思い出したこと・・・

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父が・・・。

我が家の一大事でこちらに移ってから、私はお墓参りに行っておりません。

いや、行けなかったのです。

昨年6月末にここに来て、母の命日、お盆、お彼岸、父の命日、暮れ・・・。

お墓に行ったら涙が止まらなくなりそうで、行けませんでした。

けど、ほったらかしと云うわけにもいかず、夫には行ってもらっていましたが・・・。

それが、このお正月にやっと行くことができたのです!(喜)


それを、話のついでに妹に言うと・・・

「姉ちゃん、私、お父さんの夢を見た。そして同じ日にTちゃん(もう一人の妹)Iちゃん(姪も、

見たんだわね、それが三人とも夢にソファーが出てきて、それと父さんが絡む夢なんだわ〜」

考えましたよ夢の意味! 分かるはずもないですけどね(笑)


でも、同じ日に同じような夢を三人が見たと聞けば気になって仕方ありません。

きっと、父は私に何か言いたいことがある・・・。

それは苦言かもしれない、・・・たぶんそうだろう・・・。


色々考えましたが、私は聞くべきだし、知りたいとも思いました。

で、見えない世界が視えると云う方にお聞きしました。


その方が仰るには・・・。

父は、早く私達が穏やかな日々を取り戻すことを心からから願っているし、

夫をこれ以上追い詰めないように・・・、との事でした。


勿論、それが本当かどうか、また本当だとして、それが父の言ったことの全部かどうか・・・、

私に知る由もありません。

そして,その方がこうも仰いました。

お父様は生前は色々あったかもしれませんが、今はご立派ですね・・・と・・・。


夫は婿養子です。

義理の関係で会社の跡取、そして同居生活、父も夫も大変だったと思います。

だから、「今はご立派ですね」と云う言葉が「夫をこれ以上追い詰めないで」と云う言葉にかかり、

何となく父の言葉だと納得してしまいました(笑)


あれは10年近く前になると思います。

夜半から腹痛を訴えていた夫は、我慢できずに明け方近くに近くの大学病院に行くことにしました。

当直医は若い先生で、痛み止めを投与し、「入院しますか?」と繰り返すばかりでした・・・。

仕事が気になる夫は一旦は帰宅しますが、激痛に耐えきれず、診察受付時間を待って外来に行きました。


すでに立っていられない夫は、車いすを借り、点滴をうけながら診察を待っています。

昨夜のこと、今の状況を看護婦さん(当時は^^)に訴えるも、

「順番ですからもう少しお待ちください」と言われ、

これから夫が世話になるであろう白衣を相手に、強い事も言えず、

夫を案じながら何もできない自分にイライラしているところに、父が心配して様子を見に来ました。

その状態で1時間以上も待っている事を知った父は看護婦さんに交渉してくれますが、

看護婦さんの返事は変ることはありません。

業を煮やした父は、診察室から患者さんが出てきた隙をついて、先生にどなりこみました。

「ここは、病院だろ! 目の前にあんなに苦しんでいる奴がいるのに何が順番だ〜!

 こんな時くらい、待てる人に待って貰えんのか〜!」と・・・^^;

先生は夫のその状況を御存じなかったらしく、すぐ診て下さいましたが^^


そのすぐあと父は私に聞きました。

「昔子、俺のやったことはお前達に迷惑だったか・・・・?」

父、70歳くらいだったでしょうか・・・


午後、夫は胆石で緊急手術になりました。

あと少し遅れてたら、命にかかわったかも知れないと言われました・・・・。


父は大正生まれで、誰一人頼ることなく会社を興しそれなりにやってきた人です。

強引で、独りよがりで、俺様で・・・、本当に大変でした(笑)


でも、あの日の父は、いつもぶつくさ言っている婿養子のために、

世間の常識や体裁(ちなみに父もかかりつけの病院で、知り合いの白衣も沢山いました^^)を、

かなぐり捨て、診察室へ乗り込んだんだと思います。



「夫をこれ以上追い詰めないように」

あの時の父の愛情を、勇気と思いやりを思い出させてくれた言葉でした。




またもや、とりとめのない話をだらだらと書きました。

いつもながらの、つたない文を最後までお読み下さってありがとうございました。







 
父は北陸の小さな町で育ちました。

私の父ですから大正生まれです。

当時は冬になると豪雪に覆われ、生活すら不自由だったようです。



余談ですが「ニシン大根」って、ご存知ですか?

父の田舎の冬の間の保存食なんですが、大根と鰊を塩漬けしたものです。

平たく言えば、塩漬け大根の中に鰊が入っているものですが、

食べ慣れてない人は生臭くて、食べられません。

当時というかそれ以前も、冬になれば人の行き来は勿論、食料の流通も保存も、今とは比べられないほど

不自由だった人たちの生活の知恵でしょうか・・・、その鰊が冬の間のタンパク質源だったようです。



そんな環境で育った父が上の学校を望んでも、環境的にも無理だったようです・・・。

そんな父もあれやこれや(書くと長くなるので・・・^^;)と苦労して、

結婚し家庭を作り、小さな会社を起こし、ささやかな我が家を手に入れました。

世間で云う、裸一貫で(←死語か?^^)で築き上げた父のすべてでした。


その父が晩年、私に向ってこう言いました。

「な〜、昔子。俺は若い時は怖いものは何もなかった・・・、無くす物が何もなかったからな

 いくらなんでも人の命までとっていく奴はおらんだろう・・・

 でもな、今こうして会社があり、家があり、お前たちがいる。

 もし、会社がなくなったら・・・、家を取られたら・・・、家族を失ったら・・・、

 そう思うと怖くて怖くて仕方がない・・・
 
 昔子、人はな、物を持てば持つほど、生きていくのが怖くなるのかもしれんな・・・。

 もし、守るものが自分の命だけなら、誰も俺の命なんかとっていかんだろうし・・・

 そう思うと本当に気楽に暮らせると思う」


 その時は「そんなものかな?」と半分は聞き流した言葉でしたが・・・、

 しかし、いまの私には、心の支えになる言葉になりました。

 はい、それなりに気楽に暮らしています^^

  もし、父の言葉がなかったら、私は無くす物への負の感情ばっかりで、

そのことの裏返しにある得る物については、何も気づかなかったかもしれません

父が言いました。

先日、父の七回忌を済ませました。

父の思い出はたくさんありますが、

父の言ったことで、父の苦労を思い知った言葉があります。



私が第一子を出産した時のことです。

父にとっても初孫で、その子は我子に望んでも生まれなかった男の子でした。

古い人間ですから、どうしても血のつながった男の子、跡取りが欲しかったようで、

その喜び方は、尋常ではなかったです。


その頃、父は小さな会社を経営しており、私達はそれなりに暮らしておりました。


私の子供でありながら、父の初孫ということで、私の知らない仕事関係の方からも

たくさんお祝いして頂きました。

初めての子を持ち、幸せな気持ちで喜んでそのお祝いを受けていた私に、父は言いました。


「昔子(←私^^;)お前が生まれたとき、俺は貧乏のどん底で、乳の足らないお前に、

 満足にミルクを買うことさえできなかった。お腹を空かせて泣くお前を、情けない気持ちで

 見ているしかなかった。

 でもな、貧乏な俺には子供が生まれたからといって、せんべい一枚、おむつ一枚くれる奴なんか

 誰もいなかった。

 今、俺は、お前の子供一人くらい、他人の世話にならなくても、必要な物なら何でも揃えてやれる。

 なのに、大勢の人が祝いをもってくる。

 昔子、これが世間だ、よく覚えておけ・・・」



私は若い母親でしたので、父の仕事関係の人のお祝いの意味がよく解りませんでした。


勿論、父の言葉がすべて正しいとは思っていませんでしたし、時代背景もあるでしょう。

しかし、父の言葉の重さだけは今も胸に残っています。

そして、自分が覚えていない赤ちゃんの頃の、父の愛も確認しました言葉でもあります(*'-'*)


 
 

子供が小さい頃

ここにおいでの皆様はご存じだと思いますが、私には三人の子供がおります。

と言っても、末の子は32歳、長子は36歳で、大声で子供とは言いにくいのですが(笑)

子供を授かり育てていく間に、子供に教えられた事、慰められた事、反省した事、

本当は詫びなくてはいけない事、本当にたくさんあります。

日常では忘れてしまっていますが、時折、思い出していろいろ思うことがあります。

そんな事を書き留めておこうかと思っています。

よろしかったら読んで下さい。


長男、次男は、小学校低学年の頃(・・・だったかな?)、 ポケットバイクに乗っておりました。

時折は近くの河原のコースでレースに参加したりして、かなり上手く操れる物でした。

ポケバイに乗るには、事故防止のため長袖のツナギ、ヘルメット、ニーパッド等、

それなりの身支度で乗るのが約束事で、それは厳守させているつもりでした。


ある日、庭でポケバイの音がします。

窓からのぞくと二人がポケバイに乗っておりました。半袖、半ズボンのままで・・・。

大声で注意し、すぐに止めさせたのですが・・・・、

その時にはもう遅く、次男は熱くなったマフラーでうち腿を火傷していたようでした。

ようでしたと言うのは、夜、お風呂に入る二男をみると、うち腿に大きなバンドエイドが貼ってあります。

問いただすと、「昼間ポケバイでやけどをした。自分たちはお母さんの言いつけを聞かなくて、火傷をし

たから、お母さんに治療してと言えなかった。だから、お母さんに見つからないようにお兄ちゃんがバン

ドエイドを貼ってくれた」というような答えでした。

私は二男のその言葉に、私の叱り方やしつけの方法は子供を追い詰めてるだけかもしれないと考えさせら

れました。

しかし、そう思っても長男には「お母さんに叱られても、弟が怪我をしたならちゃんと教えてね」と言わ

ざるを得ませんでした。


でも、そのあと私はもっと情けない思いをすることになるのです。

実は長男も同じように火傷をしていたのです。

でも長男は自分の手当はしていませんでした。

自分も痛い思いをしているはずなのに、我慢しながら弟の手当だけをしたのです。

母親の言いつけを守らなかったから怪我をした。弟にも怪我をさせた。

長男は責任を感じ、母親に叱られることを怖れ、それでも弟の痛みを思い、自分にできる精一杯を

したのでしょう。

長男の火傷を見つけた私が問うと、長男は泣き出しました。

泣いている長男を抱きしめながら、我子からみて、私はこんなにも物言えぬ母親なのかと反省し悔いまし

た。


今でも、その時の長男の気持ちを想うと涙が出そうです。


書かないほうが好いとは思いますが・・・、

だからと言って、急に教育方針変えられるほど、私、賢くないんですよ・・・(泣)



昔話ですが・・・読んでくださってありがとうございます。

また思い出したら、書きたいと思います。

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