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霊峰「富士山」
道義とは、国語辞書において人のふみ行うべき正しい道。道理をいいます。
また、道義心とは、道義を大切にする心。道徳心をいいます。 かって我国は世界に誇れる「道義国家」でした。 しかしながら、3月11日東京都千代田区の国立劇場で行われた東日本大震災1周年追悼式典で、昨年震災発生後、一早く支援を表明し、多額の義援金をいただいた真の友人「台湾」に道義を欠き、非礼な事態となりました。 これが、「道義国家」と世界から賞賛された我国の姿でしょうか? 誠に情けない限りです。 「歴史と伝統文化を否定すれば、その民族と国家は滅びてしまう」。このことは世界の多くの歴史が教えてくれています。 我国は先の大東亜戦争での敗戦後、占領軍による「日本人の骨抜き政策」や「洗脳教育」により国民意識なき国民、国家観なき政府が誕生し今日に至っています。 崇高な精神、天皇陛下の下に一致団結する「奉公の精神」を恐れた、占領軍による骨抜き政策とコミンテルンの策略が残念ながら、ものの見事に成功し、今日なお「日本人の心」を蝕んでいるということであります。 しかし、これを覆すには占領軍やコミンテルンのしたたかさを我々も学び、ピンチをチャンスにしていかなければなりません。共産党の国会議員であった志賀義雄は、「日本には武力革命はふさわしくない、武力革命の代わりに教科書で子供たちの考え方を社会主義的に変えてしまえば、やがてその子供たちが大人となり、社会のリーダーになった時、日本は自然と社会主義化される」と、その計画を実行しました。彼らのシンパが教科書を執筆し、邪悪な日教組に洗脳された純真でまじめな教師が熱心に教育をしました。その成果として、今日、「国家観なき日本人」、「志の欠如した日本人」が大量に排出されることになりました。 残念ながら、この世代が現在、国の中核を為している世代なのです。 多くの社会主義が崩壊しました。 ソビエトが崩壊した時に、ゴルバチョフがジャーナリストに語った言葉に、「社会主義が成功した国が一カ国ある、それは日本だ」があります。この言葉は今日の日本の姿を如実に物語っています。 上図をご覧いただければお解りいただけますが、日本人としての誇りを持っている人の割合が著しく低いのが実情です。 安倍政権時に改正された教育基本法を成立させた保守系の議員が、「愛国心」、「家族の絆」、「公共の精神」を殆ど取り入れていない教科書を熱心に推薦している姿も見られます。彼らは政治家を忘れて政治屋であり、国家・国民のことより自分の票と組織を意識してポピュリズムにおもねるようになっているのです。 国会議員として、日本人としての気骨があった明治の愛国精神はどこへ行ってしまったのかと、保守政党を支持してきた者としては残念です。 教育基本法が改正されたのにも拘らず、それを無視した教科書が検定に合格し、採択されている現実の裏には、採択に関わる教育委員の方々の多くは、教科書採択の重要性を、一部の熱心な識者を除き理解していないことが有るということです。 また国旗・国歌法が制定されたにも拘わらず、それに従わない一部の心無い教職者・・・ 国家あってこそ会社経営の安定があり、家庭生活の安定が確保されているのですが、有力な国際企業が労働組合を経由して、左翼陣営に資金も票も流しています。国家の存続と繁栄を目指す組織には賛同も資金も出ては来ないのです。ですから国家観並びに国益なき会社経営が行われています。 自分の会社の眼の前の利益追求を優先しているので、中国、韓国、その他の諸外国へ、国益を無視した技術移転が行われています。 民族としての誇りを持たせるための歴史教育は大切です。歴史というのは祖先の生き様のことであり、文化であり、歴史教育とはそれを子供たちに伝えることです。愛国心と民族愛を持った教師、教科書を育成して、誇り高き日本人の再生を急がなければなりません。 しかしながら、国家と国民の在り方を明確に記した歴史と公民の教科書が無視されているのが現状です。私たちは深く反省しなくてはならないのです。私たちを取り巻く社会環境が、赤く染まり始め着々と社会主義化され、お国柄、祖先の生き様さえも否定しているのです。このような憂慮される事態に対し、国家の指導者たちは深く認識してはいないのが現状であり、現政権は国を亡国に導く意図を明確にしています。だから国会でもあの様な場当たり的な答弁を繰り返しているのだと思います。 我国は一国で一文明、一王朝を成しています。 子供たちに、日本民族の「いのち」を吹き込み「誇り」と「自信」を持たせることが必要です。 日本の伝統文化を正しく伝え、青少年に夢を与えるために、私たちは、もう一度立ち上がらなければなりません。 京都御所
余談になりますが、筆者は京都で数年間丁稚奉公をしていました。 当時、師匠が「京都御所は日本の誇り」と仰っていました。 諸外国の国王は、立派な壕(ほり)を廻らせ贅(ぜい)の限りを尽くした城郭に住んでいるが、御所は有事に対する城郭でもない・・・ 「お国柄が京都御所を見ればわかる」と・・・・
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転載ー日本ー
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二宮金次郎像
先日、学校教師に「教育勅語」「修身」を の記事をエントリーしました。 「修身書」は、明治天皇陛下より下賜賜った『教育勅語』を実践するための手引書のようなものでした。 かつてわが国の小学校の多くには、子どもたちが手本とすべき人物の銅像が、建っていました。背中にまきを背負い、本を読みながら歩いている少年の像です。その人物が、二宮金次郎すなわち二宮尊徳です。 上記の表にあるように、「修身教科書」に最も多く取り上げられました。 二宮尊徳翁は、天明7年7月23日相模の国足柄上郡 栢山村、現在の神奈川県小田原市栢山(かやま)の裕福な農民、利右衛門の子として生まれました。しかし、尊徳翁が5歳のとき寛政3年、そばを流れる酒匂川(さかにがわ)が氾濫し、一家の田畑はひどい被害を受けました。田畑の修復に疲れた父は病気がちとなり、幼い尊徳は父の代わりに、川の堤防工事で働きました。しかし、子どもでは一人前の働きができません。申し訳なく思った尊徳は、人知れず皆のわらじ作りに精を出しました。尊徳翁の伝記『報徳記』には、わらじを編んで金を稼ぎ、父のために酒を買い、 また、工事の賃金で松の苗を買い、洪水が来ないようにと土手に植えました。
尊徳翁14歳の時、父が亡くなりました。残された母と幼い弟たちのために、尊徳は朝早くから田畑を耕し、まきを拾い、夜にはわらじ作りに精を出しました。そんな尊徳翁は、貧しさのため寺子屋へも行けませんでした。そこで、仕事の合い間に『童子教』から『大学』『論語』などを独学しました。 少年金次郎の銅像は、このころの姿です。
携帯電話・ゲーム等に没頭する今日の子供たちとは大きく異なります。
悲しいことに尊徳翁が16歳のとき、母も亡くなってしまいました。しかもその年の夏には、再び川が氾濫し、一家離散となりました。両親の死後、叔父の家にて暮らしていた頃、寝る間も惜しんで読書をしました。油代がもったいないと叔父に指摘されると、荒地に菜種をまいて収穫した種を菜種油と交換し、それを燃やして勉学を続けました。 また、荒地を起こして、捨ててあった苗を拾って植え、2年で20俵を収穫しました。こうした努力と倹約によって、尊徳翁は田畑を少しずつ買い戻し、20歳代で生家の再興を果たしたのです。
尊徳翁は、その後、小田原藩の家老服部家に奉公することになりました。尊徳翁は、主人の息子が儒学者の家に勉強に行くお供をし、庭先で先生の講義をじっと聞いて勉強しました。そのうちに先生も尊徳に気付き、指導してくれるようになりました。やがて服部家でその非凡さを認められた尊徳は、主家の財政の建て直しを成し遂げました。それが評価され、藩主大久保忠真(ただざね)により、桜町領(栃木県二宮町)の復興を命じられ、粉骨砕身の努力により、10年がかりでこれに成功しました。評判はさらに幕府に及び、老中水野忠邦より、印旛沼の分水掘削、日光の村々の再興などを命じられました。
尊徳翁の生きた時代は、江戸時代の末期です。当時の農村は、悲惨な状態にありました。平和な時代が長く続き、人々の生活はぜいたくになっていました。その怠惰な風潮は農村にも及び、わが国全体の農地収入は3分の2に減じたといわれています。飢饉も次々に起こりました。その結果、貢租の重圧に耐えられなくなった農民は、次々と離散し田畑は荒廃しました。そのような時代に、尊徳翁は農村の再建、農民の救済に、懸命に努力しました。実に、約600もの藩や郡村を再興し、多くの人々を飢餓・離散から救いました。
尊徳翁の思想の根本には、独自の人間観があります。尊徳翁は、人間と自然、人間と動物の違いをこう説きます。自然の道、「天道」は、人間が何もしなくても行われますが、人間は働かなければ生きてゆけません。勤労が根本なのです。また、動物は争い、戦い、奪い合いますが、人間は助け合い、融け合い、譲り合うことができます。尊徳翁は、これを人の道、「人道」といいます。世の中をよくするためには、「人道」に徹するほかはないのです。そして、人間の動物にない良いところをのばすために、尊徳は具体的な実践方法を説きました。それが、「報徳思想」です。
筆者が住んでいる兵庫県西宮市にある報徳学園高校は「報徳思想」を教える学校であり、二代目校長、二宮尊親氏は尊徳翁の嫡孫でした。
尊徳翁の報徳思想は、「分度」「勤倹」「推譲」「報徳」の四つからなっています。
動物はエサを食べたいだけ食べますが、人間は先のことを考えて、収穫の中から、来年のための種を保存します。「まかぬ種は生えぬ」からです。そして、一年かけて一家が食べられるように配分し、どれだけ食べ、どれだけ蓄えなければならないかを計画しなければなりません。このように消費と備蓄の度合いを考えて生活をすることを、「分度」といいます。
また、一生懸命働いて収穫を得たら、その利益を倹約するということが大切です。これを「勤倹」といいます。
勤倹によって余りが出れば、これを足りない人に譲る心が大切です。自分のために残すものを「自譲」、他人のために残すものを「他譲」といいます。尊徳翁は、この両方を合わせて「推譲」といいます。
推譲に対して、差し出された者は、感謝して、受けた徳に報いるという心が大切です。これを「報徳」といいます。つまりお返しをするということです。この時に、返し手が自分なりのお礼を加えれば、推譲の基金はいよいよ増えていきます。
これら「分度」「勤倹」「推譲」「報徳」は、どれが欠けても完全ではありません。四つが合わさって人間の生活を全うできるのです。こういう生き方が、尊徳翁の「報徳思想」です。尊徳翁は、これをひたすら実践し、人々に広めていきました。
「報徳思想」はただ食べて、生きていく方法ではありません。
「わが道はまず心田の荒蕪を開くのを、先務としなければならぬ。心田の荒地を開いてのち、田畑の荒地に及んで、この数種の荒地を開いて熟田としたならば、国家社会の進展は手のひらをめぐらすように容易であろう」(『二宮翁夜話続編』)。尊徳翁は、田畑のことも、国家社会のことも、まず心を開拓することが第一だと言われています。
「道徳を忘れた経済は罪悪であり、経済を忘れた道徳は寝言である」(『二宮翁夜話』)とも尊徳翁は説かれています。
心の開発ができれば、国土を豊かにし、国家社会を発展させることができる。生きるために協働し、支え合いながら、自らを磨き、互いの人格を高め合う「和」の精神、それが人としての道であると尊徳翁は説いています。
かつて二宮尊徳翁を歌う唱歌がありました。「柴刈り縄ない草鞋(わらじ)をつくり 親の手を助(す)け弟(おとと)を世話し兄弟仲よく孝行つくす 手本は二宮金次郎……」
戦後の日本人は、戦前子供の手本とまでしていた二宮尊徳翁の銅像を校庭から取り払いました。それとともに、尊徳翁が実践され、説き広めた報徳精神も、かえりみなくなってしまいました。
そして、半世紀たった今日、わが国には長期にわたる不況、国や自治体の膨大な借金、豊かさの中で勤労の精神を忘れた若者たち、官僚の腐敗堕落等の問題が、広がっています。今日の日本人が、再び二宮尊徳翁に学ぶべきことは、まことに多いでしょう。また学ばねばなりません。日本人が日本人であるために・・・原点に還るべきでしょう・・・
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もう1度、表舞台に
出てきてくださいませんか。 2009年愚かだった国民の1人ですが、
今、目が覚めた者として、お待ちしています。 http://game.yninfo.com/PCdanjiyouxi/200810/W020081021514403943886.jpg
ttp://game.yninfo.com/PCdanjiyouxi/200810/t20081021_709757.html 自民・麻生元首相 「非を認めて衆院解散を」 2011.9.15 産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110915/stt11091516540010-n1.htm 自民党の麻生太郎元首相は15日、派閥の例会で、野田佳彦首相が14日の衆院本会議で民主党マニフェスト(政権公約)の作成時の検討・検証が不十分だった認めたことに対し「率直に非を認めて衆院解散・総選挙を行い、2年間の学習に基づいて新しくマニフェストを出して国民に信を問うべきだ」と述べた。
与党が国会会期を4日間としたことにも「4日でいいと思っている人はいないのに、既成事実のようになっている。ふざけていると思わない方がおかしい」と批判した。 http://ilovetoritani.up.seesaa.net/image/7124559_612118298_105large.jpg http://ilovetoritani.seesaa.net/category/8979993-2.html http://pds.exblog.jp/pds/1/200904/16/79/e0165379_21492967.jpg
http://flosmile.exblog.jp/page/65/ イラン・イスラム共和国のマヌーチェフル・モッタキ外務大臣と麻生太郎総理大臣 私は 信を問われたい
success
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【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 「主権回復の日」で国家を 考えよう http://prt.iza.ne.jp/images/news/20110428/407846_c450.jpg
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/504551/slideshow/407846/ 2011.9.8 産経 http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110908/plc11090802520004-n1.htm 本日、9月8日は、昭和26年のこの日にサンフランシスコで日本対連合国の講和条約が調印されてから丁度60周年に当つてゐる。折から自民党は、同条約がその翌年の4月28日に法的効力を発生したことをふまへて、この日を「主権回復記念日」と呼び、国民の祝日の一に加へる法案をまとめ、8月26日に衆議院に提出した。その改正法案の主部は次の通りである。
≪記念日制定へ改正法案提出≫ 〈一 国民の祝日として、新たに主権回復記念日を加えること/二 主権回復記念日は四月二十八日とすること/三 主権回復記念日の意義は「苦難の占領期を経て主権を回復したことを記念し、国の真の独立の意味に思いをいたす」とすること〉といふのだが、具体的には現行の「国民の祝日に関する法律」の第2条に列記されてゐる各祝日の春分の日の次に、右に記した新しい祝日の名と日付が書き加へられ、内容を示す欄に、右の三に記した「意義」が掲げられることになるだらう。
既に提出済みの改正案であるが、実際に法案の審議に入り、願はくは順調な成立の運びとなるのは、秋の臨時国会でのことにならうとの予測である。
而(しか)して、顧みれば14年昔の平成9年のことになるが、その年の4月28日に、45回目の主権回復の記念日を祝ふための国民集会を同憂の士を糾合して開催し、それ以来、連年一度も欠かすことなく、この集会を重ねてきた主権回復記念日制定運動の呼びかけ人から見るに、漸(ようや)くここまで漕ぎ着けることができたのかとの感慨はやはり浅からぬものがある。
運動を進めてゆく過程で私ども呼びかけ人(入江隆則、井尻千男両氏と筆者)が切実に懐(いだ)いた認識は、民間人の一部がいくら旺盛なる論陣を張らうとも、それは所詮は市井の民の呟(つぶや)き声にすぎない、法の改正を目指す以上はやはり立法府の議員諸氏の同調と実動を得なければ、事の成就は至難、といふより要するに不可能といふことだつた。
≪第11回国民集会で新たな流れ≫ 運動に共鳴してくださる政治家は少数ながら発足当時から居(お)られたのだが、それはまあ個人の立場からの支援の範囲内にあつた。それが、平成19年の第11回国民集会に、「伝統と創造の会」を名告(なの)るいはゆる一年生議員の代議士諸氏が一斉に参加し、清冽(せいれつ)な気概をこめて壇上から記念日の制定を呼びかけてくれたときに、明らかに新しい流れができた。
祝日といふ名の休日の数が多すぎる、また一つ、ふやさうといふのか、との
疑念に対しては、現行の5月3日の憲法記念日を、むしろ“国恥記念日”として祝日から消してしまへばよい、との意見が壇上の発言者から出て、哄笑(こうしょう)と盛大な拍手喝采を受けたことも、鮮明に記憶に残つてゐる。
この元気のよい若手代議士諸氏のうちのかなりの人が一昨年8月の選挙に敗れて、現在、雌伏を余儀なくされてゐるが、生き残つて二年生議員となつた人々が中心となつて、「4月28日を主権回復記念日にする議員連盟」が結成され、そして、今回の祝日法改正案の提出といふ実践行動に出て下さつたのである。
独立国家主権の尊厳を確乎(かっこ)として認識せよ、との呼びかけは、この運動の同志たちがここ15年来、声を涸(から)して叫び続けてきた警世の悲願である。隣国からの威嚇に慴伏(しょうふく)して靖國神社への参拝にも踏み出せない内閣総理大臣、荒唐無稽なる歴史認識とやらの言ひがかりに屈服して、教科書の編纂(へんさん)にすら周辺諸国の顔色を窺(うかが)つてきた教育界、米国の年次改革要望書なる歴然たる内政干渉に屈して、迎合と隷従の売国的対応を続けてきた政・財界。一昨年に民主党政権が成立して以降、事態は決定的に悪くなつた。
≪領土・領海で政府は気力なし≫ 北朝鮮の国家機関による多数の我(わ)が同胞の誘拐・拘束といふ人権蹂躙(じゅうりん)、明白なる国家主権の侵害に対し、政府は既に解決の気力を有してはゐないと映る。韓国による島根県竹島への侵略と不法占拠に対し、政府は、唯(ただ)、拱手(きょうしゅ)傍観(ブログ主 注:手をこまねいて何もせず、ただそばで見ていること)を決めこむの怯懦(きょうだ)(ブログ主 注:臆病で気が弱いこと。いくじのないこと)に終始するばかりであり、沖縄県尖閣諸島への度重なる領海侵犯事件に対しても、政府はもしや国民を裏切つて中国の言ひ分の方に肩入れをしてゐるのではないか、と思はれる軟弱な対応しか見せてゐない。我が国を潜在敵国に売渡す法制そのものである外国人への参政権付与も、まだ諦めてはゐない様子である。
かうした政・財界のみならず、広く思想・言論界一般にわたる、且(か)つ年来の集積によつて、痼疾(こしつ)症状(ブログ主 注:容易に治らないで、長い間悩まされている病気) となつてゐる亡国的売国的現象を一つの象徴的な呼名で呼ぶとすれば、それは国家主権の尊厳に対する認識の欠落であり、亡失である。それ故に、個々の難題への具体的な対処を論ずる前に、是も象徴的な一言を以つて要点を指摘するとすれば、国家主権意識への開眼と尊信が、今や国民的に急を要する課題である。そのわかり易(やす)い手がかりとして、主権回復記念日を制定しようとの立法活動には、満腔(まんこう)(ブログ主 注:からだじゅう。満身)の期待を表明しておく。
(こぼり けいいちろう) ■参考 サンフランシスコ平和条約 WikiBooks より サンフランシスコ平和条約とは、第二次世界大戦後の平和条約で、日本国と連合国各国の平和条約である。この条約の発効により、連合国による占領は終わり、日本国は主権を回復した。1951年9月8日調印、1952年4月28日発効。 主権 とは・・・ 主として憲法・国際法で用いられる、国家の最高独立性を表す概念である。 「主権」概念の内容については、一般的には、国家の最高独立性を表す概念で、 最高権、統治権、最高機関の地位のおおよそ三つの基本的意義があると理解されている。 Wiki より ここで まちがってはならないのは
『国家』 の主権であって、 「国民主権」 ではないことである。 国民主権は、今 日本でどんどん進んでいる状況で 国家観がないがゆえに、国民の権利を中心に主張し 亡国の徒になる 可能性のあることである。 success ■「力」と決断の智略が国家なのだ 小堀桂一郎 2011/04/28 産経 http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/column/opinion/504551/
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私は「保守論者」である。でも、そもそも「保守とは何ぞや?」と問われたらどう答えたらいいのだろうか? 私なりの「保守」と「リベラル」の認識は 保守・国家及び国民の「伝統・共同体」を重視し、基本的に「小さい政府」を志向 リベラル・「個人の自由・選択」を重視し、基本的に「大きな政府」を志向 というものです。皆様は「保守=小さな政府・リベラル=大きな政府」に「あれっ?」と思われるかもしれないが、「社会・共同体」を重んじるからこそ「小さい政府」が成立するわけであるし、「個人の自由」を重んじようとするなら「社会・共同体」の代用品として「大きな政府」志向になるのではないのでしょうか。世間一般に「保守・リベラル」という言葉を安易に使用してますが、「二大政党時代」にはこの「二つの理念」を理解しないと、「本当の二大政党制」は実現しえないと思うこのごろです。 最後に、日下公人さん・長谷川慶太郎さんと並んで尊敬する塩野七生さんの著作「サイレント・マイノリティ」に掲載されていた「真の保守とはーー?」の中にある「保守の定義」を抜粋・要約して紹介いたします。結構面白いですよ。 1・真の保守主義者とは、量よりは質に重きを置く人である。また、認識は軽視しないがそれが原則をともなわない場合は価値のないことを知っており、時には後退も辞さない。なぜなら、前進には時として、いったん後退してから行なう方が効果があるのを熟知しているからだ。 2・真の保守主義者とは、まずいわゆる「保守反動・伝統主義者・回顧主義者」と区別されねばならない。不変的な原則から逃れられないとはいえ、新課題には新回答を持ってのぞまななければならない事を知っているが、「失敗の繰り返し」を避けたいがために、歴史を軽視しないのである。 3・真の保守主義者とは、自分達が「明日の人」であると主張する革新が、失敗した後になって始めて理解される「明後日の人」でることを確信している。 4・真の保守主義者とは、新しい物に反対なのではなく、「新しいものに対する無条件の支持」という「無知」に加担したくないだけなのだ。 5・真の保守主義者とは、「抽象的思考・机上の空論・刹那主義」と無縁である。 6・真の保守主義者とは、「私有財産・家族・国家・宗教」を社会の自然要素と認識する。 7・真の保守主義者とは、「責任」の概念を最も重視する。 8・真の保守主義者とは、「社会改革」とは漸進主義でのみ実現するものと考える。 9・真の保守主義者とは、「政治改革」とは「慎重・平静・ステップバイステップ」によって行なわれるものであると認識している。 10・真の保守主義者とは、「世界の貧困・文盲・飢餓問題」の解決は、国単位で、漸進主義においてのみ解決すると認識している。 11・真の保守主義者とは、いつの日か「革新」が「保守」と化すことを確信している。 12・真の保守主義者とは、社会の一部の人々の「貧困・不成功」が「社会の欠陥」に必ずしも由来しないことを知っており、その解決策として「社会改革」より「社会的敗者復活戦」が有効である事実に盲でない。 13・真の保守主義者とは、長期にわたって続いてきた制度はそれなりの理由を持っていると信じており、「長く続いた」というだけでそれらの制度を改める事をしない。 14・真の保守主義者とは、「大衆の人気を得て迎えられる新人」を信用しない。 15・真の保守主義者とは、共同体の重要な目標を「共同体構成員の「慣習・風俗・民俗・宗教」を守る事」であり、そのことが「個人・共同体」の力を「有効・効率的」に活用できると信じている。 16・真の保守主義者とは、「組織・制度」の変革は、「社会の調和」を重んじながら慎重に進められるべきであると思っている。 17・真の保守主義者とは、「改革すべきでない事」は改革すべきでないと確信している。 18・真の保守主義者とは、共同体のたゆまない前進のために「優者・劣者、健康者・病人、積極的・消極的」なものは、一緒にせず「分離」すべきであると考える。 19・真の保守主義者とは、人間は「究極的に不平等」であると認識しており、この事実を無視する社会は「自ら墓穴を掘る」結果に終わることを知っている。 20・真の保守主義者とは、「大きい政府」に絶対反対である。それは「国家がすべてを管理」することが、それが福祉であっても「非能率」をもたらすからである。 21・真の保守主義者とは、「富の偏在」は社会に深刻な危険をもたらすと信じており「中流社会」を理想としている。 22・真の保守主義者とは、「個々の密かな欲望・より良い「地位・環境」を望む欲望」を「国家の安易な対策」より信頼している。 23・真の保守主義者とは、個人の自由が「発明・進歩・発見」の素地であると共に「弱者に対する残酷な結果」をもたらすことを知っているが、その弊害を見定めるためには、「個人の自由」は「権利」ではなく「義務」であるとの考えにおいて、それを見定めようとすることと考える。 24・真の保守主義者とは、「歴史は同じ形で繰り返されない」事を知っており、自分自身の能力を超えるものは、歴史から学ぶことが出来ないことを知っている。でも、歴史は「知っていたら未然に防げていた」数々の前例を示していることも真実である。「革新」は「歴史は自分達が創る」との思いから歴史を軽視する。 25・真の保守主義者とは、「国家の衰退・終焉」が「官僚主義・防衛ただ乗り・通貨安・重税」によって始まることを知っている。 26・真の保守主義者とは、「よき社会」を構築するのは「貧富の差」ではなく、「より積極・才能・智恵・正直」な人物が「指導者の地位」につく事でると思っている。 27・真の保守主義者とは、人間一般に対して「ペシミスト」であり、「善人・悪人」の差は「個人のちょっとした意思・偶然」によるものと考える。 28・真の保守主義者とは、「愛国心・義務感・人間性の尊重」が少数の者が持つ「徳」でしか無い事を理解している。 29・真の保守主義者とは、「少数支配・多数支配」双方とも「多少の疑惑」を持って見てしまう。 30・真の保守主義者とは、人間は「身近な範囲」なら理解できることも「自治体・国家レベル」では理解の範疇を超える「頭脳・視点」を持つ人が大多数であることを認識しており、政治は「一市民・統治者双方の視点を持ち、それを「ケース・バイ・ケース」の考えで柔軟に運用する」プロの仕事であると認識する。 31・真の保守主義者とは、「民主主義・全体主義」を問わず「国民の退廃」を招きかねない「外国崇拝・異国趣味」を廃する。 32・真の保守主義者とは、「言論の自由」を絶対的に尊重するも、それの行使は「社会責任」と裏腹であると信じている。 33・真の保守主義者とは、「個人の自由の尊厳」が「社会に活力をもたらす」と信じているが、これが「個人の権利」というよりは、「国家からの払い下げ」であるとも認識している。 34・真の保守主義者とは、人間が生み出したすべての制度が「欠陥だらけ」であることを認識しているが、同時に「完璧な制度」などは「神様でも無理」ということを知っている。そして「無いよりマシ」という視点が、社会の発展に意外と貢献していると考える。 最後に、塩野先生及びジュゼッペ・プレッツオリーニ先生に対して「最大限の感謝と大いなる英知への賛辞」を送りたいと思います。
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