国家の品格について

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惻隠の情

パレスチナの自爆テロで自爆する人達のことは何も伝わってきません。おそらくアメリカやイスラエルの人達から見れば虫けら以下、死者の数にも数えられてもいないのではないかと思います。

われわれ日本も60数年前、特攻隊ということをやっていました。そのときの隊員たちの手記や遺書をみると、勇ましい言葉の陰に、死に行くことの怖さ、空しさ、親兄弟との別れといった苦しみの心が切々と書かれているといいます。わたしはその心を思うとき、いまだに多くを読むことはできません。

パレスチナやイラクで自爆テロを企てる人も同じ心情で、死に赴いているのではないかと思われてなりません。だれかから「ジハードで死ねば天国」といわれても、はいそうですかというものではないと思います。死を以って思いを遂げようというのは相当に追い詰められ、それ以外に道がないとき以外は選べないものであると思います。


わたしは特攻や自爆テロを容認するものではありません。しかしその陰になにがあるかと考えることは絶対に欠かせないことと思います。むかし南ベトナムでお坊さんが抗議の焼身自殺をするという事件が何件か続いたことがありました。そのとき大統領夫人の吐いた言葉に「坊さんのバーベキュウ」というのがありました。焼身自殺という命を懸けた抗議に対して、そのひとの心を推し量ることの無い冒涜の言葉です。はたして政府は倒れ、南ベトナムという国もこの世から消えました。


武士道では「敗者への共感」「劣者への同情」「弱者への愛情」という『惻隠の情』が、重要な徳目であるといいます。アメリカ人やユダヤ人にはピューリタニズムはあっても『惻隠の情』に相当するものはないのでしょうか。あればずいぶん状況が変わってくると思います。




武士道なんてものがない、遠いパレスチナのことではなく、最近日本のマスコミにも『惻隠の情』に欠ける事例がみられます。

以前このブログでのべた「乳母車を電車がひきずった」でも、NHKの取材を受けたJR東日本の安全担当者の心情はどうだったかと思います。NHKは乗客の無作法は棚に上げて、JR東日本の責任のみを追及しました。やむなく安全担当は更なる努力を約束し頭を下げましたが、その胸のうちは、「乗客の無作法に対する絶対の対策は無い、乗客に作法を守ってもらうのが一番確実な方法であるけれど、今ここで云えば逃げととられる、いまは黙って頭を下げるしかない」ということではなかったかと思います。

あのときもしNHKに『惻隠の情』があれば「乗客も作法を守ろう」と一言付け加えることができたのではないかと、思いました。ギスギスした世の中を多少とも救えたのではないでしょうか。

今日もパレスチナから血なまぐさいニュースが届く。元アメリカ大統領カーターさんはパレスチナの状況を憂慮して、大統領になる前から、大統領であったときも、さらに大統領を退いた現在も、現地を訪れ和平への仲介の努力を続けています。そのカーターさんが書いたPalestine Peace Not Apartheidという本によれば、パレスチナの入植地の状況は全く言語に絶するものです。

たとえば、耕作に必要な水を、川の上流でせきとめ、イスラエル人入植者で独占する。パレスチナで昔から使っていた井戸の近くに大規模な井戸を作って入植者のためにくみ上げて昔からの井戸をかれさせる。これに抗議をしたものは逮捕して、軍事裁判にかける。裁判官はイスラエル軍人であり、多くの場合パレスチナ人に不利な不公正な判決となるといいます。

およそ棚田をつくり、いくつかの民族が限られた水を分け合って耕作をするということと、正反対のことが行われています。パレスチナ人の人権などまったく省みられていません。土地を取り上げ、水を断ち、文句を言うものは捕らえる。こうして恨みと絶望で自爆テロにしか活路を見出せない人達を毎日生んでいます。

日本はかってこれと同じようなことを加害者になってやったことがあります。それは満蒙開拓団です。未開の地を開拓するという触れ込みでしたがやったことは、現地の人たちの先祖伝来の土地を、現地の人達の一か月分の収入というわずかな価格で強制的に買い上げ、追い出したということです。その人達が収入を断たれ、恨みを抱いて八路軍に投じ反日戦争を行ったということは「ワイルド・スワン」に詳しく描かれています。それと同じ愚行をイスラエルがやっています。

他国の人権に厳しいアメリカがこのイスラエルを支持しているのは、パレスチナを旧約聖書の時代に戻せというキリスト教保守派の要請によるものということであります。60年前の従軍慰安婦問題をアメリカ議会が日本非難決議をしたとき、ピューリタニズムがなせるものと思いました。しかしアメリカのピューリタニズムとは何と勝手なものでしょう。過去のことではなく昨日も今日も彼らの支持によって苦しみ、殺しあっている人達がいるのです。

バビロンの憂愁から3000年、何と時代錯誤なことと思いませんか。いまアメリカインディアンの末裔が力を得てマンハッタンはわずか父祖の土地であったから返せといってきたらどうするつもりでしょうか。こちらはわずか400年前のことです。一部の人達の宗教的理想を実現せんとするため、毎日現に住んでいる人達を苦しめ、殺しあいをさせているとすれば、宗教とは何のためのものでしょうか。



わたしは以前からキリスト教にはおかしな点があるとおもっいました。はたして砂漠の世界しか知らないモーゼの思想が世界を覆い尽くしてよいものかと思っていました。アダムとイブが追われたエデンの園は豊かな土地の象徴といいます。今のイラク付近ということのようですが、砂漠よりはましなのでしょうが砂嵐が吹くあまり良い土地とは思えません。この自然と、この自然の厳しさの中で生きていかねばならぬとということから、ストイックな思想が生まれたのでしょう。

「一神教の闇」を読んでこのなぞが解けました。この戦いはおそらくどちらかが絶滅するまで続くのでしょう。そして絶滅をはたしたら、次の仮想敵を求めはじめることになるのでしょうか。アニミズムを復権し、「かなしみを抱きしめて生きる」ということに気付かせない限りは。

アニミズムの神を殺したがゆえに、魔女裁判をしなければならなかった。アニミズムの神々を殺したがゆえに天国と地獄が必要になった。ジハードのために、一身をなげうてば天国にいけるという枠組みが必要になった。共産主義によってアニミズムの神々を禁止したために、中国人は金の亡者にならざるをえなくなった。

幻想や空想から生まれた一神教の世界では超越的秩序が現実に合わなくなると、簡単に真理とされたものが簡単に見捨てられることは以前に述べている。
都合が悪くなると価値観が簡単に変わってしまうということは、いつまた変わるかもしれないという危険性をはらんでいる。あれほどナチスに心酔したドイツ人が、敗戦とともにナチスを徹底的に排撃する価値の転換を成し遂げたことは、かって森を破壊することが善であった時代には、徹底的に破壊した人達が、守るとなると立ち木一本切るにも許可が要る社会を作るこことと、根はまたく同じといえる。鯨もまた同じ。

森の資源が枯渇したら今度は石炭に乗り換える。地球資源を搾取し続けることによって、自然を支配する。自然の上に神と人間の王国を作るための労働は善であり、神によって祝福される。そういうプロテスタントの精神が生み出した近代工業技術が世界を支配した。

それとは反対に、森の資源が枯渇した江戸時代日本人は、役牛としての家畜を減らし、役牛に変わるものとして自らの労働力を大地に投入することによってその危機を乗り切った。中国山地や濃尾平野では人口の増加に比例して家畜の頭数が減少しているという。

西洋のプロテスタントの精神に匹敵する物として、日本には近代の産業革命に匹敵する、勤勉革命があったという説を引用されている。


ではどうすればアニミズムの神を殺し、地球を破壊しつくしてきた一神教に打ち勝ち、アニミズムを復活して環境破壊を食い止め、殺戮の連鎖を止め地球をもとの楽園にもどすか。著者は次の八つの項目を挙げている。

(1)「全地球アニミズム」運動の展開
(2)「国際結婚」の奨励
(3)「文化交流」の促進
(4)「アニミズム連合」・「少数民族連合」の結成
(5)「和魂洋才外交」の断行
(6)「アジア太平洋アニミズム連合」の構築
(7)「森の環境国家」としてのアジアの環境大国を構築
(8)「ハイテク・アニミズム国家」の構築

著者があげている八つの項目は以上である。

宇宙船地球号は人口の増加と交通手段の発達で江戸時代の日本と同じ人々が肩を寄せ合って暮らしていかなければならない状態になったいると思いますし、江戸時代の知恵を全世界に生かすときであると私も思いますが、上の八つが有効なことなのかヤヤ疑問を持って読みました。
さらに一神教を信ずる人々に一神教が本質的に誤ったいるのだと信じさせる戦略が必要であると思ういますが、この本を読んでその点が足りないのが不満でした。しかしこれはこれで大問題であり、本書は問題点とアニミズムの必要性・必然性を指摘までと受け止めたいと思います。

トインビーは、ユダヤ文明が優秀なヘレニズム文明の侵略を受けたことを検討し、劣勢な文明が優勢な文明の侵略を受けたとき優勢な外来文明に対する態度には、正反対の二つの態度があると指摘しているそうである。

一つはあくまで伝統的文化に固執し、いわば排外的国粋主義。幕末の攘夷派。いま一つは外来文明の優秀さを認め、それを積極的に受容していくなかで、自国の劣勢な文明を発展させようとする受容派。いわば幕末の開国派。両者ともユダヤ文明を守り、ユダヤ人社会だけを擁護しようとした点では変わりはない。外来文明を受容するか排斥するかの戦術の違いであってユダヤ人社会だけを守りたいということ根は同じである、両者とも失敗をもたらしたという。

これに対し、トインビーは福音主義的応戦の行きかたがあるといった。これを筆者は「哀しみを抱きしめて生きる」という行き方と言い代えている。それは無私の創造精神と活動によって支えられたアニミズムの「慈悲の心」、「利他の行」というこであって、ガンジーの非暴力主義・無抵抗主義に通ずるものである。

今次大戦で「力と闘争の文明」のアメリカ文明に完膚なきまでに打ちのめされ。排外派も受容派も台頭するまもなく、アメリカ文明を受容し「哀しみを抱きしめて」生きてきた。広島で25万人、長崎で9万人、東京、大阪等大都市でも空襲でおびただしい犠牲を出した。にもかかわらずアメリカを憎むことなく、ただひたすら「哀しみを抱きしめて」生きてきた。

アメリカに押し付けられたとはいえ、平和憲法はガンジーの非暴力・無抵抗主義に近く、戦後60年はからずも日本はこの道を行き、平和と繁栄を手にした。これはトインビーの言う福音主義的応戦に近いが福音主義ではなかった。日本人の大部分はキリスト教とではなかったからである、それは「アニミズム的応戦」だったと筆者はいう。

インドの独立も同様である。インドの民衆の心の根幹ヒンドゥのにはアニミズムがあった。トインビーが理想とした福音主義的応戦は、キリスト教とは最も遠いアニミズムがいまなお色濃い日本とインドで実現した。西洋文明に対するアニミズム的応戦として。

日本では戦後、マッカーサーがキリスト教の理想の国を実現し、共産主義の防波堤にするという強い理想を持ってやってきた。国家神道の廃止、政教分離、憲法改正を内容とする神道指令を発する。これに呼応して日本の知的エリートがキリスト教を支柱とする宗教改革で日本を立て直すと主張する。さらにマルクス主義者が「宗教はアヘンだ」として、宗教心を日本人から奪って行く。この両者が両刃の剣となって日本人の心からアニミズムの心を破壊した。

これらのことで、日本人の心に空白を生むことにはなったが、キリスト教もマルクス主義も日本には定着せず、またアニミズムの心も完全には破壊しなかった。アメリカに負けた。しかしアメリカを敵として、「やられたら必ずやり返そう」とはせず、じっと「哀しみを抱きしめて」生きてきた。

復讐の連鎖を断ち切ることが出来たと著者は言う。さらにアニミズムの神を信ずるということは「心のクッション」が大きいということという。ある神がダメでも次の神がいる。それは信仰に対していい加減な態度かもしれないが、心の柔軟性を示しているともいえる。善悪の価値観は時代と共に有為転変する。日本人の曖昧さはマイナスのイメージのみが強調されてきたが、心の柔軟性、曖昧性こそが、人間と人間、自然と人間が上手に付き合う方法であることを、体験的に学んできた。

自然と人間、支配者と被支配者、善と悪の間に明白な区別を設け、白黒をハッキリつけないと気のすまない一神教の「力と闘争の文明」とは根本的に相違する価値観をわしたちは持っている。日本人は無宗教といいながらどこかでアミニズム、神や仏を崇拝する心を持っている。これがキリスト教や、共産主義の受容を拒否した。

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日本にも各地に棚田があるが、中国ミャオ族、ハニ族が住む高地にも美しい棚田がある。棚田は農耕民族が何代にもわたって、本来なら利用しようのない急傾斜の大地に、人間の全エネルギーをつぎ込んで生み出したものである。ミャオ族、ハニ族は畑作牧畜民の侵入で長江流域から追われ、やむをえず高地に住むことになった。幸いなことに山から水が湧き出していたので森を残し水源から順次下方へ水田を作り始めた。

棚田を維持する上で重要なのは水の配分である。旱魃のときどう水を配分するか。日本でも水争いがおきたとき互いの利益を守りながら殺し合いをせずに解決してきた。ミャオ族、ハニ族が住む地域にはそのほかにイ族、ブーラン族など言語も風習も違う民族が住んでいるが、水争いによって村を挙げて移動したという話は聞かないという。

農耕社会では自分のところで使った水を、他人へも回さなければならない。自分のところだけで水を使いつくしてはならない。自分以外の他者のことも考えながら生きる。そしてそれは人間だけにあてはまるのっではなく、生きとし生けるもの全てに対してあてはまる。むしろ人間はその中の一部である。そういう優しく穏やかな「利他の心」、「慈悲の心」を稲作漁労民は持っている。そこにこそアニミズムの心を伝え、「美と慈悲の文明を」創造できたのである。

本来利用不能の急傾斜地に人間のエネルギーを投入して美しく価値ある棚田を作り、豊な大地に変えることに喜びを見出す。畑作牧畜民ならそんな苦労はせずに、ヒツジとヤギを放牧するであろう。ヒツジとヤギは草を食いつぶして禿山に変え、大地をより不毛の砂漠に変えてしまう。

日本での先祖供養は森の民が死んでからもなお、この美しい地球に生まれ変わりたいという願いが為せるものである。砂漠に暮らした人たちが、死後はこの地球を去り、至福に満ちた天上の世界で暮らすことを夢見たのは、彼らが生を受けたこの世が、人間の生存には最適のもではなかったからである。




なおこの著者に関するホームページは沢山あって、もし興味があれば例えば下記を覗かれたら参考になると思います。

http://www.shiojigyo.com/en/backnumber/0308/main.cfm


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