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松岡農相の政治資金報告書の説明がつかない内容をよしとすることと、コムスンをグループ内で譲渡しようとしたこととは法に違反しなかったら何をしてもしてもかまわないという点に関して大変似た内容であると思いますがいかがでしょうか。
政治資金報告書の場合は、首相を始め与党のほとんど全てが、法の定めるところに従っているから問題ないとしていました。ところが、コムスンの場合は法的には可能であるけれども、制裁逃れの脱法行為でけしからぬとこれも首相を始め一斉に非難の声が上がり、グループ内譲渡は撤回することとなりました。
わたしは昭和20年4月に国民学校一年生になりましたので、戦後の混乱期に教育を受け、修身などというものも受けておりませんが、法は人が守るべき最低限のことしか定めてなくてそれを犯せば罰を受けるものであり、その前に守るべき倫理、社会的常識や良心というものがあると、教えられてきたように思います。
コムスンの制裁逃れを非難することは当然と思います。あのグループには介護を担うだけの覚悟も責任もないとするのは、まったく同感ですが、この声明を出すとき、政治資金報告書のことは忘れてしまっていたのでしょうか。コムスンはあの制裁が出るまでに違法行為を何件も犯していたそうですからその点では勿論罪は重いとおもいますが、政治資金はどうだったのでしょうか。数千万円の事務所費を精査すれば違法行為が見つかったのではないでしょうか。
いま学校教育の現場で困った親の出現に対処するために、先生のための相談窓口に弁護士を配置する区ができたそうです。校長の列挙する困った親の主張には社会的常識があれば主張しないであろうことが挙げられていました。法に違反しなければ何をしてもよいということを、首相自らが率先するようなことは、「美しい日本」などおよそ正反対の存在ではないでしょうか。
5万円以上の費用は領収書をつけるということになったそうですが、問題はそんなことではないのではないでしょうか。数千万円の説明できない費用が出てきたとき、それを説明するのは社会的な常識というものです。「美しい日本」というのは「常識が通用する日本」と読み替えてもよいと思います。
自動車の普及にあわせ、歩行者優先を徹底する必要が生じました。横断歩道での歩行者優先は外国と比べてもかなり徹底していると思います。国民運動としてこういうことを徹底し習慣化するにはかなり思い切ったことをする必要があったと思います。しかしその副作用も出ています。これまで人の前を横切るということは無礼なこととされていました。待っている人を無視して待たせることは失礼なことです。でもこういう常識は消えてしまいました。何台車が待っていようと知ったことではない、待っている人のことなど気にせず、のんびり横断しています。横断歩道上で立ち話をする人さえいます。
こんなことでよいのでしょうか。少し振れ過ぎた振り子を戻すべきではないでしょうか。人の心を察するという日本の美しさを取り戻したいものと思います。
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最近、「人の心を察する」のは、本当に大事だと思うことがありました。
あるネット上の集まりで、真剣に出された意見を「アホだ」と言い、
女性に対しては「女は感情でしか物事を考えられない」と言う人がいました。
その人は、挑発することで、もっと論理的な意見が出ることを望んでいたようです。
でも、言われたほうの人たちは、傷つき、ショックを受け、その人の名前を見るだけで精神的にキツイ、とまで感じるようになりました。
人は十人十色、いろいろな意見や考え方があって当たり前です。
ただ、自分の行為が相手にどう思われるか、想像力を働かせてほしいです。
mukyu_shikariさんの投稿から逸れてしまいましたね、スイマセン。
最近のニュースで「自分さえ良ければ」というのが多いのは、他者に対しての想像力が欠如しているからなのかなぁ、と感じています。
2007/6/28(木) 午前 11:36 [ jun*o*171* ]
junkoさんのコメント私の趣旨から離れてなんていません。自分さえ良ければ、自分の意見さえ通せれば、そのためには法すれすれでも、場合によっては法を犯してでも、ということを、美しい国・日本を主唱する首相が身内のことに関しては、合法と押し通すことに違和感を覚えます。
この方の場合自分さえ良ければと思っての発言かどうか分かりませんが、わたしも若いころ「人の心を察する」ことができず、今から考えると冷汗三斗ということがありました。心したいものです。
2007/6/28(木) 午後 10:17 [ 然 無窮 ]