昭和92年ライヴ御礼

イメージ 1

イメージ 2


15周年になるバンブークラブにて1年振りの単独ライヴでした。有難うございました。
私は10年ぐらい前から客としてセッション等に通っており、初めて単独でさせて戴いたのもここで。
好き放題いつもさせてもらい…音楽を「する」側の楽しさを忘れそうになる時に思い出させてもらえる場所でもあります。
これからも宜しくお願いいたします。

ところで、「パフォーマンス」を辞書で引くと、単に演技とかだけでなく興味深い意味がありました。
「既成芸術の枠から外れた、身体的動作(演技・舞踏)・音響等によって行う芸術表現。
一回的・偶然的手法で視覚・聴覚・運動感覚等に多面的に働きかけることが多い。ハプニング等も含み、
70年代末から一般化。パフォーマンス・アート」

ちょっと御大層ですが、ライヴは多かれ少なかれそういう要素がありますね。
創造的なことは独り室内でしかしてこなかった自分にとっては、フィジカルで直接的なライヴというものには
未だに慣れず、終えた後しばらくは「あのライヴって本当にあったのか?」と
きっちりエネルギー切れした体と、反して実感の薄い心(ライヴしてる己の姿をナマで見ないので、
なんだか真実味に欠け幻想のようなのです)とが首をかしげあうシュールな日々となります。
ブッキングやチラシ製作に始まり終演後の不可思議な感覚に到るまでが私個人にとっては
中毒性ある「パフォーマンス」なのでしょう。

春の嵐も過ぎて。今後はもう少し本数を増やせたらと思っています。
気が向いたら覗きに来てくださいませ。

この記事に

昭和92年ライヴ

4月は16の日曜の夜、1年ぶりに大阪天満バンブークラブにてワンマンライヴをいたします。

戦前からバブルまで内包するカオスな昭和、
名ピアニスト上村さんとともに創る「皆知っているけど誰も知らない昭和」へ御案内いたします。

つる緒(歌唱)
上村美智子(鍵盤)

19時開店19時30分開演、
チャージ+ドリンク+おつまみセットで¥2000です。

隠れ家的な町家カフェです。詳しい道順はHPを御覧くださいませ。
http://www.temma-bamboo.club/

イメージ 1

この記事に

satoko“Oneness”(2015)

<自然体で大胆なフットワークで国境を越え、
 突き詰められた繊細な世界観で唄を紡いでゆく、
 活動の場は主にジャズクラブでありつつも、
 カテゴライズ(「歌手」という言葉でさえ)が無意味に思える人。
 2ndアルバムは全編ピアノ牧知恵子さんとデュオ。
 既成のジャズナンバーとオリジナル楽曲を半々に>
 
驚いた。
 
発売前にライヴで収録曲をいくつか聴いていたが、盤から薫る空気は始まりから、異なる。
声がとても乾いているのだ。喉がどうとかでなく、歌手なら大概誰しも
エコー等の声化粧をするもの(彼女の1stでもそれはしている)だが、ここでは極力排され、
単に掠れとか言うより、内面の生傷か痣の如き部分迄もがやや自虐的に? 映って見える。
 
さりとて、彼女のもつ包容力は損なわれない。一声で喚起させる景色は、広大。
だがそれは乾き・渇きを伴った風景だ。遺跡或いは砂漠へと近づきつつある、
かつては息づいていた木々や建築や人々の残像が何らかの理由で時を止められた
町並の陰影を思わせる。…そこに牧知恵子さんのピアノが、町の中枢にある石畳の広場に
清水を湧かせ、円い水鏡を生む。広がりゆく鏡に鮮明に映るは頽廃薫る化石の町ではない。
総てが何事も無かった風に艶めき、葉がそよぎ花弁が舞い
子供は笑みながら駆け大人は優雅にまたはだらしなく歩き、
どこかでの機織りや汽笛や鐘の音が響く好天の光景…
 
それでは声が陰でピアノが陽なのか?と言えば、そんな単純な話じゃ、ない。
喩えるなら巧妙な二人芝居のようなものだ。役者AとB二人きりの舞台とはたいてい
立場や性質を大なり小なり異にする者同士が組むものだが、
そんなキャラ設定は表層の飾りや色づけのようなものだ。物語を鑑賞し続けるうち、
だんだん舞台上の陰・陽、実像・鏡像、豊潤・空虚の境界は朧になってゆき…
最終的に消える。互いを補完すると言うより、「Aの中にもBはいたのだ」なんて台詞も
たまに聞かれるように、テクスチャーの違って見えた二人共が実は総てを
偏りなく内包した一つの真実だったと、“Oneness”という題のもと、気づかされるのだ
(デュオ形態の音楽は好きで山ほど聴いているのに今更そんな側面を思うとは妙なもの)。
 
satokoさんの創る音楽は出会った時から「禁欲的」と感じてきたが
今作はどちらかと言えば人を描きつつもボタニカルな境地に居る印象。我が無い訳でなく、
植物にも熱い躍動と官能があり、シビアな滅びと枯淡の美がある。
レコーディングだからこそ顕せた今作の己の傷迄さらけ出すような素の声は、
植物の宿命や星の軌道にも似たものをひりひりと痛く且つふんわりと優しく、
ライヴ会場とは又違う聴く人各々のパーソナルな場で心の鼓膜に響かせる、
音楽のアルバムならではの役割を全うしたアルバムとなったのではないだろうか。
 
さて“Oneness”ながら曲は無難な範疇に収まらず、益々彼女らしく挑戦的で頼もしい。
私的にはヤコブ・カールソンのシュールなナンバーに万葉集ベースの日本語詞を重ねた
『東の彼方へ』(原題は“Seasons Of The Heart”)が最も好みだが、
フォークを弾き語る矢野顕子を彷彿とさせる現代詩調のオリジナル『一日の終わり』や、
どちらかと言えば北のイメージの彼女が沖縄方言に挑んだ『オオゴマダラの森』なども
見知らぬ新鮮な景色でいて、とてもノスタルジック。
 
ホームページはこちら。
http://www.satomoon.com/
アマゾンでも買えます。

この記事に

ライヴ御礼

イメージ 1
イメージ 4
イメージ 5
 
(1枚目の写真は横尾哲也さん撮影、2・3枚目はデグチナツコさん撮影。
 今回も有難うございました)
 
また御報告が遅くなりました。「昭和91年Live」、終了致しました。
 
この冬から春は「気象観測史上」なんて言葉も出るほど不安定でしたが、
無事に始まり終った(たぶん)事に、お付き合いお助けくださった各方面の皆様
(や、人間以外の森羅万象も含め)へ深く御礼を申し上げます。
 
私史上でも準備から本番までの期間、かつてなく目眩く冬から春でありました。
…2016ってもう終った?紅白誰出た?ぐらいの脱力感に襲われている最中です。
 
音楽に限らず自身で、根無し草で何かを企画しあれもこれも決めて創りあげる…
そういう作業が立派な「セルフプロデュース」となるか、
或いは誰もいない独り相撲となるか、恐らく当人には
本当の本当には判らないまま過ぎてゆくものかもしれない…と今回感じました。
それは古今東西・有名無名問わず我の強い創り手達に共通する現象なのでしょう、きっと。
ある種、いとをかし、です。
 
「観測史上」と行かなくともヘンな天気みたいに面白がって貰える事を祈りつつ私は、
体力気力ある限り続けてゆきたいと思っています。
 
色んなジャンルにおいて我を強くし進んでらっしゃる、
たとえばあなたやあなたやあなたも、
陰ながら或いは直に応援します。とりあえず乾杯!
 
 
イメージ 2
イメージ 3

この記事に

ライヴ衣裳探し。

イメージ 1
 
ライヴ衣裳等でいつもお世話になっております
神戸は栄町通にある昭和の古着屋『猫まま屋』さんを御紹介。
70年代あたりのテイストの服だとか雑貨が
とてもきれいな状態で、リーズナブルに手に入ります。
 
お店のHPがこちら。
http://nekomamaya.c.ooco.jp/
 
写真は前回お邪魔した際の戦利品です。
次のライヴでたぶんどれかを着ます。
ライヴのポスターをいつも貼らせて戴いてるのですが、
この日は写真も撮って、
お店のインスタグラムに載せてくださいました
(「猫まま屋 インスタグラム」で検索すると
 お店のカラフルな商品を見ることができます)。
 
昭和91年歌謡ライヴは26の土曜日19時30分より、
天満のバンブークラブです!
 
イメージ 2

この記事に

昭和91年歌謡ライヴ

イメージ 1
 
御無沙汰しております。生きてます。
 
 今月26日の土曜夜に天満バンブークラブにおきまして
半年ぶりの歌謡ライヴをいたします。
今年は昭和で数えて91年! とりあえず100年超えを目標に。
...
今回はワンマンでは初めて知人のデザイナーに
フライヤーを作ってもらいました!
こうも立派に仕上げていただくと
まるで本当にライヴするみたい…いや、するんだけど(笑)。
己のライヴを生で観たことは当り前ですが無いので
これまでの素晴しい演奏者たちに魔術をかけられて
唄っていると錯覚しているだけのような気が
未だにするのですが、ちょっと実感してきました。
カタチから入るのは大事かもしれない。
今回の魔術師はお馴染み上村美智子先生。
皆さまも昭和91年の魔術にかかりに、お寄りくださいませ。

この記事に

昭和90年ライヴvol.2御礼

イメージ 1

イメージ 2


誰が覚えてるのかという感じですが
先月の昭和90年ライヴvol.2、応援くださった皆様有難うございました。

しばらく燃え尽き症候群よろしく脱け殻のようになっておりました。

半年ぶりのワンマンで時間があるのを良い事に初めての曲およびアレンジを数多く
挑戦させて戴きましたが、あまりにその段階でリスナーとして楽しみ過ぎて

肝心の私自身の詰めが甘かったと反省することしきり。

特に歌詞の覚えが以前より悪くなった…歳ですな。
今後は脳のアンチエイジングを第一の課題にいたします(笑)。

心斎橋のグループ写真展で出会ったカメラマンの方々がお越しくださり、
撮って戴きました。天王寺動物園の帰りと仰ったかな? 珍獣繋がりという事で。
ワレの写真で言うのもアレですがとても気に入ってるので載せます。
カラーの写真が横尾哲也さん、モノクロがデグチナツコさんによる写真です。
お二人ともフェイスブックもされているので是非御覧くださいませ。

改めて関わって戴いた皆様に御礼申し上げます。
次シーズンも沢山の方々にお会い出来ると幸いです。

この記事に

これの後に“ADVENTURE”という盤があったが、
こっちの方がよっぽどアドベンチャーしている
(追記:これの次のアルバムはADVENTUREでなくAVENTUREでした。失敬)。
 
以前にYMOによる歌作品を集めたコンピで“CARNAVAL”を聴いた時には、
なんだか当時のYMOの勢いに大貫さんが呑まれてるように感じたけれど、
そうではないのだ。当時の大貫さんもほぼ彼等とイーヴンな勢いというか
実験精神をもった人だったのだ、多分。
 
プロデュースは牧村憲一、アレンジは坂本龍一と加藤和彦が半分ずつ、
ヨーロッパ路線の始まりのアルバムと前以て聞いてはいた。
確かに今なおアコースティックで唄い続ける『雨の夜明け』『若き日の望楼』などは
原曲の時点で既に、朽ちゆきつつも鮮やかなヨーロッパの色彩を感じたが、
他に……そこを突き抜けてしまっている曲の多いこと。
 
『ふたり』は生死をかけた愛をバラードとサンバを絡めて唄っちゃうし、
『果てなき旅情』はカルメン・マキ的な日本の北国の孤高を感じさせるし、
『軽蔑』はサディスティック・ミカ・バンドか、戸川純さえ彷彿とさせるパワフルさだし。
 
歌詞も面白い。『ディケイド・ナイト』で夜遊びする都会の若者を唄った
(視点は客観的なようで、当人が渦中にいる雰囲気もある。
 メロディと和音のヒネくれ加減も堪らない)かと思えば、
そんな尖った日々を遠い眼で眺める風な『若き日の望楼』や『蜃気楼の街』があり……
大貫さんは当時まだ26歳。にも拘らずこの、
人生の少なくとも過半に来たかの如きたおやかさと、
反して24時間張り詰めた少女の眼差しを共に持つという奥行きの広さは何だろうか。
 
さっきテレビでフィギュアスケートの選手がハタチそこらにして
「やっと自己満足でない演技が少し出来るようになってきた」みたいな事を言っていたが、
若い時から見知らぬ大衆を前に真摯に表現をしてきた人々は、
そこらの同世代と変わらぬ性質ももちながらも、確実に何か違うものを内に光らせたり
或いは翳らせたりしているのだろう(そのジャンルに限ったことでなく、人間的に)。
 
それはそれとして。大貫さんがもう二度と唄わない曲もきっと多かろうこのアルバム、
近年の大貫さんしか知らない人も一度は聴いて驚いてみては。

この記事に

2枚組ベストの1枚目。デビュー作『男の子女の子』から75年の『逢えるかもしれない』
までの全シングルと、メドレー『HIROMIコレクション20』
(ベストが発売された85年に録ったものか?)が入っている。
 
昔の曲は短いのであっと言う間に聴き終る。しかし十分すぎるほど濃密。
この時期はほとんど筒美京平なのか
(『天使の詩』だけ洋楽カバー。ショパン前奏曲第4番ぽい
 階段で下りていく感じのメロディが延々とループ。ドラマの唄だったらしい。
 完全に浮いててある意味盤の中でいちばん好きな曲)。
 
『男の子女の子』から『愛への出発』までは声変わりも終えていない少年の繊細さと
垢抜け無さがあり、今ならまだ平々凡々な社会にも戻れそう、という感じの、
夢と現のあわいで迷い子になっている風情が何やらSFすら思わせる。
 
が、次の『裸のビーナス』で、彼は何かをはっきり決意した風に、変る。
それまで硝子の破片で出来たような彼の輪郭が、謎の油でも塗ったみたいに
どんなリズムや言葉にも乗っては跳ねるしなやかな曲線に化けた。
声の高さはそのまま、平々凡々な男への成育を遮断して、かわりにどこまでも
ユニセックス、或いは両性具有な存在になってしまった
(似た時期の少女漫画に出てくるそんな類のキャラともまた違った感触の)。
何が変えたのだろう。単に曲調に合わせたディレクションの結果だろうか。
 
ともあれ筒美京平はディスコ歌謡や時に演歌調など、あらゆる豪奢な衣裳で彼を飾りたて、
作詞者は岩谷時子に始まって有馬三恵子・石坂まさを・安井かずみ・橋本淳・山口洋子と
入れ替わり立ち替わり、いかがわしい密会の如くに悪戯な言葉を塗りたくってゆく。
大人達に弄ばれる少年、でなく、ほぼ対等に、互いに弄び合ってる構図で。

この記事に

60年代後半の、女性によるムーディな歌謡曲……伊東ゆかりや奥村チヨなど
様々な歌手がいたが、その中で小川知子の印象はやや淡い。「洗練されてる」とか
「婀娜っぽい」とか持ち味の的を絞って若いうちから鉄を打つみたいに叩き上げられた
専業歌手が多く、女優デビューだった小川は一歩及ばなかったといった所か?
 
とは言うものの、蓋を開けば十二分な聴き応え。
リズムに使われたハバネラ?が華やかさを醸す『初恋のひと』や、
『ゆうべの秘密』をもっと洋画チックにした風な『愛こそいちずに』、
芸者の小唄っぽい心意気のボーカルにピアノやチェンバロ?の飾りが妙に映えた
『美しく燃えて』(「美しく」でなく「ビューティフルに」と唄わせる可笑しさ)など、
輸入した欧羅巴の風と日本の風土とがまざり薫る「歌謡曲」なるものの数々を唄いこなす。
 
……だが、終盤になってちょっと風向きが変わる。
『別れてよかった』。ありがちな女性コーラスでイントロが始まったが、
そのコーラスが本編に入ってもずっと唄ってる。小川出てこない。
何かの間違いか? と思ったらその声が小川らしかった。
先刻までの動物的な勢いと正反対の植物性裏声。知らなかった。
 
以降しばらくその路線で活動していたみたい。天地真理っぽい『若草の頃』、
本場と見紛うほどのボサノバ(作曲は三保敬太郎)『さよならマカオ』……
ラストの『恋は狼』になると裏声の扱いも慣れた様子でちょっとサンディーにも似てる。
「歌謡曲」の域からはみ出てある種自ら国籍を動かす声に転じようとは。
悪戯っぽく笑う声みたいにも聞えた。

この記事に

[ すべて表示 ]


.


みんなの更新記事