|
私の小さいころは子どもに限らず、大人でも言い争いが時々あったような気がします。みんなもっと言いたいことを言いあっていたように思います。そしてそれが江戸時代はしょっちゅう喧嘩に及んでいたのではないかと思います。火事は出そうとして出したのでは無いでしょうが、火事と喧嘩は江戸の華というのはそういう状況を言ったことのように思います。
わたしが小さいころは男子は互いに皆呼び捨てで呼んでいて、喧嘩は毎日のようでした。言い合いだけでなく、組打ちも、殴り合いもありました。女子はちゃんずけだったように思いますが妹たちの学校生活ではわたしが卒業してから暫くして君付け、さん付けで呼ぶように先生が生活指導するようになったと聞きました。わたしの子どもの小学生時代はもっと進んでお互いを思いやりましょうという教育が進んで、家内に言わせると、娘の友人が家に遊びに来ても変に遠慮して言いたいこともいわず、子どもらしい率直さが無く、淑女もどきの子ども版でいやらしいというのです。
こどものころは言いたいこと、やりたいことをやって意見の衝突や、自分の意思どうりにはいかないという現実をお互いに味わい、その体験の中から自然に妥協や我慢、他人へのその人なりの思いやりなどを体得するのではないかと思います。えせ紳士、えせ淑女に育て上げた結果が今日のいじめの元凶ではないかと思います。わたしも会社に入ってからもいろんな失敗して学んだ対人関係の対処方法が沢山あります。失敗やいやな思いをせずに、言っただけでは分かるはずはないことだと思います。
こどもの本質は動物的な本能そのもの発揮であると思います。それが2〜3歳までの基本的な躾で両親から泣いても叫んでもきいてもらえないことがあることを学び、学校という世間に出て今度はお互いにぶつかりながら社会性を身に付けていくことだと思います。いまはその機会が失われていることになってはいないではないでしょうか。
学校でいじめをなくすといいますが、そんなことが可能なのでしょうか。子供同士でもすきなのもいれば嫌いなのもいます。よく嘘をつくやつ、何かの権威や、物を持っていることで威張るやつ、わがままでみんなから嫌われるやつ。大人の社会と同じです。暴力に訴えるいじめは監視をすることである程度防げても、無視や仲間はずれにするなどということはどうやって防ぐのでしょうか。嫌われ者とも平等に笑顔で付き合えと強制するのですか。いじめられる児童がみんな嫌われ者とは思いませんが、大人でも出来ないことを子どもにさせようというのでしょうか。
いまの報道や文部科学省の対応は、いじめられた方は完全無欠で、いじめたほうは極悪非道という図式ですがほんとにそうなのでしょうか。わたしは小学生のときいじめられましたが、言葉の違い、喘息といった外的条件だけでなく、今から考えると大変気位も高く我がままでした。これがいじめられたほんとの原因と思います。あとは単なるきっかけだったりいいがかりのタネだったと思います。
私の娘は言葉の発達が遅く、また動作も遅く、運動会の障害物競走の袋くぐりでくぐった袋をきちんとたたんでから次の障害にかかるという具合でした。娘がたたみ終わったときにはもう皆ゴールしているという、みんなとずれた行動をとっていたのでいじめの対象になるのではないかととても心配しましたが、そういうことは一度もありませんでした。
いじめられている方の問題をなにもいわない。まして自殺してしまった子どもについては死者を鞭打つという感覚からか、良いことだけを取り上げるということでは原因も分からず、なんの対応も取れないのではないのではないかとおもいます。
今起きている自殺予告を大臣におくるなどということは、この風潮に乗せられて、世の中をもてあそんでいるようにもとれます。なんとしても思いとどまらせる努力は当然ですが困ったものです。喧嘩を奨励するわけではありませんが、麦踏みに例えられるように、強く育てるということに今一度頭を切り替えねばならないと思います。
|
上の子が幼稚園時代、遊びに来た女の子がいきなり冷蔵庫を開けたことがありました。「他人のおうちでそういうことをしちゃダメだよ。のどが渇いたらちゃんとおばちゃんに言ってね。」それ以来、彼女は「おばちゃん。おばちゃん」といろいろなことを話してくれました。いけないことはいけないときっぱりした大人の態度も大切なのでしょうね。子どもはちゃんと分かっているんですものね。
2006/11/10(金) 午後 2:23 [ sen*ai_*eik*t*u ]
ママりんさんはっきり言ったり、叱ったりすることはとてもたいせつです。こちらもきちんとしていなくたは叱れませんもの。
2006/11/10(金) 午後 4:20 [ 然 無窮 ]
ここ最近、いじめの話題がテレビでも頻繁に流れています。自分の小さかった時代と比べても仕方ないのかもしれませんが、何かがおかしい・・・?同じようにいじめはあったよう思うのに・・・
2006/11/13(月) 午後 2:33 [ - ]
ほんとに私もそう思っています。波平さんのブログで語っておられることが全てではないかと思っています。訪問してみて下さい。 http://blogs.yahoo.co.jp/rehabilist/23371495.html
2006/11/13(月) 午後 10:16 [ 然 無窮 ]
mukyuさんありがとうございます。波平さんの所へ行きましたよ。勉強になります。またお邪魔したいと思います。
2006/11/14(火) 午後 2:40 [ - ]
私が小さい頃、両親に“もしいじめにあったらどうしよう”と聞いたことがあります。両親は一言、“戦いなさい。大人になったらもっとそういうことはある。でも必ず私達に相談すること。何があっても私達は貴方の味方だから。”と言ってくれたのを思い出します。子供が大臣に陳情する前に親は何をやっているのか…。悲しすぎます。
2006/11/20(月) 午前 9:55 [ あやぞう ]
Ayazoさんありがとうございます。闘うといっても腕力に訴えることだけではないですよね。闘う姿勢が必要です。黙っていたら誰かが窮状を見つけて助けてくれるということではこまります。自ら対応方法を考える。その中でも両親は最大の味方です。
2006/11/20(月) 午後 3:19 [ 然 無窮 ]
私のかつての教え子にこの問題をどう思うか投げかけてみました。彼は、焼肉屋さんのマスターです。「先生、食べ物でもアレとコレとは絶対に一緒の鍋に入れてはいけないというものがあるんですよ。相性が悪いというか、味覚的に仲良くなれないんですよね。そういったことって、人間にも同じことが言えるんじゃないでしょうか?どうしても、相性が合わないもの同士が学校という一つの鍋の中にいると、どうしても苛めたくなるものなんですよ。」と返答が返ってきました。
2006/11/22(水) 午前 1:55
感情ある人間と、食材を一緒にして考えるのはどうだろう?と思いましたが、なんとなくその教え子の言っていることもわかるような気がするのです。苛めの原因って意外とそこいら辺にあるのかなっと思ってしまいました。となると、最初から同じ鍋(学校)に入れてはいけないものは、分離して学校生活を送らせるのが苛めを無くする方法なのかとも思ったりしています。無理に同じ鍋に入れようとしているところに問題があるのでは・・・。
2006/11/22(水) 午前 2:02
また、自殺予告を大臣におくる生徒ってどうなんでしょうか?私は冷たい言い方かもしれませんが、そういった子供というのは将来、社会に害を及ぼすことはあっても、利益にはなりえない人物だと思えてならないのですが・・・。このニュースをはじめて聞いたときは、「どうぞ、ご勝手に・・」と思ってしまいましたが、私だけなのでしょうかね・・。 もちろん私は苛め大反対の急先鋒だと自負していますが・・。
2006/11/22(水) 午前 2:09