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◆ 湖面に映るが如く ◆

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■ 坂本 四方太 (しほうた)
うららかや駕の中より富士を見る
うららかや かごのなかより ふじをみる
≪ 解説 ≫
1901年(明治34)年発行の俳句選集「春夏秋冬」(春の部)から引いた。

かって徒歩、馬、駕籠(カゴ)などで東海道を旅した時代には
この句の通りの「麗らか」な日があった。

季語「麗らか」ではもう一句、
「うららかや障子に桶(オケ)の水うつる」(高浜虚子)が
先に選集に出ている。

桶の水に反射した光が障子にあたってちらちらしている光景だ。
坪内稔典.(俳号:ねんてん

毎日新聞(季語刻々・2013・04・03)より


.
「日立の桜」7分咲き(4/1)・・・
日立さくらまつり・・・あわただしく、しかも前倒し・・・ライトアップ開始。

あ〜あ。「明日ありと思う心の仇桜・・・」
今日(4/3)、太平洋沿岸は大時化。
交通も所々で麻痺。
4/1に日立の桜を見てて正解だった。

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ところで「明日ありと思う心の仇桜、夜半に嵐の吹かぬものかは」
親鸞聖人が九歳の時に詠まれた歌とか・・・。

親鸞聖人は九歳で出家をされました。
聖人は貴族の出身でしたが、下流貴族で、
父母を亡くし生活にも困窮していたといわれています。
出家の動機は今では想像するほかありませんが、
その時のエピソードとして、こんな話しが伝えられています。

聖人が得度(僧侶になること)するために青蓮院の慈円和尚のもとを訪れた時、
すでに夜は更けていました。得度には時間もかかりますし、
たくさんのお弟子を集めなければなりません。
「もう遅いから明日にしよう」といった慈円和尚に、
わずか9歳だった親鸞聖人は和歌を詠んで答えたといいます。

 明日ありと
 思う心のあだ桜
 夜半に嵐の吹かぬものかは

「この世は無常であり、今を盛りと咲く桜が夜中の嵐で散ってしまうかもしれません。
同じように、私の命もいつなくなってしまうかわかりません。
どうか、今ここで得度の儀式を執り行って下さい」という聖人のそのことばに心打たれ、
慈円和尚はすぐに得度の手配をされたということです。

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