☆ラジとカメラと色々と★む〜!的グダグダBLOG☆

さてと。。。仕事も落ち着いて来たし、ゴルフに行きたいな〜(^^♪

写真(名勝・旧跡)

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]

喜多院

河越城を見た後は、「喜多院」に行きました。
ここは徳川家光誕生の間や春日局化粧の間などがあると聞いていたので、行きたかったのです(^^)

[多宝塔]
総高13m、方三間の多宝塔で本瓦葺、上層は方形、上層は円形、その上に宝形造りの屋根がのります。
イメージ 1

[庫裏]かな?この奥?に客殿(徳川家光誕生の間)や書院(春日局化粧の間)が・・・。
イメージ 2

客殿や書院は撮影禁止だったので、庭を撮りました(^^)
イメージ 3

[五百羅漢]日本三大羅漢の一つに数えられます。
イメージ 4


すべて、<PENTAX K10D+smc PENTAX DA 16-45mm F4 ED AL>

平安初期の天長7年(830年)、淳和天皇の命で円仁(慈覚大師)が建立し、当初は無量寿寺と号した。
無量寿寺には北院、中院、南院があり、永禄年間(1558年−1570年)頃まではこれらの3院が存在していたが、北院だけが残った。
天正16年(1588年)、徳川家の尊崇が厚かった天海が入寺し、寺号を喜多院と改めた。
寛永15年(1638年)、火災で山門以外の伽藍を焼失するが、翌年、徳川家光の命で、江戸城御殿の一部を移築した。これが今に残る客殿、書院、庫裏である。

旧古河庭園

季節労働者?の我が家は今の時期は仕事が忙しくて・・・(*_*)
休みも取れないので、ラジれないし何処にも遊びに行けない・・・(T_T)

なので、少し前に行った「旧古河庭園」の写真でも(*^_^*)
石造りの洋館
イメージ 1

英国貴族の邸宅にならった古典様式で、天然スレートぶきレンガ造り。

日本庭園の雪見灯籠
イメージ 2

手前の池は「心字池」と言って『心』という字に似せて造られたそうです。

大滝
イメージ 3

大滝は高さ10数メートルから落ちる滝で、園内のもっとも急な所を更に削って造ったそうです。
以前は井戸を水源としていたそうです。[三脚は使ってません]

武蔵野台地の斜面と低地という地形を活かし、北側の小高い丘には洋館を建て、斜面には洋風庭園、そして低地には日本庭園を配したのが特徴です。
この庭園はもと明治の元勲・陸奥宗光の別邸でしたが、次男が古河財閥の養子になった時、古河家の所有となりました。尚、この当時の建物は現存していません。
現在の洋館と洋風庭園の設計者は、英国人ジョサイア コンドル博士(1852〜1920)です。博士は当園以外にも、旧岩崎邸庭園洋館、鹿鳴館、ニコライ堂などを設計し、我が国の建築界に多大な貢献をしました。
日本庭園の作庭者は、京都の庭師植治こと小川治兵衛(1860〜1933)であり、彼は当園以外にも、山県有朋の京都別邸である無鄰菴、平安神宮神苑、円山公園、南禅寺界隈の財界人の別荘庭園などを作庭し、造園界に多大な貢献をしました。
戦後、国へ所有権が移りましたが、地元の要望などを取り入れて、東京都が国から無償で借り受け、一般公開されました。
 数少ない大正初期の庭園の原型を留める貴重な存在で、伝統的な手法と近代的な技術の融和により、和洋の見事な調和を実現している秀逸で代表的な事例であり、また、現存する近代の庭園の中でも、極めて良好に保存されている数少ない重要な事例であるとして、平成18年1月26日に文化財保護法により国の名勝指定を受けました。       旧古河庭園のパンフレットより  

イメージ 4

この日は5/16でバラも咲いていて、20日までライトアップもするという事だったんで行って来ました(^^)

すべて、<K10D+TAMRON SP AF 28-75mm F2.8 XR Di Macro Model A09>

という事で、続く。。。

開く トラックバック(1)

八幡原古戦場

嫁さんの全日本の予選も終わり、仕事もこの時期は忙しくなるので、ラジコンが出来ないな〜^_^;

ちょっと飛び飛びになってますが、長野紀行の続きです(*^_^*)
ここも戦国マニアの僕としては見たかったところ(^^)
「八幡原古戦場跡」
特に、この銅像が見たかったのです!(^^)!
両将一騎打像
イメージ 1

反対からも・・・。
イメージ 2

この銅像、思ったより大きかった(^^♪

第四回 川中島合戦図
イメージ 3

八幡原古戦場
戦国の名勝負として有名な「川中島の合戦」は5回行われていて、その中でも特に有名なのが永禄4年の第四回の合戦。
その主戦場となった場所で武田信玄の本陣がここに置かれた。
妻女山に陣を構えた上杉軍(1万3千)と海津城に入った武田軍(2万)が睨み合いになり、武田の軍師「山本勘助」の提案?で、「本隊(8千)と別働隊(1万2千)に分け、別働隊が妻女山の上杉軍の背後を突いて、山から逃げ降りて来た上杉軍を本隊が待ち構えるという作戦(キツツキ戦法)」を仕掛けたが、海津城より立ち上った炊煙の多さに奇襲作戦を見破った上杉軍は夜のうちに下山、八幡原へと軍を進めた。
対して、武田本隊も八幡原に布陣し、夜の明けるのを待った。
午前七時半ごろ、八幡原にたちこめていた霧が晴れると、合戦の火蓋が切って落とされた。
謙信は上杉家の興亡を賭け、車懸かりの戦法で武田軍に迫ると、信玄も鶴翼の戦法で応戦した。
八幡原で上杉軍と武田の本隊が激突している最中、武田軍別働隊は妻女山に到着した。しかし、すでに八幡原で戦いは始まっており、驚いた別働隊は、千曲川を目がけて賭け下った。
戦いの前半は上杉軍優勢で、信玄の弟・「典厩信繁」や作戦の失敗の責任を感じた「山本勘助」が戦死、信玄・義信父子も負傷したほどであった。
この時、謙信が信玄に切りつけていったというのが、↑の銅像。
しかし武田の別働隊の到着で、戦況は一変した。
謙信もこれ以上の戦闘続行は不利とみて、善光寺に引き上げた。
この合戦で、上杉軍の死者三千四百余人・負傷者六千余人、一方武田軍の死者四千六百余人・負傷者一万三千余人だったという。たくさんの死傷者を出した激戦であった。

八幡社
イメージ 4

すべて、<PENTAX K10D+smc PENTAX DA 16-45mm F4 ED AL>
ここには、他にも本陣跡の土塁や執念の石というのもありましたが、写真は撮りませんでした^_^;

今年はNHKの大河ドラマで「風林火山」もやっているので、観光客がバスに乗っていっぱい来てました(^^)
まぁ、僕もその一人ですけどね(^^)
この辺りは他にも見所がいっぱい(典厩寺や胴合橋)あるのですが、時間がないので行きませんでした(T_T)

まだまだ続く?

開く トラックバック(1)

安楽寺と北向観音

途中に全日本の予選の記事を書いてしまいましたが、長野紀行?の続きです(*^_^*)

長野で色々と周るにはちょっと1日では無理そうなんで、1泊する事にしました!(^^)!
泊まったのは「別所温泉」の宿。
この別所温泉の近くには色々なお寺があるそうなので、見て廻りました。
まずは、「安楽寺」。(左から、坐禅堂・本堂・鐘楼)
イメージ 1

安楽寺は鎌倉時代中期、すでに相当の規模をもった禅寺であり、鎌倉北条氏の外護によって栄え、多くの学僧を育てたこの寺も、北条氏滅亡(1333)後は寺運も傾いて正確な記録も残らないが、国宝・重要文化財等数多くの鎌倉時代の文化遺産を蔵して、信州最古の禅寺のおもかげを残している。
という事で!国宝があると言うので、見に行きました。
イメージ 2

国宝「八角三重塔」
(パッと見、四重塔にみえますが、正確には「裳階付三重塔」というのが正しいそうです)
イメージ 3

塔は本堂の裏を登った山腹にあり、建立年代は従来鎌倉末期、または室町初期といわれてきたが、平成16年の調査の結果、三重塔用材の伐採年代は正應二年(1289)と判明、1290年代(鎌倉時代末期)には建立された、わが国最古の禅宗様建築であることが証明された。

そして、「安楽寺」の隣りに「常楽寺」というお寺もあったんですが、こちらは行きませんでした^_^;
でも翌朝、朝食を食べた後に散歩がてら「北向観音」というのには行きました。
北向観音堂
イメージ 4

北向観音堂は天長二年(西暦825年)に慈覚大師によって開創されました。安和二年(969年)平維茂は一山を修理し三楽堂、四院、六十坊を増築したと伝えられます。
寿永元年(1182年)木曽義仲の戦乱により焼失し、安楽寺の八角三重塔、常楽寺の石造多宝塔を残すのみとなり、その後、源頼朝の命により復興、県長四年(1252年)塩田陸奥守北条氏により再々興され現在に至っております。
御本堂が北に向いてるのは全国でも珍しく、これは観音様が「北斗星が世界の、よりどころとなるよう我も又一切民衆のよりどころとなって済度をなさん」という、お告げによるものです。
以来法灯の盛衰はありましたが南向きに建てられている善光寺に詣で「未来往生」を、北向きに建てられてる北向観音にお参りし「現世利益」を願わなければ、片参詣りと言われている霊場です。
温泉薬師瑠璃殿
イメージ 5

観音堂の西方崖の上に建てられた薬師堂。はじめて建てられた年代は明らかではありませんが、現在の建物ははじめの建物が焼けた後1809年(文化6年)に地元の薬師講の人たちによって再建されたものです。温泉の効き目にあわせて病気を除き解脱(なおすこと)するという深い温泉薬師信仰によるものです。「瑠璃殿」とは薬師如来を瑠璃光如未と呼ぶところからとった名です。

すべて、<PENTAX K10D+smc PENTAX DA 16-45mm F4 ED AL>
それから、この観音堂の境内には大きなカツラの木があって北向観音の霊木とされているそうなんですが、写真を撮るのを忘れました_| ̄|○

※ このカツラの木と愛染堂を結んで「愛染桂」といって、縁結びの霊木として親しまれているそうで、川口松太郎の名作「愛染桂」はこの木からヒントを得たという説があるそうです。

↑にも書いてありますが、この北向観音と善光寺の両方にお参りしないとイケないらしいので、この後に善光寺にも行きました(本当は行く予定ではありませんでした)が、雨が降って来たので写真は撮りませんでした。

つづく。。。

それから、今日「俺は、君のためにこそ死ににいく」を観ましたが、泣けた(*^_^*)
昨日の「六義園」の続きですが、今日はその他にライトアップされていたのを撮ったものです!(^^)!
まずは、竹林です。これも綺麗でしたよ〜(^^♪
イメージ 1

次は・・・?何でしょう^_^;
ひっそりとライトアップされていたんですが、なかなか良い雰囲気だったので撮っちゃいました^m^
イメージ 2

これは・・・灯篭?かな?
奥に見えるピンクのは昨日の「しだれ桜」です。
イメージ 3

最後は、「中の島」にある築山「妹山(いもやま)・背山(せやま)」です。
『古くは女性のことを妹(いも)、男性のことを背(せ)と呼び、この中の島は男女の間柄を表現している』
らしいです(^^)
イメージ 4

最初の2枚は手持ちで撮りましたが、最後の2枚は道幅も広く三脚を使っても人の邪魔(桜と違って、ここは人通りが少なかったので)にならなそうだったので、三脚を使いました。
でも、ちょっと失敗です(T_T)三脚を使ったならISO感度を下げれば良かった_| ̄|○

1・2枚目<PENTAX K10D+TAMRON SP AF 28-75mm F2.8 XR Di Macro Model A09>
3・4枚目<PENTAX K10D+smc PENTAX DA 16-45mm F4 ED AL>三脚使用

今週の日曜日はフタババギートラクトでレースなので、土・日と行って来ます(^^)
さて、何年ぶりかのハチイチバギーのレースです(^^♪
どうなる事でしょう!(^^)!

開く トラックバック(1)

全4ページ

[1] [2] [3] [4]

[ 次のページ ]


.
muk*o95*
muk*o95*
男性 / 非公開
人気度
Yahoo!ブログヘルプ - ブログ人気度について
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
検索 検索

ラジコン

カメラ

PENTAX

美味しい物

モータースポーツ

標準グループ

よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

ふるさと納税サイト『さとふる』
お米、お肉などの好きなお礼品を選べる
毎日人気ランキング更新中!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事