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秋田や福岡で小学生の自殺が報じられ、その原因がいじめにあると報じられています。いじめられた子どものことも、いじめた子どものこともその親のことも何も報じられず、すべては闇の中で学校と教育委員会だけが、批判されています。秋田の場合は事件が起こってから1年間いじめが原因と認めなかったと非難され、福岡は先生にいじめの原因があったといわれています。
どちらも当事者の説明も、何がどうだったかの究明もないので、よく分からないのですが学校や教育委員会はまるでボクシングのサンドバックのように打たれっぱなしのように見えます。秋田の事件も担当の人のインタービュを見ると、何か言いたいのにいわせてもらえないで苦しんでいるように見えました。福岡の先生は校長先生の画面だけで当の先生の弁解もありません。 わたしも小学生の低学年のころよくいじめられました。東京から疎開してオカッパ頭、言葉は東京弁で女のようだというのです。そして小児喘息。みんな整列して登校するのですが、登校時間に遅れそうになると隊列を組んだまま走り出すのですが、しばらくすると咳が出てついていけません。そのうえ祖父が農地改革で土地を失っているにもかかわらず、地主気取りで私を呼びつけにして呼んだ子どもを叱り飛ばします。いじめられる条件はそろっています。よく殴られました。 子どもには子どもの世界があり、しきたりがあります。しかも子どもは手加減や、遠慮がありませんから残酷です。先生になどいいつけたら村八分になることは請け合いです。子どもなりに知恵を出し、しきたりに合わせるしかありません。2年になり、3年になり外見も言葉も周りの子どもと変わらなくなり、友達が一人、二人と増えるに従いいじめられなくなってきました。また祖父も亡くなり、5年、6年のいじわるなのも卒業していきます。 今になっていじめられた原因を考えてみると、外見や言葉の違いやまわりの言動だけではなく、自分自身の性格にもいじめを誘発する原因を持っていたと思います。わたしは我がままでした。何事にも我慢ができませんでした。それで私をこころよく思わない人が沢山いたのでいじめられたのでと思います。よく口げんかから、つかみ合いのけんかになり、最後にはねじ伏せられて悔しい思いをしたことが何度もあります。 60年前と今は状況が違っているでしょう。しかし子どもの本質、残酷で無遠慮な生まれたままの状態を徐々に克服することで大人になるということ。つまり虫を捕まえれば殺し、蛇を捕まえれば皮をむき、そうやってそういうものの犠牲の上に命や死と言うものを学ぶ。けんかをして殴られて痛みを知り、ねじ伏せられて自分ではどうにもならないことや、悔しさを知る。これを通過することが必要なのではないでしょうか。 命の大切さを教えると、こういう事件があるたびにいいますが、言葉で言ってわかるものとは思いません。少しの怪我にも大騒ぎし、けんかもさせないという教育を教育と思っていると、見た目はおとなしいが、追い詰められるとすぐキレル人を育てることになりませんか。自殺とすぐにキレルこととは裏腹の関係にあるように思えてなりません。 いま学校を批判することはとても言いやすいことです。弱者と思われている立場の人に何か問題があってもものが言えないようになっているように思えてなりません。わたしは今年社会体育指導員(剣道)中級の資格を取りました。その講義の中で今の子どもは肉体的にも精神的にも信じられないくらい弱くなっているから、注意して指導するように。間違っても自分のこどものころと比較してはいけないと。明日の日本を背負う子どもを強くするにはどうすればよいか考えようではありませんか。
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私も小さいころ、仲間はずれにされたり、したり・・・。いろいろありました。でも、死にたいなんて、思ったことはなかったように思います。テレビのニュースではどちらか(被害者か加害者)片方のことを責めるような内容しかわからず、なんともいいようがないですね。でも、とにかく死なないでほしいです。
2006/10/27(金) 午後 2:32 [ - ]
やさしくやさしくという風潮が弱い子どもを育てているような気がしてなりません。生きていくためにはどうしても強さが欠かせません。剣道を学んでいる子どもたちには自分に厳しく、人に優しくが実行できるほど強くなって欲しいと思っています。
2006/10/28(土) 午前 0:03 [ 然 無窮 ]
なぜ死んでしまうのか? 「時代が変わったんだよ」という人もおそらくいることでしょう。 これは的確ではないと思います。 理屈っぽくなりますが 人間には大きく分けて「変わりにくい部分」と「変わりやすい部分」があって「変わりにくい部分」は感情など本来人間が持っている原始的な部分。「変わりやすい部分」は思考などの理性的な部分を指していて年月が経つと「これらのバランスが変化していく」ことで起きる事だと思います。
2007/2/3(土) 午後 5:36 [ kap*r*20*7 ]
kapura2007さん、「感情など本来人間が持っている原始的な部分」というのは生まれながらに持っているものではないように思います。2〜3までに母親を通じて教えられる、人間の基本的なものの一部でそれは生涯持ち続けるものではないかと思います。その教育が変わっているのです。
2007/2/3(土) 午後 10:24 [ 然 無窮 ]