武川蔓緒(つる緒)の頁

細胞の8割は昭和でできています。
考古学教授の一家が北イタリア避暑地の別荘で過ごす夏。17歳の一人息子と、別荘を訪れた大学院生の青年(24歳)とが恋に落ちる。

設定を80年代にしなければ主人公二人や周囲の人々も成立しなかった物語だろう。インターネット以前における人と人との距離感、ゲイにまつわる見解の、こっちではオッケーあっちでは罪悪とかいったコントラストの激しさ、歳より大人びて見える若者(院生を演じた役者の実年齢は30)……

ところで劇中よく部屋で虫(ハエ?)が飛んでた気がするんだけど、ただ恋を美的に描きたいのでなく、生臭さも訴える意図だった気がしなくもない。

BGMには坂本龍一の懐かしい曲も使われている。

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4月某日

実父がかなり遅れて冬眠に入った。本人の老いと、このところの変な寒さで感覚が狂ったらしい。ふつうの人の冬眠は2〜3日で済むが年寄りだといつ目覚めるかはわからず稀にそのまま逝ってしまう場合もあると。
死体のように冷たく真っ白な顔の父を、親族の男たちと、「あたしんとこ、毎年なの」と言っていた友人の手を借り抱えて運ぶ(夫は仕事で来られなかった。母も離縁しているので来ていない。父は独り暮す部屋で眠ったままのところを発見された)。

仮死状態のようなものであるが、「遅れ冬眠(長期にわたる可能性有)」と病院で診断された人間はいちおうその管轄の式場で儀式をあげることになっている。
勝手のわからない私たちに友人は流石に手際よくいい式場を紹介したり手順を教えたりと何から何まで世話をしてくれた。病院より二時間ほど走った車から降りて緑の並木道を、再び皆で白い段ボール箱に入った父を抱え歩く。春だというのに枯葉がやたら風に舞ってくる。
「縁起の悪いもんじゃないのよ。要らない葉を散らしてきれいな緑になる、新陳代謝よ」
スーツとかでなくTシャツと破れたジーパンで髭をはやした友人はそうペラペラと喋った。隣にはちいさな顔におかれた黒縁眼鏡がずり落ちては指で戻す、ひょろりとして立っ端のある知人(か彼氏か)を連れてきていた。
「何か忘れ物とかあったら彼に言って。時間戻してくれるから」
超能力者ですか? と当人に聞くと頭ひとつ上からやさしい声を降らせる。
「儀式にまつわる場合にだけタイムワープが出来るんです。ただ眠る前や亡くなる前には決して戻れないんですが」
本当かどうか試したい気もしたが残念ながら?忘れ物は思いつかなかった。段ボール箱の空気穴から父のちいさな鼾が漏れてくる。

日帰り出来なくもないのだがせわしないので泊まることに。宿は近辺にひとつだけで今日の客は私たちのみらしい。大浴場を独占する(「安っぽい式場だと周りを観光地にしようと企む輩が出るんだけど、ここは徳が違うから、邪なのは寄せつけないわよ」と左の眉をつりあげる友人。父なら観光地になるようなとこでも充分なんだけど……とは言い返せなかった)。上部の窓からはまだ枯葉を散らす木々がぼんやり見える。隣の男湯の脱衣場かららしい、友人の、ちょっとアンタ電話あったわよー、という声が。忘れ物かとほんのり期待しながら跳ねをあげて湯船を出る。


4月某日

「一日編集者になってくんない? 礼ははずむから、頼む」
出版社につとめる知人から電話。

H氏という私も名前だけは知る中堅作家が、私とおなじ市内に住んでいるので原稿を取りに行って欲しいとの旨。知人が彼の担当だが他の仕事で今日はどうしても行けず、同僚たちも手が放せない、というか誰も行きたがらない、と。

「別に怖い人じゃないから大丈夫。只待たされるだけ」

家から2駅と言えそこから結構歩かされた。先日の寒さとうって変り陽が眩しく、眼や肌がヒリヒリとする。車だけが賑わう交差点の角にH氏の住む白いマンションが物静かに立っていた。
玄関ベルを鳴らすと「開いてるで」と微かな声。ドアを開くとH氏は迎えに出るでもなく、長めの廊下の向こうにあるリビングと畳の部屋の間を、私よりはるかにふくよかな胸をさらし下はトレパンという姿で行ったり来たりしている。ときおり立ち止まってはリビングのテレビに映る野球中継を見る。ずっと横向きで、ながい睫毛とひくい鼻、合成写真みたいにフェミニンな乳房とそれを乗っけた下腹の輪郭がきわだつ。
こちらの旨を伝えると「もうちょい待っとって」とやはり横向きのまま独り言みたいに答える。私がいつもの編集者(男性)ではない事も介さないのか気づいていないのか。

どうしても目がいく胸と、臍あたり、よくよく見ると毛を剃った直後の黒胡麻模様が見られた。「怖い人じゃない」という言葉を信じ遠慮せず、剃ってるんですか、と聞いてみる。「いや? 剃ってへんで」と何故か白昼のマンションよりも明白な嘘をつく。
小一時間私は玄関で待ったろうか(後で言ったら「早く済んだ方」と言われた)。H氏はずっと左右にうろうろしつづけ、たまに野球を見、煙草をふかし、そして思い出した風に和室にあるらしきワープロをカタカタ鳴らし……やがて原稿があるのだろうディスクを片手に、まるで冥土から現世へと渡るみたいに廊下を歩いてきて(道中、野球のカキンという音がしてしばし振り返り見ていたが)、無言でこちらに手渡した。距離が近いと乳房と臍まわりに黒胡麻が虫のように蠢いている気がする……と思っていたら、どこからか手にしたサイケなデザインのパーカーを瞬時にかぶり、さっさと部屋を出て一人エレベーターに乗り行ってしまった。


(※概ねフィクションです。
©️2018TsuruoMukawa)

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4月某日

出先で時間をもてあます。近くに城址があったので、ゆく。いちおう近年復元された天守はあるが思いの外ちいさく、新しさゆえにプラモデルみたいな印象で、周囲の豊かな新緑だとか高い石垣や水を深くたたえ何処までか果ての見えぬ堀の方が目を奪われる。

屋形船が首尾よく出発するところだったので、乗る。船は屋根が異様に低くて、入口は地を這うようにして入る。中はなんとか座ってはいられる程度。御年配の客が多く、寝そべってしまっている人もいる。
やたら威勢だけよいモーター音がしてゆっくりと船はすすみ出す。あちこち隙間があるようで冷たい風にくすぐられる。うすよごれた窓は開けられず、ぼんやりした景色……船が近づいてもまるで気にせず寛ぐ水鳥だとか石垣だとか緑だとかを見る。外から見た方が遠くてもきれいだった。
あの狭い入口の向こうで、船のレバーを操る法被を着たおじいさんだけが陽を浴びくっきりしていた。
堀をおそらく半周ほどしたところだったか、そのおじいさんがふいに、甲板にひとつある電気スイッチに手をのばし、ではいきますよ、と言って押した。

一瞬窓がすべて真っ暗になり、すぐまた光が戻った。しかしそこはさっきまでの堀とはちがった。水辺も橋も石垣も木々も、ほのかな紫に染まっている。窓の疎ましいくすみとしか思っていなかったものが、不思議なもので霞がかった何やら明媚なものに変わって……お酒も飲めないのにうっとり酔う風な心持ちになる。
板のところどころ腐った屋形船に不釣り合いながら小粋と言えなくもないテクノロジーを、先輩の観客達はとうに知っているのだろう誰も動じず、彼等の身も荷物もおなじ紫につつまれる(寝そべっている人はもはや鼾をかいている)。入口の外だけは変わらず真昼だ。おじいさんに尋ねてみる。
知らないで来たの? この城の誰かが書いたナントカ言う短歌が有名なんだよ、朝焼けの紫のことうたってんの。
有名と言うわりに彼も詳しくは何も知らない様子。客ものんびり使い捨てカメラで撮っていたり、桜には遅かったわねぇつまんないわねぇなどと、少なくとも紫において感慨を覚える様子は見られない。

やがておじいさんはスイッチを戻し、気づけば元の船着き場で、柱にロープを縛りながら早口で皆さんお疲れ様でした、お気をつけてお降りください、と次に待つ客との入れ替えを急かす。それでも客達はみんなのんびりとイグアナみたいに這って出てゆく。紫の短歌はちょっと気になったが、たぶん調べることなく忘れてしまうだろう。


4月某日

中学生のころをふいに思い出す。超能力をもった兄弟が3人だったか4人だったかが、男女構成も忘れたが、とにかく一斉に転校してきた。うち一人の男の子が、私とおなじクラスになった。
何処からか、あの兄弟は超能力者だと噂が広まり、本人達もうんまぁ、そんなような、と否定をしなかった。だが人前で何か曲げるでも浮かすでもなく。何かやれよと言う輩も当然いたがそこはやんわり断っていた。噂を流したのは本人達ではないし、穏やかな学校だったので揉め事も起きず「超能力者」という渾名だか何だかかるい認識だけが残り彼らとの学校生活はごくふつうに淡々と過ぎた。

彼等がいたころ、県内で空き巣や暴漢や放火魔や詐欺師なんかが捕まったというニュースや噂をよく聞いた。それだけなら別段珍しくはないが、妙だったのはすべてが、放火魔なら燃え盛る寸前、詐欺師なら逃げきる手前、暴漢なら襲いかかるより先に警官とバッタリ等といった具合にほぼ未遂で事なきを得たということ。長きにわたり手こずらせていた常習犯がその時期に逮捕されたというケースも多かった。

私も、今思えば、無関係でなかったのか? ある夕刻学校帰りにエレクトーン教室と学習塾を梯子すべく駅のホームで電車を空っぽの頭で待っていたらば、制服の上着のポケットに入れていた、両教室の黄色と緑色の月謝袋が忽然と消えているのに気づいた。袋はふたつとも直に月々の支払確認の判子を押すのでやたらおおきく、しかし鞄に入れると探すのが億劫なのでいつも左ポケットからややはみ出す形で突っ込んでいたのだ。他のポケットや鞄の中もいちおうひっくり返して探ったが見つからない。駅員に報せるとか何も思い浮ばぬまま一層空っぽになって立っていたら、駅の外側で、うわあ、という大人の男性の声と、地に叩きつけられるドスンという音がした。柵の隙間から外を覗いたが、みすぼらしい和菓子屋やタコ焼屋等のならぶ通りがあり誰ひとり歩いていない。……線路側に向きなおり、ふと制服に視線を戻すと、左ポケットから月謝袋ふたつが元通りに、いつもと変りなく千円札と小銭でやや肥った黄と緑の身をあふれ出させ……前からあったか僅かな土のような汚れとともに、あった。

学年が変わらぬうちに超能力兄弟は引っ越し転校をした。学校を去る直前、クラスメイトだった子と花壇まわりの掃除当番になって話す機会があった。もう転校するって? と聞くと、あぁ、うち、おなじとこに長くいられないんだ。色々めんどくさいからね、と、私よりひと回りはおおきく詰襟の制服が映える彼は言った。声変わりはしていなかったものの話し方に中学生らしからぬ憂いがあった。蛇口を上にひねり水をゴクゴク飲んでいた。伏せ気味の長い睫に水玉がいくつも乗っていた。


4月某日

深夜、単身赴任中の夫から電話。
どうかした? と言うと、
「君が電話しないから。俺マメな方だろ?」
とやや自慢気に。酔っている。

「今日酒場で水滴を作ってるおっさんに会ったよ。知ってるか? 水滴。硯に水いれるための器。ちいさい陶器に穴が二つ空いてて、ひとつは水を出す用、ひとつは水の出具合をあやつるための空気穴なんだと。そのおっさん、若い時からずっとそれ造ってんの。世襲とかじゃなくて、ちいさな工房っつうか傍から見たら只の民家に弟子入りして。親御さんにはそんなもんで食えるか、って猛反対されて、四半世紀ぐらい絶縁してたらしいんだけど、何年か前にさ、国営放送であったろ、鉄器の急須造る男が主役の、連続ドラマ。結構評判だったやつ。観てないの? あれで親御さん、掌かえしてお前の仕事は立派だとか何とか言って認めてきたんだってさ。俺は急須じゃねぇ! 水滴だ! って怒りながら笑ってたよ」

それだけ喋って夫は、「穴二つか……」と半分眠りの世界にいる「おやすみ」みたいに呟き電話を切った。


4月某日

自分の歌のライヴ本番を控えているのだが、歌詞をワンフレーズどうしても思い出せない曲がある。盤を持っていなくメモも取っていない。あまりに旧いもので他で歌う人を見かけない……少なくとも私の周辺では誰に尋ねてもわからず。
仕方なく電車に乗りおおきな書店や図書館をめぐり、歌詞の載っていそうな書籍を探る。
切羽詰まった状況の筈だが、地上で地下で電車に揺られて、頭で件の歌詞に穴のあいた(また穴。今回は一つだが)曲を流しつづけ、心は妙に落ち着いており、ライヴでなくこの小旅行めいたものがほんとうの目的だったようにだんだん思えてきた。曲は春を綴ったものだが、南国の海や花が出てくるので、過ぎゆくどの景色にも人々の華やぎのない顔にも不似合いではあるのだけれど、曲を延々ループさせ目に映るものすべてが瑞々しくも艶やかなその花の色に染まってゆく様子はそう悪いものではなかった。


4月某日

実家に寄る。

「最近のRの気配が濃厚なの」

と母。Rとは室内で飼っていた白い小型の犬。去年末に亡くなってから、凡そ五ヶ月になる。
明後日を見る風な顔立ちの母だが、霊感がつよい訳でも妄想癖があるのでもなく、口から出る言葉は存外に冷静なひとである。犬好きでもなく成り行きでRを飼い、接し方は終始ドライだった。大人になっても姿や態度は子犬のままでそこらを転がり回るRの愛くるしい肉体を失った悲しみはあろうが、暮しに支障をきたすほど落ち込んでもいない様子。

「先週は夜遅くに帰った時ワンッておおきな声がひとつして……昨日は小屋(Rが亡くなったままの状態で放置されていた)の中でガタガタ音を立てて、見てみたら中に畳んで敷いておいたタオルが乱れてはみ出してたし。今日は鼻歌うたってたら、終わりかけのとこで、キューンって、例の『泣き声』がしたの」

『泣き声』で母娘共にプッと笑う。Rは喜怒哀楽どれにおいてもだいたいおなじにワンとしか声を発さない犬だったが、母が鼻歌……概ねしみじみした曲を歌っている時だけは、切ない音楽に関心をそそられたか、それとも母の歌唱の不安定さに悲哀または歯痒さを覚えたのか、キューンと、母の歌よりよほど情緒のある「泣き」の入った声を出していたのだった。

自室へゆきベッドで横になり本を読む。Rは人がドアを閉め部屋に閉じ籠っていると「いない」という解釈になるようで、ドアを叩きこそしなかったがよく昼夜問わず淋しさに吠えたりかるく悪戯したりしたものだった。
短編集の一篇を読み終えたあたりで、
「フンッ」
とドアの向こうで声がした。Rが本気でワンと吠えはじめる一歩手前の脅し?の声である。開けると誰の姿もない。廊下に出てみると、西陽が流れこんでいるせいだろうか、足もとが温かい……否、西陽ではない。温りは尋常でない湿り気を帯びて私の靴下をぐんぐんのぼり足の表皮を濡らした。


4月某日

子供の頃から続いているペンフレンドがいる。始まってかれこれ30年以上、未だに定期的なやり取りをしている。

たしか同い年の女性なのだが、会ったことも声を聴いたこともまだ一度もない。
最初の頃はぎこちない丁寧語を使い当たり障りない生活を語り合う絵に描いたような繋がりだったけれど。

学生時代も終ったあたりだったか、型どおりにする必要性は何らない事にお互い遅蒔きながらうっすらと気づきだし。現在も封書で送り合ってはいるが、果たしてどちらから始めたのだったか、広々した便箋のど真ん中に、さながら電報みたいに一行だけ、近況だか心境だかうすらぼんやりしたものを伝え合うようになった。今日彼女から来た報はこれである。

「近所の服屋、つぶれる。困る」


(※概ねフィクションです。
©️2018TsuruoMukawa)

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4月某日

駅前、踏切ちかくに5〜6人ほどの小さな行列が出来ている。何事かとその行き止まりを見ると、白い布のかかった卓と椅子がやや冷えた風の吹く屋外に置かれており、そこに常に笑んでいるような顔の、至極素朴な中肉中背の男が座っている。有り様からすれば占い師だが、それにしては若すぎ、着ているものも白Tシャツに紺のパーカーとカジュアルすぎる。すぐ隣にスーツのおじさんがメガホンを持ち立っていて、
「さぁ明日には違う、今だけの顔ですよ! 一枚千円ですよ!」
と叫んでいる。若い男はタレントか何からしく、明日は頬にあるイボ切除の手術をすると。それで、「今だけの顔」とポラロイドでファンと並んで写真を一枚+サイン=千円、という事らしい。

白の卓はレフ板代わりなのか男は椅子から立つことはなくそのままおり、ファンの……そう若くはなさそうな女達が中腰になって、呼び込みをするおじさん自らが写真を撮る(カメラの持ち込みは許されていないみたい。勝手に撮る者がいないかどうかもおじさんが眼をキョロキョロうごかし監視している)。フラッシュが光る。男の頬のイボも言うほどに大したものではなく、ポラロイドなどでは消えてしまいそうだ。

像の浮かんでくる写真の余白に男がサインを書きながらファンと何か話している。その間におじさんはまた周囲に「今だけの顔ですよ!」と声を響かせる。

私はその場を離れ駅ビルでぐるっと買い物をして、もう一度踏切前に戻ってみると、変わらず5〜6人ほどの列は続いており、おじさんは叫んでいて、男はやはり笑んだような目尻と口角のまま座っていた。


4月某日

古本屋。店の人に顔を覚えられている程度には馴染みの。

買うばかりだったのだが、今日ははじめて掃除ついでに要らない書籍をまとめて売りにきてみた。

50代ぐらいの店主と、ちょっと若いその弟? がいる。兄弟と誰も言っていないし顔の造りはよく見ればまったくちがうが、そこかしこ山積みの本を倒さないのが奇跡みたいなカサのある体格と服や肌のくすんで古書に溶け込みそうな風情は実に似ていて、時折区別がつかない。

弟分(としておく)が私の持ち込んだ本を右手でぱらぱらめくり左手で電卓を打つ。迷いなくと言うか、わりあい雑に査定してゆく。

ある一冊に、弟分の手が止まった。私もちょっとは値打ちのありそうな気がしていた小説本。当初は売れなかった(私も中身を知りもせず装丁に惹かれ買った)が、最近書き手が海外で大きな賞を獲り、20年は過ぎたこの誰も知らなかった作品も今ごろになって「名作」にひっくり返され奉られている模様。その「名作」のハードカバー初版なのだ。

弟分はしばし迷って兄貴分と言うか店主を呼ぶ。のっそり出た兄貴は、麻だろうか厚手の黒い布袋に右手をなんでか突っ込んでいる。弟分は小説本をチラリと見せたあと、本を持たぬ左手をその黒い袋の中に入れた。

カウンターの上で、兄弟の手は袋を共にごそごそとさぐる。まるでそこにカウンターを突き抜けた異空間が広がっていて、漫画にあるような魅惑の秘密道具、それも子供の為というよりは大人の邪な夢を叶えるやや怪しげなものが散りばめられているのを手さぐりしているかのような、袋の上からでも(あるいはそれゆえか)淫靡な印象をつよくするうごきであった。黒い空間を見おろす兄弟の口もともどこか笑っていて、これならどうよ、いや、そりゃあまずいだろ、とかなんとか時折目を交わし囁きあっていた。

……ほどなくして二人は手を袋から抜き、何事もなさげに兄は奥へと去り弟は電卓を打ちだし残りの本をあっという間に査定し終えた。結果は想定よりほんのり良い額。件の小説が効いたと見える。
さっき、何されてたんですか? と弟に聞いた。
あああれね、店長が袋の中で指うごかして1とか0とか数字を示すんです。それを僕が触って読み取る。あの本みたいに手ごわい相手だとね、値段決めるのにてこずっちゃってなんだか笑えてきてしまって……お時間取らせましたね。

目の前に置かれたままの黒い袋。入口のより濃い闇の中にあったのは手練れの商人二人が武骨な手を絡ませあうある種のじゃれあいだったのか。
それとも。そこかしこ積まれた書物やら、査定がああだこうだといったベージュがかった埃薫る店構え自体がかりそめのもので、袋の表裏をひっくり返した側の、恍惚を伴う真っ暗な世界こそが実は彼等のほんとうなのではないか……などとぼんやり思いながら店を出、スーパーでいつもより高級な肉を買って帰る。


4月某日

仕事ではじめての街に。夜、通りすがりの店でジャズを聴く。店は木造の、異様に細く長い3階建て。

それもその筈、と言うのか、店内には階段と、踊り場以外に何も無い。窓は明かりとりにもならない小さな四角が不規則にぽつぽつと。天井に丸い電灯がひとつぶらさがり、周りを這う木目をぼんやり映す。

各階の踊り場に、半ば影となった演者がいる。1階にはアップライトピアノを叩く大男、2階にはウッドベースを爪弾く痩せぎすな男、そして3階にマイクスタンドとスパンコールの光が浮いたドレスを着た女の歌い手。

ちらほら来ている観客はどこでも好きな位置の階段に腰掛けて演奏を聴く。私は場のメインであろう歌手からは敢えて離れた1〜2階の間に座った。
ピアノは見た目にたがわず腕力がつよめだがどこかつつくと弱そうなロマンチストな印象。ベースは反して今誰か死んでも変わらずいそうな冷静さ。高いというか長い壁、階段、踊り場、天井といったすべてが音を吸って吐いているような響き。
歌手の声は遠いが、声量をこれでもかと出すタイプっぽいので私には丁度良い距離と言えるか。ピアノとベースの間を毛糸で編むようにやわらかく流れている。


4月某日

昨夜のジャズクラブ(と言って良いのか)の話を音楽好きな知人にしたところやはり知っており、
「4階の音聴いた?」
と。建物は3階までだった筈だけど。
「あるんだよ、俺も入った事はないけど、人一人分の幅しかない秘密の階段があって、その上の踊り場に、どうやって搬入したんだか知らねーけどドラムセットがあって。姿は見ないけどライヴは1回聴いた。すげえの。この国にあんなドラマーいたのか? てのと、どこからどうやって音響かせてんだ? って二重の驚き。絶対録音とかじゃない。明らかにあの店で叩いてる響きなんだよ」
としばし息を荒くし語っていた。


4月某日

右腕あたりの素肌に、ふわふわとくすぐられるような感触がある。毛でも伸びているのか、服の糸か蜘蛛の糸でもからんだかと思って見るが、何も無い。
もうかれこれ二週間ほどになる。幾度躯を洗おうが服をかえようが、腕をさらして動いていると、見えないその何かが空気に揺れて、存在を思い出させる。存在は微かではあるが、長さはある様子。

今年はまだ冷えるので袖をまくるのは家の中だけなのだが、どうも、おなじ方角を歩く時にだけ反応があるとわかってきた。まるで、その方角へ腕をひいて導かんとするみたいに。思うよりとんでもない長さかも知れぬ毛か糸が、くすぐり誘っている気がしてくる。……でも、何処へ?

誰かと赤い糸などという事もあるまいが、腕をだし外をゆく時季がくれば多少はっきりしてくるのかもしれない。


4月某日

深夜に幼なじみから電話。

「ちょっと今男とかるくカケオチっぽい事してて、親類縁者から逃げてんだけどさ」

楽しげな声である。

「いやいや、この歳でカケオチは身体に堪えるわよ。男はもうグースカ寝てるし……そんな事よりさ、田舎のホテル泊まってんだけど……ほら、音、聴こえる?」

たしかに通話が始まってから妙な音がしていた。知人が受話器を音のする方に向けたか、それはおおきくなる。
木や金属をかるく重く叩く音、男女とわず腹から叫ぶ声や、まるでおさない犬か猫が淋しがるみたいな儚い声、笛だろうか小さな鳥の群を真似た風なひょろひょろとした音色のつらなり、あらゆる種の糸をはじく、または軋ませる悩ましいもしくはヒステリックな音、人よりも恰幅のある太鼓や打ち上げ花火ぐらいの響き……

「……わかる? 陽が沈んでからずっとこうなの。気になってフロントで聞いてみたらさ、今日、町の『祭』なんだって。神輿かつぐだとか踊るだとか夜店だとか表には何にも、提灯の1個すら見当たらないし誰一人歩いてすらないんだけど、『祭』なの。毎年4月○日の夜になると決まって、老いも若きもここの住民全員が何かしら、それぞれの自宅で音を鳴らしつづけるんだって。武士とかお公家さんとかいた時代からそうなんだって。地元の人間でさえあれば身分が上でも下でも音楽の手習いがあろうがなかろうが必ず、その人がその場で鳴らしたい音を出す……だからいま音鳴らしてないのは町で唯一あるこのホテルの人達だけ。ホテル関係者全員、出身は他所だそうよ。
……でもさ、電話ではわかんないかもしれないけど、不思議と煩くないのよ。いま、この町で一等高いでしょう4階の窓から見おろしてるけど……家より緑の方が多くてほとんど真っ暗な中で色んな音が響いてんの。風があって緑のざわめく音もまじってる……ほら、昔うちの近所に動物園あったでしょ? 夜遊びして帰ってくるとあそこの動物達が、これからが我等の時刻! とでも言わんばかりにどこの檻の動物かさえわかんない色んな声とか音出してる、あれを規模おおきくした感じかな。ジャングルよ。音程もリズムもありゃしないけど、だからこそ一体感があるの。悪かないわよ。さっきまで商店街で野菜売ってた愛想いい狸顔の婆さんとか無言でうどん打って運んでたワニ顔の兄ちゃんとかが今頃家でどんな表情で何鳴らしてんのか考えたら不気味ではあるんだけど、でも悪かないのよ。あたしも聴きながら、ちょっと眠くなってきたぐらい。もう二度と来ないだろうし、誰かに聴かせとこうと思って」

電話越しの私にはどちらかと言えばチューニングの狂ったラジオみたいに感じるが、夜の動物園と聞くとほんの少しわかるような気もした。だんだん寝惚けた声(酒のはいった声か?)になってゆく幼なじみもまた、その「祭」の一部、何とも知れぬ動物の一種と化していた。


(※概ねフィクションです。
©2018TsuruoMukawa)

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18金ライヴ、『昭和93年リサイタルwith小場真由美』終了。
有難うございました。

4年振りに真正面から向き合った小場さんからは、以前より一層タフネスを感じました。
毎日(毎日のように、ではない)ライヴをされているのに誰も飽きさせない音楽性と存在感。それはお客様に対してだけでなく、共演相手および自身を楽しませる事にも貪欲。日々新陳代謝というか、錆びない。
ジャズの人間だからプロだからとか、なってから意識する義務感や信念だけで出来る事ではないと思う。良い土壌から季節を問わず探せばどこかで何かしら花が咲いているあかるい山道のような。
道をゆく私までも想定していなかった歌声になったりするので驚くけれど、なんだろうデジャヴを覚える……と翌日に録音を聴いてみると、松田忠信さんをちょっぴり思い出してしみじみする
(トークで笑いを忘れないとこも近い? あ、小場さんは下ネタ一切言いませんので念の為。笑)。

一方でこっちは衣裳が益々狂い咲きしてきた以外は(笑)4年前とさして変りなくお恥ずかしい。ですけどもただ昭和をなぞるのでなくむろん平成でもない「昭和93年」の2時間になったと思っています。

重ねて関わってくださった方々に御礼申し上げます。

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小西康陽プロデュース。と知った瞬間はエッ異色作? と思うが。
でも一度はガッツリ組む必然性があったのではないかと、聴く前から何となく感じるものがあった。

何故って、両者、似ている気がするから。
「ほんとの恋愛なんて歌で言うかよバーカ」
と、どんなにパッション迸っていそうな曲であっても深層ではゾッとするほど冷めた眼でいそうな所だとか。

小西さんの微動だにしない様式美と言うかブランドカラーは広く知られる所だけれど、「フラれ歌を得意とする受動的な歌手」と恐らく世間では捉えられがちな池田さんも、
ミュージシャンや作詞家を厳選し単語や音符ひとつまでこだわり抜き卓越した歌唱力で糸一筋のほつれもなく表現する様もまた、
自作曲がそう多くなくとも彼の様式であり、「フラれる」事も彼が纏う服や装飾品のややアンニュイな色使いなのだと思う(少なくとも私は彼のフラれ歌で情けなさを覚えた事は殆どない)。

で、「ラブソングがほんとにラブな訳ない」と斜に構えながらも、ほんの時折、躁鬱のように両極端な色、絵具を叩きつけた厚みがわかるサイケな油絵、または怖いように繊細な日本画的心情を、
チラリズムみたいに見せてくる。現実、または己の知る現実以上に豊穣、あるいは不毛な愛の景色を。そういうとこもお二人、似てる。

聴いてみれば、想像以上に二人のバランス感覚は素晴しかった。小西康陽が歌手を手掛ければ大概は少々コスプレめいた小西カラーに(歌手側が寧ろそれを望んで)染められるが、
ここでは完全にイーブンと言うか。小西は池田のたとえば"79(13 years after mix)"や"Fade away"であらわす純朴さや、
『ウィークエンド・シャッフル』『堕ちる』等の池田的キャッチーなノリにもちゃんと添って溶け込んでいるし
(にしても、穢れきった有り様もアイドルよりピュアな佇まいもサラッと唄いこなすんだから恐ろしい)、
池田もまた田島貴男作曲の『ヘヴン』に於いて「ピチカートファイブに入ってみましたヨ」ではなく、他にない男装の麗人的な魅力を開花させているし、
木村恵子にデュエットさせた『十一月』の、ライトに心中でもしそうな渋味も堪らない(これが野宮真貴だったらややスイートになってしまったろう)。

私的に最も撃たれたのは『ブルース』。演奏があるような無いような静けさも怖いが、ラスト1行の切捨御免、と言うかハードボイルド加減には完全に、「二人」に殺られた。

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そうです、女優の高橋ひとみ。フルアルバムを1枚出していらっしゃった。

全作詞を松井五郎が担当、プロデューサーとしても名を連ねている。アレンジは1曲が松本晃彦、他はすべて鳥山雄司。

今でこそコメディやバラエティーにも出てそれこそカラフルな人物だが、当時はまだ「寺山修司の秘蔵っ子」とか「ふぞろいの林檎たち」とか、
当時十代だった私においては「スケバン刑事のラストボス」だとか、悪役やミステリアスな印象がまだ濃厚だった筈で、
先行で出たシングル『X'mas Kissしてね』は当時広告写真だけ見たけれどやはりアダルティーだったと思う。

だから小林麻美とかのラインと信じて疑わなかったが、アルバムをいざ手にしたらパステル調のジャケ写にまずびっくり。本人純白のハットにワンピース。顔が写っていなかったので同名の別人かと思ったぐらい。
盤を回せばこれまた爽やかな、作家こそ被らないが初期の今井美樹っぽい音作りで、私としては完全な期待外れで一度さらっと聴いたきりしばらく放置していた。

でもショック(おおげさ)が治まった頃、とりあえず「高橋ひとみ」を頭から消して聴いてみれば、アラやだ結構いいアルバムではないの、と。
歌詞は背景に四季を、春に始まりクリスマスまで巡る構成になっている。同じ人物の物語ではなく総て恋愛の概況もキャラクターも(時代さえも?)異なる。
松井五郎は代表的な路線からは外れたところで楽しみながら描いていたのではなかろうか。工藤静香まで熱くはなく、安全地帯ほどに悟りきってはいないパステルタッチの人物像10人を。
演じる高橋の歌声はどうかと言うとこちらもパステル調の裏声で淡々と、ポーカーフェイスな風情を終始貫いており、ちっとも女優ぽくないようで、感情を出さないところに静かな朗読劇めいた女優性も感じさせる。
魔性の薫りも無垢な愛らしさもほんのり併せ持ちながらどの曲にもフィットするから不思議だ。やはり近いのは小林麻美だけれど、湿度は低めか。

好みの問題だが、弱気な『あやまらなくちゃ』とか『七夕じゃなくていいから』(何故か夏のナンバーが弱気)より、
ちょっとサディスティックと言うか、おっとりと上から目線を送る役柄・設定の方がお似合いかと思う。
春の化粧品キャンペーンソングよろしくしたたかに咲き誇る『4月わたしに花が咲く』(ほんとにタイアップすれば良かったのに。してないよね?)や、
身勝手な男への報復として姿をくらます『転居先不明』、刹那主義を気取ってレトロな匂いの都会に踊る『恋うたかたの乙女』(崎谷健次郎作曲)…
そして白眉(と言うか私が彼女に求めていたフレーバー)と思うのは『指紋』(ピカソの辻畑鉄也作曲)。次の女へ非情に移りゆく男の部屋で自分の痕跡を遺す…所謂ユーミン『真珠のピアス』のパターンだが、
季節は明記されていないが曲順からしても秋から冬あたりを思わせる、声も含めつめたく乾いた感触の音造りが肌をひりひりと刺す。

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ピアノ小場真由美さん、コントラバス中村仁美さんによるデュオJasmineの2nd。
二人のオリジナル曲をはじめ独自の調理によるスタンダードジャズ、フュージョン(ジョー・サンプル)、クラシック、ポップス(ビートルズ等)が並ぶ。

ゲストミュージシャンにパーカッション宮本香緒理さん、サックス水谷浩子さん、ボーカル石田裕子さんが参加。
前作と同様女性のみの編成であるが、聴けばやはり前作同様、これ見よがしな女っぽさを匂わす訳でもがむしゃらに雄々しく振る舞うでもなく。
彼女達のプレイはもはや人間などという窮屈な肉体の域も破った、国境もなく高度も恐れず自由に漂う音楽という仮の名を持った空気であり風なのだ。

私事だが精神的にかなりやさぐれて音楽さえも聴きたくない時期に敢えてこの盤を初めて聴いてみた。負のループから僅かでも抜け出せそうに思えて。
…しかし、思惑は見事にはずれる。いや、セコい悩みは阿呆らしくなって軽くなるのだけれど、そのかわりに、全く違ったものが音から襲ってくる。

ジャスミンは音本体と同じぐらいに余韻や余白を重視したデュオ(またはゲストを加えた編成)であると思う。だから存在が「空気」または「風」の振動、或いは静寂なのだ。
前作より更に研ぎ澄まされたように思うその有り様は、聴いている側をフワリと心地よく浮かせもすれば、つむじ風にも巻かせたり、上空で突如風を止め絶叫マシンよろしく地面すれすれまで落とすスリルも与える。
悪戯されている訳ではない。彼女達は只風であるだけで、聴き手の私はそれに乗る、たとえば落ちこぼれかけた渡り鳥のようなもの。
鳥は飛ぶ自由、美醜さまざまな景色、仲間とおぼしき面々との強い絆脆い絆、常に隣り合わせにある死そして新たなる生を、純然たる真実として風から教わる。

ギミックの複雑な曲と比較的明瞭な曲が半々ぐらいにまざっているのも理由は簡単、「この世界には両方あるから」だ。
そしてジャスミンの場合、どちらを奏でるとしても云いたいテーマがそうブレる事がない。「世界はシビアで優しい」というのが一貫していて、すべてが老若問わず響き眠らせない子守唄だ。

私は今回精神状態ゆえなのかわからないが、素朴なナンバーの方が胸に刺さった。石田さんが唄う"La La Lu"(ペギー・リー)なんて母性あふれる優しさだけれど、
改訂された童話みたいにはぐらかさず「本当の意味で抗えない宿命が誰にもある」と、凛とした眼差しで告げる事を忘れない。
それとラストの二人だけでの"My Way"、フランク・シナトラはじめあらゆるアーティストで演りつくされた曲だが、
これほどに呆気無く無風状態で終るバージョン(時間は3分ちょっと)が他にあるだろうか? シナトラぽく豪勢に演るよりもある種人生をリアルに象徴するようで、終った瞬間は背筋が凍った。

(※アマゾンでも売っていると思いますが発売元「おーらいレコード」さんで検索するのが確実かと)

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芸人ゆりやんレトリィバァの「昭和の日本映画に出てくる女優の喋り方」というコントを観た後に本物を鑑賞すると笑いが止まらない。
「早口(だが言葉はスルリと耳に入る)」「基本的に上品な言葉選び」「腹から声を出さずちょっとツンケンまたは投げ遣り気味な口調」といった特徴があろうか。
作品によってはフィルム微妙に早回ししてんのか?と思うぐらいの離れ業もあったりして、
当時の女優は容貌や表現力以前に滑舌が命だったのだなぁ、と。

それはさておき、『今年の恋』。裕福な家の大学院生(吉田輝雄)と料亭の看板娘(岡田茉莉子)とが、各々のやんちゃな弟が同じ高校に通う親友であるのをきっかけに出会って…という話。
社会派のイメージが強い木下監督だが、これは60年代初頭のトレンディドラマと言っても過言でないような。
恋愛シーンではないもののクリスマスの厳粛さゼロの街のイルミネーションや飾りたてたカフェが出てくるし(半世紀以上も前からあったのですね)、
新幹線はまだながら岡田茉莉子が食堂車に乗っていたし、吉田輝雄の住む横浜の邸宅や、好きと嫌いが交錯する二人の車でのランデブーや、エンディングの大晦日京都ロケもラグジュアリーだ
(吉田は終始装いがスーツ、岡田は終始和服という一本調子だが却って艶かしく画になる。遠くうっすら見える富士山や二人で吸う煙草、早口の(笑)口論でさえケレン味ある飾りとなり)。
且つ、ブルジョアですけど? とかいった鼻につく感じは微塵もなく、同時期の小津作品より庶民感覚やユーモアの色が濃いめで、
メインの「今年の恋」へと向かう美男美女像を崩さない際どい所で曲者揃いの役者陣を巧く操りバランスを取る。
岡田に「アホ!」と叫ばせる呑気な両親役の三遊亭圓遊と浪花千栄子(今回は標準語)や、吉田の母ではないがお局の如き居住まいの婆や東山千栄子、岡田と半ば友人感覚で喋る女中の若水ヤエ子、高校教師の三木のり平…
それから忘れてならない吉田の弟、当時18歳の田村正和。既に完成した顔で青臭さとちょっぴりニヒルさを光らせる(ボクシングやってたけどそれも流行か?)。

前述の通りクリスマス〜年明けが舞台の物語となっている('62年の正月映画だったそう)が、そんな時期特有のドタバタと華やぎと、反する冬の静けさ厳かさが、
関係無いと言えば全然無い一角の家族や色恋の模様と、不思議に手で触れそうな感じでシンクロしている(映画って思いの外心情面で季節感を捉えにくい媒体だと思うのだけど)。
お陰様で更なるアナザーワールドである己の年始感薄い年始もちょこっと豊かなものにさせていただいた。

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作曲家・ピアニスト。『101回目のプロポーズ』等ドラマ・映画・CM音楽を手掛ける他に、
ピアノソロ等研ぎ澄ましたアコースティックな作品群やライヴ活動でもお馴染み。

本作は懐かしき2ndアルバム。1st"Angelique"('86)とならび西村由紀江史の幕開けと呼ぶべきもの(ちなみに録音時はまだ音大生で19歳!)。

ピアノソロアルバムをリリース('95年の"Virgin")するより以前は、倉田信雄に始まり船山基紀や奈良部匠平、鷺巣詩郎、井上鑑といった面々と組み
「声でなくピアノで唄うアーティスト」という印象だった。
うら若き西村本人の意向が当時どれほど汲まれていたかはわからないが、出発より全編オリジナル曲で勝負を挑み、
「普段ピアノ曲は聴かない。ブリティッシュロックが大好きでライヴにも行く」とも仰る西村さん、
現在の落ち着いたムードよりも、ボーダーレスなこの時期のアンサンブルの方がある種楽しかったのでないか? などと勝手な想像をする。

私は倉田信雄のアレンジが頗る好き(関わった知らない歌手の盤も調べて買うぐらい)なのもあり、初期で特に推したいのは彼が参加した1stとこの2nd。
80年代の楽曲って生楽器とシンセ音の半ば実験的な融合が数多あり、当時ティーンど真ん中だった私は今も聴くとツボを突かれるのだが。
よくよく考えたらリアルな「生」とあの頃まだ発展途上で二次元的な「シンセ」を同じ土俵に上げるなんてのは極めて不自然な行為で、
しかしながらその有り様は裏を返せば小説よりもファンタジックな事象だ(だからアイドルポップス等が映え易いのか)と、年月を経て一層しみじみと感じる。
倉田氏(と西村氏)はイージーリスニング(このネーミング嫌い)なんていう室内の造花みたいな存在としてカテゴライズされつつも、
それを仮面にし「不自然なファンタジー」の魅力を最大限に発揮している。
造り物である筈の花が茎をのばし部屋をも突き破り揚々と暴れている事に、その場(有線の流れる喫茶店とか書店とかホテルとか)に居合わせたどれほどの人間が気づいていたろうか。

出色なのは"DAI-SHIZEN"や、1st収録の"My Sanctuary"といった7分超の組曲風大曲。脈動激しいストリングスと霊的な二次元シンセがいずれも前面に出、
時空の歪みの如く同居し、且つ西村の曲はそのカオスから一歩も退けをとらない。他で誰かこんな事やっていたかな? ともあれ名作
(これがもし2〜3年後の産物だったらミックスが比較的ナチュラルに仕上がって魅力がやや煙に巻かれてしまったかも?
因みに私が聴いている盤は発売当初の物。仮にリマスタリングが存在しても手にせずこのままのサイケと幽玄の美を併せもつ画を護って鑑賞し続けたい所存)。

無論見所はそれだけでない。スカのリズム(ですよね? 違う?)でいてラグジュアリーな1曲目"Pick a feeling"、
西村の悩ましいコード進行とやはり隠し味のシンセが効いたボサノバ"Beautiful Morning"やフレンチクラシック志向の『踊り』、
一方でエレキ音主体ながら抜け出せない白昼夢の如く手触りが遣る瀬なく残される『とまどい』…

他にも崎谷健次郎アレンジのハードボイルドなフュージョン"Urban Road"、往年の薬師丸ひろ子を彷彿させるシンセで綴る慕情『琥珀色の風景』(鎌田裕美子編曲)等と、
全くイージーでない異世界にどんどん引き込まれてゆくばかり。西村のピアノも柔和さよりも案外と雄々しさが光る。

大人のプレイヤー達に彼女が触発されたのか、或いは彼女の生み出した楽曲がすべてを動かしたのか?
いずれにせよ西村由紀江10代の視線の鋭さ、多面性が秘められたこのアルバム、現在とはイメージを異にするだろうがどうか過去の闇に埋めないで戴きたい。

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