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お蕎麦を食べた後は、川越城に行きました。 とはいえ、今の川越城には本丸御殿の一部が残っているだけなんですけどね・・・。 川越城は今年で築城550年だそうで、日本三大夜戦の一つとされる川越夜戦が起こっている事でも有名です。 また藩政時代には、柳沢吉保などのように幕府の要職についた歴代藩主もいました。 [本丸御殿の玄関部分] この川越城本丸御殿は、全国に2つしか現存していない本丸御殿の1つだそうです。 [大広間の松の絵板戸] [家老詰所内部の家老と重役2名]ぷぷっ^m^ [富士見櫓があった櫓台]とはいえ、現在は小高いただの山? 川越城は、扇谷上杉持朝(もちとも)が古河公方足利成氏(しげうじ)に対抗するため、長禄元年(1457)に家臣の太田道真(資清)・道灌(資長)父子に命じて築城したものです。
やがて川越城は、天文6年(1537)後北条氏の占拠するところとなりましたが、同15年(1546)川越城の奪回を図った上杉氏は後北条氏の奇襲にあい、大敗して群馬に逃れ、それ以後、後北条氏の支配が決定的となりました。 天正18年(1590)、豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城は前田利家に攻められて落城しました。 やがて同年8月徳川家康が一族家臣を従えて関東に移るにおよび、重臣を重要な地に配して領国の安定を図りました。川越には酒井重忠が1万石をもって封じられ、ここに川越藩の基礎が成立しました。 寛永16年(1639)、川越藩主となった松平信綱は川越城の拡張・整備を行い、近世城郭の形態を整えることとなりました。即ち本丸、二の丸、三の丸等の各曲輪、天守はなかったが本丸西南隅に三層の富士見櫓と称する櫓を含む三つの櫓、十二の門よりなり、総坪数は堀と土塁を除いて4万6千坪となりました。 川越城本丸御殿は、嘉永元年(1848)に時の藩主松平斉典(なりつね)が造営したもので、16棟、1025坪の規模をもっていましたが、明治維新後次第に解体されていきました。現存しているのは玄関部分と、移築復元された家老詰所のみです。 |

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