集中した南京市民の面倒を見た国際委員会の活動記録が『Documents of the Nanking Safety Zone』として、国民政府国際問題研究所の監修により、1939年に上海の英国系出版社から刊行されています。それによりますと、南京の人口は日本軍占領直前20万人、その後ずっと20万人、占領1ヵ月後の1月には25万人と記録されています。この記録からすると30万虐殺など、到底ありえないとしか考えられませんが、閣下はいかがお考えでしょうか?


四、 さらに『Documents of the Nanking Safety Zone』には、日本軍の非行として訴えられたものが詳細に列記されておりますが、殺人はあわせて26件、しかも目撃されたものは1件のみです。その1件は合法殺害と注記されています。この記録と30万虐殺という貴国の主張とは、到底両立し得ないと考えますが、閣下はいかが思われますか?


五、 南京虐殺の「証拠」であるとする写真が南京の屠殺記念館を始め、多くの展示館、書籍などに掲載されています。しかし、その後の科学的な研究 (『南京事件の「証拠写真」を検証する』(東中野他・草思社)など) によって、ただの1点も南京虐殺を証明する写真は存在しないことが明らかとなっております。もし、虐殺を証明する写真が存在しているのでしたら、是非ご提示いただきたいと思います。そのうえで検証させていただきたいと思います。


以上述べました5つの点は南京で大虐殺があったなどということを根本的に否定しているものとわれわれは考えざるを得ません。上記5つの点につきまして、閣下のご見解を承ることができれば幸いです。この問題は多くの日中国民の関心事と考えますので、公開質問状として提出させていただきます。子子孫孫までの日中友好を願うものとして、閣下のご高配を、衷心から期待しております。


平成20年5月5日

南京事件の真実を検証する会委員一同

(会長)加瀬英明
(事務局長)藤岡信勝

(監事)冨沢繁信 茂木弘道
(委員)阿羅健一 上杉千年 小林太巌 杉原誠四郎 すぎやまこういち 高池勝彦 高山正之 西村幸祐 花岡信昭 東中野修道 溝口郁夫 宮崎正弘






転載元転載元: successのブログ

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二宮金次郎像



イメージ 2



先日、学校教師に「教育勅語」「修身」を の記事をエントリーしました。
「修身書」は、明治天皇陛下より下賜賜った『教育勅語』を実践するための手引書のようなものでした。
かつてわが国の小学校の多くには、子どもたちが手本とすべき人物の銅像が、建っていました。背中にまきを背負い、本を読みながら歩いている少年の像です。その人物が、二宮金次郎すなわち二宮尊徳です。
上記の表にあるように、「修身教科書」に最も多く取り上げられました。

二宮尊徳翁は、天明7年7月23日相模の国足柄上郡 栢山村、現在の神奈川県小田原市栢山(かやま)の裕福な農民、利右衛門の子として生まれました。しかし、尊徳翁が5歳のとき寛政3年、そばを流れる酒匂川(さかにがわ)が氾濫し、一家の田畑はひどい被害を受けました。田畑の修復に疲れた父は病気がちとなり、幼い尊徳は父の代わりに、川の堤防工事で働きました。しかし、子どもでは一人前の働きができません。申し訳なく思った尊徳は、人知れず皆のわらじ作りに精を出しました。尊徳翁の伝記報徳記』には、わらじを編んで金を稼ぎ、父のために酒を買い、 また、工事の賃金で松の苗を買い、洪水が来ないようにと土手に植えました。
 尊徳翁14歳の時、父が亡くなりました。残された母と幼い弟たちのために、尊徳は朝早くから田畑を耕し、まきを拾い、夜にはわらじ作りに精を出しました。そんな尊徳翁は、貧しさのため寺子屋へも行けませんでした。そこで、仕事の合い間に『童子教』から『大学』『論語』などを独学しました。 少年金次郎の銅像は、このころの姿です。
携帯電話・ゲーム等に没頭する今日の子供たちとは大きく異なります。

 悲しいことに尊徳翁が16歳のとき、母も亡くなってしまいました。しかもその年の夏には、再び川が氾濫し、一家離散となりました。両親の死後、叔父の家にて暮らしていた頃、寝る間も惜しんで読書をしました。油代がもったいないと叔父に指摘されると、荒地に菜種をまいて収穫した種を菜種油と交換し、それを燃やして勉学を続けました。

また、荒地を起こして、捨ててあった苗を拾って植え、2年で20俵を収穫しました。こうした努力と倹約によって、尊徳翁は田畑を少しずつ買い戻し、20歳代で生家の再興を果たしたのです。
 
 尊徳翁は、その後、小田原藩の家老服部家に奉公することになりました。尊徳翁は、主人の息子が儒学者の家に勉強に行くお供をし、庭先で先生の講義をじっと聞いて勉強しました。そのうちに先生も尊徳に気付き、指導してくれるようになりました。やがて服部家でその非凡さを認められた尊徳は、主家の財政の建て直しを成し遂げました。それが評価され、藩主大久保忠真(ただざね)により、桜町領(栃木県二宮町)の復興を命じられ、粉骨砕身の努力により、10年がかりでこれに成功しました。評判はさらに幕府に及び、老中水野忠邦より、印旛沼の分水掘削、日光の村々の再興などを命じられました。
 
 尊徳翁の生きた時代は、江戸時代の末期です。当時の農村は、悲惨な状態にありました。平和な時代が長く続き、人々の生活はぜいたくになっていました。その怠惰な風潮は農村にも及び、わが国全体の農地収入は3分の2に減じたといわれています。飢饉も次々に起こりました。その結果、貢租の重圧に耐えられなくなった農民は、次々と離散し田畑は荒廃しました。そのような時代に、尊徳翁は農村の再建、農民の救済に、懸命に努力しました。実に、約600もの藩や郡村を再興し、多くの人々を飢餓・離散から救いました。
 
 尊徳翁の思想の根本には、独自の人間観があります。尊徳翁は、人間と自然、人間と動物の違いをこう説きます。自然の道、「天道」は、人間が何もしなくても行われますが、人間は働かなければ生きてゆけません。勤労が根本なのです。また、動物は争い、戦い、奪い合いますが、人間は助け合い、融け合い、譲り合うことができます。尊徳翁は、これを人の道、「人道」といいます。世の中をよくするためには、「人道」に徹するほかはないのです。そして、人間の動物にない良いところをのばすために、尊徳は具体的な実践方法を説きました。それが、「報徳思想」です。
筆者が住んでいる兵庫県西宮市にある報徳学園高校は「報徳思想」を教える学校であり、二代目校長、二宮尊親氏は尊徳翁の嫡孫でした。

尊徳翁の報徳思想は、「分度」「勤倹」「推譲」「報徳」の四つからなっています。
動物はエサを食べたいだけ食べますが、人間は先のことを考えて、収穫の中から、来年のための種を保存します。「まかぬ種は生えぬ」からです。そして、一年かけて一家が食べられるように配分し、どれだけ食べ、どれだけ蓄えなければならないかを計画しなければなりません。このように消費と備蓄の度合いを考えて生活をすることを、「分度」といいます。
また、一生懸命働いて収穫を得たら、その利益を倹約するということが大切です。これを「勤倹」といいます。
勤倹によって余りが出れば、これを足りない人に譲る心が大切です。自分のために残すものを「自譲」、他人のために残すものを「他譲」といいます。尊徳翁は、この両方を合わせて「推譲」といいます。
推譲に対して、差し出された者は、感謝して、受けた徳に報いるという心が大切です。これを「報徳」といいます。つまりお返しをするということです。この時に、返し手が自分なりのお礼を加えれば、推譲の基金はいよいよ増えていきます。
これら「分度」「勤倹」「推譲」「報徳」は、どれが欠けても完全ではありません。四つが合わさって人間の生活を全うできるのです。こういう生き方が、尊徳翁の「報徳思想」です。尊徳翁は、これをひたすら実践し、人々に広めていきました。
 
 「報徳思想」はただ食べて、生きていく方法ではありません。
「わが道はまず心田の荒蕪を開くのを、先務としなければならぬ。心田の荒地を開いてのち、田畑の荒地に及んで、この数種の荒地を開いて熟田としたならば、国家社会の進展は手のひらをめぐらすように容易であろう」(『二宮翁夜話続編』)。尊徳翁は、田畑のことも、国家社会のことも、まず心を開拓することが第一だと言われています。
「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」(『二宮翁夜話』)とも尊徳翁は説かれています。
心の開発ができれば、国土を豊かにし、国家社会を発展させることができる。生きるために協働し、支え合いながら、自らを磨き、互いの人格を高め合う「和」の精神、それが人としての道であると尊徳翁は説いています。
 
かつて二宮尊徳翁を歌う唱歌がありました。「柴刈り縄ない草鞋(わらじ)をつくり 親の手を助(す)弟(おとと)を世話し兄弟仲よく孝行つくす 手本は二宮金次郎……」
 戦後の日本人は、戦前子供の手本とまでしていた二宮尊徳翁の銅像を校庭から取り払いました。それとともに、尊徳翁が実践され、説き広めた報徳精神も、かえりみなくなってしまいました。
 そして、半世紀たった今日、わが国には長期にわたる不況、国や自治体の膨大な借金、豊かさの中で勤労の精神を忘れた若者たち、官僚の腐敗堕落等の問題が、広がっています。今日の日本人が、再び二宮尊徳翁に学ぶべきことは、まことに多いでしょう。また学ばねばなりません。日本人が日本人であるために・・・原点に還るべきでしょう・・・




転載元転載元: 美しい国

女系天皇 女性宮家 に懸かる問題を 日本の根幹に関わる難しい問題 と あれやこれや あらゆる文献を持ち出し 解釈を持ち出し 法的にどや 慣習はどや 正統的に 正当性の うんたらくんたら 論争が繰り広げられております。

皇室の存続が日本の根幹に懸かる重要懸案であることは間違いありません。

しかしながら、難しい問題 なのかと言えば 実は 「ノー」なんですな。

難しい問題たらしめているのは、論争をたたかわせている当人にあるんです。

簡単に結論を言ってしまいます。



「法の遵守」



これで、一発解決!

!!!(゜ロ゜ノ)ノえっ………それだけ?


当然です。

皇室の存続の前に 法の遵守 が 根幹に関わる重要懸案なんですから。

法の遵守無くして 皇室の存続 など 望むべくもありますまい。



天皇の正統性は、「天照大神の男系子孫」 と 皇室の慣習と皇室典範で明らかなんですから。

しかも、女系天皇や女性宮家など 一言も言った者も 明記されたことも 実施されたこともこともないのです。

つまり、皇室の慣習 皇室典範 憲法 日本の慣習 に於て 認められていないこと 自明の理 であること 疑いようもないのです。


法の遵守に則るなら、そもそも 議論の余地もないこと 至極当然 ということなのです。



既成事実ありきの立法は、法の否定であり あってはならないのです。




BY柳虫

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