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トインビーは、ユダヤ文明が優秀なヘレニズム文明の侵略を受けたことを検討し、劣勢な文明が優勢な文明の侵略を受けたとき優勢な外来文明に対する態度には、正反対の二つの態度があると指摘しているそうである。
一つはあくまで伝統的文化に固執し、いわば排外的国粋主義。幕末の攘夷派。いま一つは外来文明の優秀さを認め、それを積極的に受容していくなかで、自国の劣勢な文明を発展させようとする受容派。いわば幕末の開国派。両者ともユダヤ文明を守り、ユダヤ人社会だけを擁護しようとした点では変わりはない。外来文明を受容するか排斥するかの戦術の違いであってユダヤ人社会だけを守りたいということ根は同じである、両者とも失敗をもたらしたという。
これに対し、トインビーは福音主義的応戦の行きかたがあるといった。これを筆者は「哀しみを抱きしめて生きる」という行き方と言い代えている。それは無私の創造精神と活動によって支えられたアニミズムの「慈悲の心」、「利他の行」というこであって、ガンジーの非暴力主義・無抵抗主義に通ずるものである。
今次大戦で「力と闘争の文明」のアメリカ文明に完膚なきまでに打ちのめされ。排外派も受容派も台頭するまもなく、アメリカ文明を受容し「哀しみを抱きしめて」生きてきた。広島で25万人、長崎で9万人、東京、大阪等大都市でも空襲でおびただしい犠牲を出した。にもかかわらずアメリカを憎むことなく、ただひたすら「哀しみを抱きしめて」生きてきた。
アメリカに押し付けられたとはいえ、平和憲法はガンジーの非暴力・無抵抗主義に近く、戦後60年はからずも日本はこの道を行き、平和と繁栄を手にした。これはトインビーの言う福音主義的応戦に近いが福音主義ではなかった。日本人の大部分はキリスト教とではなかったからである、それは「アニミズム的応戦」だったと筆者はいう。
インドの独立も同様である。インドの民衆の心の根幹ヒンドゥのにはアニミズムがあった。トインビーが理想とした福音主義的応戦は、キリスト教とは最も遠いアニミズムがいまなお色濃い日本とインドで実現した。西洋文明に対するアニミズム的応戦として。
日本では戦後、マッカーサーがキリスト教の理想の国を実現し、共産主義の防波堤にするという強い理想を持ってやってきた。国家神道の廃止、政教分離、憲法改正を内容とする神道指令を発する。これに呼応して日本の知的エリートがキリスト教を支柱とする宗教改革で日本を立て直すと主張する。さらにマルクス主義者が「宗教はアヘンだ」として、宗教心を日本人から奪って行く。この両者が両刃の剣となって日本人の心からアニミズムの心を破壊した。
これらのことで、日本人の心に空白を生むことにはなったが、キリスト教もマルクス主義も日本には定着せず、またアニミズムの心も完全には破壊しなかった。アメリカに負けた。しかしアメリカを敵として、「やられたら必ずやり返そう」とはせず、じっと「哀しみを抱きしめて」生きてきた。
復讐の連鎖を断ち切ることが出来たと著者は言う。さらにアニミズムの神を信ずるということは「心のクッション」が大きいということという。ある神がダメでも次の神がいる。それは信仰に対していい加減な態度かもしれないが、心の柔軟性を示しているともいえる。善悪の価値観は時代と共に有為転変する。日本人の曖昧さはマイナスのイメージのみが強調されてきたが、心の柔軟性、曖昧性こそが、人間と人間、自然と人間が上手に付き合う方法であることを、体験的に学んできた。
自然と人間、支配者と被支配者、善と悪の間に明白な区別を設け、白黒をハッキリつけないと気のすまない一神教の「力と闘争の文明」とは根本的に相違する価値観をわしたちは持っている。日本人は無宗教といいながらどこかでアミニズム、神や仏を崇拝する心を持っている。これがキリスト教や、共産主義の受容を拒否した。
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日本は、仰っているようなことをまとめると、鎮魂システムと本地垂迹説で説明できそうです。
2007/11/26(月) 午後 5:16 [ nao_torachan ]
仰るとおり、そう云うことで説明できるかもしれません。砂漠の民の誤った、或いはその地域にだけ通用する価値観で、世界全体を見ることの誤りに早く気づかねばなりません。
2007/11/28(水) 午後 3:34 [ 然 無窮 ]